あしやま ひろこ氏からメールをいただきました。
2025年10月20日、VN3ライセンスの制作者であるあしやまひろこ氏に、私は最近noteで書いたようなことを要望メールとして送ったのですが、それに対する返信をいただきました。
実際のやり取り(原文ママ)
まずは、私が送ったメールから紹介いたします。
令和七年十月二十日
VN3プロジェクト代表 あしやま ひろこ 様
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。Tsuikyuと申します。
日頃より、3D文化やメタバース文化の発展のために多大なご尽力をされていることに、心より敬意を表します。
このたびは、VN3ライセンスに関し、特に「政治活動・宗教活動」の項目について、ささやかながら一つの意見を申し上げたく、筆を取らせていただきました。
まず、このライセンスの仕組みが日本のクリエイター文化を守り、作品の権利を丁寧に扱うために作られたこと、その理念の素晴らしさを深く理解し、尊敬しております。
そのうえで申し上げたいのは、現行の「宗教活動・政治活動」条項が、海外を含む多様なユーザーにとって誤解や萎縮を招くおそれがある、という点です。
特に宗教的な表現や言及を行うこと自体が「禁止」と解釈される場合、信仰を持つ利用者が作品の使用をためらってしまう可能性があります。
キリスト教やイスラーム、仏教、神道といった宗教は、それぞれが文化的・芸術的背景を持ち、人類の精神性を支えてきました。
それらを「政治」と並列に扱う文言のままにしておくことは、意図せず誤解を生み、排他的に映ってしまう恐れがあります。
また、VN3公式サイトのライセンス生成フォームでは、初期状態で「宗教利用:許可しません」と設定されている点についても懸念しております。
これは、クリエイターが深く考えずにそのまま使った場合、無意識のうちに宗教活動を制限する内容の規約を生成してしまう仕組みになっています。
あくまでご意図に反する設計であることは重々承知しておりますが、結果として自由な文化交流を阻む要因となる可能性があります。
そこで、次期バージョン(たとえばVN4)などで改訂の機会がございましたら、
「公序良俗に反する、または作品や制作者の名誉・イメージを著しく損なう行為を禁止する」
といった、より中立的かつ包括的な表現への変更をご検討いただければ幸いです。
この表現であれば、特定の宗教や思想を排除せず、クリエイターの権利保護と表現の自由の両立が可能になると考えます。
改めまして、あしやま様がVN3を通して日本の創作文化に法的・倫理的な支えを与えてこられたことに、心より感謝申し上げます。
本書が対話と改善のための一つの提案として受け止めていただければ、これにまさる喜びはございません。
敬具
Tsuikyu
次に、あしやまひろこによるメールです。
Tsuikyu 様
ご連絡ありがとうございます。
この件については、少数ながら同様のご意見を頂戴することがあります。
しかしながら、現状では変更については予定をしていません。
理由としては、総務省に掲載の論文に記載の通り、
政治・宗教に関してライセンサーが規定を設けることについては
一定の合理性があると考えられることと、
政治・宗教に関して共通して禁止したいと考える作者が圧倒的に多いこと
(ジェネレータ利用者の利用統計を別途取得しています)
また、日本の商慣習として政治・宗教への利用を禁止することは一般的であること
(例えば任天堂社の規定でも政治・宗教への利用は禁止されています)
などから、当該規定を変更することは合理的でなく、
また、クリエイターの意思の尊重にはつながらないと思われるためです。
利用実態としても政治・宗教利用を禁止していたとしても、
多くの国のユーザーが日本製のアバターを利用していることからも、
実際の問題も生じていない(少なくとも表面化していない)ように思われます。
仮に政治・宗教に関しての利用推進の動きが将来的に生じた場合は、
クリエイターの意思によって、当該項目の許諾が自主的に選択されることが
望ましいのであって、ひな形の段階でその意思を変更させようとすることは
望ましいものではないと考えます。
