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ひとときのラズベリー・チョコレート/Novel by キャきキャきのしゃベツ

ひとときのラズベリー・チョコレート

6,675 character(s)13 mins
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 上機嫌な鼻歌が、部屋の中を泳いでいる。元宮チアキはテーブル上のコンポート皿に積まれたキューブ状のチョコレートの一つを指で摘んで口に放り込んで奥歯で擦り潰した。口内の熱でチョコレートはすぐにドロドロに溶けてしまうので、まだ少し固い状態で飲み込む、すると途端にカカオの風味が鼻を抜けて甘さが流れ込んできた。
 万魔殿がパーティへの来客に振る舞うために試作に試作を重ねた馴染みあるチョコの味に舌鼓を打ちながら、チアキの視線は鼻歌の発信源の方を向いている。複数人用のソファを贅沢に独り占めしながら伸びやかな足を交互に振っては、厚く膨らんだ赤い髪と一緒に身体を揺らし、鈍色の冷めた視線は携帯ゲーム機の画面に集中している。こちら側からは部屋の照明のせいで画面がよく見えないが、ともかく彼女の意識がゲームに大半を割いていることは確かな事だ。

「イロハちゃんチョコ食べる?」

「まあ」

 ゲーム機のスティックを縦横無尽に動かしながら聞いているのか、いないのか、どうも曖昧な返答を返したのはチアキの同級生で同じ部活に所属している棗イロハである。
 今、2人は嘘をついてサボっている。これから、時間で言えば後2時間もすれば彼女たちの所属している万魔殿が主催するパーティが始まる。おそらく、すでに会場には招待された多くの生徒が来場し、今回のパーティー開催に協力してくれたシャーレの先生や、警備にあたる風紀委員会の面々も集まっている頃合い、議長であり上司の羽沼マコトもドレスを着て会場に現れるはずだ。バレンタインの時期に行われる一年に一度の盛大なパーティが足音を立てて刻一刻と近づく中でも、イロハは何ら変わらない姿を見せている。
 すでに完了しきった『パーティの準備』とやらをでっち上げて、見事騒ぎ始めた会場から抜け出すことができた2人は関係者以外立ち入れないエリアの、ある役割を終えた客室で屯っているが、実を言えばチアキだけは退屈を感じていた。

「食べるの?食べないの?」

 その理由はやはりと言うべきか、チアキはイロハと会話がしたくてこの部屋に来たからだろう。
 チアキは声を強めて彼女からのちゃんとした返答を催促する。指に摘んでいたチョコは熱で溶け始めていたのでまた口に放り込んだ。イロハはまたしてもはっきりしない返事をして、ゲーム画面に熱中している。
 どうもその適当な返事と態度に、普段怒りというものを生まないさしものチアキも苛立ちを覚えた、三度チョコレートを摘み上げて騒音にならない程度に声のボリュームを上げて声を出した。爬虫類の瞳孔に似た紅の瞳が寂しさと物欲しさを揺らして輝いているが、冷徹なグレイの瞳は揺れることなくある一点、ゲーム機の画面に集中している。

「今なら私があ〜んってしてあげるのにな〜!」

「へぇ」

「……私、パーティ行っちゃうよ」

 口惜しさなんて微塵も感じさせない冷めた声で2文字の返答を繰り返してばかりにすっかり機嫌を損ねたチアキは、まるで値引きをする通販番組かのように彼女の意識を自分の方に引き留めたくて片頬を膨らませながらそんな事を言った。
 ほんの一瞬だけイロハの手が強張った気もしたが、すぐにボタンを押すために動いた。ただ、今の言葉の効果が薄いだろうことは何となく彼女は察していた。なにしろ、元々は彼女1人で時間を過ごすつもりで、元宮チアキがこの部屋にいるのは想定していなく、ただ彼女の押しかけ同然なのだ。だからチアキがパーティ会場に行こうと頭で描いていた予定は何も変わらない。それは理解しているつもりだが、どうしても、どうしても納得いかないと心のどこかがざわめいている。
 気づけば懐に仕舞い込んでいたデジタルカメラは起動していて、寝転んだ彼女にピントを合わせていた。指を押し込むと、シャッターが落ちて過ぎさったほんの一瞬が切り取られて、データとして残り、カメラ越しにようやく手を止めてこちらを向いた彼女と視線を交わす。会話を再開したのはチアキの口だった。穏やかで耳を傾けているのが至福に感じるような、陽だまりの声だった。

