ベネズエラ関連の偽画像などSNS投稿相次ぐ “拡散せず注意を”

コバヨシがいよいよヤバイらしい…

本人も自分が何を主張したいのかまったく分かっていないが、とにかく国際政治について一言物申して注目を浴びて尊敬されたいという気持ちだけは未だに未練がましく持っているようです。


アメリカのベネズエラ攻撃、やはり国際法は無意味だった | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)

《やはり国際法は無意味だった。ベネズエラの国民の中には侵略されて、大統領夫妻を拉致されて、喜んでいる者がいる。》

《高市政権はポチとなって、トランプを批判しない。これでロシアも中国も、侵略OKとなって政府は批判できなくなってしまった。

世界は弱肉強食の帝国主義に戻った。日本も核を持つしかない。》


国際法は要らないか? | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)

《国際法は罰則がなく、世界に警察はいない。せめて国連に判定を委ねるかと言えば、トランプは国連なんか無視だ。結局、国際社会は、軍事力だけがモノを言う。もし日本国に警察権力がないなら、暴力団のやりたい放題だ。》

《国際法はいまだに未完成だが、慣習法として育てるしかないと思っている。》


国際法の意味 | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)

《どれだけ悪人の独裁者でも、独裁に苦しむ民がいても、他国が正義感ふりかざしてその国を爆撃したり、侵略したらダメなんだよ。ましてや大統領である独裁者を誘拐してしまっちゃダメなんだよ。それが国際法なんだから仕方がないんだよ。国際法は意味ないとも言えるが、慣習法だから育てるしかないんだよ。》


ベネズエラの国民が歓喜しているとかいうAI生成を使ったフェイクニュースを真に受けている時点で、何を語ろうが無価値な戯れ事であり、なによりもコバヨシが御意見番ぶろうと必死になっているザマこそが無意味でありましょう。

だからコバヨシに言えることがあるとすれば、「国際法を無意味というお前が一番無意味で無価値なゴミ人間であり、もはや育てようもない廃棄物であることを自覚して余生を送れや」というストレートすぎるリアルな直言ぐらいしかないでしょう。


この件に関しても大林批評が見事に纏めています。


《言論人としての小林よしのりは、「意見をコロコロ変える変節漢」という評価がすでに定着済みと言っていいでしょう。そもそも小林の転向は成長に伴うアップデートではなく、受け狙いで意見を変える無節操なものでしかありません。

何しろ最近でさえ小林は、「国際法は無意味」からたった1日で「(国際法は)慣習法として育てるしかない」へと変節したのですからね。

小林が「国際法は無意味」という立場に立つことは、かつての主張とは明らかに矛盾しています。なぜならイラク戦争の時の小林は、アメリカの侵略を批判するために国際法の重要性を唱えていたからです。

小林は、ベネズエラを侵攻したトランプ政権に抗議をしない日本政府を「ポチ」と批判しています。しかしながら、「国際法は無意味」と言っている今の小林には、日本政府を批判する資格などありません。

そもそもアメリカによるベネズエラ攻撃を批判するための論拠となるのは、やはり今回の軍事行動が国際法に違反しているという事実です。

今回のアメリカのように他国に侵攻して政権を転覆させた上に、その国の大統領を拉致するというのは、国際法上の内政不干渉の原則に反しています。

小林が「国際法は無意味」と言ってしまうのは、アメリカによるベネズエラ侵略を批判する論拠を失うことにつながります。

「国際法は無意味」の立場に立つならば、ロシアによるウクライナ侵略さえも批判することは不可能となってしまいます。「これでロシアも中国も、侵略OKとなって政府は批判できなくなってしまった」などと、今の小林に言う資格はありません。

一方で小林は、「世界は弱肉強食の帝国主義に戻った」とも言っています。しかし、世界が弱肉強食であることを小林が黙認するのは、別の形でも問題があります。

国際法は無意味で世界は弱肉強食であるという論法は、裏を返すならば、強いものには逆らえないから小国は超大国のポチになることが生き延びる道だという理屈にもつながってしまいます。今の小林には、親米保守派を「ポチ保守」と呼ぶ資格などありません。

