【反AIと社会】常識の変遷
小さい頃、私は訊いたことがある。
「どうして女優にならなかったの?」ってね。
そしたら母はこう答えたよ。
「親に縁を切られるからね」
姿を無闇に晒してはならない
昔の人たちには「テレビに出る人間は見せ物だ」という認識があった。
イジられ、笑われ、プライベートもなく、演じることを望まれ、ただただ消費者の感情処理のために存在する悲しい稼業。
私の祖父祖母はそんな世界に娘をやることに大反対した。誰もが認める美少女であったとしても。
それくらいには、昔の人たちは大勢の前に姿を晒すということがどういうことか理解していたし、そういう意味では大変な仕事であるとの認識もあった。
変わりきった常識と安全意識
さて、今はどうだろう。
インターネット、ライブカメラ、配信ソフトウェア、動画サイト、そしてSNS。
国民総コメンテーター時代、そして国民総エンターテイナー時代な世界。
各々の権利と責任において自由が広がった世界。テクノロジーの進化は個人の可能性を広げた。でもそれは明るい可能性だけではなかった。
誰もが加工の対象とされ、あるいは良いように利用される可能性をも広げることとなった。
インターネットが広まり始めた頃はまだ自己防衛の意識があった。顔や個人情報の掲載などは余程のことであったし、自ら晒す者たちはそれ相応の認識と覚悟があった。もしくは……嘲笑の対象ですらあった。
しかしそのうち、名前を売りたいとかバズりたいとか、そんな程度のことで自信を晒す愚か者たちが現れ始めた。
さらに他人を晒すことをも厭わない者たちが跋扈し始め、いよいよもってネットの常識と安全意識というものは過去の遺物と変化してしまった。
同じ数だけの誹謗が飛んでいる
芸能界とは元来そういうものだ
改めて己に問えよ、ネット民
人間は変わらない。
テクノロジーが進歩しようとも人の本質に何ら影響を与えていない。
テレビに映ればどうなるのかわからない。
ネットに映ればどうなるのかわからない。
この二つに何の違いもない。
人は変わらない。特に消費者などはそうだ。
あなたが顔を晒そうとした時、そのリスクをもう一度考え直しませんか?
世界は変わらないのだから
ご拝読いただき誠にありがとうございました。


投資失敗は、欲を張るから。 二兎を追う者は一兎をも得ず。 努力と根性。←大和魂。精神論。 子供のためには、ダメな旦那でも離婚しない。 いまでは、非常識的ですね。
今ですとお天道様が見てるとか、他人に情けをかけることの意義とかも忘れられがちですよね。