【さらばFD】


夏の思い出。

先日のことです。場所は職場でした。

一週間の夏季休暇を利用して沖縄に旅行に行ったという若い女性社員がほかの社員に「最高の夏になった」と話しているのが横からきこえ、ふと自分自身の過去に思いを馳せることがありました。

楽しかった思い出であれば人並みには経験していますが、忘れられない夏の思い出というと、後にも先にもひとつしか思い浮かびません。

あの夏の、あの人との出会いは、それほど鮮烈なものだったのです。



あれは私が小学四年生のときのことです。あの日は両親が家の掃除などで朝から慌ただしくしていました。

私には年の離れた兄がいて、兄は都会で一人暮らしをしながら向こうの大学に通っていました。その大学が夏休みに入るということで、休みの間、兄は実家に帰って過ごす予定になっていました。

そんな兄から帰省の前日に突然、「紹介したい人がいるから一緒に連れていく」という連絡があったのです。これまで浮いた話のなかった兄からいきなりそんなことを言われたので、両親も最初は驚いていましたが、そのうちすっかりはりきって、客人を迎えるための用意をしていました。

弟の私はというと、もし兄がその人とずっと一緒にいるのだとしたら手伝ってもらおうと考えていた夏休みの宿題はどうなるのだろうかということと、兄が連れてくる人が感じの悪い人だったらいやだなというようなことを心配していました。

兄が帰ってきたのは昼前でした。久しぶりに会った兄は見た目はほとんど変わってませんでしたが、どこかおおらかになったように感じました。都会に行ったからでしょうか。

そして兄に続いて、兄が連れてきたその人が玄関に入ってきました。



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これが私とフォーミュラ大納言との出会いでした。

そのときの父と母の眉のひそめっぷりはいまでもはっきりと覚えています。難関大学の入試解説を知らない国の言葉で受けているような表情でした。

「そうだ、お世話になるからって、これ、フォーミュラ大納言が。よかったらみなさんでどうぞって」

兄はそう言って紙袋を父に渡しました。

父が紙袋を覗くと一冊のノートが入っていました。開くとどのページにも9マスに分割された正方形が書かれていて、さらにそのうちいくつかのマスには数字が書かれていました。

「自作の数独なんだって。よかったら解いてみてよ」

父が怪訝そうにしたまま何も言わないので兄も少し不安そうにします。

「難しかったかな」

いまの状況ほどじゃねえよと、父は言いました。


さて、それからのことです。もともとお客を迎える用意はできていたので、結局フォーミュラ大納言は夏休みの間、我が家に居つくことになりました。最初こそ両親とも困惑していましたが、一度受け入れると母のほうは案外あっさりと慣れたようでした。

フォーミュラ大納言は私のいい遊び相手になってくれました。

彼の人となりについて語るうえでまず特筆すべきはその足の速さです。とにかく足が速いので、鬼ごっこなんてしようものならとても逃げきれませんし、追いつけません。

さらにひどいのは缶蹴りの鬼になってしまったときです。缶を置いた瞬間、音がしたと思ったらフォーミュラ大納言がどこからか突然現れてまた缶を遠くへ蹴り飛ばすのです。それを延々と繰り返すことになるのでこれでは賽の河原で石を積んでいるのと似たようなもので、どちらが鬼かわかりませんでした。

そんな様子を見ると兄は笑って、フォーミュラの部分が出たなと、そう言うのでした。

サッカーに誘ったこともありました。フォーミュラ大納言はリフティングがとても上手で、一度始めてしまうとボールがダメになるんじゃないかというくらい蹴り続けていました。その足さばきは見事なものでしたが、それではサッカーとして成立しないのでそこは少し迷惑にも感じました。

そんな様子を見ると兄は笑って、大納言の部分が出たなと、そう言うのでした。

フォーミュラ大納言の荷物はビニール袋が二つあるだけでした。

フォーミュラ大納言は週に二日ほど自作の雷おこしを売り歩いてお金を稼いでいました。自作とはいいますが我が家で作っているところを見たことはなく、出所は不明です。

明け方に一つのビニール袋を雷おこしでいっぱいにして出かけると、帰ってくるのは夕方ごろでした。そのときには袋の中は雷おこしではなくその日の売上の現金でいっぱいになっていて、そのお金はもう片方のビニール袋に移されるのでした。

誰がどう見ても不用心ですが、そうしている理由は銀行口座をもっていないからということでした。それもフォーミュラの部分か、あるいは大納言の部分のせいなのでしょうか、兄いわくこれに関してはそういうことじゃないそうで、過去に口座を売却したことがあってそのせいで新しく口座を開設することができないのだとか。

口座を売らないといけないくらいお金に困るなんてなにか事情があるんじゃないかと兄に尋ねると、前に夜中にFunny Bunnyを聴いてたら無性に走りたくなって夜道を全力でダッシュしたら国内の全てのオービスに一秒の差もなく完全に同時に撮られていて、後日、腰をぬかすほどの反則金の請求が来たことがあったのだそうです。

