なぜエース社員が、たった数百円のために交通費をごまかすのか できる社員ほど陥る心理的なワナ
将来を嘱望されたエース社員に何が起きたのか
冒頭で紹介したエース社員の話に戻ろう。 彼女の営業成績は社内でも群を抜いていた。その活躍ぶりは社長の耳にも入るほどで、評価も極めて高かった。「将来、最年少で課長に昇進するかもしれない」とまで言われていた。本人もその昇進に向けて、日々努力を重ねていた。 そんな彼女は、一体何をしたのか? 例えば、実際はバスで移動したのに、私鉄を使ったことにして申請する。実際に支払った額より高い交通費を受け取るのが目的だ。1回あたりの差額は数百円程度。しかし、それを繰り返すことで、年間約2万円を不正に受け取っていた。 確かに金額は小さい。しかし問題は「意図的にルールを曲げた」という事実である。一度この線を越えると、信頼は一気に崩れる。成果や実績がどれほどあっても、ルール違反は別物だ。 発覚後、上司は彼女に厳重注意を行った。しかし本人は幾分不服そうだったという。おそらく「たかが2万円程度で」と思ったのだろう。 「自分はこれだけ会社に貢献している」 「このくらいは許されてもいい」 そのような感覚があったのではないか。まさにモラルライセンシングの典型例である。 結局、彼女は退職した。不正の事実を知っていたのは、上司と総務部の一部の社員だけだった。しかし、本人は居心地が悪くなってしまったようだ。将来を嘱望されたエース社員は、自らキャリアを閉ざしてしまったのだ。
なぜ優秀な社員ほど規律が緩むのか
この心理は、ビジネスの現場で特に強く働く。 成果を出している社員ほど「自分は会社に貢献している」という意識が強い。売り上げを作り、顧客から評価され、難しい案件を次々に解決する。その積み重ねが、無意識のうちに「自分は特別だ」という自己認識を育てる。 すると、小さなルールの逸脱が許容され始める。 1. 会議に少し遅れても問題ない 2. 細かい報告や申請は省略してもいい 3. 自分は結果を出しているのだから、多少の例外は許される 周囲もまた、それを許容してしまう。「あの人は特別だから」「あれだけ数字を作っているのだから仕方ない」と、注意することをためらう。こうしてルールは静かに形骸化していくのだ。 ここで重要なのは、不正や不祥事を起こす前から、既にモラルライセンシングは働いているという点である。ルールを守らない。規律を軽視する。例外を当然視する。その小さなズレが積み重なった先に、より大きな問題が生まれる。 冒頭のエース社員も、最初から不正をしようとしたわけではない。「自分はこれだけ貢献している」「このくらいは許されるはずだ」という感覚が、少しずつ境界線を曖昧にしていったのである。