音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開~音楽思考の玩具箱

下方倍音列について その2

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どこで下方倍音列を知ったか

下方倍音列は、整数の逆数倍で現れる、と濱瀬元彦先生の著書『ブルーノートと調性』等でよりポップに紹介されて以来、日本ジャズ界の最深部(?)では知られています。

私も同著で初めて知りました。当時はそんなことに興味もなかったですし、徐々に音楽の構造を改めて考えるていくうちにハマっていったんです。

 

"下方倍音考えたい人"というタイプの人がいるんではないかと感じます。音楽においてはさほど重要ではないけど、なんか哲学的に考えたい人、実際にはない概念に心惹かれる人、みたいな性癖の持ち主は、下方倍音の話が好きです。

大事なことなので繰り返します笑。

なんか音楽と数理を意味づけたいって欲求しちゃうタイプがいるんですきっと。

だから興味本位でここまで読んでくれた方で、"なんか別にどーでもいいや"って思ったら、その方が普通の感覚なのではないか、と感じます。

 

翻って、私もその性癖を認め、開き直って、その欲望を貪って不定調性論をとりま完成させました。

同書から生まれた方法論ではありますが、双方は異なる方法論(濱瀬理論に失礼なきよう)として頂ければ幸いです。

この点についてはずっと以前に濱瀬先生に東大講義以後、直にご挨拶、そして不定調性論の当時の全教材PDFデータをメールで送らせていただき、釈明させていただく機会もあり、最低限の了承をいただいたことを受けて現在活動しているつもりです。

(同著を専門的に学習される方は、必ず濱瀬講師のスクールで直接指導を仰いでください。)

https://m.media-amazon.com/images/I/915e7vPyYGL._SL1500_.jpg

 

ブルーノートと調性 インプロヴィゼーションと作曲のための基礎理論(CD付)

(私はボロボロにしてしまったため3冊買いました)

 

倍音とは

まず上方倍音の計算方法を書きますが、知っている人は飛ばしてください。

ピアノの低いほうのc(ドの音)を仮にc1としましょう。

c1よりオクターブ高い音をc2とします。

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そしてこのc1を、基準となる音「基音」としましょう。

 

実際のホールで実際の生ピアノのc1をがーーーんと弾いた時に、空気中に伝搬する振動の波が人間の耳の中の鼓膜を同じ数だけ振動させます。様々な反響と一緒に高いキーンという音(振動)が感じ取れるはず(脳内で鳴ってしまう音も含め)です。これらの自然に混じってしまう振動数を、「上方(自然)倍音」といいます(空気中の波の共鳴、とピアノの中での弦の共鳴パターン、部屋の音響によって別の空気振動が発生する)。

倍音 - Wikipedia

 

c1=65とすると、これは鼓膜を1秒間に65回振動させる、とイメージしてください。人はその現象にピッチ、音色を感じる(鼓膜から脳へ電気信号として送られ音程情報に変化させ、脳が認識できる「音」に変換して認識する)ことで空気の振動を音で理解します。この振動数の単位がHz(ヘルツ)です。

c1は65Hzだ、とか言います。

 

では次にこの65を比「1」とします。

比2であれば、65×2=130Hzですね。オクターブ高いc2です。

では比10なら?65×10=650Hzです。「65のcの10倍音=c10」と理解しましょう。

上方(自然)倍音列を順に書き出してみましょう。
c1=65とすると、
2倍音=130
3倍音=195
4倍音=260
5倍音=325
となります。これを順に列していくのが「倍音列」です。

 

先も述べましたが、ギターの弦で一番低い音よりも低い音が鳴らないのはそれ以上弦を長くできない、そして弦が細すぎるからですね。

弦の長さを短くすればするほど高い音は出ます。振動の折り返しによってその弦の上でより短い振動節がどんどんできるため高い倍音は自然発生します。

音を低くしたければ、元の長さよりも長い弦が必要です。

だから下方倍音は自然には鳴らないわけです。

人が作った音を鳴らす仕組みにおいては(「私たちの自然界では」)基音より低い音が鳴らないようにできています。

もちろんシンセサイザーでなら下方倍音自体を生成し基音に加えて鳴らすことができます(自然に下方倍音が加わるようにプログラムもできる)。

 