「ちょっとだけ話し相手になって欲しいな。ダメ?」

「ダメです」

「え〜!?いいじゃん!イロハちゃんのケチ!
 どうせパーティ始まったらイブキちゃんか先生のとこ行くでしょ!じゃあちょっとくらい許してよ〜!」

 年甲斐なく喚くチアキの姿をひたすら冷ややかに見据えていたイロハが、折れたかのように眼を閉じてため息を深く吐いた。目を強く閉じたまま淡い口紅を塗った唇を揺らして何かを言おうかどうかと思案しているように見える。
 そして結局彼女が口にしたのはまたしてもため息だった。その姿はいつもと変わらないものでチアキは安心と不満を同時に抱えてしまう。そのせいで、彼女があまりに出し抜けにゲームを中断したことに気付くのが一瞬遅れた。
 目線を指先の温度で溶け始めたチョコレートに意識を向けた瞬間、不意打ちにテーブルの向かいにいたはずの、のっそりと動き出していたはずのイロハは気付けばチアキのすぐ側にまで移動していた。
 
「あ〜ん、してくれるんですよね」イロハが言った。

「い……!?っ……あぅ……」うまい言葉が見つからず、顔色は赤色になった。

 さっきまで冷めていた視線は愉快そうに歪んで、チアキを射止めている。チアキは返事をしようと文を頭で作って喉を震わせても口から吐き出されるのは途切れたうめき声だけだ。その声を聴くイロハはどこか気分が高揚しているように見える。
 イロハの脚がくたびれた皮のソファに、裏地の赤いスカートを下敷きにしてのしかかる。そのまま身体を前に倒して、手はチアキの肩を突いて体重が預けられる。
 さっきまで元宮チアキの事なんて眼中にありませんと言い切れるほどの態度だったのに、途端に変わった様子にチアキは文句の一つも言えず、胸を強く跳ねさせて押し黙って目線を逸らしてしまう。その反応もまたイロハを愉しませる燃料となると知っていても、そう変えられるものではないと、沸騰直前の頭で言い訳じみたことを巡らせる。

「そのチョコレート、溶けて指についてるじゃないですか」

 イロハの視線は先ほどのほんの一瞬前までチアキ自身が意識を向けていた指先のチョコレートに向いている。どろりと溶けた茶色は指先の腹にべっとりとへばりつき、その半固形に向けられる目はどうも期待を強く輝かせている。チアキは咄嗟に指をイロハの口から距離を取る為にソファの背もたれの後ろにまで持っていったが、追従するように彼女の重心はチアキの体の方に倒れて、耳元に唇が近づいた。鮮明に聞こえるはずの呼吸はより強く脈打つ鼓動の音が頭に響いてよく聴こえない。唇が動く、ゆっくりと、はっきりと、数秒にも満たない一瞬の動きが確かにはっきりと見えた。

「もったいない」

 そう言うと、チョコレートを摘んだ方の手首を優しく包むと割れ物でも扱うみたいに静かに唇の方に持っていく。視界の外で起こる出来事に対応する余裕は、今のチアキにはない。
 いつもそうだ。もっと近づいて欲しい、構って欲しいと思って話しかけているけど、彼女が自分の意思で近づいてくると余裕が消えて顔がすぐに茹ってしまう。でも、その恥ずかしさを我慢してでも向かっていかないと私なんて目もくれず、どこか別の人のところへ行ってしまうんじゃないかと、そんな心配ばかりが元宮チアキの頭を支配している。そのせいで、恥ずかしいのか嬉しいのかわからない感情が強く渦巻いている。強く出れず、欲張りになれず、結局イロハを手放してしまうのだ。
 体温よりも温い息が指先にかかる。イロハは喉を鳴らして口を開け、摘んだチョコレートの先端を咥えてそのまま口に引き摺り込んだ。チョコレートの感触が消えた指は溶け残りでベタベタして、胸の鼓動はやかましいくらいだ。それでも少ない息を吐いて、言葉を作る。

