1999-2004という時代 (資料A) 登場人物
この記事は「1999-2004という時代」というマガジンのための記事(本編ではなく付属資料)です。
1999-2004という時代|cleemy desu wayo|note
https://note.com/cleemy/m/m461163ff514e
「1999-2004という時代」本編については、読み物としての配慮をあまりしない予定だ。通読しようとしてもあまり愉快なことにはならないかもしれない。読み物というよりは資料、通読よりは拾い読みを想定している。
いきなり新しい人物が登場した時に「この人は誰?すでにどこかで説明されてた?」と思うことが多いかもしれないため、先に重要な登場人物たちを示しておく。
主要登場人物として6人。その他の登場人物として12人。つまり計18人。
当時のわたくしを知っている人にとっては、この人物紹介だけで長年の謎が解ける、みたいなこともあったりするかもしれない。
すべて、2026年1月時点でのわたくしの主観による記述なので注意。
6人の主要登場人物
まずは主要登場人物から。
主要登場人物というのは、わたくし、師匠、兄弟子、元ギタリストさん(仮称)、ケンジ・アサイ(仮称)、姉弟子、この6人。
この中で姉弟子だけが有名人で、今はWikipediaの項目もある。でも当時はWikipediaの項目はなかったかもしれない。あるいはあったとしても、ごく簡単なことしか書かれていなかったかもしれない。その項目の履歴は確認していない。
当時、わたくしや師匠は姉弟子と直接コミュニケーションをとっていたわけではない。そもそも、姉弟子は本編にあまり登場しない。
でも師匠や兄弟子の1980年代のことを考える上では重要な人物だということもあり、あえて主要登場人物とした。
SNSアカウントなどで、判明しているのはわたくし自身のものだけ。
ハンドルネームというかペンネームだけ分かる人の中では、「この人が兄弟子だったら面白いのにな」と思う人はいる。でもその人がWeb上で書いているその人自身に関するディティールは、兄弟子のものとは少し違っている気がする。全然別人かもしれないし、プライバシーのために微妙に無害なフェイク情報を混ぜているのかもしれない。
「1999-2004という時代」の中では、プライバシーのために無害なフェイク情報を混ぜるということはしない。それがどんなに無害だったとしても。推測は推測だと分かるようにするし、伏せたほうがいいと思ったことは単に書かないだけ。
6人の共通点
まずは何よりも、全員が実在の人物であることに注意。
そして、基本的に全員が関西の人間だと思ってもらっていい。
姉弟子が確実に関西育ちなのかというはよく分からない。
強調しておきたいのは、師匠や姉弟子を含めて全員、わたくしの血縁者や親戚などではないということ。また全員、どの組み合わせにおいても血縁者や親戚といった関係性は存在しない。わたくしが把握している範囲内では。
基本的には、同じ学校のつながりなどもない。ただし例外はあり、わたくしとケンジ・アサイ(仮称)は高校が同じ。また、もしかしたら兄弟子と姉弟子は同じ音大の出身だったりするかもしれない。
わたくしは2012年に沖縄に来たのだが、わたくしが沖縄に来てから出会った人たちも彼らとは関係ない。
就職氷河期世代という言葉があり、わたくしやケンジ・アサイ(仮称)はまさにその世代だ。でもわたくしにはうまくイメージはできない。この6人の主要登場人物は全員、日本の終身雇用を前提にした「就職活動」のようなものからは無縁だと思う。ただしこれはわたくしの主観である。
わたくし(cleemy desu wayo)
最終学歴としては中卒(高校中退)、中高は遠方の私立の中高一貫
1980年12月生まれ、3歳あたりから神戸市東灘区
つまりほぼ1990年代=10代、2000年代=20代
1999年から2004年というのは、18歳になった直後から23歳が終わるまで
小4〜小6の時に兵庫県の個人経営の塾に通ってた、算数の授業がいろいろ興味深い内容だった
小4か小5の時に雑誌『ファミリーコンピュータMagazine』のウル技のコーナーに投稿したことがある(微妙に遅かったのか、別の人の名前でそのウル技は掲載)
小学生のころから小説書いてた、小3のころは漫画も描いてた
元ムー民、中学生のころに雑誌『ムー』をよく読んでた