また、複数の音が鳴ると二つの音の振動数の差音が音程となり混じっていく場合もあります。この辺を基礎知識として方法論を展開しています。

拙論では、

音自体が外界には存在していない

としました。音高/音色として実感するあの知覚感覚は、空気の振動を周波数別に分類して解釈する耳と脳が作り出す創造物、とします。

本来は空気やそこにある媒質が生み出す疎密波しかありません。

音に対する心象、現象に対する解釈は全て人の頭の中で起きること、とすると、あとは全て個人の解釈に依存します。

そこに対して個人がしっかり独自論を育てないと、誰かの方法論に取り込まれるか、思考停止してしまいます。現状では下方倍音など音楽において考える必要はなく、それっぽい存在は全て機能和声論に吸収されています(IVやIIm7(b5)など-後述-)。

 

上方倍音は楽器の音色としても認識されています。

「ピアノの音」であるか否か上方振動数の含有量/比によって判断できます。

人にとって、倍音とは「音色の素」です。

手拍子を1秒間に3回叩いたら「手拍子3回」という情報ですが、1秒間に440回叩けたら回数ではなく「全体のトーンの高低」として認識するのが脳のすごいところです。すごい超感覚的な宇宙人がいたら、地球の音を振動の回数で、数学的に感知する種族もいそうですね(SF)。

人が生存してきた過程で「速い空気の振動回数」を回数ではなく「音程をもつ一塊の現象」として情報認識するほうが状況判断に有利だったのでしょう。

"今1秒間に空気が100回振動したからきっとこれは雷が鳴っているんだ..."というふうに人は感じないで、あのゴロゴロゴロという「音」とその後起きる雷現象への不安感をマッチングさせ、音色によって危険を認知できるように進化したわけです。

音色による感情への訴えです。

上方倍音はそのように生活の中で活用されています。

雷鳴(音)は、雷による急激な放電で発生した高温のために空気が急激に膨張し、その後に生じる圧力波(空気の振動)として伝わってくる激しい振動ノイズを、"あの音のような感じ"で耳と脳が解釈するようになっています。

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下方倍音の計算方法

下方倍音の計算方法は上方倍音の逆です。


c4=261.6256の1/2倍音は、

261.6256÷2=130.8128

となります。

 

1/3倍音は、87.20853...となります。どんどん音が低くなっていくのですから、いずれは1以下の振動数になり、無音=無振動に限りなく近づきます。

 

ここでは仮にC4=1としてみましょう。

1=C4、1/2=C3、1/3=F2、1/4=C2、1/5=Ab1、1/6=F1、1/7=D1、1/8=C1

こちらに倍音列の表があります。

この音集合が下方倍音列、です。

二つの倍音列の数理的関係はグラフの外観に違いがあります。二つがいかにも対称的、と捉えている人がいますが、実はフォルムが全く異なります。

誤解を恐れず「過去と未来」ぐらい違います笑。

でもベクトルが正反対の方向なので対を成している、ように見えるだけかと思います。

 

しかし、その関係性をがっつり見ていくと、当然数理的には表裏一体の性質があります。

これを見ると本来の音として感じる部分と、"振動現象の数理が作り出す残像"のような"鳴らない音"の美しい虹=振動数の数理があるように感じます。

 

普段の西洋理論的音楽では、こうした上下の数理の関係性は無視されているでしょう。

しかし不可思議な不協和音に美を感じる時、こうした関係性から、自分なりの美の根拠?を見つけ出し解釈することも可能です。あなたの独自論の誕生です。根拠発見の心理は、シミュラクラ現象とかパレイドリア現象などで説明したほうが良いかもしれませんが。