従いまして、ご意見に沿う形での変更は今のところ考えておりませんが、
社会情勢の変化等によっては実社会に応じた形に変更できればと思います。
何卒宜しくお願い致します。
あしやま
これに対する私の返信が以下です。
このたびはご多忙の中にもかかわらず、丁寧なご返信を賜りまして誠にありがとうございました。
また、総務省論文や商慣習等に基づくご説明を頂戴し、ライセンス設計における理念と実務的ご配慮の深さに、改めて敬意を表します。
頂いたお言葉を拝読し、VN3がいかに綿密な法的根拠と文化的現実の上に構築されているかを、改めて理解いたしました。
そのうえで、僭越ながら一点だけ、補足を申し上げたく存じます。
「政治・宗教の禁止」が合理的であるとのご見解は、現行制度上確かに妥当と存じます。
ただ、社会学的観点から申しますと、こうした「合理性」にはしばしば文化的無意識の偏向(cultural bias)が含まれることがございます。
特に、宗教的表現の排除が「中立」と見なされる構造そのものが、戦後日本の文化的条件と商習慣の中で形成されてきたものであり、
結果として「信仰を語る自由」よりも「語らないことの安全」を優先する社会的傾向を助長してしまう可能性がございます。
もちろんVN3が悪意をもってそのような意図を持つものではないことは、重々理解しております。
しかしながら、制度が意図せず思想的な方向性を持つことこそ、現代の表現文化において最も慎重に検討すべき領域と考えております。
もし将来的にVNライセンスが国際的な広がりを見せる際には、
「宗教活動の禁止」が文化差による誤解を生まぬよう、文言をわずかに調整されるだけでも、
日本発のライセンスが「より普遍的な自由」を体現するものとなるのではないかと存じます。
本件につきましては、あしやま様が長年にわたり築かれてきた文化的功績への敬意を少しも損なうものではございません。
むしろ、そのご尽力を次の時代へと継承していくために、
この小さな視点が一助となればとの一心で筆を執らせていただきました。
末筆ながら、あしやま様の今後ますますのご健勝と、VNプロジェクトのさらなるご発展を心よりお祈り申し上げます。
そして、あしやま氏からの最終的なメールが以下です。
Tsuikyu様
ご理解頂きありがとうございます。
VN3ライセンスの策定の経緯と運用についても念の為ご説明しますね。
政治・宗教の項目をふくめ、VN3ライセンスで規定されている多数の項目は、
私がVN3ライセンスを制作した2020年3月時点で既に販売されていた多数のアバターの規約および、
VN3ライセンスに先行して提唱されていたUVライセンス等を参考にしたものです。
つまり、私が強い意志を持って政治・宗教の禁止を推進しているわけではなく、
少なくとも2020年当時のアバター売買の現場で一般的に規定されていた条件を
私が標準規格的に利用できるように取り込んだという次第です。
したがって、私が意思を持って政治・宗教を禁止したいというよりは、
少なくとも当時のクリエイターの多くが利用を制限しようとした規約を個別に作っており、
その最大公約数的なものとしてVN3ライセンスの当該項目ができた、という流れになります。
そのため、おそらくですが現在VN3ライセンスを利用していないアバターにしても、
政治・宗教の利用を禁止しているものは多数あると思われ、
これは私の意思というよりは、日本の商慣習に基づく一般的な契約書を作成しようとすると
自ずからそうなる、といった理解の方が適切かもしれません。
次に政治・宗教の利用禁止をクリエイターはどのように選択しているかですが、
クリエイターの多くはウェブサイト上のフォームを利用して規約を作成していると思われます。
つまり、雛形のドキュメントファイルを手作業で書き換えているクリエイターは少数派だと思われます。
そして、ウェブサイト上のフォームでは、
政治・宗教の項目について、第1選択肢(最も上にくるデフォルトになり得る選択肢)は「許可します」です。
なので、クリエイターが自主的に「許可しません」(第3選択肢)を選択しているのが、現状だと思われます。
なので、選択肢の並び順については注意をしており、漫然と禁止するを選ばないように配慮しています。