小林が「日本も核を持つしかない」と言っているのは、何の覚悟もないまま勇ましい言説を唱えているだけでしかないのでしょう。

「国際法は無意味」で「世界は弱肉強食」と居直る小林は、人間としても恥知らずで醜悪なニヒリストと化してしまったと言えるでしょう。

翌日になって小林は「国際法は無意味」の主張をあっさりと捨てたようです。

おそらく小林は、「国際法は無意味」の立場ではアメリカのベネズエラ侵攻を批判する論拠を持てないことにようやく気付いたのかもしれません。

しかし、自らがどういう経緯で意見を変えるに至ったかを釈明できていない時点で、小林の変節は批判されても仕方がありません。

「国際法は無意味」から「国際法はいまだに未完成だが、慣習法として育てるしかない」へとたった1日で主張を変えるとは、小林の無節操さにはただただ驚き呆れるばかりです。

小林は、「国際法は罰則がなく、世界に警察はいない」と言っています。確かに、小林が言うように国際法には罰則や強制力はほとんどありません。

しかし、国際社会が世界各国の相互監視によって成り立っている以上、国際法を違反した国は国際世論の圧力を受けることは避けられません。違反国は経済制裁を受けたり、外交的に孤立するなど不利益を被ることもあります。

また、小林は「結局、国際社会は、軍事力だけがモノを言う」と言っています。しかし、各国の軍隊でさえ戦時国際法の影響を受けています。イラク戦争当時の小林の言い方を借りるならば、国際法の縛りがない軍隊は山賊と同じというわけです。

さらに、小林は「もし日本国に警察権力がないなら、暴力団のやりたい放題だ」とも言っています。軍隊を暴力団になぞらえる小林の論法は、そもそも例え自体が間違っています。

どの国であれ軍隊は自衛のために存在していますが、自衛権は国際法上の権利としても認められています。一方で日本国内の暴力団は、暴力団対策法や各都道府県の暴力団排除条例によって反社会的な団体として定義されています。

どうやら小林は、軍隊と暴力団の区別さえもついていないようです。もしかすると小林は、軍隊の存在は「悪」ではないが、暴力団の存在は「社会悪」であるという基本的なことさえも分かっていないのかもしれません。

言説の整合性を気にせずに思いつきで発言をする小林は、言論人としてはもはや終わっていると言えます。

国際法に対する見解がブレまくったことを気にしているせいなのか、小林はブログで惨めったらしくポエムを書いたようです。

アメリカによるベネズエラ侵略を批判する論拠として、「それが国際法なんだから仕方がないんだよ」と小林は言っています。しかしこの主張は、かつての小林が「国際法は無意味」と言っていたこととは明らかに矛盾しています。

矛盾だらけとなった自らの言説を取り繕おうとして、小林は必死になっているようです。

そのために小林が生み出した理屈が、「国際法は意味ないとも言えるが、慣習法だから育てるしかない」というものなのでしょう。

しかし、小林が言うように国際法が無意味なものであるならば、慣習法として育てることの重要性は失われてしまいます。「国際法は意味ない」と「慣習法だから育てるしかない」の2つの矛盾する言説を組み合わせている時点で、小林の理屈は破綻しています。

小林は、「恣意的な正義の執行をアメリカに任せても、中国に任せても、ロシアに任せてもダメ」と言っています。しかし一方で小林は、「日本が正義を執行できるように、強くなるしかない」とも言っています。

特定の国による恣意的な正義の執行は許されないけれど、日本がそれを行うのは許されると小林は言っているわけです。小林の主張は矛盾しています。

また、日本が強くなって正義を執行しろと小林が言っているのは、国際法は無意味だから力の正義を押し通せと言っているようにも解釈できてしまいます。

小林は「国際法は無意味」と言ったことを謝ろうとせず、矛盾を取り繕うための言い訳を重ねてきました。その結果、小林が唱える国際法の見解は玉虫色の主張となってしまったようです。

