1年前のあの日を忘れない 知事の疑惑を追及した夫はなぜ死を選ぶほど追い詰められてしまったのか……妻が見つめ続けた最期の日々
「ずっと追われる恐怖が主人にはあったと思います。議員を辞めて、仕事も人間関係も失った。それでも世間は納得せず、いつまでも自分に対して何をしてくるかわからない。攻撃や責めを受け続ける。その恐ろしさから逃れられず、常に不安に脅えて……」
兵庫県の斎藤元彦知事を告発した文書をめぐり、県議会百条委員会(文書問題特別委員会)で疑惑を追及した竹内英明元県議が2025年1月18日に自ら命を絶って、まもなく1年。遺影が微笑む自宅のリビングで、夫が苛まれ続けた最期の日々を妻はそう振り返る。
前年11月の兵庫県知事選の最中からXやYouTube、街頭演説で竹内に対する誹謗中傷やデマが広まり、罵詈雑言のメールや郵便が届くようになった。
候補者の一人で、斎藤知事を応援する「二馬力選挙」を展開した政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首から、斎藤を失職に追い込んだ〝黒幕〟と名指しされ、支持者たちの標的になったのだ。斎藤再選という結果を受けて竹内は議員辞職したが、攻撃が止むことはなかった。
そして議員辞職からちょうど2カ月後、自ら死を選んだ。政治家を志す原点となった阪神・淡路大震災から30年を迎えた翌日のこと。50歳だった。
議員が天職の正義漢。調査能力が高く、県財政の改革がライフワーク。豪放磊落で、同僚議員や県職員の信頼も厚い──周囲からそう見られていた竹内は何に絶望し、なぜ死へと追い込まれねばならなかったのか。妻や同僚の証言からたどる。
ノンフィクションライター・松本創
「まるでゲシュタポや」知事の強権に憤る
〈会見で述べられていた「綱紀粛正」の言葉を聞いて、今後の「粛清」を想起した人すらいるという。あまりにも前近代的で恐ろしい話に私も身震いした。
報道でどこまで県民の皆さんに伝わっているかはわからない。いま兵庫県政、県庁が大混乱しているのは確かだ。〉
今も残る竹内のブログに2024年3月31日、「兵庫県政、県庁の混乱について」と題した一文がある。
4日前の27日、斎藤は定例会見で西播磨県民局長が知事らを告発する文書を作成していたとして、退職予定を取り消し、懲戒処分すると発表した。
事実関係を調べもしないうちから「嘘八百」「公務員失格」と見せしめのように断じた斎藤の言葉に竹内は驚き、この先に訪れる県政の混迷を予見したのだった。
竹内も10カ所の文書送付先の一人であり、3月20日頃には目を通していた。
パワハラやおねだり(物品受領)の疑惑は庁内の噂で聞いていた内容も多く、「文書には事実も含まれている。県が取り扱いを誤れば、大変なことになる」と同僚議員らに語っていた。
だが、県はこれを公益通報として扱わず、内部調査で告発者の特定と処分を急いだ。
「警察でもこんな強権的なことはしない。まるでゲシュタポや」と竹内は憤った。
6月県議会で百条委の設置が決まると、竹内は自ら手を挙げ、所属する「ひょうご県民連合」幹事長の上野英一と2人で委員を務めた。
「自分の議員人生で百条委をやることになるとは」と並々ならぬ意欲を見せ、ほとんど休みも取らず、知事や幹部の証人尋問へ向けた情報収集に奔走した。だが、この百条委での質疑が後に災いを招き寄せることになる。
8月30日と9月6日、竹内が行った斎藤知事や片山安孝元副知事への尋問を妻は姫路市内の事務所で見ていた。パワハラ、おねだり、県が行った告発者探索の実態、それに公益通報の認識などテーマは多岐に及んだ。
「自分に与えられた5分程度の短い時間で知事の本心や事実を引き出そうと、主人は焦っているようにも見えました。発言を遮ったとか高圧的だとか、後になって批判されましたが、そうならざるを得ない状況もあったと思いますし、当初は『いい質問だった』『よく追及してくれた』と好意的な反応ばかりだったんです」
各回3時間近い長丁場で、確かに竹内の質疑は目立った。職員の証言に基づく情報は具体的で、追及は鋭かった。曖昧な答えを見逃さず、たびたび疑義を挟んだ。
権力者の疑惑を明らかにする場だから、口調が厳しくなるのは仕方ない。だが、それが結果的に「百条委の方がパワハラだ」という反発につながっていく。
妻が最初に受けたネガティブな反応は9月6日の百条委が終わった直後、事務所にかかってきた電話だった。
「電話で『竹内議員の事務所でしょうか』と聞かれ、『そうです』と答えると突然、『パワハラなんかなかったんじゃ!』と怒鳴られて。口調が急に豹変したことにも驚きましたが、その声が女性だったんですよね。印象では年配の方だったような」
後のSNS分析によれば、文書問題報道が過熱していた8月中旬から斎藤を支持する投稿が増え始め、不信任が可決される9月中旬には初めて支持が不支持を上回ったという。電話は、世論が反転しつつある兆しだったのかもしれない。
激化する攻撃「息を潜めているしか」
誹謗中傷が激化したきっかけは、やはり立花の扇動だった。