1995年1月17日に実の母親が死亡(当時わたくしは中2で14歳)
高1の時に軽音部、高1の秋(1996年秋)に高校中退
1997年春ごろに初めて個人サイト開設
1998年前半(つまり17歳)に究極の理論について考えてた
1998年夏から N88-BASIC を独学
1997年と1998年はある種の充実はあるが社会的には引きこもり
1999年1月に兄弟子の会社に入る
2001年春から約3年半は師匠の音楽の研究を個人的に支援、この時期は住居を師匠に又貸ししてたから住所不定気味
2001年春に師匠が「3カ月だけでいいから」「あと少しだから」ということを強調するから支援を開始したのであって、長い期間ずっと支援する気などさらさら無かった
基本的には常に自分のプロジェクトのことで頭がいっぱいで、他人の創作や研究を継続的に手伝ったりできるたちではない
2002年秋〜2003年夏にまんが喫茶で深夜バイト、ここで初めてお店で働くという経験、兄弟子の会社の次ぐらいに印象深い職場
2003年夏に初めてサラ金からお金を借りた(2026年1月現在、だいたい精算は終わったはず)
2004年秋に師匠と縁を切ってから、大阪・兵庫周辺をいったん離れて、うちの父親が所有する滋賀県のリゾマンに退避
2004年秋からの荷物の整理にともなって、いろんな人の連絡先が分からなくなった
2004年秋〜2010年春はあまり精神状態がよくなかった
2005年夏から 「cleemy」を名乗り始める
2007年ごろに中井久夫を初めて読んだ
2009年、久々に小説を完成に持っていくことに成功(「天体の発生」)
2012年春から沖縄へ、ただし2015年夏〜2016年春は一時的に関西に
2024年に初めて自分の作品で「これは名刺代わりにできる」といえる小説が完成(『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』)
2020年秋ごろから「男装をやめる」的なことをやってるけど、1999年〜2004年あたりは普通に「男装」
トランスジェンダーではない
声は低い、このこともあってか中高のころは姫ポジではない
小柄でやせ型(身長164cm前後で体重44kg前後、20代は体重49kgぐらいの時期もあったかも)
若いころはあまり服装に気を使ってなかった
生活が不規則だが、1999年〜2004年あたりは夜型といえる状態であり、Non-24 やそれに近い状態ではなかった
2008年〜2012年あたりや2020年以降は Non-24 あるいはそれに近い状態(1日が約25時間)
1999年〜2004年あたりは、集中したいことに集中できないという悩みがずっとあった(のちに集中力より飽きやすいことが問題と気づく)
納期や締め切りのたぐいが守れない、2002年〜2004年あたりもフリーランスの仕事でつつがなく納品できたことが一度もなかった
小5のあたりから遅刻しまくり、忘れ物も多い、師匠との約束でも遅刻
人生の中で貯金があったことが一度もない
一度も車の免許をとったことがない(原付すらも)
1999年〜2004年あたりは音や人の気配にすごく敏感というわけではなかった(2026年1月現在はすごく敏感、特に人の声や犬の声)
一人の時間が充電、全体的にやや回避的、対人緊張強めで電話も苦手
CVEホルダー(CVE-2022-1271 CVE-2022-1509)
たいていの場面で 役割超越志向
INTP自認、INFPかもしれないと思うこともある
2022年11月からは生活保護受給者
師匠
1952年〜1962年あたりの生まれ(おそらく1950年代後半の生まれ)
大阪育ち、大学には行かず関西のデザインの専門学校へ
元プログラマー、LISPに心酔
プログラマー以外にもいろんな労働を経験
19歳のころ(おそらく1970年代)に究極の理論について考えてた
1975年〜1995年あたりに日本IBM関連の仕事をしたことがある
1975年〜1995年あたりに財団をつくろうとしたことがある
1980年代か1990年代に兄弟子と最初の絶縁状態に
1980年代か1990年代にホームレス経験がある
おそらく1995年〜1998年のどこかで、ホームレスあるいは半ホームレス状態からの脱却のため、年配の女性から大きい金額を借りた