これらはプラシーボ的反応につながる点もあり、科学的事実と、自分の解釈の違いを丁寧により分けて、独自論を精査していく必要があります(論文や書籍にまとめたい方はまた別のアプローチが必要です)。そう思うとそう見えてくるのが音楽的数理にも当てはまります。

 

現状の音楽でも「サブドミナント」の位置付けが下方倍音の領域である、と言っても上手に説明できてしまいます。

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サブドミナントという考え方が現在(ポピュラー音楽理論周辺)では主流なので「下方倍音」概念自体はいちいち用いる必要がないわけです。

 

例えば基音cとgの上方16倍音まで用いれば(近似値を平均律の音名に当てはめると)、

基音=g    倍音g a b c# d d# f f# c

基音=c    倍音c d e f# g g# a# b c

cに最も親和するgの倍音列領域を二つ足すだけで、12音全て現れてしまいます。

 

あとは、a♭という音を下方領域の音と捉えるか、上方の音と捉えるか、というあなたの独自論の違いでその扱いが振り分けられるだけです。

 

G7(b9)のb9がa♭ですが、さてこれはどの音を基音にした時の上方の音とか、、または下方の音か?

それはあなたの独自論で判断してください。

不定調性論では、解釈次第でどちらにもできる、としました。

 

下方倍音を受け入れる意識作り

そもそも、今使ったその音が下方倍音由来かどうか、なんて実際の音楽にはあまり関係ありません。

下方倍音は連続する仮想の音集合のことを指すので、実音に響かせて使われたら、それは実音であり、倍音ではありません。実音になったら、上方か下方かなど関係なくなるんです。実音です。

下方倍音は、数理の中に静かに存在しています。見えない素粒子のようなものです。

濱瀬氏は「虚数」と表現しました。言い得て妙です。

 

みかんを一個、二個と数えるとき、ルート2の値=1.4.1421356...などは気にしないと思います。でも確かにルート2はいつも1と2の間に(人の意識を介在させて)存在しています。観測したとき初めて姿を表します。

「考える必要がない」と感じるのは、その時のあなたの独自論がそうであるだけです。

いつも飢えて死んでいく子供のことを考えてはいられません。人はそういうところがある生き物(=脳はわがまま気ままに自由にシャットアウト/フォーカスして問題を解決する)です。理論オタクが「君は偉そうにしてるが、こんなこと考えもしなかったろう」という"脳の盲点"を見つけ出して「そんなに偉いのにこんなことも知らないのビーム」を出せるのです。街で「この瞬間も飢えて亡くなっている子が沢山います!」と訴えるのに似ています。

我々オタクがなんかいきなり"下方倍音"を持ち出すのは、一線で活躍する人には本当迷惑だと思うのです笑。あまり気にしないでください。承認欲求から普段話題に出ない「下方倍音」をオタクの承認欲求ツールとして出す歴史があるだけです。あなたの実績を私が追い越すことなどできないのです。

重箱隅スティンガーオタクは完全無視してれば痛くも痒くもありません。

 

下方倍音についての基礎知識を得た上で、下記にこれから述べる通り、

下方倍音を"便利グッズの類"としておくと色々気が楽かと思います。

 

ポピュラージャズ音楽分析において、下方倍音の数理を用いることで、ブルージーな和音集合の意義や和声連鎖、現代的不協和音の美的感覚の根拠などの説明に使えてしまうので非常に便利です(私には便利でした、の意)。

 

これまでは人が自然の中で生き残るためには、自分にとっての不協和音を不協和で気味の悪いものだ=生命の危険があるかもしれない、逃げろ、備えろ、注意せよ忌み嫌え!と自然に認識してきたその感覚を一旦忘れていただく必要があります。

人類が避けてきた感覚の向こう側にある魅力を覗こう、という気概が必要です。

死、不安、悪、地獄、残虐、焦燥、恐怖...この向こう側にある自分自身が許容できる魅力を探る根性が必要です。汚物の中に顔を突っ込んで、その向こうにある宝を口に咥えて戻ってくる覚悟(西洋音楽の美的感覚に毒された人は)!

