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无声庵書簡

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2012年 05月 08日

宮沢賢治《日輪と山》 

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宮沢賢治《日輪と山》 制作年不詳 水彩・鉛筆・木炭紙 林風舎蔵
色彩感覚が繊細で豊かで、イメージの生動感に溢れる詩に接すると、この詩人がもし彩管を振るったら、と想像を逞しくしてしまうが、宮沢賢治はまさにそうした詩人で、その上数葉の絵画作品を遺してくれてもいる。《日輪と山》は最もよく知られる一枚。先日さる展覧会場で実見することができた。14.2×18.5㎝と他の絵画同様両の掌に乗るほどの小さな作品で四隅には鋲留めの跡が残っていて、賢治が気に入って壁に掲げて楽しんでいた息吹が伝わってくる。制作年も分からず画題も1939年の全集編者が仮につけたもので、モデルとなった山がどこかも諸説あり、日没なのか日の出なのかも定かではない。モデルの山探しをしたくなるほどに臨場感がある作品であることは間違いない。賢治は口語詩を試みた最初から「スケッチ」という言葉を用い、1922年から制作を始めた『春と修羅』所収詩篇を「心象スケッチ」と呼んでいることからもその絵心が窺えるが「心象」という言葉が重要でそれは単なる自然写生ではない。外界に自己を投影しつつ、心の鏡にも風物を映し込んでいくというような、入れ子構造をもつ歩みのみちゆきを定着させてゆくのが賢治独特の詩作の様だ。そこでは主客も混然となり、実景とも心象とも綯い交ぜになった風景が醸成されていくことになる。こうした詩作の方法をそのまま絵に当て嵌めることはやや乱暴だが、賢治は実景の線や色彩を再現するのではなく、むしろ心象を象徴化する方向で実在に迫ったといっていいのではないだろうか。すればこの山は岩手のどの山でもよいのはむろん、彼のドリームランドとしてのイーハトーブに聳える山でも良いわけだ。面白いのはこうした方法論は、明治末期から大正期という、彼の青年期の美術動向とも同時代性を見せていることだ。また彼の制作した一種の抽象画に、田中恭吉や恩地孝四郎の作品との類似がつとに指摘されてもいる。制作年不詳なので断言は控えたいが、ここには生命と個性と自由と精神世界とユートピアを謳歌した大正の息吹が深々と息づいているように感じられるのだが。印象派以降の美術から表現主義を経て、やがて抽象表現や未来派へ、という時期の同時代人だった賢治。その詩の背景にもゴッホの糸杉がいるし未来派も登場する。詩作でも同時代から先の時代へと駆け抜けた詩人の絵には、やはり足早に駆け抜ける同時代美術の影がほのみえる。また制作年不詳ということが、彼の全人生をこの絵に投影させて見せてしまう精神の仕組みにも、抗いがたい。ある人には法華経信者だった賢治の宗教観の反映に見えるだろうし、農民と芸術を謳歌しようとした行動者、夢想者の姿を見て取る人もいるだろう。私にはこの絵の色彩の、特に青が印象深い。そこにどうしても「オホーツク挽歌」の緑青と藍銅鉱(アズライト)の反映を見てしまう。それは詩人にとって二つながらに先に逝った最愛の妹、とし子の青だ。天上の青…

by museian | 2012-05-08 16:17


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