果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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何故渋谷で踊ったか
話題になったダンスシーンに限らず、映画「果てしなきスカーレット」において当惑させるような部分はすべて必然に支配されています。非常に誠実に丁寧に物語が紡がれています。古典がどうの、スポンサーがどうの、脚本家がどうの、などと言わず是非作中で起こったことに焦点をあてて見てください。思いもかけない豊穣な世界にきっと驚くと思います。
渋谷でのダンスシーンについて、その脈絡のなさや突拍子のなさに批判が向けられています。一方作品に対する好意的な考察は、ハムレットや神曲などの古典文学を前提としたものや、過度に抽象的な倫理や歴史の話に終止しがちです。ところがこの作品はそのような外部の資料を頼らずともほとんどの出来事が作品の内部、つまりセリフや行動、背景美術を丁寧につなぎ合わせることで自然な解釈にたどり着くことができます。
わたしの頼りない記憶を頼りに渋谷で踊る一連のカットへの導入を並べ直してみました。「インド映画みたいで楽しい」とか「急に踊りだして薄ら寒い」でなく、唐突に思えるこのシーンにも一つの必然的な流れがあります。以下にその経緯を箇条書きにします。
1.神様には言葉が届かないから踊りで祈りを示すという趣旨でキャラバンの言葉がありました
2.聖は踊れず彼らに笑われます
3.ここでは踊れないなら祈れない、あるいは願いがないから踊れないという因果があります
4.夢の中でスカーレットはカエサルなど歴々の国王が眠る棺に入ります
5.これは王族としてのスカーレットが個人になることを意味します
6.彼女は一旦復讐の軛から解き放たれます
7.聖はそこでスカーレットに現代の日本に来てほしいと願います
8.一方現世で聖は死を受け入れます(二人で歌ったしばらくあとに聖が夜空を一人見上げ星が昇るカットがあります、それが現世において聖が息を引き取った合図です)
9.死を受け入れた現世の聖が死に行く走馬灯のなかで神に踊りを捧げます
10.願うのはもちろんスカーレットを日本に呼ぶことです
11.そうして聖の走馬灯の中で二人が渋谷で神への祈りを踊ります
おそらくここに記したのはごく一部で、実際にはより精密な導入が設計されているはずです。この作品を一度ご覧になれば他の映画がより一層楽しめるようになると思います。
【号泣】ン十年ぶりに映画館で泣いた
久し振りに映画館で泣いた。しかも後半ガン泣き。
「憎悪からの許し」について、多方面からこれでもか、これでもかと突っ込み、描写し、それを2時間で描ききった、希代の作品と思った。
監督の強烈なメッセージを感じた(正直前作は絵がキレイ…が一番の感想だった)。
冒頭では極限まで高まっていた叔父への憎悪まみれだったスカーレットの心境を、
最後には「許そう」という穏やかな気持ちにまで持って行った、心情の揺れ幅の描き方が緻密で圧巻。
スカーレットの顔の汚れも、心境に沿って綺麗になっていく。最後は澄んだ目が特徴的だった
個人的な涙腺シーンは、物議のダンスシーンからのスカーレットの心情の変化とか、女の子との会話とか、聖の愛に触れて(これは必ずしも恋愛ではなく、キャラバンの人達との触れ合いを観て)心が柔らかくなっていくところとか。
それらに強烈に共感してしまった。
後は雑感です↓↓↓
・死後の世界を理解していないと表現できない事がいくつもある。監督は何者?
・広大な荒野は死後直後のスカーレットの心的描写。
・死後の世界は主観が強い。他者とは緩くつながる。
・心の傾向が近い人が集まる。だから欧州人多し。一方、日本の僧兵っぽい人がいたり、地域によらない描写もちゃんとあった
・死後の世界にも生活圏あり。生前の生活スタイルを引きずる死者は、飲食をする。闘争もする
・地獄に堕ちた人は、反省し、天国へ向かうのが最終目的だが、中々に気付かない人多し。
・作中のドラゴンは、天国に上る人を手助けする存在。天使だね。正体は鼻くそ爆弾ばあさん?
・あの世は主観により風景やできごとはコロコロ変わる。映画にしたらぶつ切りに感じるだろう。それが映画の評価に繋がったか…
・天国への門は、心の清い人でないと開かない。悪人が開けようとしても、決して開かない。
父は既に門の向こう。良かったね
劇場で2回目観たらびっくりするぐらい、もっと楽しめました
相変わらず賛否が両極な印象ですが「果てしなきスカーレット」は傑作だと思います。
最初の鑑賞から少し時間が空いて2回目を観に行ったのですが、前回以上にとても良かったです。
初見の時は内容を理解するのにいっぱいいっぱい。情報量が多くてオーバーロードしていたのだと思います
(かつてアンドレイ・タルコフスキーの抒情的な映像に圧倒されたのを思い出しました)
2回目は余裕を持って観ることができ、新しい映像表現への取組み、ストーリーもあらゆる仕掛けなどが本当に丁寧に、練りに練って展開されているなと感じました。
また、名優役所広司さんの重厚な演技や高い演技力を持つ主演のお二人も素晴らしい。さらにこれでもかってゴージャスな役者さんが多数出演して重厚感満載です。
この映画はあまり考えないで見る映画に慣れてしまった方が見ると最初の5分で圧倒されて拒絶してしまうのかもしれません。
とにかく”全集中”して鑑賞するという観かたが必要だったので。
劇場で良かったと感じた方は是非もう一度劇場・大画面で2回目の鑑賞をおすすめします!
