天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

最高最強のAIでもひれ伏すだろう真のお父様の超越的なみ言の世界!表現された心情世界!

諸星くると

天の父母様聖会のtomy4509氏が、私の主張を後押ししてくれる記事が続いているので、利用させていただきます。


祝福家庭が創造前の神様の状況を理解する為に、たいへん重要なみ言を、真のお父様は2010年4月4日に語られていたことを紹介していました。2010年6月5日に亨進様だけが代身者・相続者であるとした「真の父母様宣言文」を、真のお父様と亨進様の阿吽の呼吸において書き上げました。続いて6月7日から6月15日零時まで亨進様ご夫妻は8日間断食を為された上で、6月19日に「真の父母様最終一体宣布」が出されました。


この一連の摂理的展開が進んで行く前に、神様は自らが創造を始めた心情の動機まで地上に記しておかなければならなかったのです。


その為のみ言が、2010年4月4日の「重生・復活・昇華式と入籍」と題されたみ言です。


私は先々回の記事で、そのみ言の重要部分を引用していました。tomy4509氏は私が引用したみ言の翻訳が正しくないことを訴えたいが故か、AI翻訳したものとして彼のブログ記事に掲載してくれました。


また1月16日記事においても、「ファンクラブ氏(三原氏)と中村氏の『統一思想』解釈にAIが反論」と題した記事を公開しました。もう自分の頭脳では追いつかないので、AIに頼るという愚行に出ています。三代王権においては、すでに「創造前の神様」の次元に入っておりますから、AIが太刀打ちできるわけがないのです。世界最高峰のコンピューター頭脳においても、人間がこれまでの人類が獲得した知識をプログラムしなければならないし、それを根拠にして未来を予測したりするでしょう。


キリスト教的解釈も仏教的解釈もそれなりに可能かもしれませんが、創造前の神様の次元・・・、ましたや自己中心的な神様として、神様のみで喜びの境地を得ていた次元を、AIが追求できるわけもないのです。


tomy4509氏が抜粋引用した「2010年4月4日」のみ言のAI翻訳文も、三次元に生きている人間に理解しやすくなるように、機械的に解釈されて翻訳されています。読む側にとっては、分かったような気持ちになれるでしょうが、神様の真実真理の次元から離れるばかりのものとなっていきます。


私が用いたgoogle翻訳では「群れ」と訳されているハングルが、tomy4509氏のAI翻訳では「影」となっています。そのハングルは「무리」という文字で、この言葉だけでは「無理」「群れ」としか訳されていません。他のみ言から浮かび上がってくる意味も、「群れ」「集まり」の他に、「輪」と浮かび上がるのですが、この「輪」「光の群れ・集まりによる輪」と言う意味になります。



私が引用した部分と、tomy4509氏が抜粋引用したAI翻訳文の中から同じ部分のみ抜粋引用します。まずは、比較してみて下さい。


tomy4509氏が用いたAI翻訳では、文章全体の意味から「影」と訳したのかも知れません。読みやすく分かりやすく意味が取れると思うかもしれませんが、よくよく検討すると、真のお父様が込めた意味とは真逆のものとなります。(tomy4509氏がAI翻訳を上げてくれたおかげで、私が提示した翻訳を分かりやすく治すことができましたので、その訂正したみ言の日本語訳を、あとで掲載します。)


  **諸星くると機械翻訳:2010年4月4日真のお父様のみ言より**


 太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月のがなければ解説できません。闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?


 光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると群れがあります。それを理解しなければなりません。


 これから理想世界はどうなるでしょうか?二つが合わさると、闇でもなく昼でもありませんが、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。


 北極や南極は6か月間闇の中にあります。朝と夜の間で生活することを知っていますか?北が6か月間闇の中にあると、南はすべて見えます。太陽は見えなくても、群れの光は見えるということです。


 では、これから神様は何をなさるのでしょうか?光になることもでき、闇の主になることもできます。その二つが合わさって月と群れのようになります。光があれば、必ず何かがあります。それは闇の群れが光であるということです。光はどこから出るかというと、闇から出ます。光からは出ません。それを理解する必要があります。


 だからこそ、神様も暗闇の中で月の群れのような時代がありました。神様を知らなかったのです。月の群れの実体があるとき、暗闇にいた神様はその月の群れのようだったのです。男の前に月の群れのようなものとは何ですか?似ているから合うのです。それは女です。女の前に群れのようなものは男です。それを知らなかったのです。


