小学生に競争原理は必要ない
「学校に行きたくない」の背景にあるもの
子どもが学校に行きたがらない。子どもが「学校はつまらない」と言う。宿題を嫌がる。勉強しようとしない。
これらの状態は、単なるわがままや怠けではなく、多くの場合、「学習に対する認知のゆがみ」が生じている結果だと考えられます。
本来、人は生まれた瞬間から「学びの連続」の中で生きています。学びたいという意欲は、外から与えられるものではなく、もともと人の内側に備わっているものです。
人は生まれながらに学ぶ存在である
赤ちゃんは、生まれてすぐに「生きるために何が必要か」を感覚的に理解しています。やがて寝返りをし、ハイハイを始め、つかまり立ちをし、1人で歩くようになります。
誰かに命令されたわけでも、競争させられたわけでもありません。
これらすべては、本能に刻まれた「成長したい」という強い欲求があるからこそ起こる行動です。
同じように、子どもは
話せるようになりたい、
書けるようになりたい、
運動ができるようになりたい、
1人でお菓子の袋を開けたい、
ジュースのふたを開けたい、
1人で靴を履きたい、
と願いながら育っていきます。
学びたい気持ちは、誰に教えられなくても、すでに子どもの中にあるのです。
「勉強=罰」になった瞬間、意欲は止まる
この前提が理解されていないと、子どもは「勉強とは罰なのだ」と受け取ってしまいます。そして、その瞬間に成長への意欲は止まってしまいます。
たとえば、
「罰として漢字を書いてきなさい」
「そんなに遊びたいなら、まず宿題を終わってからにしなさい」
「休み時間なしで漢字練習をしなさい」
こうした言葉を毎日のように投げかけられて、子どもが「もっと成長したい」「もっと学びたい」と思えるでしょうか。
多くの場合、答えは否です。
なぜ大人は、子どもの学びを止めてしまうのか
子どもにとって、遊びは成長に必要不可欠な栄養源です。
遊びの中で子どもは、社会性、言葉の使い方、相手を傷つけない距離感、適切な力加減などを自然に学んでいます。
遊びこそが子どもの脳を刺激し、発達を促しているのです。
しかし、
「学びとは授業のことだけだ」
「勉強とは苦しいものだ」
と考えてしまう大人がいます。
自分自身の受験体験や、さらに古い時代の価値観を引き合いに出し、
「勉強なんて苦しいものだ。つらいけれどやりなさい」
と語ることで、子どもの中にあった学びへのためらいのない意欲は、ぴたりと止まってしまうのです。
時代はすでに変わっている
大人は、そろそろ自分自身の受験や過去の価値観から一度距離を置く必要があります。
今の時代、子どもは主体的に学ばなければ、何も手に入れることができません。
社会はすでに、新しいステージに入っています。
私たちが子どもだった頃、スマートフォンはありましたか。
ありませんでした。
情報が限られた世界の中で生きてきた私たちは、「受験を突破することこそが幸せだ」と信じ込まされてきました。
しかし、それは本当に幸せにつながっていたでしょうか。
どれほど高学歴になったとしても、結果的に「立派な納税者」を育てる仕組みの中にいただけで、幸せは別のところにあったと、多くの大人が気づき始めています。
これから必要なのは「体験」と「関わり」
今、子どもたちはスマートフォンやタブレットを使い、驚くほどの速さで知識を吸収しています。
だからこそ、大人が意識的に提供すべきなのは、体験です。
実際、ひもが結べない子、火を起こせない子が増えています。
これは能力の問題ではなく、経験の不足です。
現代に本当に必要なのは、知識の詰め込みではありません。
体験し、人と関わり、失敗し、やり直すことです。
もっと広い世界を、もっと多様な人との出会いを、子どもたちに見せてあげましょう。
そこにこそ、これからの時代を生き抜くための、本当の学びがあります。


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