死は生の世界から死後の世界に行く中間点

欧米の人たちはそこが違います。ヨーロッパやアメリカのようなキリスト教の国は死後の世界を信じていますし、イスラム教国も死後の世界を信じています。死は生の世界から死後の世界に行く中間点(通り抜ける地点)という考え方です。

だから、生の世界での生き方によって、死後の世界で幸せになれたりなれなかったりすると考えます。ウォーレン・バフェットのように欧米の大富豪は生前に遺産のほとんど、莫大な金額の寄付を実行する例が珍しくないのも、そういったキリスト教の教え、生前の生き方が死後の世界の幸福度を決めるという考え方があるからでしょう。

そういう考え方は、死ねば何もかもなくなってしまうという日本人の絶対的恐怖感からすれば、死に対してはるかにリラックスした感覚を生み出します。それが表れたのが、あのコロナ禍のときでした。

マスクをつけ続けた日本人

コロナの渦中にあって、死を避けるために日本人は国の指図を何もかも受け容れました。感染しないためにつねにマスクをつけ、旅行どころか外出も控えて家に閉じこもりました。

ヨーロッパは違います。他人と話すときは正面から向き合い、その口元を見て会話する習慣がありますから、コロナ禍でも家族など親しい人と話すときはマスクをつけませんでした。外出も外食もいつも通りに楽しんでいました。

日本人はどうかといえば、どんなに親しい人と向き合うときにもマスクはつけたままで会話しました。自宅でもマスクを外さない人が大勢いました。友人や同僚との外食も避け、もちろん旅行も控えました。行動の自由を制限されて、それに従ったことになります。

マスクをした人々
写真=iStock.com/sibway
※写真はイメージです

そこにもちろん、他人に迷惑をかけたり不安を与えたりしたくないという気遣いを汲み取ることはできます。周囲の視線を気にする、いわゆる同調圧力を読み取ることもできます。

でもひとりで外出するときも、決してマスクを忘れなかったのがほとんどの日本人でした。根本に感染死への恐怖感があったからだと思います。