「不足の事態で報告が遅れる」なんてよくあることだ。そうしていつものように捻出したサボりの時間。それが崩れたのはあまりにも唐突だった。
それは春の嵐のような、夏の夕立のような、とにかく爆発的な破壊力と勢いを持って私だけの休憩スペースの扉を開けた。乱暴に開けられた扉は弧を描きながら壁にぶつかって跳ね返り、そして乱暴に扉を開けた彼女に仕返しとばかりに衝突した。
「痛あああ……」
突き出した顔に木の板が当たった黒ずくめの彼女は間抜けに悲鳴をあげる、その悲鳴は扉が閉まってくぐもっていく。
来て早々1人で騒がしくして、馬鹿なのだろうか。……とは口には出さないが、代わりにため息を吐いた。それはもう呆れをたっぷり含んで長く深いため息だ。
「何その反応!?イロハちゃんひっど〜い!」
流石に学んだのか今度はゆっくり扉を開けて顔を覗かせる。しかし声は変わらずに、否、先ほどよりももっとうるさい声量で私の反応に不満を漏らしている。
その姿を固まったようにじっと見つめる。扉の隙間からはみ出た2本の黒い角が、窓から差し込む光の照らされている、私と正反対のサラサラストレートの髪色は紺色にも、薄い黒髪にも見える。ただ、目の色は間違いなく紅、後頭部にぼんやりと浮かぶヘイローの色も目の色と同じだ。
「……なんの用ですかチアキ」
「イロハちゃん手出して」
「はい?」
意味がよくわからずに困惑しているうちに、チアキはズカズカと畳の上を進んで私の前に座りこむともう一度、手出して! と今度は語尾を強めて催促した。普段なら感じない圧のようなものを感じた私の手は勝手に彼女の前に差し出されていた。
差し出した手はすぐにチアキの手の甲に覆われて見えなくなる。手にはチアキの体温と指が撫でるように触っているのがわかる。生地とか粘土を捏ねてるみたいな動きだ。隠れているからか、余計に感覚が手に集中しているような気がする。
「えっと……どうかしました?私の手がなにか、おかしいんですか?」
「…………」
チアキは先程のうるささを忘れたように何も言わずにひたすら、無心で、私の手を指で撫でている。話しかけても無視、彼女を相手にして無視された事などなかったから少しショックだが、それ以上に理解が追いつかない。
手の甲にを撫で付ける指は柔らかかったり固かったりする。固い指はおそらくチアキの利き手だ。ペンだこでもできているのだろう。そんなことを考えると手は不思議と熱くなっていく、気がする。
「楽しいんですか?じゃあ爪も触っていいで……言い切る前に触り始めるんですね」
耳が聞こえなくなったわけでもないようだ。今度は爪をペタペタとタップし始めた。まるで意図も読めずされるがままでいかない。視線を手に落としているので表情は帽子のツバで隠れて見えないし、ツノがこちらに向いて顔に刺さりそうで危ない。
そこからしばらく私はされるがままでチアキに手を触らせていた。互いに無言で吹いてくる風の音と細かに聞こえる息とか、聞こえる音は少なく、少し恥ずかしかったが意外と落ち着けた。
チアキの指の感触にも慣れて来て頃、いきなり私の指の隙間にチアキが自身の指を絡めた。
「ちょっと、チアキ」
慌てて待ったをかけるもチアキはまたも声を無視し、指の隙間に通した五指を私の手の甲に食い込ませ、その姿を見せつけるためか眼前に持ち上げた。私はみじろぎ一つもせずにチアキを見つめているだけ、動いているのはチアキだけ。
つまり、今チアキがありえないほど顔が茹って目の端に涙を溜めているという状況は自爆に等しいわけだ。本当に呆れも尽きない。ため息を深めて、言葉の続きを吐いた。
「いい加減何がしたいのか教えてください。黙りこくって、あなたらしくもない」
彼女の目線は怪しいほど泳いでこちらに向き合おうともしない。そして何かを言いかけてすぐに口を閉じる。うじうじしてる姿に辟易したので握られている腕を私の体の方に引く、いきなり引っ張られたチアキは驚きの声をあげるが何もできずにそのまま私の胸に飛び込んだ。その背中に腕を回して抱き締めるように捕まえる。
「イロハちゃん!?離して!近いっ……近い!?」
「ようやく口を開きましたね」
普段人との距離感が近いあなたがそれいいますか。
状況を飲み込めたようでいきなり打ち上げられた魚のようのバタバタと足を動かし、手を引っ張って体をくねらして、なんとか拘束を解こうともがいている。
私よりも大きいからか、簡単に拘束から抜け出されて一気に距離を空けられた。激しく肩を上下させてこちらを睨んできている。あなたの方から来たんですよね? そうツッコミを入れたくなったが口を結んで我慢する。
すごい量の汗を流すチアキは、ようやくぽつりと一言溢した。
「……ってくれないから」
「え?」
「最近イロハちゃんがぜんっぜん!構ってくれないからあ!構ってほしくて、でもその…… イロハちゃんずっと忙しそうだったし……迷惑かなって……それで…………
ともかく!先生とかマコト先輩とかイブキちゃんとかが羨ましかったの!」
「そ、そうですか……」
勢いと声量で押し流されそうになる、堰を切ったとはまさにこの様だ。そして吐き出すだけ吐き出したチアキは頭を抱えたまま畳の上を転がり始めた。
「ううぅぅ……!」
うめき声をあげて本当にらしくないその姿を見るのは忍びない。転がったチアキを踏まないように気をつけてブーツを履く。時計を見ると寮の門限までの時間は有り余っていると言って差し支え無い。それに仕事もおよそ片付いているし、ひたすらゴロゴロするだけにも飽きていた。
「ほら、行きますよチアキ」
「……へ?」
転がるチアキに手を差し出すと今度は直ぐには手を取らずにほおけた顔を見せた。
こういうところは察しが悪いですね、ほんと。
「構ってほしいんでしょう?いいですよ、2人っきりで、構ってあげますから」
チアキはゆっくりと手を握ると、ほしいものを買ってもらえる子供のような笑顔を輝かせて舞い上がった。
「いいの?……やった〜!デートだ、デート!イロハちゃんとデート〜!」
「わかりやすいですねほんとにあなたは……いえ、別にいいですか。私も似たようなものですし」
彼女からの視線を遮るようにツバを落とし、私達は休憩スペースを後にした。
好き