国の公的年金には、障害のある人が受け取れる「障害年金」という制度がある。障害の重さなどを日本年金機構が審査して、「条件を満たしている」と判定されれば支給される。
障害の重さを判定するのは、年金機構から委託を受けた医師。ところが、機構職員が一部のケースで医師の判定をひそかに破棄し、別の医師に頼んで審査をやり直していたことが分かった。担当部署で長年、行われていたとみられる。年金機構は「医師が医学的に判定している」と説明していたのに、職員が医師の判定を否定していたことになる。なぜそんなことが起きていたのか。(共同通信=市川亨)
▽全国から東京に書類が集められる
きっかけは、年金機構の「障害年金センター」に勤務する職員Aさんの、こんな証言だった。
「医師が『支給』と判定しても、上司の職員が『これは支給じゃない』と差し戻して、別の医師に回すことがあるんです。1人目の医師の判定はなかったことにして、判定結果の記録はシュレッダーにかけて捨てています」
そんな話は聞いたことがなかった。私は障害年金について10年以上取材しているが、初耳だ。ルール上は医師が「支給」と判定すれば、そのまま支給される。年金機構の職員に、医師の判定を覆す権限はない。
ちなみに申請から支給までの流れを簡単に説明すると、こんな感じになる。
①まず医師に診断書を書いてもらい、他の書類と一緒に全国の市区町村役場や年金事務所で申請する。
②書類は東京にある「障害年金センター」に集められ、職員が書類に不備がないかなどをチェックする。
③年金機構が委託する医師が、診断書などを見て支給の可否や等級を判定する。障害の等級は重い順に1~3級に分かれている。
Aさんの話によると、③の後、医師でもない職員が判定のやり直しを判断していることになる。
▽上層部の指示ではなさそう
本当にそんなことが行われているのか。年金機構広報室に質問を送ってみた。すると、そうした取り扱いを認めた上で「事実関係を確認中」という答えが返ってきた。
すぐに次の疑問が浮かんだ。いつからやっていたのか、年間に何件そういうケースがあったのか。過去の記録は破棄されているため、全容は分からないとみられる。それでも、年金機構と所管の厚生労働省は廃棄されずに書類が残っていた数百件(最近3カ月間分)について調査を始めた。
支給を絞るために組織的にやっていたのだろうか。それはどうやら違うようだ。
年金機構のある幹部は当初、取材にこう話していた。
「文書の破棄なんて、犯罪に当たりかねない。そんなことはしないと思うが…」
この答えからしても、上層部が指示したのではなく、現場の職員レベルの慣行として行われていたとみられる。
Aさんの次の説明も、それを裏付ける。
「破棄することは、医師の判定が『支給』『不支給』どちらの場合でもあります」
この話が本当なら、本来なら受け取れたはずの人が不支給になった可能性もあれば、逆に職員の判断で救済された人もいる可能性があるということだ。
▽「この医師は優しい。あの医師は厳しい」
どうしてこんなことが行われていたのか。
理解するにはまず、判定の実務がどのようになっているかを知る必要がある。
年金機構から審査を委託された医師は障害の種類ごとに分かれ、昨年1月時点で計140人いる。ただ、基本的には複数の医師による合議ではなく、単独で審査する。
医師も人間である以上、個人差がある。
特に、数値で判断しにくい精神障害や発達障害などの場合、「『この先生は優しいけど、あの先生は厳しい』というふうに判定にばらつきが出る」(障害年金センター元職員)。
しかも判定医に支払われる報酬は安く、年金機構は担い手を探すのに苦労している。医師を選べる立場にはない。そのため、発達障害にそこまで詳しくない精神科医が審査する、先天性心疾患の専門ではない循環器科医が審査する、といったことが起こり得る。
医師の多くは、通常の診療の傍らで引き受けている。だからそんなに時間はかけられない。年金機構としても「申請受理から3カ月以内に処理する」という標準期間を定めているため、早くさばく必要がある。
