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仮説:Isekai作品の究極の目的は、新しい神話を作ることかもしれない。~神話・文学・エンタメの先に現れるものとしてのWeb小説~

忙しい人のための記事概要

 Isekaiは「近代的洗練」を意図的に捨て、ランキングという制度に奉仕する現代の神話として振る舞っている。
 本稿はその仮説を、五つの「テンプレ」と呼ばれる要素を通じて検証し、また「ランキング至上主義」がいかにして共同体のアイデンティティになったのかを考える。

はじめに・「テンプレ」って何?

 筆者は毎期、Web小説原作のIsekaiアニメを観ている。
 「Isekai」というのは、地球ではない異世界を舞台にしたファンタジー作品で、web小説を由来としていたり、ゲームのような設定を内包していたりという傾向を持つ作品群のことだ。
 これらの作品は「なろう系」と呼ばれることが多いのだが、すでに「小説家になろう」は特段「なろう系」のための場所とは言えなくなってきている現状があり、今のところは代替的に「Isekai」とアルファベット表記で呼ぶことにしている。

 とにかく、Isekaiアニメをよく観ている。 
 かなり文句を言いながら、しかしそれなりに楽しんで観ている。
 なぜなら、Web小説をルーツとする作品は、一般的な基準で求められる「洗練」とはかけ離れた内容だからだ。

 ここでいう洗練というのは、娯楽作品として楽しみやすくしてくれている、という意味だ。
 たとえば、終盤で活用する設定を序盤にさりげなく見せておく「伏線」であるとか。
 キャラクターが何を考えているのが自然に理解できる「動機の説明」であるとか。
 緊張感のあるシーンのあとに力を抜かせるような「緩急」であるとか。
 そういうものが、ないのだ。

「主人公はすごい魔法の使い手だから、こういうこともできます」とその場で出てきた設定で困難を乗り越えたり、
 主人公と敵対するキャラクターはみんな「主人公が嫌いだから」しか動機を持っていなかったり、
 あるいは、ギャグらしきことをしていてもシリアスらしき場面でも一定のトーンで話を進めたりする。

 テーマの欠如は特に目立つ特徴だ。
 主人公が錬金術師でも料理人でも農家でも、スタート地点からしばらく進むと、「敵を倒して美女にモテる話」になる。
(界隈ではタイトルに「スローライフ」とついている作品は絶対にスローライフは送らないことで有名だ)

 こうした均質化された内容のことを、Web小説界隈では「テンプレ」と呼んでいる。
 筆者もこれに基づき、「スペック主義とテンプレ進行」という記事を書いた。

 しかし、それでもなお違和感がある。

 本来、テンプレート(ひな形)というのは、その作品の個性をわかりやすくするように、読者にとって慣れしたしんだ形式を使うことを指す。
 一方、近年のweb小説を語るときに使われる「テンプレ」は、むしろ作品の個性をなくすために使われているという印象がある。
 主人公が少年であろうとおっさんであろうと、剣士であろうと魔法使いであろうと、舞台が都市だろうと田舎だろうと、その作品独自の設定を超えて「同じような話」に仕立て上げることを指向しているように感じる。
 後で詳しく述べるが、「同じような話」というのは、だいたい「成り上がり」のことだと思ってもらって差し支えない。主人公が大衆に認められ、支持を得て、勝利する、という筋書きに従わせることをWeb小説の界隈では「テンプレ」と呼んでいるのだ。

 これは不思議な現象だ。
 スーパーマンとスパイダーマンは同じスーパーヒーローものだが、そこで描かれる葛藤にはかなり違いがある。マジンガーZと機動戦士ガンダムだって同じロボットものだが、明らかに別の話だ。
 と、感じるのは単に筆者がこれらのジャンルについて詳しかったり親しんだりしているせいかもしれない。いや、筆者はファンタジーにだって同じぐらい詳しいつもりだ! 『この素晴らしい世界に祝福を!』と『無職転生』が違う話なのは分かるぞ!