なので、私としては中立な立場です。
(サイトに掲載している雛形のドキュメントは、実際にどのような選択肢が選ばれやすいか?を参考にしており、
私の意思というよりはクリエイターが標準的に選んでいるものを当てはめているといった状況です。)
しかし、それでもなお市場で「許可しません」が多数を占めているとするならば、
雛形(フォーム)の問題というよりは、日本の商慣習の問題であると思われ、
これを解決するには、消費者運動のような形でクリエイターに訴求する必要があるのではないかと思われます。
私もその点は危惧していて、過去のマイナー改訂の際に「私的使用に関して許可する」という選択肢も追加し、
より柔軟な折衷案もとれるように工夫したのですが、それでも禁止を選ぶクリエイターが多いようです。
そのようなこともあり、私の論文では政府による人権の保証が必要なのではないか?と唱えているわけです。
そして、クリエイターが禁止を選択する状況が一般的ななかで、
中立的である方が望ましい雛形の提供の思想によってクリエイターの意思の尊重が損なわれることの方が問題に思えており、
現状のような選択肢式(「許可します」を第1選択肢にする)を採用しています。
クリエイターがどのような条件を設定したいと考えているのかや、
どのような形式がよいのかについては
アンケートの実施、クリエイターへのヒアリング、
利用状況のモニタリングを通して確認しているところです。
ご理解いただけますと幸いです。
何卒よろしくお願いします
あしやま
ここであしやまひろこのメール内容を整理します。
あしやま氏の主張の概要
いただいたメールの要点を整理すると、以下の通りです。
VN3の「政治・宗教禁止」は、彼個人の意志ではなく、
2020年当時のアバター販売の商慣習や既存の規約を反映したものである。ウェブフォーム上では、デフォルト選択肢が「許可します」となっており、
クリエイターが自発的に「許可しません」を選んでいる。したがってVN3は中立的な仕組みであり、
宗教禁止が多数派になっているのは社会や商習慣側の問題である。彼自身もその傾向を危惧しており、
「人権の保証は政府によるべき」と論文で述べている。
表面的な中立と、構造的な責任のずれ
このメールは非常に丁寧で、誠実と見受けられる応答です。
しかし、そこには一つの思想的な錯覚が潜んでいます。
それは、「私は中立だ」という立場そのものが、実は文化的な再生産装置として働いてしまうという点です。
あしやま氏は、「自分の意思ではない」「文化や慣習の反映だ」と説明されています。
しかし、標準を定義する行為そのものが文化的意思決定です。
たとえ個人の意図がなくとも、標準を整える瞬間に「社会の無意識」を可視化し、方向づけてしまう。
これこそが、現代社会の「思想的オートメーション」と呼ぶべき現象です。
「任天堂の論理」と「メタバースの論理」
あしやま氏は、「任天堂の規定でも政治・宗教への利用は禁止されている」と述べています。
確かにこれは事実であり、企業のエンターテインメント事業としては合理的です。
なぜなら、任天堂は「ゲーム」という明確な目的をもつ商品を提供しており、その責任はあくまで「娯楽の品質と安全性」に限られているからです。
ゲームにおける政治・宗教禁止は、作品世界を乱さず、すべてのプレイヤーに等しい体験を保証するための合理的設計です。
しかし、メタバースはゲームとは性質が異なります。
確かに、技術的にはゲームエンジンの延長線上にありますが、メタバースにおける目的は「プレイヤーが自ら設定するもの」です。
ゲームには明確なルールと勝敗がありますが、メタバースには終わりも、勝ち負けも、目的すらも存在しない。
VRChatという名前が示す通り、これは「Chat=対話」を目的とした社会的空間です。
つまり、メタバースとはゲームではなく人間の社会活動の拡張領域です。
したがって、「任天堂的な宗教・政治禁止の規約」をそのままメタバースに適用するのは、ゲーム的中立を、社会的中立にすり替える誤用にほかなりません。
メタバースは遊びではなく、創造であり、交流であり、信仰をも含む「人間的行為の総体」なのです。
「選択の自由」は本当に自由か?