 では、それはどうやって一つになるのでしょうか?何によって一つになるのでしょうか?知識でもなく、力でもなく、権力でもありません。愛です、愛。愛とは自分を燃やし、最後には灰になることです。自分が燃えなければなりません。


  **引用終了**


  **tomy4509氏AI翻訳:2010年4月4日真のお父様のみ言より**


 太陽には「日輪(にちりん)」のような光の輪があります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本は、この光の輪がなければ説明できません。闇があれば、その闇にも「影(ハロー)」があります。真っ黒な闇のが光の色です。闇と光は異なるものではありません。闇のとは光なのです。初めて聞くでしょう。


 光はどこから出るのか。七色を合わせると黒になります。光とは闇の「影(ハロー)」なのです。物体や光には必ずがある。それを知らなければなりません。


 未来の理想世界では、二つが一つになると、闇でもなく昼でもない状態になります。水平線に太陽が昇る前、すべてが見えるような状態です。


 北極や南極は半年間闇の中にあります。朝と夜の間で生きるのです。北が半年闇なら、南はすべてが見えます。太陽が見えなくても、光の輪が見えるのです。


 未来の神はどうなるのか。光にもなり、闇の主人にもなれる。二つが合わさって、月と光輪のようになる。光があれば必ず影がある。光は闇から出るのであって、光から出るのではありません。


 だから神にも、闇の中で光輪のような時代があったのです。人間は神を知らなかった。光輪の実体があるとき、闇にいた神は光輪のような存在だったのです。男性の前にある光輪のようなものは何か。似ていて合うもの――それが女性です。女性の前にあるのようなものは男性です。それを知らなかったのです。


 では、それがどうやって一つになるのか。何によって一つになるのか。知識でもなく、力でもなく、権力でもありません。愛です。愛は自分を燃やし尽くし、最後には灰にまでします。自分が燃えなければならない。木が燃えれば煙が出て、やがて熟した柿のようになります。男性が女性の影(ハロー)になれることを知らず、男性が一番だと思っているのです。


  **引用終了**


まず、私が提示した機械翻訳の「真っ黒な闇の群れは光です。」の意味は、神様のみで存在していた段階で、神様がどのような喜びの意義を感じ取って存在していたのかが分からないと、真のお父様が込めた意味がつかめません。


まずは現実的な解釈から、どちらの表現が適切かを検討していきましょう。


AI翻訳の「真っ黒な闇の影が光の色です。」のほうが分かりやすく受け止められるかもしれません。でも考えてみて下さい。次に続くみ言に「七色を合わせると黒になります。」と語られています。


光は青・赤・緑の三原色からなっており、この光が物体に当たると吸収されてしまう光の色と、反射される光の色が、それぞれの物体で違って来ます。それで、私たちを取り巻く環境圏にある物体から反射して視界に入ってくる色を感知して、色とりどりの環境圏を認識しています。


この光を反射する物体が皆無の場合、光はどこまでも反射されずに進みますから、黒色になるということです。つまり、反射するものが何もない虚無がどこまでも広がっているなら、そこは光に満ちているけれど、真っ黒の闇となるということです。ですから、その闇は何かの影ではなく、光そのものの色なのです。


さらに真っ黒の光でも、その真っ黒はあらゆる色彩の光の集まり(群れ)からなっているということです。つまり光の群れは、真っ黒の群れであり闇の群れでもあるのです。その光で満ちた虚無の世界に、影は欠片も無いのです。


さらにここから、もっと本質に入っていきます。


ここで理解してほしいのは、闇とは無を表しているということです。無を表すとともに神様の本性相を表しています。なぜなら神様の本性相で展開する知情意の思考展開は、本性相だけでは「無」に他ならないのです。本性相の知情意の機能に、本形状のエネルギーが本性相の機能に作用することにより、初めて思考として展開し、意識世界に神様の喜びを得る為の思考展開が為されて、その結実として喜びを実感するようになるのです。


創造された三次元に、他の人や万物との関係性の中で生きている私たちからでは、自己満足の陶酔に過ぎないと感じられるかもしれません。しかし、神様には他の何ものをも意識せずに存在していた神様であって、自己の喜びを求めることは、その段階での最大の善であったのです。