 

しかしシミュレーションをやってみれば簡単です。

雷の音を聞いて「あ、今からゴルフでもやろうかな」って思っている自分を許容してみてください。

一瞬難しいでしょう?生理的に、本能的に、そんな変なやつ信条的に認めたくないでしょう?そこをSF映画やスプラッター映画を見る様な気持ちで覗いて認めてみるんです。

まーそう言うアホがいても、とかではありません。

「オッケー今日からそういう価値観もアリ、っていう自分の意識の領域を作ってやろう」

くらいでいいです。雷が恐ろしいことを忘れろ、という意味ではありません。分かった上でその向こうに意識だけをトリップさせる感じです。

そうしないと常識の向こうの匂いは感じられない、と思います。

俗っぽくいうと背徳の美学。です。もちろん自分が許容できる範囲でOKです。

不定調性論をメディアに取り上げさせないのは、この背徳の美学の危うさの許容精神を生み、犯罪や悪徳すべての感性を許容してしまうので、社会的罪悪を肯定し誤った思想を膨らませるだけだからです。音楽理論が法の外や倫理の外まで行くことを社会は許容しないと思います。

 

しかしここでは、あなた自身の沸々とした万能感を沸き起こらせ、欲求のクッキリとした輪郭を描いてください。

小説の中ではあらゆる破廉恥な犯罪を犯すことが可能なように、音楽の中での不協和も仮想的で甘美な欲望を満たす存在になり得ます。現代音楽が一般的に認知されないのはどことなく、背徳的な欲望を肯定するような表現が多いからだと思います。アダルトビデオがテレビで放映されないのと同様です。社会倫理的になんとなく、それをやることは苦痛を産むのではないかという文化的な防御線を張ってしまうものです。心地よさを提供するのが音楽文化が唯一社会にできる性癖の発露 だとどこかで信じ込んでいるところもあり、しっかりと理解していない場合、それが恐怖となって難解な音楽を避けようとしてしまう脊髄反射が起きるのだと思います。同じような難解の音楽でも映画の中で使われている場合、それがフィクションであると認識できるので肯定受容しやすいわけです。

まあ、私の妄想ですが。

なので、ここでは安心して妄想してください。下方倍音は、その妄想を背後から正当化してくれる悪魔のささやきになり得るのです。家で一人で楽しむ分には。

下方倍音がそういう存在であるということを、いまいち理解できていないので、単に 恐れ、忌み嫌う感覚だけがこの言葉の上に乗っているような気がするのです。

 

音楽を演奏することは、音楽家の手の込んだ妄想の具現化でもあります。本来清らかな目的が主であった音楽がそうした妄想を正当化することに多くの時代において、虚脱反応がありましたが、本来、呪いの儀式においても音や旋律リズムなどはしっかりと意味を持ってずっと存在してきました。

それを世界に認めさせるのには時間がかかるのであえて拙論では独自論という概念で社会的にわざと排除された位置で行うことに徹底したわけです。これがまた下方倍音をさらに排除させるという結果を生んでいるのかもしれません。こんなブログに影響力はないと思いますが。

 

しっかり音楽の文化を学習した人で「いけない」と言われた不協和音を堂々と発散表現できる人は、今述べてきたような背徳的な性癖がある人だと思います。ここが無理なら、おそらく一生下方倍音を論理的に用いる必要はないでしょう。

自分の悦べる音を正直に模索した時、下記に用いるような下方倍音列の意義を活用できるなら、あなたの音楽には下方倍音列の数理が必要です。また、それを堂々と公言 できる人もある種の穏和な露出性癖を持っていると認識した方が、その後に他社があなたに向ける付き合いづらさ態度に対して対処しやすいと思います。

それが嫌であれば、サブドミナントという世上に許容された概念で用いればいいだけです。この辺の説明が正当な音楽分野において整備されていないので下方倍音はなんとなく話題に出ないのです。

 

 