 失礼、取り乱しました。

 筆者が「ゼロ年代後半ぐらいに書かれたWeb小説ぐらいなら文脈を理解できるが、最近の作品はみんな同じに見える!」と言っている記事だと思ってもらってもまったく構わない。
 だがここでは、筆者にとってどんな作品が「同じに見える!」になるのかを説明したい。

 簡単にまとめると、これから話すのは「Isekai系作品は神話になろうとしているのではないか」という話だ。
 筆者の頭が古いから理解できなくなっているのではなく、作品のほうから「この作品はテンプレなので、個性を読み取るべきではない」という主張をしているように読める、というのが本旨である。
 なぜテンプレが神話ですなわち無個性なのか、今はよくわからないと思うが、少々お付き合いいただきたい。


古代神話・近代文学・エンタメ

 さて、Web小説が生まれる前の「物語」がどんなものだったかを見ていこう。

 以下のパートでは、「物語」を三つの段階――古代神話近代文学現代エンタメに分けて解説している。
 この分割はあまりに単純化しており、「神話の中の文学的要素」や「文学が果たしてきた神話的機能」をないものとしてとらえている。ここでは、本題であるIsekai小説への言及のためにあえて単純化を行っている。本稿では仮説を立てることが目的であるので、文学史の理解が正しいかどうかの検証は今後の課題と考えている。(すみません)


古代神話:共同体のための物語

 現代に残っている最も古い物語は神話の形をとっている。
 神話とは、人類が部族や民族ごとに有している共通の伝承だ。その機能は、「その集団はどんな集団なのか」というアイデンティティの根拠となることである。

神話には一般的に、天地創造や神々の系譜、人間や動物の起源、霊力もった主人公によって共同体が護られてきた物語などを含んでおり、「法律」や「歴史」を持っていなかった時代の人間の倫理綱領であり、集団のアイデンティティのよりどころとなる機能を持っていた。

世界史の窓

 同じ神話を持つ集団は、同じ倫理を持ち、同じ行動規範に従い、同じような世界観を持つことができる。それこそが神話の役割だ。
 集団の秩序を形成するためには、大きく二つ、決めなければならないことがある。
・この神話によって規定されるのはどんな集団なのか
・規定される集団にどんなアイデンティティを与えるのか

 たとえば、古代日本の神話では「天皇家は天照大神の子孫である」と語る。これにより、天照大神の弟であるスサノオをはじめとした地方神も天皇家に従うこと、という世界観を持てるわけだ。集団は国家、アイデンティティは「神の子孫である天皇に治められている」である。
 ギリシャ神話の最高神ゼウスがむやみに人を強姦するキャラクターとして揶揄されることもあるが、これも神話として必要だから生み出されてきた物語である。古代ギリシャのポリスを支配する王たちは、「自分がゼウスの血を引いている」という神話によって権力を主張してきたのだ。

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ゼウスと言えば強姦魔、のような言い方ばかりされるので、筆者はゼウスに同情している

 繰り返しになるが、神話は単なるファンタジーではなく、「われわれは何者か」という共同体的アイデンティティを与える装置だったのである。

 ここで強調しておきたいことがある。共同体にアイデンティティを与えるという機能は、すなわち「外敵を悪として排除する」という要素を必要とすることだ。
 集団を規定するためには「該当しない人は集団の一員ではない」と規定することに等しい。また、集団の一員であっても、アイデンティティが共有できないのであれば、排除される。
 ギリシャ神話でオリンポスの神々によって征服された古き神ティターンたちや、旧約聖書のアダムとイブの子でありながら追放されるカインなどが代表だろう。

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旧約聖書に悪魔として登場するベルゼブブは、元々カナン地域で信仰されていた別の神であったと考えられている。神話にはこのように、他の民族の神話を征服したり、従属させたりする機能がある。

 まとめると、神話とはこのような物語である:

  • 共同体にアイデンティティを与える機能を持つ。

  • 共同体の秩序を定め、正当化する。

  • 外部や逸脱を「敵=悪」として排除する傾向を持つ。


近代文学:「私は何物か」という問いかけ

 近代に入ると、物語は「共同体を規定するもの」から「個人の内面を描くもの」へと大きく転換した。
 これは宗教改革や啓蒙思想、市民革命といった歴史的事件によって、人々が「自分は共同体の一員である前に、一人の個人である」という意識を強く持ち始めたことと関係している。