(2回目は劇場特典ももらえてラッキーでした)
※細田監督のラストは定番の入道雲ですが、今回は流れる雲。今後はもっといろいろな
取り組みをしていくことが暗示されているかも?
「新しい日本のアニメーション表現への挑戦を感じました」ver2
評価が二分され酷評が主になっている”果てしなきスカーレット”ですが私には高い評価をしたい作品でした。
この作品は演劇の鑑賞をされている方や年齢の高い方の評価が高いような印象があります。演劇では現代と過去を同時に表現する演出も多く、シナリオが破綻とはあまり言われないと思うのでもう少しフラットに観られても良いように感じます。
”果てしなきスカーレット”に思うことまとめてみました
1.新しいジャパニメーションへの挑戦
”果てしなきスカーレット”は日本従来の手書きアニメーションとCG技術の融合が素晴らしいと思います。
手書き(二次元)のキャラクターと自然の融合が美しくなされています。
実写ではモーションキャプチャーとCGの合成で進化したアバターやロードオブザリングのゴラムのような映像がありますが、本作で取り組んでいる二次元から発してCGを融合してバランスをとっていくというアプローチは、日本のアニメーションが持つ絵の魅力と人手で描かれる動きのタイミングによって、フルCGや生成AIが計算・模倣する動きにはない生命力を感じさせてくれ、日本ならではの新しい技法に向かっていく可能性を感じました。
2.冥界と渋谷
”果てしなきスカーレット”の舞台(中世)であるデンマークに渋谷が唐突に出てきて、破綻しているという意見が目立ちますがこれはあえての演出だったと思います。
細田監督は来たるべきネット社会に向けての前向きな展望を描きたいと思っており、あえて日本が登場しているのではないでしょうか。(サイバー空間の中心は日本であってほしい?)
・渋谷のダンス、赦し
”果てしなきスカーレット”でスカーレットが聖(ひじり)によって癒され、救われるのは、平和で進んだ街並みと感じられる未来の異国の都市、渋谷。聖は彼が80年間戦争のない、日本で育ち、人のために無私の精神で子供を守った青年でした。
渋谷は中世の人スカーレットからみると天国のような明るい、平和な、紛争のない世界の象徴として描かれ癒しを与えられる場面となっていたように思いました。
中世では癒しが与えられるのは教会であり聖職者を通じて神から授かるもの。
聖(ひじり)という名前自体が=セイント=聖職者としてスカーレットに赦しを与える存在であり、彼の立ち位置は中世の聖職者としての位置づけだったように思います。
・唐突で意味不明と言われている冥界でのフラ(hula)のシーンについても、フラが神々への畏敬、賛歌、神に捧げられるメッセージであり、過酷な冥界で助け合う人々が神との交歓を表すシーンとして描かれたものだと思います。
3.OZ、Uのクジラと冥界のドラゴン
ネット社会の表現で”サマーウォーズ”のOZ、”竜とそばかすの姫”のUに登場するクジラ(管理者?)が明るいネット社会で祝福を与える存在、見守り役として出ていますが、”果てしなきスカーレット”でのドラゴンは見守るだけではなく、冥界で悪しき行為を行う存在に雷撃をくだす(悪を懲らしめる?)存在としても描かれています。
次回作以降、ネット社会の暗黒面に対するメッセージをしていく存在が表現されていくかもしれないですね。
4.信じる宗教を持つ人には自然なテーマ?
”果てしなきスカーレット”は信じる宗教を持った観客にはこの映画の”赦し”というテーマはすんなり受け取られるように思います。
なのでこの作品は海外での評価の方が高くなるかもしれません。
とはいえ、シナリオの完成度についてはもう一段高められる余地が多数あるのも事実かと思います。細田監督作品は脚本の専門家によるシナリオの構成や整理が入ると理解のしやすさや説得力が増すのではと感じます。
”果てしなきスカーレット”は時間を経たところで(劇場公開後?)、あらためて見直され”赦し”というテーマと日本の手書きアニメがCGと絶妙なバランスをもつ技術・表現を作り上げた作品として評価されていくように思えてなりません。
劇場の大画面でみる美しい映像を観ておく価値はあるかと思います。
いろいろな意味で次回作も楽しみにしたいと思います。
“果てしなきスカーレット”を観終えて
細田守監督の新作”果てしなきスカーレット“を観た。
ちょっと前評判が酷評だらけだったので多少の心配はあったが見終わった後はっきり言えるのはこの作品はまぎれもない傑作であるという事である。
確かに今迄の細田作品にあった明るさはない。どちらかで言うとかなり世界観はダークではある。でもそれがなんだ。ちゃんと物語を追って観てれば監督の言わんとしている事が分かるしその事によって最後には新鮮な感動に包まれるはずである(少なくとも自分はそうだ)。
この物語のテーマは魂の救済である。
それまで復讐に燃えてたヒロインがいかに自分という敵を克服して他人、そして自分を許すという境地にたどりつくかという物語だ。