拙論から

不定調性論には、基音cに対して、12音は影のように割り当てられ、下方倍音の数理が役に立ちました。下記は結論です。今すぐに理解できなくても大丈夫です。

c#=発生しない,もう一音必要

d=下方7倍音

d#=側裏面領域、またはfの上方7倍音

e=上方5倍音

f=下方3倍音

f#=裏面領域、またはg#の上方7倍音

g=上方3倍音

g#=下方5倍音

a=側表面領域、またはfの上方5倍音他

a#=上方7倍音

b=発生しない,もう一音必要

このように12音の関係性を再構築しました。本来この方が対称性があってバランスがいいのですが、もはやこのように考えたところで二重に勉強しなくてはいけなくなるだけです。サブドミナント概念を用いていれば、そんなに問題が起こることはありません。

これは

独自モデルです(十二音連関表数理親和音モデル)。

 

上下の倍音の数理対称性を用いて音連鎖を考えることで、不協和集合や伝統和声にない響きや連鎖が持つ別の美意識が感じられる、という点が下方倍音の集合概念を用いる意義と感じたのです。

これらによって音の関連性を容易に自由に生み出せる点を私は気に入っています。

この感覚にフォーカスできたことで、不協和の表情を受け止めることができました。

「初めてやってみるまでは抵抗するが、一回やったらハマって溺れてしまう」

ことがあなたにもあるでしょう。それをサブカルチャーでは性癖と呼ぶのです。

私にとってはその一線を超えるツールが不定調性だったわけです。

最初は、これを論理的に、倫理的にまとめて一般論にしようとも思いましたが、そうなると、裸がないのにヌード写真集と書いて出版するようなものしかできず、それは本望ではないと感じました。

単純に才能がないだけですが、それでも自分なりに、すぐに突き詰めて、すぐに次に行きたかったので、非倫理を徹底して見つめるという方法を取れる独自論の分野に身を置きました。

 

自分の性癖と倫理から外れた価値観と社会的倫理を同列に置くことができました。結果として、機能和声論で「その音は使えないって言われてるのに、ここで使ったら気持ち良いけどなぜ?」という疑問にモヤモヤすることがなくなったことが私には快楽だったんです。ちょっとセコイこだわりですね。

それ以降は「avoidだから」「禁則なのに」みたいに感じません。麻痺です。

世間から隠れて生きることで、自分の存在がバランスが取れる生き方もあるのだと感じました。

これまで思い込んでいた美的価値観は、私の価値観ではなかったんです。教えられて洗脳された美意識を自分も持っている、と何とか信じようとしたのですが、独自論や性癖を認めてしまうとそういったことがバカらしくなってしまうわけです

潔く、自分の価値観を認め、社会との間合いが取れると、社会的美意識はもっと違った景色に見えます。

 

逆にしっかり社会的なヒット曲を作るために今学んでいる学生様には、下方倍音の魅力とか意味合いとか使い方とか、今のところ全く必要ないと思います。

どんなことにも表と裏があり、自分がどちらを糧にして生きることが自然かを知ることが社会勉強であり、その中で自分という存在が理解できたら、初めて社会とどのように付き合いながら生きていくかが見えてきます。

社会的に強調性が取れる人は社会的に洗脳されてもいいので、ステータスを求めてバチバチ戦ってください。

続きます。

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さらに具体的な下方倍音の数理を用いたことによって生まれる様々な自由度、関係性の構築については、下記にて一つ一つ概略を書いてます。

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ブルーノートや、不協和音、ノイズやアウトサイドプレイなどの存在意義やそこに感じるクオリアの意味を割り当てることもできるので私にとっては大変便利です。

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教材では、これらの数理を用いて5音階の民族音楽と7音階の西洋音楽を紐解きます。

学習するときは、独自論と科学的根拠の差異を上手に見つけ、対比しながらさらに独自論を微調整していくことが望ましいと考えています。

自分がどんな立ち位置で世界と接すればいいか、いつかは見定めていかないといけない人もあろうかと思います。