2000年後半あたりから師匠は兄弟子に対して強烈な不信感、2000年12月あたりにはすでに2回目の絶縁状態、このころにわたくしが師匠と頻繁に連絡をとってることは兄弟子には内緒だった
2000年12月ごろに、たこ焼き屋のバイトをしようとしてグダグダに
2000年時点では大阪の京橋駅の近くにだだっ広い1LDK(家賃10万円以上)を借りてて家賃の支払いに四苦八苦、そこは2001年春に引き払った
2001年春〜2004年秋はわたくしの名義で借りた場所に又貸しで居住、家賃や光熱費や食費も全額わたくしが用意してた
2001年春〜同年夏は大阪市内のワンルーム、2001年夏〜2004年秋は兵庫県宝塚市の3LDKに居住
2001年春〜2004年秋は「こういうことにしといてほしい」を頻繁に発動(つまりわたくしはウソの情報を他人に伝えざるをえない)
2002年〜2004年、わたくしの名前を名乗って勝手に電子メールやFAXを送信することがあった(一部はわたくしが許可したものもある)
2004年秋時点では、おそらく生活保護の受給歴はなかった
2004年秋時点では、おそらく一度も車の免許をとったことがなかった
名前の画数にこだわりがあり、わたくしと出会った時点ですでに改名、でも戸籍上の名前は変えてないかも、自分の名前だけでなく他人の名前にも強く執着することがあった
親(母親)から勘当、わたくしと出会った時点で天涯孤独の身
師匠が子供のころに母親は自宅でピアノ教師、母親はオペラが専門
母親からピアノの練習を強要され、叱責され続けた時期がある
父親は行方しれず、父親はジャズが専門
天才的なひらめきがあり、興味の範囲も広い
小学生の時にIQが極端に高かった、でも学校の成績は悪かったらしい
あらゆることについて発明的・発見的アプローチ
いろんなものによくつまづく(物理的にも社会的にも)
何をやってもつくりかけで終わりやすい、満身創痍になりながら結局完成しない、を繰り返す
すごく物知りという印象も与えるが、記憶違いや独特すぎる解釈も多い(不用意にSNSやったら炎上しそう)
多芸多才というよりは、すべてに不器用という印象を与える
インテリというよりは、子供っぽい自由な発想で既存の体系を無視して大胆な理論を打ち立て、結果として先人たちが蹂躙される状況になる
口がうまいというよりは、意味不明という印象を与える
一方的に話し続けるモードの時は、感情的に引きずり込む
相手を責めるモードの時は、弁が立つという印象を与える
何度も会ってお互いにリラックスした状況でじっくり話さないと、その内面世界の深さや広さが分からない
創作活動というよりは、基礎研究における画期的な成果を志向、でも自分の理論や法則を公表したがらない
日常生活においても衝撃的な解決や魔術的な解決に引き寄せられる傾向
アイディアを盗まれるとか、同じことに気づく人が出てきてしまうという可能性を、常に恐れてた
尊敬してた7人は、ジョルジョ・デ・キリコ、雪舟、セロニアス・モンク、スウェーデンボリ、エドワード・デボノ、ロジャー・ペンローズ、ドナルド・クヌース
映画では『去年マリエンバートで』を絶賛
小説ではフレドリック・ブラウン、「終着の浜辺」(短編として)、「ピー・アイ・マン」(短編として)、『翔んでる警視』などを絶賛
漫画では『地獄甲子園』に強く反応(わたくしが貸した)
本が順番に読めない(通読が困難)、ランダムアクセス志向
あらゆる場面で 役割超越志向
「あと少しで完成しそう」とか「まさに今、重大な局面が訪れている」という思い込みが強い(xNxPジャンプおよび最後の壁バイアス)
日本共産党の周辺に知り合いが複数いたようだが、本人はあまり左翼的ではなかった
どちらかといえばやせ型だが小柄という印象はない、身長は168cm〜178cmあたり
当時の師匠でヴィジュアル的に似てると思うのは、2008年ごろの池上彰、2005年〜2015年あたりのロバート・キャンベル、『ライフ・イズ・ビューティフル』のロベルト・ベニーニ(特に笑ってる時)、ハーフ顔というわけではない
お店の中などで鬱々としてる時の師匠は、『絶対の探求』の挿絵(水声社版P.33)をほうふつとさせる
顔が似てるとは思わないが、わたくしと2人で行動してる時に出会った人の中には、師匠をわたくしの実の父親だと思った人が複数いた
服装に気を使ってなかった、かなり異様に見える日も
共感覚の持ち主だった可能性あり
気分が良い時は破壊的なジョークを言うことも
少なくとも2001年〜2004年ごろは、忘れ物はなく、時間の約束も守る