ちょっと別話になるが実は私も自分の事が好きではない、というか嫌いだ。大嫌いだ。ことあるごとに失敗を繰り返す自分が嫌だし、その度に自己嫌悪に陥る。
ただそれで鬱になるのも馬鹿らしいしやはりいくら落ち込んでも明日はやって来る訳で(自◯しない限りね)やはり今日は駄目でも明日は立ち上がらなければならない。
この映画のヒロイン、スカーレットもそうで幾らボロボロにされようが罵られようが殺されそうにされようが彼女は決して諦めなかった。まぁ、諦めなかった要因の一つとして旅を供にする聖の存在は大きいのだが。
やはり(幾ら嫌いでも)自分の事を許さなければ他人の事を許す事は出来ないし他人に対しての思いやりも生まれない。おそらく細田守監督はこの作品を通してそういう事を言いたかったのではないかと思うのだ。だからこの作品は人間の普遍的なテーマも扱ってるし、傑作だと思う訳だ。
だから、最後に言わせてもらうけど、この作品を酷評する人々の感覚が全く分からない。あなた達は何を観ているのか。以上。
素晴らしい作品だと思います。
スカーレットは父親そっくりの優しい性格の聖との出会いの中で愛を悟り、自分の中の燃えたぎる復讐心との葛藤に悩まされることになる。
父親が最後に残した言葉の本当の意味を悟った時、スカーレットは復讐に囚われてきた自分自身を許し、相手を受け入れることができた。
その結果、長年自分を苦しめてきた復讐心、憎悪の心を手放すことができ、心が解放され自由になる。
父親は娘には自分の人生を歩んで幸せになってほしかった。
自分のせいで復讐に囚われてもがき苦しむ人生を歩んでほしくなかったのだろう。
だからこそ最後に「許せ」という言葉をスカーレットに伝えたのだと思う。
許すことが自分を救うことに繋がる。
苦しみと葛藤の末にその心境に至るまでの過程が鮮明に描かれている作品だと思いました。
それと同時に憎しみによる負の連鎖を断ち切ることが戦争を無くし多くの人を救うことに繋がることも伝えたかったのだと思います。
とにかく色々なことを考えさせられる良い映画でした。
生死が交わる場所って、きっと複雑。だから単純に理解できないし、感じ方はそれぞれだと思う。
人それぞれの感じ方を持たせてくれる、そんな映画でした。細田守監督の作品は欠かさず観て育ってきた身として、『時をかける少女』や『サマーウォーズ』のような なつかしさではない、異文化体験・生死が交わる場所という異空間を体験できた気がします。こういった単純な勧善懲悪ではない作品がどんどん面白くなってきて嬉しいです。
物語のベースにもなっている復讐劇の『ハムレット』や16世紀のデンマークについて、実はちゃんと知らないのですが…汗( ՞⌓°⎞ある意味でちゃんと学びたくなりました。
映像美や音楽も含めて、素晴らしい作品です、またリピートしたいです。
【追加の追加】2回目の鑑賞の考察(思い込みも含めて) 【追加】映画批判者に対するコメント 映画を見ました。正直な感想ですが十分見ごたえがありました。
【追加の追加】
2回目鑑賞してきました。(入場者プレゼントのミニ色紙はオオカミこどもの風と雪でした。)
冒頭でスカーレットが毒を盛られ倒れて苦しんでいるのに、母親は眉ひとつ動かさず、見ているだけでしたが、明らかに継母ですね。自分の腹を痛めた子供だったらこんなに冷徹にはなれません。
説明がないので想像ですが、実母はスカーレットが小さい時か、生まれてからすぐ亡くなり、この時代の王族は自分の意思で結婚はできず、父王の先王が王族か貴族の中から、次の王妃(継母)を決めたのではと思います。
叔父王と継母は昔から引かれ合い結婚を望んでいましたが、先王が決めたことには逆らえず、結果として仲を引き裂かれ、恨みを持っていたのではと思います。
継母も父王との子があれば、また心境も変わったのかも知れませんが、父王が自分に対して愛情がないこと、スカーレットを溺愛して、そのスカーレットも大きくなるに従い実母にどんどん似てくる。(多分同じ赤髪) 父王は実母を今でも愛していると思いこみ、嫉妬と恨みが最高潮になっていたことが想像できます。
スカーレットが復讐のために幼少の頃から武術を鍛えていましたが、従者が常に付き添っており、おそらく叔父王に内通している者がおり、スカーレットが恨みを募らせていることは逐一報告されていたと思います。
舞踏会の夜も叔父王に睡眠薬を仕込むことも内通者から筒抜けであり、元からスカーレットの復讐は失敗することが決まっていました。
しっかりしているとは言え、所詮はお姫様であり、簡単に人を信じて裏切られています。
(その人を信じやすいと言うのは長所でもあるのですが)
スカーレットが腕に銃弾を受けて聖が治療のため、服の袖を切り取ろうとした時、スカーレットが恥じらいを見せたことを揶揄している人がいますが、16世紀の女性で、ましてや王族であり、高い貞操観念の教育を受けているはずで、頭では治療のためとわかっていても、思わず、拒否の反応がでてしまったことは全く不思議ではありません。
現代のイケイケギャルならいざしらず、昔のしかも高貴の出の女性ならば、どの国でも恥じらいを見せるのではないでしょうか。