どうやら今の小林は正常な思考ができなくなっているようです。言い訳を重ねたせいで、今の小林は自分が何を言っているかさえも分からなくなっているのかもしれません。

自分が言っていることの意味さえも理解できていない今の小林には、言論人の仕事を続けていく資格はもはやありません。

世界情勢を論じながら読者の不安を煽るいつものやり方のようにも見えました。しかし小林のブログ記事の内容は、この後から明らかにおかしなものになっていきます。

激動の時代の到来を訴えて読者の不安を煽っていた小林は、ちぇぶのことを「敏感さ」「俊敏な機動性」を持っていると突然褒め始めました。ちぇぶをこれでもかと持ち上げた小林は結論でゴー宣DOJOのエンタメ路線化を正当化するに至ったようです。

ゴー宣DOJOが勉強会よりもエンタメ路線を選択するのは、運動団体として「公論形成」を目指すことの放棄に他なりません。幼稚なエンタメ路線は内輪向けのごっこ遊びに過ぎません。

ゴー宣DOJOのエンタメ路線化を正当化するために小林が生み出した詭弁とは、「変化できない奴は泥沼に沈む」だそうです。

小林が偉そうに世界情勢の変化について論じていたのは、ゴー宣DOJOのエンタメ路線化を正当化するためでした。

小林よしのりの主張を要約すると以下のようになるのでしょう。

「時代が激動期に入り、世界情勢の激動は我々の日常の激動へとつながっている。激動の時代を生き延びるために、ゴー宣DOJOは勉強会からエンタメ路線へと変化するべきである」

小林がブログに書いた一連の駄文は、全くもって意味不明な内容です。どう見ても筆者が正常な思考で書いた文章ではありません。周りの人たちは小林の頭脳の具合を心配しないのでしょうか。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519633444.html


私の気のせいかもしれませんが、コバヨシは大林批評のツッコミを受けて必死に取り繕って袋小路に追い詰められている感があります。

さて、明日になったらまた昭和世代のお婆ちゃんが無理してハイカラな手料理を作っていますという痛々しい画像と共に大林批評へのエアリプブログをあげるのでしょうね。滑稽至極。

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この記事へのコメント

大林わるのり
2026年01月15日 02:51
『世界大戦は始まるか?』
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44649
>わしは言論人の責任として、現在の危機的な世界情勢の答えを表明しておかねばならない。

小林は右派時代のころは反中・親台湾・タカ派であったのに、現在では正反対の立場に変節しました。どういう経緯で意見を変えるに至ったのか小林は説明をするべきですし、過去の言説が間違っていたのならば読者に対して謝るべきです。

ろくな釈明をせずに受け狙いで意見を変える小林は、無責任な変節漢と見られても仕方がありません。そんな小林が世界情勢について発言をしたところで、果たして聞く価値があるのでしょうか。

>そもそも「国際法」とは何かについて、言っておかねばならぬことがある。

小林が無責任な変節漢でしかないのは、「国際法は無意味」から「(国際法は)慣習法として育てるしかない」へとたった1日で転向したことからも明らかです。そんな人間が国際法について発言をしたところで、何も説得力がありません。

>したがってわしは「一人でもやる!」と覚悟を述べている。

小林のこの発言は、「運動のための運動を今さらやめることはできない」と言っているようなものです。『脱正義論』の著者だった小林は、皮肉なことに日常へ帰ることを忘れた運動家もどきになってしまったようです。

>幸い、門下生や公論イベントの協力者たちは、すでに関東設営隊隊長の「みーち氏」のように、設営を引き受けてくれると表明している。そういえば、「スキペン氏」には、年末のタクシー代を返したっけ?それから、横浜の「女はつらいよ」で、かっこよく腕を出して、わしの登壇を助けてくれた、「焙煎珈琲氏」は、ありがたかった。着物で草履で壇上に登るのがあんなに難しいとは思わなかった。