音や人の気配にすごく敏感
一人の時間が充電、でも同時にアグレッシブに人と関わる側面もあり、電話魔でもあった、電子メールやFAXも活用
2004年秋から行方が分からず、その後のことはわたくしは知らない
兄弟子
音大出身、1963年〜1969年あたりのどこかの生まれ
兄弟子が20代のころに師匠と出会ってるはず、おそらく出会ったころは1982年〜1989年あたり、師匠の音楽の研究内容は「カルチャーショック」だったらしい
プログラミングの目覚めは25歳前後で、比較的遅め
1980年代か1990年代に大阪の音楽スタジオの運営に関与
1980年代か1990年代に屋外でのPA(音響)の仕事も経験あり
1980年代か1990年代に兄弟子と師匠は一回絶縁状態になってる
1998年あたりに師匠と再会したあと、かつての絶縁について「あと少しのように見えて全然そうじゃないから切った」という主旨のことを師匠に言ったらしい(師匠の側からの証言)
1997年か1998年あたりにソフトウェア開発会社を設立、大阪市北区
1999年1月にわたくしがその会社に入った
2000年前半に元ギタリストさん(仮称)の会社と「同居」、その新しい場所も大阪市北区
無名時代のウルフルズのことをよく知ってるはず
師匠よりこの人のほうがインテリのイメージに合うかも
口がうまい、でもチャラいという印象はない
ゲーマーではないが、Mac版の『The Tower』シリーズの何かにハマったことがあったらしい
1999年〜2002年ごろの兄弟子でヴィジュアル的に似てると思うのは、空耳アワーの「お客さんに嫌われるぞ」の客のほう(特にVTR後半)
1999年〜2002年ごろの兄弟子、2025年時点のアベマニュースの大西洋平アナがやせていたら似てそうに見える、でも昔の大西洋平アナのやせてるころの写真はまったく似てないのが不思議
1999年〜2002年ごろの兄弟子、写真によっては2005年〜2015年あたりの東浩紀もちょっと似てるかも
わたくしは2002年後半あたりから連絡をとってない
(※空耳アワーの「お客さんに嫌われるぞ」は例えば以下を参照
https://www.youtube.com/watch?v=I322_1gZ6H4
)
元ギタリストさん(仮称)
学歴忘れた、1963年〜1969年あたりのどこかの生まれ
1985年〜1997年あたりのどこかでデザイン会社設立、1999年時点で大阪市北区
初期からのMacユーザー
師匠よりこの人のほうが多芸多才のイメージに合うかも
口がうまいというよりは、トークに不思議な説得力
初めて話す人でも、トークで惹きつけることができる
ギターは独自の奏法を開発、インディーズでレコードを出したこともある
神奈川のインディーズシーンにいた、関西でもギターを弾いてた、ドイツ在住(2001年当時)の日本人ノイズミュージシャンとの交流も
インターネットが普及する前の関西の学生ベンチャー周辺との交流も
音楽活動ではメジャーへの道もないわけではなかったが、東京でアイドル路線的なものに乗せられそうになって、これは違うと感じて離脱
2001年ごろ、わたくしが師匠の音楽の研究を支援してることは知っており、どんな曲なのか知りたがってたが、最終的に師匠がこの人には聴かせないでほしいとわたくしに強く要求
1999年〜2002年ごろの元ギタリストさん(仮称)は全体的な雰囲気がFF7のころの坂口博信に似てるかも
わたくしは2002年後半あたりから連絡をとってなかったが、2008年か2009年ごろにバッタリ会って1分か2分ぐらい話した記憶あり
(※FF7のころの坂口博信は例えば以下を参照
https://x.com/auuo/status/1994481321167691998
)
ケンジ・アサイ(仮称)
わたくしの高校の同級生、私立の中高一貫だがこの人は高校からの編入
おそらく1980年4月〜1981年3月の生まれ(同じ学年なので)
わたくしより先にインターネットユーザーだった
1996年秋(高1の秋)の時点ですでに個人サイトを持ってた
高2の時に軽音部、わたくしは辞めたあとなので軽音部で一緒だったわけではない
浪人して京都大学に進学、もし浪人がなかったなら学年としては1999年春から大学進学
浪人生の時に兄弟子の会社にバイトに来た(わたくしが呼んだ)
師匠の存在の特異性について、あまりピンときてないところがあった