 筆者が近代文学として想定しているのはモームが「世界の十大小説」であげた作品群とか、本邦では明治以降に書かれた文学作品のことだ。

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ドストエフスキー『罪と罰』読んだことある? 筆者はあるような…ないような…読んだはず…いや、読んだのは『カラマーゾフの兄弟』だったかも…

 古代神話が「われわれは何者か」を示す物語だったのに対して、近代文学は「私は何者か」を探る物語といえる。
 そこでは、登場人物の複雑な内面、社会との葛藤、個人的な欲望と良心の衝突などが、物語の主題として扱われるようになる。

 これらの作品は共同体をまとめることを目的としていない。むしろ共同体から切り離された「孤独な個人」の内面を描くことが目的だ。

 ちなみに、現代において「小説」という言葉を使ったときに想定されるのは、こうした近代文学である。

1 《坪内逍遥がnovelに当てた訳語》文学の一形式。特に近代文学の一ジャンルで、詩や戯曲に対していう。作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。

デジタル大辞泉 コトバンク

 近代文学について強調しておきたいのは、古代神話と正反対の役割を担っているということだ。
 神話においては「外部を敵として排除する」ことが秩序の前提であったが、近代文学においてはその排除の論理が問い直される。
 主人公は共同体から切り離され、むしろ孤独に苦悩する。彼や彼女の内面に迫ることで、物語は「われわれは誰か」ではなく「私は誰か」という問いを扱うことになる。

まとめると、近代文学とはこのような物語である:

  • 共同体ではなく、個人の内面の複雑さを描く。

  • 孤独や断絶を前提とする。

  • 共同体的アイデンティティを相対化・解体する。


現代エンタメ:神話と文学のハイブリッド

 マスメディアが登場すると、物語は娯楽としての要素を強めていく。
 映画、ラジオ、テレビ、出版物……こうしたマスメディアでは、受け手が膨大かつ多様になるので、幅広いアイデンティティを持った人にとっても楽しめることが求められる。
 そうした大衆娯楽は、古代神話と近代文学を折衷したような特徴を持っている。
 そこでは、「多くの神話に共通するパターン」を導き出し、そのパターンの中で様々な登場人物の内面を描写することが求められる。

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テレビドラマは「たくさんの人が見る」ことを前提に作られる。

 つまり現代的な娯楽的物語――ここでは、「現代エンタメ」と呼ぶことにする――は、古代神話と近代文学を組み合わせたハイブリッドとして成立していると言える。

 現代エンタメの特徴は、以下のようなものだ。
・構造がはっきりしている:「ヒーローズ・ジャーニー」や、「悲劇的な恋愛」などの様式的な構造を用いる。
・「正義が勝つ」「友情や家族は尊い」といった価値観を提示する。
 これらは、神話的な特徴と言える。
 一方、以下のような特徴は近代文学的だ。
・主人公の心情や葛藤、変化の過程が描かれる。
・敵キャラクターにも動機や過去が与えられる。

 要するに、現代エンタメは 「神話と文学のいいとこ取り」 をして、多くの人が感情移入できるように一般化された物語形式なのだ。

まとめると、現代エンタメとはこのような物語だ:

  • 神話的な枠組み(普遍性・規範) と

  • 文学的な要素(個人の内面・葛藤) を組み合わせ、

  • 大衆が楽しみやすい洗練された形式に一般化したもの。

 現代において、多くの人が新作の小説、漫画、アニメ、ゲーム、映画、その他もろもろの「物語を持つ媒体」に対して期待するのは、現代エンタメとしての機能であろう。

 では、いよいよ本題に入る。


Isekai小説は神話

 現代エンタメは「古代神話と近代文学のハイブリッド」であると述べた。
 ここに至って、筆者が「Isekai小説は神話かもしれない」と言った意味は推察いただけるだろう。

「現代エンタメから近代文学的な要素を除いたもの」こそが、Isekai小説の物語的骨子ではないかと考えているのである。
 ここでいう「近代文学的な要素」というのは、単に現代エンタメに包摂されていた「個人の内面・葛藤を描く」という部分だけを指すのではない。現代エンタメが前提としている「自分は共同体の一員である前に、一人の個人である」という意識すら取り除こうとしているのではないかと考えている。