小王国のボスとなった小林は、シンパたちが自分に尽くしてくれることに満足して舞い上がっているようです。小林のこの体たらくは、「一人でいても寂しくない男になれ」という頭山満の言葉とは正反対の生き方です。

今の小林の姿は、イエスマンたちに囲まれて承認欲求を満たしているお山の大将にしか見えません。イエスマンたちに頼らないと自我を安定させることができない小林は、ある意味で可哀想な人間なのかもしれません。

>わしの可愛い門下生たちは、みんな凄いよ。女だけでなく、男も可愛いよ。君たちはなんで男に生まれてきた?女だったら、ハグしてやれるのに。

小林はパワハラ・モラハラ体質で「他人は自分が利用するための道具」と思っている人間のくせに、このブログでは門下生たちを褒めています。子供に虐待をする毒親や、女性に暴力を振るうDV男が、一時的に気まぐれで優しい態度を見せるのとそっくりです。

また、小林による「女だったら、ハグしてやれるのに」発言は、女性に対するセクハラと見られても仕方がありません。結局、小林は「女性の地位向上」を唱えているくせに、セクハラを何も悪いと思っていない人間であることが分かります。
大林わるのり
2026年01月12日 02:50
アメリカのベネズエラ侵略に対して、小林よしのりは1日5日のブログで「国際法は無意味」と断言しました。しかし、小林が「国作法は無意味」と言ったことについては、私は別の意味からも違和感を覚えました。

そもそも右派時代の小林は、戦前戦中の日本を正当化するために国際法を何かと利用していました。例えば『戦争論』で小林は、日中戦争で中国軍が便衣兵を利用していたことは国際法違反であると主張しています。

また、小林は数々の著書で、東京裁判は勝者の裁きであり国際法に違反していると主張していたはずです。東京裁判で日本を擁護したパール判事のことを、小林は「国際法の専門家」として持ち上げていました。

さらに小林は、大日本帝国が行った韓国併合に対しても、国際法的に合法だったという理由を使って正当化していたはずです。

小林が「国際法は無意味」と主張することは、中国軍の便衣兵を批判するための論拠や、東京裁判を批判するための論拠を失ってしまうことにもつながります。また、「国際法は無意味」と言ってしまうならば、日本による韓国併合さえも国際法を利用して正当化することは不可能となります。

「国際法は無意味」の立場に立つならば、小林は自分がかつて言っていた歴史認識とどう折り合いをつけるのでしょうか。

とはいえ例のブログを書いた後になって小林は、「国際法は無意味」の立場ではアメリカのベネズエラ侵攻を批判する論拠が弱いことに気付いたのかもしれません。もはやご存知ですが「国際法は無意味」とブログに書いた翌日(1月6日)に、小林は何の釈明もせずに変節をしています。

1月6日のブログで小林は「(国際法は)慣習法として育てるしかない」と主張し、1月9日のブログでは「国際法は意味ないとも言えるが、慣習法だから育てるしかない」と言うようになりました。

変節をした後の小林は、国際法に対しては慣習法としての意義を一応認めているようです。しかし、一方で小林は「国際法は無意味」の立場をまだ捨て切れていません。

小林がこのまま「国際法は無意味」の立場に立つならば、戦前戦中の日本を擁護するために国際法を利用するというやり方はもうやめるべきです。そうなったならば、『戦争論』などの著書で小林が唱えていた歴史認識は意味を成さなくなりますけどね。

小林による「国際法は無意味」発言は、彼が唱えていた歴史観自体を無意味なものに変えてしまいました。自分の著書で唱えていた歴史観さえも守り通せないようでは、小林は知識人としては抜け殻になったも同然です。

「国際法は無意味」とブログに書いた今の小林は、もはや言っている言葉に何の意味もない無価値な言論人と化したと決めつけてもいいでしょうね。