師匠の住居について、2001年春あたりの最初の又貸しの件(大阪市内のワンルーム)についてはこの人は知ってるはず
2001年夏にうちの父親が購入したC3Lのことは伝えてなかったかも
2001年夏あたりからはこの人には内緒にしてたことが多かったものの、基本的にはわたくしはウソの情報は伝えてない
ヴィジュアル的には、2005年前後の窪塚洋介が全体的に似てる、でも目が似てない
ドラマーのビル・ブルーフォードの1970年代の写真の中で、似てるものがある
基本的には無口、ごくまれに饒舌な日
無口なことやコードを書く時の速さから、全体的な印象がケンジ・アサイ
プログラミングについて話そうとしても内容に豊かさがない、でも書いたコードは意外にまとも
わたくしは2006年ごろから連絡をとってない、その後のことはわたくしは知らない
2007年はまだ連絡先が分かる状態だったが、その後分からなくなった
わたくしはお金を借りたまま返せてない(15万円以上)
(※ビル・ブルーフォードは例えば以下を参照
https://www.rollingstone.com/music/music-lists/bill-bruford-career-highlights-yes-king-crimson-earthworks-903449/yes-and-you-and-i-1972-903462/
)
姉弟子
音大出身、1963年〜1969年あたりのどこかの生まれ
師匠はおそらく兄弟子と知り合ったころに姉弟子とも知り合った
わたくしは一度も物理的に会ったことはない、オンライン越しにやり取りしたこともない
1999年当時の師匠とは疎遠になっており連絡をとったりもしてないはず
基本的に姉弟子は師匠や兄弟子との会話の中にだけ登場する人物、姉弟子はわたくしの存在を知らない可能性もある
そもそも姉弟子は「弟子入りした覚えはない」と言うかも
1980年代半ばにはすでにあるジャンルでの有名人だった
その他の登場人物
その他の登場人物について、12人を挙げておく。
これらの人々もすべて実在の人物であることに注意。
「大阪のISxJの友人」だけなぜMBTIのことがはっきり書いてあるのかというと、本人にいろいろ質問したことがあるからである。他の人については、本人と直接的に性格のことについてじっくり議論することなくこちらで勝手に判定するのは避けたいのである。
そしてこの「大阪のISxJの友人」は、わたくしのnote内の他の記事の中でも何度か登場する「大阪のISxJの友人」と同一人物である。
兄弟子以外でフリーランスの仕事を確実にわたくしに発注したはずの人たちがこのリストにないのは、意図的である。「あの人を重要人物とみなすのにこっちは重要でないの?」を避けたいのである。いろいろと記憶がごっちゃになってしまっているというのもある。
フリーランスの仕事については、守秘義務契約のこともある。しかも、どの仕事に守秘義務契約があったのかということを忘れてしまっている。
本編では、フリーランスの仕事における技術的詳細に踏み込むことなく、当時の雰囲気がよく分かるようにする予定ではある。
うちの父親
勤務医(外科医)
1940年代前半の生まれ
わたくしの実の母親とは同じ大学で出会った(多分)
最初の妻(わたくしの実の母親)と死別後、1998年8月に再婚
父方の祖母いわく「あの子はサラリーマンやからなあ」
xSxJが好む発想を押し付ける傾向(xSxJかどうかは不明)
具体的な手続き、具体的な作業手順を重視
自覚なく人を振り回す傾向
ものごとを極端に単純化したり矮小化する傾向、想像力の欠落
あらゆる場面で正常性バイアスが強く作用してるように見える
太りやすい体質
過剰なリスク回避傾向
全体的にわたくしとあまり似てない(実は血縁関係がないとしても驚きはない)
この人の父親(つまりわたくしから見て父方の祖父)は開業医
この人は実質的にお手伝いさんがいるような家で育ってるわけだが、そのわりに全体として俗っぽくて小市民的
1987年〜1993年あたりに滋賀県にリゾマン(リゾートマンション)を購入
2001年に師匠の許可をとった上で師匠のバナナ和音(仮称)をこの人に生のピアノで聴かせたことがあるが、無反応
2001年夏にヤマハのグランドピアノのC3Lを購入、実質的に師匠のためだけに購入したような形となり、これについてはうちの父親は被害者だとはいえる