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神話と文学のハイブリッドから生まれたエンタメから、再び神話的機能を抽出したのがIsekai小説ではないかと筆者は考える。

 ここで排除されているのは、単なる心情の描写ではない。
 Isekai小説が積極的に排除しているのは、「共同体の価値観に収まらない、(啓蒙主義以降の)自律した個人の、社会との摩擦や内面の矛盾」といった要素だ。
 Isekai小説の多くが描く葛藤は「自分の能力を隠して生きるべきか、発揮すべきか」といった社会への適応の問題であり、「なぜ自分は生きているのか」という実存的な問いではない、という実感は、ある程度Isekaiに親しんだ読者ならご理解いただけるのではないかと思う。

 こうしたアプローチの作品に対して、「人間が描けていない」と技術的な不足を批判するのはピントがずれているように思う。
 どちらかといえば、「人間を描いてはいけない」という規範に従って表現を行っている、とすら考えられる。なぜなら、Isekai小説が表現しているのは人間ではなく共同体の価値観によって理想化された存在だからだ。

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勇者になるべきか、力を隠すべきか。それが問題だ。

 神話には以下の特徴がある、とすでに述べた。

  • 共同体にアイデンティティを与える機能を持つ。

  • 共同体の秩序を定め、正当化する。

  • 外部や逸脱を「敵=悪」として排除する傾向を持つ。

 それぞれについて、検証していこう。


Isekai小説を支える共同体的アイデンティティとは?

 まずは第一の特徴、「共同体にアイデンティティを与える機能を持つ」についてだ。

 Isekai小説が神話であるとすると、まず第一に問題になるのは「その神話によって規定される共同体とは何なのか?」だろう。
 それは、Isekai小説がどこで書かれてきたかを考えれば明確だ。小説投稿サイト(初期は特に『小説家になろう』)である。

 ところが、ここで特筆すべき転倒が起きる。

 『小説家になろう』で生まれた共同体は、『小説家になろう』ではなく、その一部の機能のみにアイデンティティを求めるようになった。
 それは何か。

 ランキングだ。

 小説投稿サイトでは、一定期間により多くの読者によって評価された作品を順位付けして公開している。
 このランキング機能が、事実上のエントランスとして機能していることはよく知られている。
 多くの読者は、自分の好みにぴったり合う小説だけを探して読むわけではない。「多くの人が評価している作品」「今最も読まれている作品」を調べるのは自然な行動だ。
 そこで、まずは累計ランキングや日間ランキングをチェックすることになる。

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2025年9月27日時点での「小説家になろう」総合類型ランキング
長らく「転生したらスライムだった件」が1位であったが、完結に伴い順位の変動が起こった。

 その後、「私はお姫様がお城を飛び出して冒険する話が好きなんだ」とか「複雑な計算式が登場するようなSF小説をもっと読みたい」と思えばそういう小説を中心に読むようになるが、それはレアケースだ。
 ほとんどの場合、作品の傾向を固めるよりもそのまま「今日の日間ランキングを見る」というパターンをとるようになる。
 すると、「ランキングに入りさえすれば読まれる」「ランキングに入らないと全く読まれない」という二極化が始まる。
 こうしてまず、ランキング至上主義が生まれた。

 ランキング至上主義のもとでは、作品の内容は重要ではない。
 何がいい作品であるかは、ランキングが決める。そして、読者が評価するのも、ランキングで上位に入っている作品である。ランキングはいわば神託を与える神であり、読者は「次にランキングが評価しそうな作品」に評価を与えることでランキングへの忠誠を示す、という転倒した評価軸が生まれる。

 読者がランキング至上主義に基づいて好みを決定するようになると、作者の方でも、「すでにランキングで上位である作品のように書くこと」が最適な創作行為であるという価値観が広がっていく。
 こうして、読む側も書く側も、ランキングという神のために作品の執筆・評価を通じて奉仕する集団ができ上がっていった。
 ここに至っては、「同じアイデンティティを持った共同体」と呼んで差し支えないだろう。

 ここで重要なのは、ランキングが単なる入り口ではなく、価値判断そのものを生み出す源泉になったという点である。
 神話において「神が定めた秩序に従うこと」が共同体の安定を保証したように、ランキングに従うことが「この場で正しい読者/作者」であることの証明になった

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ランキングのために書き、ランキングのために読む。
ランキング至上主義の完成だ!