あしやま氏は「フォームでは『許可します』が第一選択肢なので、中立的です」と述べています。
しかし、ここに見落としがあります。
クリエイターが「禁止」を選ぶのは、技術的操作の問題ではなく、社会的リスク回避の心理です。
つまり、「宗教を許可すると炎上するかもしれない」「政治に巻き込まれるかもしれない」という恐れ。
それは、真の自由な選択ではなく、**同調圧力に支配された“構造的な選択”**です。
この構造の中では、「禁止を選んだクリエイター」が“個人の意思”のように見えても、実際には社会的恐怖にプログラムされた行動である可能性が高い。
だからこそ、「選択肢の並び」ではなく、「選択の前提」を問う必要があるのです。
商慣習を“盾”にする危うさ
あしやま氏は、「日本の商慣習として宗教・政治の利用を禁止するのは一般的」と述べています。
この論理は、確かに実務的には正しいように感じられます。
しかし、文化的にはきわめて危険です。
なぜなら「商慣習」は、常に現状を正当化する装置だからです。
商慣習を根拠にしてしまうと、どんな差別的慣行も「当時は一般的だった」として延命してしまう。
この構図は、戦後日本の「宗教的沈黙」の再生産でもあります。
信仰を語ることが「危険」とされ、語らないことが「礼儀」だとされる社会。
その静けさの中で、思想の自由はゆっくりと眠らされていきました。
あしやま氏の良い点と、その誠実さについて
とはいえ、私は彼の批判ばかりをするのは好きではありません。
あしやま氏の最大の長所は、議論を避けるのではなく、誠実に応答し、説明責任を果たそうとする姿勢にあります。
日本のネット文化では、批判的な意見に対して沈黙やブロックで応じるケースが多い中で、彼は一貫して「対話のテーブル」に留まりました。
これは創作者として、また制度設計者として、非常に稀有な資質です。
また、彼の文面には、クリエイターたちがトラブルから守られるようにという保護者的な意図が感じられます。
彼は法の文脈から文化を支えようとした。
その原点には、善意と秩序への責任感がある。
ただし、善意が構造化されたとき、それはしばしば「見えない制度的力」となり、意図しない形で自由の狭まりを生むことがあります。
あしやま氏は誠実な管理者であるがゆえに、この「管理の優しさ」が、結果として思想の停止をもたらしているのです。
ここにこそ、私たちが次に問うべきテーマがあります。
善意の制度は、どこまで自由を支え、どこから自由を奪うのか。
メタバース信教の自由化へ
私たちが目指すのは、信仰を語る自由が保証されたメタバースです。
祈ることも、描くことも、語ることも、それらすべてが“創作の一形態”として尊重される空間。
信仰を語る自由と、語らない自由が共に存在できる空間。
もしVNライセンスが、「公序良俗に反する行為を禁じる」「すべての迷惑行為を断る」という明確な条項に改められれば、日本発のクリエイター文化は、世界に開かれた自由を体現するものになるでしょう。
終わりに
あしやま氏がVN3を作ったことで、日本の3D文化は確かに法的に守られました。
彼の功績は否定すべきものではなく、むしろ尊敬すべきものです。
だからこそ、次の時代は、保護のためのライセンスから、共存のためのライセンスへ。
メタバースは、ゲームの延長線上にある“遊び場”ではなく、
人間の思想が呼吸する新しい社会空間です。
その空間にこそ、「信じる自由」と「語る勇気」を取り戻す時が来ています。





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