一方で、障害年金を申請する人は年々増えていて、2024年度は18万~19万件。既に受給している人の中には1~5年ごとに更新手続きが必要な人もいて、その審査も年間20万~30万件ほどある。そのため「1件の審査に1分かけられないことも多い」(センター職員のAさん)。
医師の個人差と短時間の判定という二つの要素が合わさり、判定結果を見た職員が「この判定は明らかにおかしい」と感じるケースが生じるのは自然なことだろう。
つまり、職員がいわば「調整弁」となって、判定を平準化していたとみられる。しかし、その職員の判断が本当に公正に行われているのか、外部からは分からない。恣意的に行われ、受給権を奪われた人が過去にいた可能性も否定できない。
▽「紙折り」と呼ばれていた
この点については、年金機構の幹部はこう釈明している。
「支給判定が不支給に覆った例はほとんどなく、むしろ支給に転じた例の方が多そうだ。悪意でやっていたわけではないと思う」
判定結果の破棄は、記録を折って捨てることから「紙折り」などと隠語で呼ばれていたという。幹部は「(2010年に発足した機構の前身組織である)社会保険庁時代からやっていたのではないか」と推測する。
職員が判定を破棄する際の判断基準やマニュアルはないという。文書の保存ルールにも違反していた可能性がある。つまり、内部の統制も外部の検証もなされないまま、ブラックボックスの中で行われていたことになる。
障害年金に詳しい社会保険労務士の安部敬太さんが問題点を指摘する。
「統一的な判断基準がなければ、個々の職員やそのときの障害年金センター長の考え方によって、いかようにも運用できてしまう」
実際、2024年度は障害年金を申請しても「障害が軽い」などと判定され、不支給とされた人が前年度に比べて急増。センター長が人事異動で厳しい方針の人間に代わったことが要因として指摘され、国会でも追及された。
▽障害者と年金機構、相互にある不信感
障害者の間には「年金を支給したくないのではないか」と不信感が広がる。一方、年金機構には別の不信感がある。幹部が明かす。
「『あの人は障害年金を不正受給している』という情報提供が一般の人から頻繁に届くんです」
障害者の中には申請が難しく、社労士に代行を依頼する人も多い。社労士にしてみれば、不支給になると成功報酬を受け取れない。そのため、診断書を書く医師に社労士が「支給されるように書いてください」などと頼み込むケースもあると指摘されている。
その結果、年金機構には「不正に受け取ろうとする障害者や社労士がいる」という認識が広がっているとみられる。社労士の間でも「受給者の中には、本当に障害年金が必要なのか首をかしげる人もいる」という声が聞かれる。
▽課題を放置してきた国にも責任が
相互不信を招いている根本的な原因は、判定の仕組みにあると言えそうだ。
障害者の日常生活の様子を見ていない医師が診察室でのやりとりだけで診断書を書き、年金機構の判定医が書類だけ見て1人で審査する。もともと診断書の書き方や医師の個人差で左右されやすい構造だ。
そのため、障害者や社労士の側では「診断書を有利に書いてもらおう」となり、年金機構の側では「この判定はおかしい」ということが起きる。
障害者の生活実態をもう少し丁寧に調べ、複数の医師や福祉職が合議で審査する仕組みにすれば、こうしたことは起こらないだろう。
判定方法をそのように変えるべきだという声は以前からあるが、制度設計を担う厚労省は「手間と費用がかかりすぎる」として、応じてこなかった。
判定結果の破棄は「年金機構の職員が悪い」という単純な話ではなく、課題を認識しながら放置してきた厚労省の責任も重い。機構と厚労省は調査と説明を尽くし、より納得感の得られる判定方法に変えることが求められそうだ。
【用語解説:障害年金とは】
病気やけがで障害があり、条件を満たせば現役世代でも受け取れる公的年金。障害基礎年金と障害厚生年金の2種類がある。自治体が交付する障害者手帳とは別の制度。障害の重い順に1~3級に分かれ、支給額は基礎年金の1級で月約8万6千円、2級で約6万9千円。「基礎」の場合は、3級と判定されると支給されない。2024年3月末時点で受給者は約242万人。精神・発達・知的障害者が7割を占める。