2003年あたりまで師匠の存在をはっきりとは知らなかった
当時、お金には困ってなかったはず(推測)
わたくしは2022年10月あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
パンテラくん(仮称)
わたくしの高校の同級生、中学も同じ(中高一貫)
おそらく1980年4月〜1981年3月の生まれ(同じ学年なので)
中2の時、わたくしの実の母親の葬式に来た可能性あり(同じ学年ほぼ全員来たから)
中高は兵庫県から通ってたので、わたくしと同じく遠方からの通学
2000年と2001年に兄弟子の会社の引っ越しを単発バイトとして手伝った
会社の引っ越しには師匠が来てなかった可能性があるので、師匠を肉眼で確認したことはないかも
中高のころ通学の電車の中でウォークマンをよく聴いてたが、軽音部には入ってないかも
パンテラが特別好きなわけではなかったかもしれないが、他に何を聴いてたか忘れた
中学のころからチョーカーなど、やや大人びた趣味
中学のころから俯瞰的な視点が得意で鋭い指摘が多かった、でも学校の成績が良かった印象はない
1996年夏(つまり高1の夏)、うちの父親が所有する滋賀県のリゾマンに宿泊したことあるかも
わたくしは2001年〜2003年あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
わたくしはお金は借りてない(多分)
女性ライターさん(仮称)
元ギタリストさん(仮称)の奥さん
1963年〜1969年あたりのどこかの生まれ
職業的なライター
わたくしの人生で初めて、同じ学校の同級生以外でわたくしの小説を評価してくれた
わたくしは2002年あたりから連絡とってない、2008年か2009年ごろに元ギタリストさん(仮称)にバッタリ会った時に元ギタリストさん(仮称)と一緒にいて少しだけ話したかも
わたくしはお金は借りてない(確実)
スノーボードさん(仮称)
兄弟子の会社にいたプログラマー(先輩)
大学中退、1973年〜1979年あたりの生まれ
運動神経が良く、ユーモアがある
スノーボードが好き、スキーやスケートボードも好き、長野県白馬村に頻繁に行ってた
1997年末〜1998年正月の再放送一挙放送でエヴァにハマった(1999年当時まださほどメジャーではなかった)
一見するとヤンキーっぽくもあるが、繊細に見える時もあった
当時、オフスプリングが好きだった
師匠の存在の特異性について、あまりピンときてないところがあった
わたくしは2002年あたりから連絡とってないが、2003年あたりに少しだけ電話で話した記憶
わたくしはお金は借りてない(確実)
脚本家さん(仮称)
兄弟子の会社にわたくしのあとに入ったプログラマー
1973年〜1979年あたりの生まれ
ものすごくヤバい内容の演劇の脚本(台本)を書いてたらしい、見せてもらうことはできなかった
小説や文体などについてこの人といろいろ話したはずなのに、具体的な小説家や作品タイトルが思い出せない
ラーメンをよくオゴってくれた記憶
2000年11月〜2002年2月あたりのどこかで、週末に2人で一緒に東京に行った記憶、寒い季節
わたくしはCDを複数借りたまま返せてないかも、このCDの中にマイブラの『Loveless』があったはず、なぜこれを今まで知らずに生きてきたんだと思った記憶
わたくしは2002年あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
わたくしはお金は借りてない(多分)
ダンサーさん(仮称)
兄弟子の会社にわたくしのあとに入ったプログラマー
1973年〜1979年あたりの生まれ
ダンスを習ってたような記憶(うろ覚え)
当時、浜崎あゆみが好きだった
2002年前半あたり、なぜか神戸市内で2人だけで会った記憶がある
2002年前半あたり、わたくしが幾何学的なパターンの探求をしてた時に海外のVHS購入を手伝ってもらった記憶(わたくしがクレジットカードを持ってなかったため)
2002年前半〜夏あたり、英訳の相談にも乗ってもらった記憶
わたくしは2002年後半あたりから連絡とってない、もしかしたら2003年あたりに仕事に関すること(技術的な仕様上の詳細)で電話で話したかも
わたくしはお金を借りたまま返せてない(5千〜2万円程度?)