「お……美味しい……?」

「まあ、普通です。試作品でさんざ食べた味ですよ」

「そりゃあそうだけど言い方……というかイロハちゃん!ああいうのはドキドキしちゃうからやめてよ!」

 焦って見失っていた調子を取り戻したチアキは、恐ろしくもない目を尖らせてイロハを睨みつける。「ああいうの、とは?」イロハはにやにやしながらそう訊いた。思考外の返答にチアキは目を丸くして、左右に泳がせる。

「それは……そ、その〜さっきみたいな距離感というか……身体へのタッチのやらしさというか〜……」

 言っている最中でもさっきの布越しに感じた手の感触や、彼女の匂いがずっとあたりを回っている気がして言葉が詰まる。そんな気持ちなんて露知らず、飽きっぽいイロハはすぐにチアキから離れて、先ほどまで座っていたソファに今度は仰向けで寝転がっていた。
 面白そうに彼女を視ていた目はどこへやら。つまんなそうにあくびを漏らして、眼は気怠げで、今のイロハを動物で喩えるなら猫だ、それもとびきり戯けた猫。呆気なくて素っ気なくて、自由気ままに動いてチアキを困らせる。ただそんなイロハに振り回されてもチアキの心は不快な気持ちにならず、逆に思い馳せてしまうのも俗に言う惚れた弱みというやつであったりする。
 
「そーいえば。このパーティは、一応はバレンタインパーティの体裁ですよね」チアキの言葉を強引に切って質問するイロハに、チアキは一拍黙ってからそうだねと、不満げに言葉を返した。イロハからの返答はなかった。

 そうして部屋には数刻前の静寂が訪れていた。心音ばかりがよく響いて仕方がないほどの静寂だ。空調の音も途切れた部屋の中で、チアキは自身の肩を撫でた、衣擦れの感覚と音が伝わる。イロハは静かな匂いのする部屋の天井やいけられた花や、音を鳴らして進む時計の秒針を見つめていた。キョロキョロしていると言えるのかもしれないが、目の動きは自身と同年代とは思えないほど落ち着き払っているとチアキは常々そう感じていた。彼女の冷静な鈍色の目に出会った頃より惹かれていたのだ。
 その多くを語らない語り口も冷めた態度も、どこまでも元宮チアキを夢中にさせただろう。それはチアキが誰とでも打ち解けられる術をあまりに若い時から知ってしまっていたからだ。初対面で打ち解けられなかった人物はいなかった事を自慢に思っていたチアキにとって、初対面の彼女の排他的な仕草、容赦ない毒舌は余程プライドを傷つけたに違いない。ただ棗イロハの不幸はそこでめげない事を予想できなかった事である。(そして残念ながら今はその話を詳しくすることができない事を理解してもらいたい)
 イロハの瞳は様々なものを見やってすぐに視界から外して、そして部屋に置かれたアンティークの4脚に支えられた棚に固定された。なにか躊躇う表情を見せてから、棚の引き出しを開けて中から小包を取り出す。
 長方形の薄い箱には茶色、ただその一色で塗られて他に装飾もないシンプルな包装で覆われている。チアキは目を瞬かせながら箱を見て、一言つぶやく。
 
「なにそれ」

 イロハはため息を吐き、箱を手首と一緒に揺らしながらチアキをじっとりと睨んだ。

「普段目敏いくせにこういうのは鈍いですよね。嫌いです」

 唐突な罵倒にギョッとしながらイロハを見る。冷ややか、冷静、冷徹、とにかく冷たいという字がこれほど似合う目があるのだろうかとチアキは思った。乳色のカーテンは閉め切られていることに気付く、それと同時に自分が、自分の意識しないところで目線を逸らしていたことにも気付いた。

「あなたのですから、取り敢えず受け取ってください」

 イロハはチアキの眼前に持っていた小包を差し出して、無理やり掴ませた。チアキはしばらくその箱を不思議そうに振ったり、眺めてたりしていたが、やがて鈍い頭にも何かが浮かんだようだった。真っ暗だった頭脳に突如稲妻がきらめいたようで、チアキは跳び上がりそうになった。小包を掴む手が震えて、赤くなっている。
 再びイロハの方に視線を戻すとさっきよりも低い位置にいた。首につけたチョーカーの位置と彼女の目線の位置は丁度同じぐらいの高さだ。行儀悪く、テーブルの上に尻を乗せて、足を組んでいる。白い脚が野晒しに伸びていた。

