フリーライティングはいいぞ
最近フリーライティングにハマっている。
フリーライティングというのは、5分や10分など制限時間を決めて、その間ずっと手を止めずに頭に浮かんだことを書き続けるというものだ。
巷ではジャーナリングやモーニングページとも呼ばれていて、その目的はメンタルセルフケアだったり発想術だったりと様々だが、やっていることは基本的に変わらない。
振り返らず、省みず、とにかく書き続ける。
一度書いたことは修正してはいけないし、次に何を書こうかと立ち止まることも許されない。
何だか難しそうに聞こえるかもしれないが、実際にやってみると、これがなかなか面白い。
私は遅筆にずっと悩まされている、という記事を先日投稿した。
この記事の中で「遅筆の主な原因は書きながら推敲してしまうこと、つまり自己検閲にある」と書いた。
フリーライティングはいわば、その自己検閲のプロセスを意図的に排除する儀式といえる。
果たしてその効果は絶大である。
先の記事で、普段私は小説などの長文を1時間あたり数百文字程度のペースで執筆していると書いたが、フリーライティングではなんと10分あたり大体1300~1500文字も書けてしまう。
単純計算で10倍以上の速度という、まるで別人のような変わり様だ。
しかもそれだけではない。
フリーライティングは、楽しい。
書きながら推敲するというのは、例えるなら机に向かって文章を書いているとき、その背後に編集者が腕を組みながらずっと立っているようなものだ。
肩越しに常に見張られていて、一文書くたびにああでもないこうでもないと厳しい指摘を浴びる。
思うままに書くことなんて到底できないし、否応にも身が縮こまってしまう。
そんなイジワルで鬱陶しい編集者を、フリーライティングは部屋の外に追い出してくれるのだ。
今までの私は、自己検閲のフラストレーションに押し潰され、最後まで書ききれずに終わってしまうことがままあった。
同じ轍を踏まないためには、執筆と編集のプロセスを明確に分けること。
つまり頭の中にあるものを一旦パーッと全て書き出して叩き台を作り、あとから存分に推敲する。
その方が精神的にずっと楽だし、のびのびと書ける。
速く、楽しく、ラクに書ける。
何だか良いこと尽くめのようだが、欠点もある。
フリーライティングは、あらかじめテーマや論理展開を仔細に思い描いたうえで書くこともあるが、基本的には行き当たりばったりというか、当たって砕けろな作業だ。
文の構造にまで意識を配る余裕はあまりないので、主述や係り受けが乱れたり、表現が重複したりなど、一文一文のクオリティは平均的に下がる傾向にある。
また、構成もどうしても甘くなる。
次に書くことがぱっと浮かばないときは「さて、次は何を書こうかな」なんて書いてお茶を濁したりするし、気付いたら話題が脱線していたりもする。
勢いこそあるが、主題に説得力を持たせるとなると相当な手直しが必要になる。
目下の関心事は、そうやって生み出された荒削りな文章を作品として仕上げるにはどうすればいいか。
そのメソッドを模索することである。
この記事もその練習の一環として書いたものだ。
8分のフリーライティングで書いた1200文字弱の文章を約2時間こね回して、どうにか胸を張って世に送り出せそうな記事に仕立て上げた。
時速にすると700~800文字といったところ。
以前までの私のような書きながら推敲するスタイルだと、おそらくもっと時間がかかっただろうし、そもそも最後まで書ききることすらできなかった可能性も高い。
そう考えるとなかなか上出来ではないだろうか。
フリーライティングでの執筆速度がそのまま生産速度とイコールになることは、きっと未来永劫ないだろう。
だが修練と工夫次第で、その差を縮めていくことはできるはす。
そう信じて、これからもフリーライティング道(?)を追究していきたいと思う。



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