大阪のISxJの友人
中卒だけど数学ウォッチャー
まんが喫茶のバイトの同僚、わたくしと出会ったのは2002年秋
1973年〜1979年あたりのどこかの生まれ、ずっと大阪市内在住
10代の後半(おそらく1990年代)に引きこもりの時期があったらしい
2002年〜2015年あたりは大学に行こうとはしてた
毎年センターで数学の成績がイマイチだったらしい、でも国語は勉強しなくても点が取れるらしい
やや近視眼的で構造を抽出するのが苦手、でも同時に数学や理論物理の抽象的な話が好き
1990年代からずっとグロタンディークを尊敬
2015年以降は圏論に強い関心
プログラミングにも興味がないわけではなかった模様、でも基本的には紙とエンピツでの数学のみ
PCに詳しいわけではない
時事ネタについてもそこそこ話せる人
漫画では刃牙シリーズやジョジョの第1部・第2部や『幽☆遊☆白書』が好き、福本伸行の作品にも好きなものがあったはずだが、どれだったか思い出せない
声が高くて中性的、見た目はあまり中性的ではない
やや太りやすい体質
とにかく人混みが苦手、音や人の気配はそこまで苦手でもない
過剰なリスク回避傾向
言動はいかにもISxJだが、10代のころはもっとINFJっぽかった可能性もありそう
精神医学や性格分類にはあまり強い興味を示さず
服装に気を使わない
2002年〜2004年ごろは、基本的には師匠の存在をこの人に内緒にしてたが、2006年あたりに会った時に師匠のことをひととおり話した記憶
2008年〜2012年あたりにわたくしは小説を書くようしつこくすすめたが失敗
2008年〜2011年あたりから実質的に天涯孤独
2012年にわたくしが沖縄に来てから唯一連絡をとってた友人
わたくしが2015年夏〜2016年春に一時的に関西にいた時にも時々会ってた唯一の友人
2016年春にうちの父親が所有する滋賀県のリゾマンに1泊だけ宿泊(わたくしが呼んだ)
2013年あたりからわたくしは沖縄に一度は来るようしつこくすすめたが失敗
おそらく師匠と会ったことはない(2022年春時点)
おそらく一度も車の免許をとったことがない(2022年春時点)
2016年〜2022年あたりにビルメンテナンス関連の資格を取得
わたくしは2022年春あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
わたくしはお金を借りたまま返せてない(20万円以上)
皇田北都(仮称)
2003年夏〜2004年春の約8カ月間、わたくしと交際
まんが喫茶のバイトの同僚、わたくしと出会ったのは2003年春
おそらく1980年4月〜1981年3月の生まれ(同じ学年なので)
兵庫県で生まれ育った、でも阪神間ではない
高校は兵庫県の公立の進学校、大学には行かなかった
1999年〜2002年あたりに化粧品販売の仕事でヘルニア気味になった
漫画ではCLAMP『東京BABYLON』に心酔
漫画『ねこぢるうどん』の1巻にも強く反応(わたくしが貸した)
小説では『黒冷水』を絶賛
2003年後半は笑いのセンスがわたくしと近いように感じた、徐々に関係が悪化して笑わなくなった
コミュニケーションに長けてて、観察力もある
察してほしいを発動せず、こちらの反応が薄くても粘り強く質問・提案を続けてくれる
全体を見ることもできるが、現実主義でもある
2003年夏に大阪の京橋駅の近くにワンルーム(正確にはたぶん1K)を借りて、わたくしがそこに転がり込むことに
当時、うちの父親が購入したC3Lの存在を知ってた数少ない人の一人
付き合い始めてから、わたくしはこの人には一切ウソの情報を伝えてない
師匠の存在をこの人には内緒にしてることになってたが、もちろんそんなわけはない
わたくしのサラ金の借金のことなども、何もかも話してた
でも結局、当時の録音についてはこの人には聴かせなかったはず
2004年秋時点で師匠と会ったことはない、でも2004年春に一瞬だけ師匠の生の声を聞いた可能性あり
わたくしは2004年春あたりから連絡とってない
2005年以降も大阪市内で一瞬だけ見かけたことがあったかも
わたくしはお金を借りたまま返せてない(50万円以上?)