 余談だが、Isekai系がかつて「なろう系」と呼ばれていたのは、この転倒の側面をわかりやすく表彰している。「小説家になろう」に掲載されている作品を「なろう系」と呼ぶのではなく、「なろう系」を読みに行く場所が「小説家になろう」である、という順番で認知されていたのだ。
 現在、「小説家になろう」でランキング上位になっているジャンルは圧倒的に異世界[恋愛]、すなわち女性向けの作品である。一方、カクヨムにおいては累計から日間まで、ランキングの多数派は異世界ファンタジーである。
 現在ではIsekai系作品の中心地はカクヨムである、と言える。

 とにかく、ここで筆者が主張したいのは以下のようなことだ。
 個別の作品よりも先に、「小説投稿サイトのランキング」が、神託的な機能を備えるようになった。
 そこでは、「ランキングで上位に入る作品を評価することが正しい」「ランキングで上位に入るような作品こそ優れている」という規範が生まれ、その規範に従う共同体的アイデンティティが発生したのだ。


ランキング至上主義の発生と定着

 小説投稿サイトにおいてはランキングが神のように機能することはすでに指摘した。
 なぜここまで大きな影響を与えるようになったのか。それには、歴史的経緯が関わっていると考えられる。

 今では当然のようになっているが(そしてその「当然さ」こそが神話である理由なのだが)、web小説の書籍化は2010年頃に本格化した。
 初期のWeb小説の書籍化作品の代表作を(独断で)まとめると、以下のようになる。

  • GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり:Web(2006–)→ 書籍(アルファポリス/2010)

  • 魔法科高校の劣等生:Web(2008–)→ 書籍(電撃文庫/2011)

  • ログ・ホライズン:Web(2010-)→ 書籍(エンターブレイン/2011)

  • オーバーロード:Web(2010-)→ 書籍(エンターブレイン/2012)

  • 月が導く異世界道中:Web(2012-)→ 書籍(アルファポリス/2013)

  • この素晴らしい世界に祝福を!:Web(2012–)→ 書籍(角川スニーカー文庫/2013)

  • 盾の勇者の成り上がり:Web(2012-)→ 書籍(MFブックス/2013)

  • Re:ゼロから始める異世界生活:Web(2012-)→ 書籍(MF文庫J/2014)

  • 転生したらスライムだった件:Web(2013–)→ 書籍(GCノベルズ/2014)

  • ありふれた職業で世界最強:Web(2013–)→ 書籍(オーバーラップ文庫/2015)

 このように、2010年から2015年頃にかけて、webから書籍にメディアが拡張される作品が増えていった。
 また、徐々にWebで注目されてから書籍になるまでの期間が短くなっていることも読み取れる。
 これらの「先導者」たちは、ランキング至上主義を意識することはあったかもしれないが、作品の内容や方向性を各々に探っているように(筆者には)思える。

 世代を重ねると、web投稿サイトでは内外に変化が生まれてくる。
 内部では、上記したような作品群を模倣し、それらと同じ要素を盛り込んだ作品が投稿され、評価されるようになった。「ヒット作と似たようなもの」を消費者が求めるのは投稿サイトに限らず、広く娯楽の消費者には見られる傾向だ。また、ヒット作の後追いをする生産者もごく一般的な現象だ。これらは経済的合理性に従っていると言える。

 他方、外部では急速に「Web小説原作」の需要が高まっていった。
 こちらも経済的合理性に従った結果だろう。出版社からすれば、すでに人気のあることが分かっている作品が、本文まで用意されている状態である。作家と打ち合わせを重ねて、時間をかけて作る新作に比べてリスクもコストも低い。
 クラウドゲート主催のなろうコン(現在のネット小説大賞)が2013年から開催され、出版社が運営するWeb小説投稿サイト、カクヨムが2015年にプレオープンする。

 この時期に、web小説は大きく変質した。
 内部でも外部でも、「Web小説・なろう系作品といえばこういうもの」というイメージが固まり、それが商業的なヒット作として知られるようになっていったのである。

