美しい文章を書くことができない。
血の通った人間を書くことができない。
文字を書くことが楽しくない。
いいや、何をしていても楽しくないのだ。
この場所であれば……と思いやってきた。
誰に見せるでもない。
何に期待されるでもない。
ただ文字が文字であることを許された環境。
恐らく、立場というものが私を雁字搦めにしていた。
たとえそれが世間的にはちっぽけな、取るに足らないものだとしても、その世間をよく知らぬ私にとってそれは首を回すことすら許さない鈍色の鎖だった。
ハーメルン、ドイツのとある都市。ハーメルンの笛吹き男という伝承が有名らしい。要約すると笛吹きの男が給料未払いが原因で集団人さらいした話。怖い。何となくブレーメンの音楽隊的なものを想像していたからギャップが凄い。でもブレーメンもあれはあれで結構やってることヤバい気がしないでもない。悪人に対してだったら何してもいいという無邪気さが怖い。
これは日記だ。物語ではない。というか物語には何ができる?先行作品に学ぶことは重要だ。しかし現在の商業的作品の多くにはどこか言いようのない不自由さを感じる。面白い展開、重厚な世界観、キャラが立っている等々。なるほど、分析的に見れば現代の物語は極めてレベルが高い。だがその一方で先例に囚われすぎているような気もする。まあこれは私がセールスランキング上位の作品ばかりを摂取しているからなのだろうが。大手の作品は冒険ができない。だから自然と表現は一歩引いたもの、誰から見ても面白さが担保されてる表現に留まってしまう。たとえばジャンルの輸入。SF、ミステリー、セカイ系。お仕事作品もその類だ。フィギュアスケート、鉱物採集、バンドもの。どこかで面白いことが担保されているものを漫画やアニメ、ソシャゲに持ち込む。技量さえ良ければ面白くならない筈がない。
最近の物語は美しい。だが美しいからこそ息苦しい。分かりやすくないと手に取ってもらえない。でも分かりやすい物語など書く必要がないのではないか。「こういうもの」というジャンルのイデアをなぞるだけの作品は面白いのか。物語が商業的な文脈に回収されてしまうことを憂いている訳ではない。ただ目先の利益を追求して焼畑農業しているように思えてきた。なんだかすごく息苦しい。面白くても読むのが辛い。実力も実績もない私にそんなことを言う資格がないことは重々承知だが、美しい物語を書こうとすればするほど心の中に澱のようなものが溜まっていく。
このままでは不味い、と思った。人として死にかねない。唯一の特技が潰されてしまっては敵わない。何に対して許しを乞うているのか。新たな年が始まったばかりだというのに、私は何と弱い人間なのだろうか。だから弱い私を書き連ねることで吐き出そうとしている。文字を打つ癖をつけたいのだと思う。分からない、思考が纏まらない。だがこうして何も考えず何も気負うことなくキーボードを打っている瞬間は何もしないよりも幾分かマシなのだ。