わたくしは当時『東京BABYLON』を読んだ(読まされた)が、『X』についても読むと約束したのに2026年1月時点でいまだにわたくしは読んでない、わたくしがこれを読まないことによる何らかの時空のひずみのようなものが存在してる可能性あり
池のほとりの魔女さん(仮称)
練習スタジオの主(所有者ではないかも)
1940年〜1959年あたりの生まれ
全体的に雰囲気が魔女っぽかった
やせ型、若いころはおそらくかなりの美形
音楽やってる人向け賃貸マンションの管理人でもあった
師匠がこの賃貸マンションに引っ越したがってた時期も、でも師匠は急にやめようと言い出した
当時、うちの父親が購入したC3Lの存在を知ってた数少ない人の一人
わたくし(と師匠)は2003年と2004年にこの人の練習スタジオを8〜20回程度利用
わたくしは2004年秋以降はこの人のスタジオを利用してない、でも2008年〜2012年のどこかで「あれから師匠来ませんでした?」的な感じで訪ねて行ったことも
わたくしはお金は借りてない(確実)
格ゲーくん(仮称)
わたくしの高校の同級生、中学も同じ(中高一貫)
おそらく1980年4月〜1981年3月の生まれ(同じ学年なので)
中2の時、わたくしの実の母親の葬式に来た可能性あり(同じ学年ほぼ全員来たから)
わたくしの中3の家出の時に、一緒に家出したりした
2003年後半に、格ゲーくん(仮称)の父親が経営する会社でIT事業部を立ち上げるということでわたくしも参加したが、あまり思い出したくない
2003年あたりにプログラミングに興味を持ってもらおうとしたが失敗
2003年後半か2004年前半あたりに師匠の許可をとった上で安物のイヤホンで師匠の音楽について録音を聴かせたことがあるが、反応は薄かった
格ゲー以外のゲームもうまい、初見でもうまい、次元が違うものを感じた
ケンジ・アサイ(仮称)やパンテラくん(仮称)とは特別に仲が良かったわけではないかも
師匠と会ったことはない(2004年春時点)
わたくしは2004年春あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
わたくしはお金は借りてない(多分)
元ハードウェアハッカーさん(仮称)
元プログラマー、ハードウェア寄りのことにも詳しい
1950年〜1969年あたりの生まれ
師匠の昔からの知り合い、兄弟子のことも知ってる
もしかしたらケンジ・アサイ(仮称)も2001年に会ったことあるかも
2001年時点では、関西の小さいゲームの開発会社の経営者だったか役員だったかそういう立場、おそらく複数の会社に関与してた
物静かだけど顔が広く、ゲーム業界の内情にも詳しい
2000年秋〜2001年春あたりのどこかで、師匠にフリーランスとしての仕事をふった
わたくしはこの人からの仕事を受けた記憶はない
2001年春ごろ、車でわたくしの荷物を運んでくれた記憶がある
2001年か2002年、師匠から『地獄甲子園』について意見を求められたことがあるはず
わたくしはおそらく3回か4回ぐらいしか会ってない、一度2人だけでじっくり話したかったがかなわず
師匠の昔からの知り合いの中では、2002年以降も師匠が連絡をとってた数少ない人のうちの一人
2004年秋以降も師匠とは連絡とってた可能性高そう(雰囲気からそうだといえるだけであって、この推測に根拠はない)
わたくしは2003年あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
わたくしはお金は借りてない(多分)
深夜バイトさん(仮称)
元COBOLプログラマー、2004年当時PCは持ってなかった
おそらく1950年代の生まれ
わたくしが2004年にコンビニとスーパーの中間のような店でバイトしてた時の同僚(先輩)
プログラミングの経験は遠い昔のことのようで、再びコードを書きたいとは思ってないようだった
2004年秋に師匠と縁を切る直前にわたくしは深夜バイトさん(仮称)の家に居候させてもらった
「cleemy」というハンドルネームが浮かんだのは、この人の家にわたくしが一人でいた時(実際に使い始めるのは2005年夏から)
わたくしは2004年秋からしばらく会ってなかったが、2006年に再会
2006年に再会してからのわたくしとの共通の知人として、当時大阪市内に存在したカラオケ居酒屋のママ
わたくしは2007年あたりから連絡とってない、その後のことはわたくしは知らない
おそらく師匠と会ったことはない(2007年時点)、でももしかしたら2004年に一瞬だけ会話したことがある可能性も
わたくしはお金を借りたまま返せてない(3〜5万円あたり)



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