スカーレットは復讐のためには人殺しも厭わない武闘派、聖はスカーレットを止める穏健派だが最後は人殺しに加担している。と批判している人がいますが、スカーレットは生前に復讐しようとしましたが、実際には人は殺しておらず、聖も死者の国は夢想の中なので何人倒そうが幻影であり人殺しをしたことにはなりません。
夢の中の罪が現実社会の罪になるならば、世界中の人は全員、犯罪者になります。
私も聖の登場にはスカーレットの夢想の中の話だけでは説明がつかないと思っています。
(現代日本の渋谷はスカーレットの過去の記憶にもないはずで夢に出てくることはない)
まあ、どの様な映画、小説でも何から何まで理路整然として伏線回収があるわけではなく、説明のない所は鑑賞者が予想、想像で補完して楽しむしかありません。(死の直前の者同士の意識が時間と空間を超えてシンクロしたのか、神の気まぐれか、悪魔の悪戯か)
今まで肯定的な意見ばかりを書てきましたが、ちょっと気になるところはありました。
スカーレットが毒を飲まされて効いてくるまで相当時間があり、こんな遅延性の毒薬があるのか、それとも1種飲むだけでは効かず、2種を混ぜた時だけ効く毒薬か?(スカーレットが毒薬で倒れた時、盃を持っていたのか、一緒に転がっていた)
スカーレットが「見果てぬ場所」へ続く透明の階段を上がるシーンでスカーレットの服が女子高生のチェック柄のスカートに見えて、また旅の途中に貰った赤いスカーフも首に巻いているので、余計に女子高生感があった。それ以降は昔のデンマークの軍服はこんなにオシャレなのかと気になって仕方がなかった。
16世紀のデンマークを舞台としているが、あまりデンマーク感がなく、またこの当時、普及していたキリスト教も存在感がないので、この映画をデンマークの人が見ても?になるのでは?ヨーロッパの架空の国と言うことでもよかったのではと。
2回目の鑑賞でも確信しました。(製作側は特に発表していないので私の思い込み)
やはりスカーレットは毒を盛られて死んだのであり、その死に至る10秒にも満たない時間で見た夢の中で色々な思いを巡らせて、本当の自分の気持ちにたどり着き、幸福感に包まれて一生を終えたのであろうと。
現代に生きる私たちはスカーレットほど過酷な運命にはありませんが、やはり色々な悩み、つまずき、葛藤があり、どの道に進めばよいのか、どう生きればよいのか絶えず、思い悩んでいます。
スカーレットの様に最善の答えがつかめる様に今の生き方でよいのか、つまらない考えに囚われていないか、絶えず自問自答して答えを見つけていくことが大切と言うことかも知れません。(本当に重要なことは他人ではなく自分で決めるしかない)
【追加】
批判している人の特徴として話が分からないみたいなことがよく書かれていますが、映画の冒頭や、事前の各メディアに公開した筋書でスカーレットは叔父王に復讐が失敗して死者の国に落ちたとあり、これはスカーレットが見ている夢であり憎悪、恐怖、願望、宗教観、悲しみ、希望がドロドロに渦巻いた精神世界であり、急に人が出てきても、いなくなっても、非現実的な場面でもスカーレットの夢の中なので不思議はありません。
あの空を飛んでいる龍の様な生物もスカーレットが想像する人智を超えた罰と救いを与える神の様な存在が具現化したものと思います。
人の見ている夢なのにおかしいとケチをつける人はどうあれば納得なのか、もしかして死者の国は実際にあり、我々の世界と同じ規則、空間、時間が流れているとでも思っているのでしょうか。映画の設定を事前に学習していればわかるはずです。
(そもそも16世紀のデンマーク人のスカーレットと現代日本の聖が普通に会話していることが現実ではなく夢だと言うことを表しています。)
これはスカーレットの脳内で起こっている夢想であり、本来は誰にも見ることはできませんが、映画鑑賞者は言わば神の視点で見ているのであり、その神様がここがおかしい、ここが変などと重箱の隅をつつく様な事ばかり言っていると他の神様(映画鑑賞者)から笑われますよ。
声の大きいインフルエンサーが駄作だと言い出すとそれに影響を受けて映画をよく理解しようともせず同じ様に批判をしだす人たちは、自分の意思があるでしょうか。
「共感できない」「筋書に置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」「過去の細田作品ではなく落胆した」と言う他人が使用したフレーズそのままで批判している人がいますが、映画主人公に必ずしも共感する必要はなく、私もスカーレットの執念深く、頑固ともいえる復讐心に何故、もっと楽に生きないのかといらだちました。
「筋書きに置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」も学校に置き換えれば、予習もせず、授業についていけないのは当然です。
「過去の細田作品ではなく落胆した」もこれだけ事前の情報、映像も出て、明らかに過去の作風とは異なるのに、映画を見て落胆すると言うのは完全に予習不足と思い込みが強すぎるのでは?と言うしかありません。