「これはちょ〜っと予想外かな〜」

 目をよく泳がせながらチアキは言った、赤い目と赤い皮膚との境目が溶けているようだ。イロハはその言葉が気になったようで、不服そうに目を細めた。

「心外ですね」

「いやそうじゃなくてね!イ……イロハちゃんってこういう季節の行事に誘っても乗り気じゃなかったから……その……嬉しいな!」

 イロハはチアキの様子を眺めて、ほんの一瞬だけ顎を動かした。小包を開けるように催促したのだ。だが、その時にどう思ったのか、そもそも何かを思ったのか、彼女の無表情な顔から読み取るのは不可能だった。
 チアキは恐る恐るといった感じに小包から箱を取り出す、中から黒と濃いピンク色の箱が現れた。箱上部には筆記体でブランド名と商品名が彫られており、それはラズベリー・チョコレートと書かれている。箱を開けると計12個のドーム型のチョコレートが、一つ一つ仕切りに囲まれて詰められていた。チアキの胸は痛いくらいに跳ねて、大きく音を鳴らしている。

「ハッピーバレンタイン、です。お返しはなくても構いませんよ」

 イロハがほんの一瞬だけ言い淀んだのにチアキは気付いたが、何を言うわけでもなく、顔を両手に埋めている、蓋の閉じた箱は彼女のすぐそばだ。チアキのつんととんがった耳の先は触れたら火傷してしまいそうである。

「ずるい……なんかもう全部がずるいよイロハちゃん……」

 いっぱいいっぱいの声で呟いたチアキを、イロハは楽しそうに見ている。そしてテーブルから離れてチョコレートを一つ摘み上げた。

「折角です、私もしてあげますよ?さっきしてくれたように」幼さのなかにアダルトな雰囲気を纏わせて、耳元でまた囁いた。チアキの悲鳴が漏れ、同時にその声で棗イロハの心のうちで言い表せない感情が芽吹いた。目を細めて汗ばんだチアキの顔を見ると、芽吹いた感情が瞬く間に成長している、そう確信した。

「すっかり静かになっちゃってまあ。あなたの反応の方がよっぽどずるい気がしますけど」

「イロハちゃん落ち着こ?だってこの後パーティが……!」

「大丈夫ですよチアキ。ただチョコレートを食べさせるだけじゃないですか」

 肩を押されて、チアキはソファの背もたれにへばりつくように固定される、イロハの両手は押された肩を突いており彼女の唇にはドーム状のチョコレートが啄まれている。チアキは啄まれたチョコレートを見上げる、自身の口の中にチョコレートが押し込まれる所を想像した。そしてその先を、想像してしまった。

「ダメ……待って……!イロハちゃん……!っ……イロハちゃ……」

 声が掠れ、覚悟も出来てないうちにチアキは堪らず目を閉じた。イロハの目が歪み、重なり合う瞬間、突如としてそに轟音は訪れた。

『さあ!ゲヘナ生よ、よく聞け!』

 鋭く、傲慢で、威厳をたっぷり含ませた放送の音声が部屋に強く反響した。その声は万魔殿の議長、羽沼マコトであることは彼女の部下である2人には一瞬にして理解できた事柄だ。何かが手のひらに落ちてくる感覚を受けて、チアキはゆっくりと目を開けた。
 手のひらにはさっきまでイロハの唇にあったはずのチョコレートが転がっている。イロハ本人はそれらしい感情の言葉で表すことのできない表情をして、ひたすらに面倒くさそうな顔で放送を聴いている。羽沼マコトの声は意気揚々と宿敵である風紀委員長の不在を告げているが、まもなく暴動が起きるだろうことは火を見るよりも明らかだった。
 チアキはひょいとラズベリー・チョコレートを口に放り入れて噛み砕いた。チョコレートの甘さよりラズベリーの酸っぱさが強い味わいで、瞼が下がった。

「えっと……取り敢えず戻ろっ……か?」

「……はあ。そうしましょうか」

 イロハの目はいつの間にか、またつまらなそうな目に戻っている。少し勿体無いなとチアキは一瞬思ったが、恥ずかしさが優ってすぐにその考えを切った。胸に残った酸っぱさはひとときも持たずに抜けている。
 2人は顔を逸らしてパーティ会場に向かった。

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