ひとまず犯罪にはかかわってないことがわかって安心した私は父にもそのことを伝えましたが、いや口座売ってんじゃんと言われました。

ちなみにこの雷おこしですが、私もフォーミュラ大納言にもらって初めて食べてみたのですがこれが感動するくらい美味しいのです。母もこれほどの雷おこしは二つとないと絶賛していましたが、父だけは全部が怖いと言って手をつけませんでした。



あっという間に夏休みは最後の日になりました。

「明日、向こうに戻ろうかな」

そう言った兄に、私は突然なにを言い出すんだと思いました。大学生の夏休みは小学生のそれよりもう一か月くらい長いときいていましたから、それならまだ家にいていいはずです。

しかし兄はほかにも用事があるそうで、母も人が多いと家事が増えて大変なんだからと言って賛同しました。結局、兄は翌日の昼ごろに帰ることになりました。

始業式の日はさいわい授業はありませんでしたから、始業式とクラスルームの時間が終われば午前中で学校は終わりです。いつもは退屈で眠くなってしまう校長の話も、そのときばかりは早く終わらないかとそわそわして起きていられました。早く家に帰れば兄たちと最後にもう少しだけ遊べると思ったからです。

クラスルームの最後、先生は夏休みの宿題が終わっていない生徒は居残りをして宿題を進めるよう言いました。

私はがんと頭を打ちつけられた感覚に陥りましたが、すぐに頭を切り替えて宿題に取り組みました。しかし宿題はほとんど手つかずでしたから、その場で終わらせることはまず不可能でした。

結局、一時間ほど居残りをさせられ、先生から残りの宿題はまた家で終わらせるよう言われました。

私は急いで教室を出ると、履きつぶしたスニーカーのかかとを起こして、きちんと靴を履きました。フォーミュラ大納言ほどではありませんが、このときは人生で一番速く走った気がします。

家についても鍵を取り出す時間すら惜しく感じ、チャイムを連打しました。出てきたのは兄でした。まだ向こうに帰っていなかったのです。兄の顔を見てどっと力が抜けました。


しかし、家の中にフォーミュラ大納言の姿はありませんでした。

代わりにリビングのテーブルの上、私がふだん使っているスペースに、新品のサッカーボールが置いてありました。

気づいたらいなくなっていたと兄は言いました。もともとどこから来たのかわからないやつだったし、きっとそうやって生きているのだろうと。

母はもうあの雷おこしが食べられないことを残念がっていました。父はとくになにも言いませんでした。

また、テーブルの上に置いてあったのはサッカーボールだけではありませんでした。

母のスペースにはたくさんの雷おこしが置いてありました。

兄のスペースには兄の家にいた期間の家賃より少し多いくらいの現金が置かれていました。

父のスペースには何も置かれていませんでしたが代わりに枕の裏にスペードの6のカードが置かれていて、寝る直前に気づいた父はなんの示唆だよと言っていました。


その日の夜、私は一人で夏休みの宿題をかたづけることになりました。そもそも宿題とはそういうものなのですが。

意外と時間がかかったのが毎日つける絵日記でした。例年であれば公園で遊んだか、川で遊んだか、友達の家で遊んだか、毎日似たようなことの繰り返しだったので夏休みが終わるころにはその日になにがあったかもはや覚えておらず、それらを適当にちりばめてでっちあげていました。
でも、この夏は、一日一日を思い返すのが楽しかったのです。

その夏からです。勉強が苦手なのは変わりませんでしたが、宿題を早めに終わらせる習慣だけは身につきました。もし、またあの客人が来たらそのとき心置きなく遊ぶためです。

ですがその年の冬も、その次の年も、またその次の年も、兄は実家に帰るときは一人で帰ってきました。あるとき、また人を連れてきたことがありましたが、それはのちに兄と結婚する相手でした。



休憩から戻ると、デスクの上に「旅行のお土産です」と書かれたメモと、小さなお菓子が置かれていました。

見覚えのある包みをはがし、食べてみるとそれはあのとき食べた雷おこしと同じ味でした。

お土産を置いた社員のもとへ駆けよると、思ったより勢いがついたせいか一瞬こわばった表情を見せましたが、私がお土産のお礼とそれについて質問をするとすぐに顔をほころばせて答えてくれました。

「売ってる人の格好もおもしろかったし、沖縄で珍しいなぁと思って買ってみたんですけど、これがすごく美味しくて。お土産用と、あと自分用にも買っちゃいました」

デスクに戻り、卓上カレンダーに目をやると、今度の土曜日からの一週間に赤い蛍光ペンで線がひかれています。

私は印をつけただけで夏季休暇をどう過ごすのかなにも考えていませんでしたが、今年は旅行に行くのもいいかなと思うのでした。



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