よく批判者には「時をかける少女」「サマーウオーズ」を手放しで称賛する人がいますが、「時をかける少女」のタイムリープの原理、回数の制限があると言う謎設定、過去にタイムリープを繰り返すと未来が大幅に変わってしまう。と言う問題をどう折り合いをつけているのか、SFの設定としては非常に甘く、こんな設定でみんな文句も言わず納得しているんだと驚きます。
また「サマーウオーズ」で世界危機にたまたま、数学の天才とゲームの達人が同じ場所にいて、たまたま原因の人工知能を開発した犯人も身内でと言う究極のご都合主義なのに、それを誰も疑問に思わず、簡単に受け入れていることに驚きです。
要は映画を面白くするためには現実にはありえない、ぶっ飛んだ設定をすることも必要でそんな細かいことを気にしていては映画を楽しめないと言うことではないでしょうか。
この2作品は脚本が優れていると言われていますが、今回の作品は脚本で物語が小綺麗に起承転結にまとめられるより、脚本に制限されず表現したい映像、演出を優先したのだと思います。
映画の批評は必要ですが、あまりにも執拗であの大阪万博開催前、開催後に繰り返されたあのネチネチと揚げ足取りの様な批判のいやらしいさとそっくりです。いったん標的を見つけると傷口に群がる蠅のようにどこからでも湧いてきて批判を繰り返す。映画を見て満足した人を不快にするコメントを繰り返し、自分が見て満足しなかったからと言ってまだ見ていない人にも見させない様に妨害する様なコメントなど、もし本当に映画に不満ならば、「自分には合わなかった。」と思って高評価のズートピア2の批評欄にでも行ってはどうかと思います。
声優についは鬼滅の様に登場人物がハイテンションで必殺技を連呼するならば、言語明瞭、歯切れのよい美声の声優でもよいかと思いますが、この映画の様にダークな世界ではむしろ言語明瞭の必要はなく年齢に応じた声優の方が雰囲気があり、素材(映像、演出)の邪魔をしないと思います。
プロの声優を使えば、化学調味料の様にどんな料理も一定の水準にはなるかと思いますが、監督はそれを良しとしなかったのだと思います。(宮崎監督も同じなのでは)
終盤でスカーレットが「生きたい」と連呼する場面で批判者は鬼の首を取ったようにワンピースのパクリと連呼していますが、生きる気力をなくしている者を「生きろ」と励まし「生きたい」と言わせることは、人間の普遍的な行動でありおかしくありません。アニメ界ではワンピースの専売特許で「生きたい」と言う言葉は誰にも使えないとでも思っているのでしょうか。
映画の宣伝で大ヒット上映中と宣伝していることを揶揄している人がいますが、作品評価と動員数は関係はありません。映画製作関係者はこのような人たちも相手にしなくてはならないので本当に気の毒です。
この様な批判を見ているとadoさんの歌の歌詞が頭の中でリフレインします。
「♬ 一切合切凡庸な♪ あなたじゃ分からないかもね ♫」「♫ 閉じろ ♫ 閉じろ ♪ その口 閉じろ ♬ 助言など頼んではいない ♪ 」
【初回感想】
映画の冒頭でスカーレットは叔父王に復讐しようとして逆に毒を盛られ、昏睡状態になり、その夢想の中で死者の国に落ちたと言う設定になっています。
他の方の批評で「話が分からない」「筋書きに必然性がない」「登場する人物がおかしい」「ご都合主義だ」と言う様な意見が散見されますが、人間が眠っている時の夢とは元々その様なものであり、どんな描き方でもそれはスカーレットが見ている夢だと説明できると思います。
スカーレットは夢の中でも復讐を果たそうとしますが、色々な出来事、人物とのふれあいで考えが変わっていきます。
夢の中の登場人物は他人ではなく、もう一人の自分、その他大勢も、もう一人の自分であり、自問自答を繰り返して、本当の自分の気持ちにたどり着いたのではないでしょうか。
最後に昏睡状態から回復して目覚めますが、これもまだ夢の続きであり最終的には死に至ったと思っています。
理由は「目覚めても夢の中で切った髪は短いままになっている」「聖に手当てしてもらった手の包帯がある」「叔父王が盛った毒は確実に死をもたらすもので、解毒剤が効くとは思えない」「都合よく叔父王が間違って毒を飲み死んでいる」最後にスカーレットは王位についてハッピーエンドに見えますが、これも死の最後に見た夢であり、復讐心のままで死ぬのではなく、他人も自分も赦すことにより、本当の自分を取り戻して虚無にならず、魂は天へ昇って行ったのではと思います。(父王と再会できていればうれしい)
以上、あまりにも評判の悪さで色々学習、自分なりに設定を考えて鑑賞しました。皆様も他人の批評には影響されず、自分の目と耳で聞いて映画の評価をすることをお勧めします。
どうなってんだ・・?物凄く良かった
空き時間が出来たので暇を潰しに映画館に足を運び
未鑑賞で時間的に都合がつくのがこの作品と「金髪」だけだったのでこっちを選択。
巷で酷評されているのも勿論知っていたし
全く期待せずに、寧ろどんなダメ映画なんだろうという期待を胸に鑑賞しましたが
あまりにも良すぎました どゆこと?