神様は思考しただけで、その思いが実現される全知全能の絶対者としての存在だったのです。人間においては、自分が立たされている環境圏を「見る・聞く・味わう・嗅ぐ・触れる」の五感で感知しています。目口鼻耳手足体で感覚したものが、脳に入る時に電気信号化され、それが脳内で再現されて、自分が立っている環境圏を認識しています。この脳内に伝わっていく電気信号を作り出して、脳に送れば、外界の環境圏が無かったとしても、自由に存在環境圏を作り出し、そこにいるかのような感覚を実感できることとなります。


何を理解してほしいかと言えば、神様のみで存在していた次元において、自分の喜びの環境圏を、神様はたった一人でも自由に作り出すことが出来たということです。


喜びを得るための構想を立て、それが意識世界に展開し喜びを実感すれば、その構想によるプロジェクトが無意識世界に潜在意識となって蓄積されて生きます。つまり神様は構想を立てては実現する喜びの為のプロジェクトが、無数無限なまでに無意識世界に蓄積されているのです。


本性相の知情意の機能は、それだけでは「無」であるのです。その機能に本形状のエネルギーが作用することによって、初めて起動し思考展開が為されて喜びを実感することになるのです。つまり、本性相が闇と表現され、本形状が喜びを生み出す「光」と表現されたのです。


「闇の群れ」とは、本性相の無意識世界に潜在蓄積されている、無数無限の喜びのプロジェクトを意味しているのです。その無数無限の喜びの数々こそが、神様にとって光となっていたのです。


その自分自身の本性相の思考を、喜びとして顕現させていた本形状のエネルギーを、他者に働きかけて映し出そうとした対象の存在を、真のお父様は月暈(つきがさ)の光の輪として表現したのです。この月の光の輪は、影ではありません。無数の氷の粒に、月の光が反射して現れる白っぽい虹のことになります。ですから、月暈(つきがさ)の光の輪と表現されたハロ現象は、氷の粒に反射した無数の光の群れを表しているのです。


このことを再度深く検証する機会を与えてくれたtomy4509氏に、心より感謝いたします。


そこで、2010年4月4日の真のお父様のみ言の、この記事で引用した部分について、次のように訂正を加えます。


  **諸星くると機械翻訳:2010年4月4日真のお父様のみ言より**


 太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月のがなければ解説できません。闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?


 光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると群れがあります。それを理解しなければなりません。


 これから理想世界はどうなるでしょうか?二つが合わさると、闇でもなく昼でもありませんが、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。


 北極や南極は6か月間闇の中にあります。朝と夜の間で生活することを知っていますか?北が6か月間闇の中にあると、南はすべて見えます。太陽は見えなくても、群れの光は見えるということです。


 では、これから神様は何をなさるのでしょうか?光になることもでき、闇の主になることもできます。その二つが合わさって月と光ののようになります。光があれば、必ず何かがあります。それは闇の群れが光であるということです。光はどこから出るかというと、闇から出ます。光からは出ません。それを理解する必要があります。


 だからこそ、神様も暗闇の中で月暈のような時代がありました。(これまで)神様を知らなかったのです。月暈の光の輪の実体があるとき、暗闇にいた神様はその月暈の輪のようだったのです。男の前に月暈の輪のようなものとは何ですか?似ているから合うのです。それは女です。女の前に月暈の輪のようなものは男です。それを知らなかったのです。


 では、それはどうやって一つになるのでしょうか?何によって一つになるのでしょうか?知識でもなく、力でもなく、権力でもありません。愛です、愛。愛とは自分を燃やし、最後には灰になることです。自分が燃えなければなりません。


  **引用終了**


み言の冒頭で、太陽の日暈(ハロ現象)について語っています。太陽によって比喩されたのは、神様の神人愛一体理想が実現した段階での、神様と人間の関係性です。太陽は真の愛の発動体を比喩しており、これが「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相になります。人類は三位一体から発動される真の愛を受けて、それぞれの個性体としての光を得て輝くのです。つまり、人類は光の輪に例えられています。

そこで光を放つことの無い月に例えられたのは、創造前の神様自身のこととなります。その神様の構想の中で、神様の希望の光に照らし出されるのが、月暈の薄明りの光の輪に例えられた男女の群れである人類なのです。男女は神様から注がれた真の愛を、互いに与え合い輝き返し合う関係になる事を、月暈の月と光の輪の関係に例えて語られたみ言なのです。



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