11月3日、百条委委員長の奥谷謙一県議の事務所兼自宅前で嫌がらせのような「街頭演説」を行い、「竹内と丸尾(牧県議)の事務所にも行きます」と発言。同日、別の場所でも「竹内の家に行く」「見つけたら教えて」などと聴衆に呼び掛けた。
丸尾からの連絡でこれを知った竹内は、事務所に行かないよう妻に伝え、自身も当面、外出を控えることを決めた。
竹内や丸尾が「黒幕」とされた原因は、知事選2日目の11月1日に立花が民間人から入手したというメモである。
そこには、竹内が告発者の元県民局長と以前から情報交換していた、県職員を「証人尋問に呼ぶ」と脅したなどと書かれていたほか、元県民局長の私的情報もあった。
いずれも事実無根のデマか極めて根拠薄弱な憶測だが、選挙を利用してこうした言説が流布され、聴衆やネット視聴者が賛同・喝采する現実に、まず妻の方が不安定になっていった。
「主人のこともそうですが、亡くなった元県民局長さんを中傷したり、百条委の秘密会の音声が流出したり、考えられない暴挙が次々と起こって、いろんな人が傷ついていく。なのに、止める手立てがない。主人と対応を話し合ったこともありますが、あれだけ発信力のある相手に反応したら、必ずまた何か返ってくる。火に油を注ぐだけじゃないかと。結局、無視というか、息を潜めているしかなかったんです。相手の影に怯えながら」
事務所の留守番電話は切ったが、メールは届き、竹内が目を通していた。
〈斎藤前知事、転覆クーデター計画の犯人〉〈自らの罪を認め速やかに自首、自白されることを切に期待します〉〈黒幕のパワハラ野郎はお前じゃねーか(略)市中引き回しで、射殺もんだろお前〉……竹内の顔写真に〈斎藤を貶めた主犯格〉と書かれたYouTubeのサムネイル画像を貼り付けたものもあった。
ネットの情報をどれだけ竹内が見ていたかはわからない。ただ、自宅でもスマホは手放さず、知人からのLINEも大量に届いていたようだ。「よかれと思って、『こんなこと書かれてるぞ』と知らせてくるやつもいる」「警察に呼ばれたというデマを信じた知人に心配された」と妻や同僚議員にこぼしていたという。
一方で、選挙情勢は日に日に斎藤が勢いを増していた。
投票の1週間ほど前、竹内はポツリと漏らした。「これ、斎藤さんが勝つで」。
悟ったような口調に妻は動揺した。信じたくはないが、信じざるを得ない。現実を受け入れないといけないが、簡単には受け入れ難い。
投開票2日前の11月15日、妻がJR姫路駅前を通りかかると、見たこともない数の群衆が広場を埋めていた。斎藤の〝前座〟の立花の街宣だった。
スマホをかざし、歓声を上げる人たちに、おそらく悪意はないのだろう。しかし、事実も冷静さもそこにはない。竹内や元県民局長に関するデマや憶測を信じ込み、彼らなりの正義感に駆り立てられている。
「電話やメールやSNSで責め立てられているのと一緒で、あの中にわたしたちが入れば袋叩きに遭うだろう。その光景が目に浮かんでくるんです。それで、どうしようもなく恐ろしくなってしまって……」
揺れ動く妻より先に、竹内は現実を受け入れ始めていたのかもしれない。選挙戦の後半、夜に県庁の議員控室へ2回行っている。資料やPCのデータを整理し、政務活動費の精算をしていたようだ。
「家族を守るため」議員辞職を決意
11月17日の夜8時、斎藤に当確が出るとすぐ、夫婦は話し合った。
妻は「議員を辞めてほしい」と懇願した。子供も2人いる。今のままでは家族の生活が成り立たない。この問題から距離を置きたい、と。恐怖と疲労が積み重なった末の言葉だった。
竹内もすぐ受け入れた。「もう続けられないと思っていた。ここは一つのタイミングだと思う」。
夜中の3時頃までかけて辞職届を書き、18日早朝に県庁へ出かけた。朝一番で県民連合幹事長の上野と向き合い、辞意を告げた。上野の目には憔悴しきった表情で、既に重い鬱状態に見えた。
「しばらく休め。カウンセリングを受けろ」と慰留したが、竹内は「妻が錯乱状態なんです。家族を守るには辞職するしかない」と譲らず、議長宛てに辞職届を出しに行った。
会派で最もよく連絡を取っていた迎山志保県議も電話で辞意を告げられ、慰留したが、「もう決めたんや。家族を守らんとあかんのや」と取り付く島がなかった。
議長から、辞職届をいったん議長預かりにできないかと打診を受け、迎山が再度連絡したが、竹内は「それだけは絶対にやめてほしい」「もう勘弁してください」と涙声で繰り返すばかりだった。
この日、竹内は午前中に帰宅している。「何とか無事に帰ってきた」と妻は安堵し、夫が県政から離れたことで、徐々に落ち着きを取り戻していく。
だが、大学時代から政治家を志し、地方議員を21年間務め、民主主義や公正な社会という理想を青臭いまでに追い続けてきた竹内にとって、デマや誹謗中傷に追われて議員辞職を選ぶことは、信じてきた理想の「負け」を認め、自分の人生を否定することになった──。
(ルポ【中】へ続く)
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竹内元県議・奥様、ともにどれだけしんどかったでしょうか。 あれからもう一年、今も兵庫の混乱が続いていることが、空しくてなりません。