中世を舞台にした復讐劇かと思いきや
過去も未来も繋がった「死者の世界」を舞台にした中世を生きた少女と近代社会を生きた青年の出会いの物語。
正直シナリオは世界観もよく解らない内に説明も何もなく事が進行する所が多々あり「考えるな、感じろ」
と言った所。
しかし話の進行するテンポはよく、映像はとにかく動きがあって見てて飽きない、不思議なほど退屈しません。
復讐だけを誓ったはずの少女の一つの出会い
あり得たかもしれない世界で
一瞬垣間見えた青春の煌めきが
少女の価値観と感情を揺さぶっていくのです。
↑こんな感じの見せられて泣いちゃいます。
観客少ないんで泣きやすいんでオススメです。
今まで世間であまり評価の良くない映画を実際に見てみて「思ったよりは楽しめた」事は何度かありましたが
ここまでぶっちぎりで良かった作品は初めてで、ちょっと混乱状態です。
その勢いで初めて映画レビューというものを書いてしまった次第であります。
商業的に大失敗っぽいけど
これは本当見に行って良かった。
追記
12月18日
前回は不意打ちで感動させられてしまったので
もう一度見ないと正しく評価出来ないと思い
リピート決行
前回はなかった入場者特典をもらいいざスクリーンへ。
いや、どう考えてもやっぱり本当素晴らしすぎる。
映像美に改めて気付かされて圧倒されてしまった
それ以上に、とにかく愛に溢れた作品だなーと。
鑑賞後に心になんか良いものが残ります。
この作品が巷で酷評で溢れているのは
自分の感覚ではちょっとよくわからないなあ。
果てしなきスカーレットの酷評をみて
果てしなきスカーレットの酷評をみて
ただ、悲しくなる。
こんなに深い作品は、他に本当に無いのに
これに相対しない人が、
これほどに多いのかと
GPTと話し続ける。
戦いの業、死後の救い、
愛とは、赦しとは、許しとは、
魂の向かうべき方向、
求める魂の叫び、苦悩
聖書の一場面のような群衆の心
この許しを
自分を許すという
自己啓発的な視点で
捉えられることに、違和感を持つ。
GPTと話してた
段階0:許せない世界(スタート地点)
段階1:自分を責めるのをやめる(自己否定の解除)
段階2:自分の足で立つ(自立・責任を引き受ける)
段階3:愛と共に生きる視点(自分+他者+世界)
段階4:他者を赦す(相手の存在をまるごと認める)
段階5:魂レベルでの許し(祈りとしての許し)
段階6:善悪を超えた受容(すべてを抱きとめる愛)
キリストもブッダも段階4ぐらいの話はしている。
ごく稀だけど、段階3で生きている人を見る
そもそも、僕も含め多くの人は、段階0を
揺れ動いている。
そして、死後、霊の世界がわかるなら、
段階5-6の世界が理解できるのかもしれない。
善も悪もなく、愛は唯あるということ
物質の体では、たどり着けない境地
赦しとは、全てを包み込む存在
それは、人間的な赦しではなく、
当たり前の赦し、存在、構成要素
当たり前の事、
そう、つまりワンネスなのか?
そして、映画でも描かれていた
真の王は、死後の地獄にはいない
争いの輪廻、業からの解脱
奪う事ではたどり着けない
明け渡す、委ねる、受け入れる
その先に、答えがあるのか?
ガラスの階段、大学生の時に読んだ物語
ここで出てくるのか、って思ったけど、
そう、見えないものを信じれるのか
見えないからこそ信じるのか
そして、そもそも、信じることさえ不要なのか
自己存在の定義
自分は、体なのか、心なのか、魂なのか
それを、頭でなく、心でなく、魂で実感すること
知識でなく、知恵でなく、体感として、感じること
やっぱり、
深くて、優しくて、愛がある
最高の作品のように思えるけどなー
素晴らしかった
現実主義者と理想主義者の相互理解により自己理解が深まっていく、といった表現が心に響いた。
部分的には仏教的であり、憎しみという「執着」から解き放たれるお話だったように感じる。
日中関係に亀裂が生じている中、この映画が公開されたことは運命的でもあり、タイミングが悪かったとも受け取れるが、このタイミングだからこそ細田監督は「持ってる人」だなと私は思う。
扱いが難しく、でも今世界的に大切ではないかと思われるテーマをご自身の言葉で正直に描いているのも素晴らしい。傑作だと思う。
作中何度も登場する竜は「天罰」を与える神様のような存在ではないと思う。
憎しみや怒りを抱えたまま生きた人間は新たな憎しみを呼び、そのループの中に彷徨い続ける。
竜はそのような「終わらない悪意や怨恨」を象徴した存在であるように思う。
少し突飛な想像かもしれないが鳥の集合体として描かれる竜は、鳥をシンボルマークとしているTwitter(SNSに渦巻く悪意)のメタファーのようにも解釈できる。
クローディアスは天罰をくだされたというよりは、悪意を肯定し尊重することで悪意を呼び込んだように見えた。
悪意を自分の原動力として動く集団に取り込まれてしまったような印象を受けた。
竜が現れるタイミングには決まりがあるようで、人が人から悪意を持って何かを奪う瞬間に現れる。
聖が終盤で矢を放ち相手の命を奪ったシーンが肯定され竜が現れないのには意味があると思う。
大切な人を守るために戦う行為は作中否定されていないということだと解釈している。
むしろ、力とは「大切な人を守るために使う」ものだと。
道中でキャラバンの女性から譲り受けた楽器を売り弓具に買い替えるシーンがあるが、
険しい道中を覚悟し、大切な人を守るために戦う覚悟を持った瞬間を描いていたのかと想像する。
聖は通り魔に刺されてしまった時に、意識が薄れていく中で、守りたい人(子供たち)を守れたのか判別できない状況を後悔したのだろう。
老婆に「お前がここにいる意味は何だ?」と問われ、強く「守りたかった」と思ったのではないか。
聖はあの場面でやっと自分が「死んでいた」ことに気付いたと思う。
心の疲れている人には響くのかな
評判は悪いですが、自分の目で確かめもせずに評価するのは卑怯です。
「食うてみにゃ分からん」
の覚悟で鑑賞しましたが、とても面白かったです。
少なくとも、宮崎駿さん監督の後半ジブリ作品よりも遥かに良かったです。
ヒロインの渋谷でのダンスシ一ン、追い詰められて張り詰めていた精神の逃げ道として、聖くんの心とシンクロし理想の情景を思い浮かべていたのなら、唐突感はともかく、シチュエーションとしてはアリだとと思いました。
故高畑勲さん監督の「竹取物語」のラスト近く、月からの使者がかぐや姫を連れて帰る時、サンバ調のリズムが流れますが、見知らぬ世界に連れ去られるかぐやが、不安を揉み消そうとする心象を暗喩していたと思います。
細田監督がこの渋谷のダンスシ一ンで目指した精神性も、これに近いのでは無いでしょうか?
現職時代、パワハラ上司に会議室に内鍵を掛けて閉じ込められ、「教育指導」という名目で体罰及び精神的な拷問が続いた時期が有りました。
週に2〜3度、半年近くも続いたでしょうか、心を病んだ私は、上司に「すみません、すみません」を繰り返す一方、別の心の片隅ではサンバ調のような軽快なBGMが流れるようになってしまいました。
恐らく、自己防衛本能で、無意識に心の逃げ道を作ったのでしょう。
自分の個人体験はともかく、評価の分かれるこの作品、面白かったと感じた人は、私と同様、少し心が疲れている人かも知れません。
もっとも、そんな方ならば、たとえ面白くなくても、舌鋒鋭い悪意のあるコメントは投稿しないでしょうが...
演出面、アニメ、全て良かったよ
アニメの面で言えば所々実写が織り込まれていたり、斬新な手法があり、それだけでも楽しめた。またアニメというよりミュージカル的な演出手法が使われているのもポイント。途中で挟まれるダンスシーンとかね。アニオタには違和感だったようだが演劇好きな人には自然なのですよ、アレは。格闘戦のシーンも妙にリアルな演出だった、この前のスラダンと同じモーションキャプチャーを使っている為かも。
ストーリーは男がナイーブな動きをして(平和ボケ的な ややイライラするのだが、途中から価値観の転換というかむしろそれが正しいのでは?と思わせる仕組みになっていたよ。ダンスシーンとか特にね。どの時代に生まれていれば、もっと幸せになれたのかも、とかね。
本来なら来週打ち切りでなく、もっともっと上映されてもおかしくない映画だったと思う。
ダンテの「神曲」とユング心理学の観点から理解したら非常に明確な構造を持っている。
やっと「スカーレット」観ました!!
まず何より直感したのは、ダンテの「神曲」ですね。
そして、作劇術や画面構成、殺陣(タテ)の素晴らしさ、モロ黒澤明やないですか!!
「黒澤やろ?」というレビュー、他に観たことないんです。
黒澤さんって、実はゲージュツではなくて、猛烈に大衆的な作家と思ってます。
セリフでみんな説明しちゃう。
まあ、セリフに依存しないというのは、「夢」は違うかもしれませんが。
根底には人類への信頼のメッセージがある。
「生きる」のオチは辛辣ですが。
細田さんはすぐに幅広く受け入れられないであろうこと覚悟の上。
「やがて私の時代が来る」
ご存知かとおもいますが、作曲家兼指揮者のグスタフ·マーラーの言葉ですね。
ま〜、ベートーヴェンすら、当時は「前衛音楽」そのものだったわけで。
ウエーバー、ロッシーニなどの初期ロマン派作曲家たちからも浮いていた。
ベートーヴェンは定石破りの破格と即興性があってのベートーヴェン。
でも同時にあれほど構成的に曲を作った人はその後にはいない。
細田守は日本のアニメ界の黒澤明かつベートーヴェンになってしまった!
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この物語、スカーレットと聖が出会った直後に、2人はイタリア語の碑文に遭遇します。
"Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate"
「汝、一切の望みを捨てよ」
ダンテの「神曲」、第一部地獄編で、地獄の入口に掲げられている有名な言葉です。
細田さんはこうして、「これから描くのはダンテの神曲やからな!!」と親切にも宣言してくれているわけで。
聖は「神曲」でいう、ダンテの導き手であるウェルギリウス。
ところが、第一声地獄篇、第二部煉󠄁獄篇で同行していたウェルギリウスは、第三部天上篇が始まるともはやダンテに同行しなくなる。
後述するベアトリーチェが代わって導き手となります。
だから「神曲」の第三部である天上界=「見果てぬ地」の登頂には聖は随伴しない。
ところが、スカーレットはダンテの永遠の女性であるべアトリーチェという二重性を持ち、最終的には聖=ウェルギリウス=ダンテを救済する。
スカーレットも聖に救済されている。
だから、スカーレットも聖も、見方を変えればダンテ役ということにもなりますし、ベアトリーチェ役ということにもなります。
つまり、ダンテ的にとらえるだけでも、この2人は3重の役割をおわされている。
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ユングの書いた、「変容の象徴」という、ユングがフロイトと訣別して多大な神経症的苦悩を経てやっとのことで書き上げた畢生の大作がありまます。
この著作で出てくる「夜の航海」という概念があります。
これは、古代エジプトにおいて、太陽神は日没後海の底から海底の空洞を抜けて反対側に戻って再び海から天に登るとされていたことに由来します。
これを人間の一日の営為と読み替えられるわけで、すべてはスカーレットの一夜の夢の出来事ということになりますし、スカーレットが、神曲第三部でいう「見果てぬ地」=天上界からまずは海に浮上するのも当然。
ユング的にいえば、夢の中に登場するのは、たとえ人間でなくても、いや、モノであっても、自分の分身とされます。
いわゆる「アニマ」「アニムス」「影(同性に限る)」「老賢者」とか。
これらは皆邪悪なものではなく、これまでの自分が生きて来なかった「可能性」。
この観点からみたら、「スカーレット」はとんでもない広がりと深みをもった作品となり、とんでもない人物相関図になるわけで。
「お前が探しているのは自分自身」
「自分自身を許せ」
物語は、すべてスカーレットの精神内界での、自分の意識していなかった自分の分身との対話であり、「個性化」に向けての成長過程ともとらえられます。
おもしろいもので、ユングは、アニムス(女性の内なる男性)をは必ず複数だと書いているんですよ。
……っつうことは、あの四天王は、スカーレットの「自我」(通常の意識的自己)を取り囲む円形のマンダラということになります。
4人いてこそ調和と人格統合の象徴。
上空に導師さま、更に上空に竜がいて、下にクローディアス(=実はスカーレットの一番の分身!)がいるという立体構造。
ユングのいう「英雄の犠牲」というのは、「変容の象徴」のクライマックスです。
要するに、異界でラスボスを倒した英雄は、現世に帰還する際に必ず何か大事な存在を犠牲に捧げざるを得ず、身体に、現世に戻っても残る、何らかの「刻印」を負う、ということで。
細田さん細田さん細田さん〜〜
私の恩師が、わけわからんと放り出した本やで〜
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ある方が、スカーレットが復讐をやめて今を生きる決心をするに至るまでの説得力についてSNSで疑問を呈してきたので、次のように解答しました。
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この点は、父王が、「自分自身を許せ」という意図だったことがスカーレットに理解され、クローディアスが実はスカーレット自身の「影」……ダークサイドであったことがスカーレットに悟られ、スカーレットが現代にタイムスリップして今の自分と全く異なる生き方の可能性に気づき、来世で聖と結ばれるような国づくりを決心する……という、綺麗な展開になってるかと。
(うわ〜、壮絶ネタバレ)
もんのすごく納得してもらえた(笑)
更にその質問者(ゲーム好き)から、
「ずいぶん遠回りな道行きなんですね」
との感想が得られたので、更にレス。
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そのゲームは知りませんが、もう無っ茶遠回り。
ダンテの神曲そのものが、すり鉢状に螺旋を描いて地底の地球の中心に鎮座するルシファーに遭遇し(ここまでが地獄篇)、地下のトンネルを抜けて地球の反対側の地上に出て、富士山状の山を螺旋に登り頂上に到達し(ここまでが煉獄篇)、最後に天上の天動説的宇宙を周回する多層天をひとつづつ巡り、やっと神と邂逅するという、延々螺旋状の道行きですから。
恐らく数多くのゲームに影響与えてる、ステージ&階層構造では?
涙が溢れました。
見てよかった。
映画館で見てよかったです。
スカーレットがどうなるのか、純粋に応援しながら見ていました。聖の行動が、この世界で何言ってんの?って最初は思いましたが、スカーレットもだんだん心が救われてきて、これって1番大事なことなんじゃないかなと感じてきました。
死の世界なので、全体的に暗い場面が多いですが、スケール感に引き込まれるし、逆に癒される場面や、海の綺麗な場面が引き立ちます。
芦田愛菜ちゃんの最後の綺麗な歌声にも感動しました。
皆さんの、厳しい評価を見て、びっくりです。
変にここはおかしいとか、全くかんじませんでした。
この映画を見終わって、監督が伝えたかったことは、これだったんだなって感じました。
最後にスカーレットが気づいた事も、今の自分に響きました。
とても良い映画でした。
細田学監督最高
ネガティブな投稿が多いけども、私はとても楽しめたし、最後は涙がでた。
なぜスカーレットが死者の世界にグローディアスがいることを知っているのかわからないとコメントしている人がいたけど、それは謎の老女から聞いたからでしょう。いきなり踊リだすと投稿した人がいたけど、それはキャラバンの老人達と仲良くなった聖が踊れと言われたからでしょう。
またスカーレットが現代の渋谷で踊っている聖やもう一人のスカーレットを見るのは、スカーレットが時を越えたと言ってるじゃないですか。そもそも、死者の世界にいるスカーレットや聖、グローディアスも肉体は元の世界にあって、霊魂のような存在なのかなと思いました。
ハムレットがしたじきになっていると聞き、原作は救いのない悲惨な物語(戯曲ですけど)なので、どうなることやらと思いましたが、原作と違って素晴らしかった。客席は空いていましたが、この時期インフルエンザを気にせず見られたのでよかったですす。
興行的には失敗だったのかもしれなませんが、名作だったと再評価される時がくると思います。となりのトトロしかり、ルパン3世カリオストロの城しかり。
他人の評価は気にせず観に行きました
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