 こうして、ランキング至上主義はさらに権威を高め、「自由な作品を投稿できるプラットフォーム」という建前は弱まっていった。
 ランキングに勝利することが出版することに接近した結果、「ランキングで勝ちさえすれば、経済的な利益にもつながる」というインセンティブを作者たちに与えることになる。

 ここに至って、「ランキング至上主義」というアイデンティティを持った共同体が完成したのだ。
 書籍化ブームが到来する前の、「集まってきた人たちが、ランキング至上主義に従って行動する」という状況から、「ランキング至上主義に基づいて人が集まってくる」というステージに入ったのである。


にじファンの閉鎖とIsekaiの定着

 なぜランキング至上主義はIsekai小説において花開いたのであろう。彼らが従っているのはジャンルではなく価値観なのだから、もっと様々なジャンルで書かれてもいいはずだ。
(そして今、カクヨムでは実際にそうなりつつある)

 「小説家になろう」においては、「異世界転生ブーム」を巻き起こす直接の原因があった。
 2012年の「にじファン」の閉鎖である。
 にじファンは「小説家になろう」グループの二次創作投稿サイトであり、そこには大量の『ゼロの使い魔』二次創作が投稿されていた。『ゼロ魔』は2000年代にライトノベルとアニメで大人気を博した作品で、異世界召喚や契約関係、主人公が元の世界から来る、といった要素を備えていた。のちの「異世界召喚ブーム」の直接の由来とされている。

 ところが、著作権上の問題などを理由ににじファンは閉鎖された結果、書き手たちは、オリジナルの異世界ファンタジーを「小説家になろう」に投稿するようになる。(ちなみに、行き場を失った二次創作の受け皿として設立されたのが「ハーメルン」である)
 言い換えれば、外部作品(=『ゼロ魔』という既存IP)を媒介にしていた創作の場が閉じられ、排除されたことで、ランキング至上主義は一気にオリジナルのファンタジーに向けられた。ジャンルの運命を単独で決めたと断言するより、既に形成されつつあった序列志向を、オリジナルのファンタジー世界へ収束させる導線になった、とみなしたい。


ランキング至上主義共同体

 こうしてIsekai系の作者・読者たちは、ランキング至上主義によってアイデンティティを確立するに至った。

 では、ランキング至上主義者たちに最も受け入れられやすい物語とはどんなものだろうか。
 もうお分かりであろう。ランキング至上主義に迎合的で、そうでないものに対しては排他的な物語である。
 もはや、「どんな作品を書けばランキングに受け入れられるのか」という思考を行うステージは過ぎ去り、「ランキングにすでに受け入れられている作品と同じようなものを書いているか」が彼らの興味の中心になっていく。
 そこでは、あらかじめ文学的な表現は無効化されている。評価は個別の読者ではなく、ランキングという総体が行うからだ。ランキング市場主義共同体の内部では、自立した個人として振る舞えば無視されるか、あるいは排除される

 投稿サイトでは感想がつけられるのだから、そこで個人と個人のやり取りが行われるはずだという反論もあるだろう。だが、それはあらかじめランキング至上主義、そしてIsekai系共同体に参加しているという前提のもとで行われる。
 外部から評価軸を持ち込んで、「この作品は近代的な自我を描いていない」などと批評するとどうなるか。もちろん、排除されるのだ。
 多くの小説投稿サイトでは、作者はその作品に対する感想の管理者も兼ねる。つまり、作者は気に入らないコメントを削除することができる。(削除するとは限らないが、「削除できる」ということが予防的に働く)


共同体の実態

 ここまで、ランキング至上主義をアイデンティティとする共同体がいかに発生し定着してきたのかを述べてきた。
 論を明確にするためにランキング至上主義のみに焦点を絞ったが、実際の小説投稿サイトはもっと複雑な環境であり、ランキング至上主義が全体化しているということはない

 筆者の推測では、おそらくランキング至上主義者が投稿している作品は全体の2~3割ではないかと思う。
 だが、投稿されている作品の数は膨大で、全体の2~3割の作品ですら読み切れないほどの量だ。

 筆者が語っているのは、あくまで投稿サイトで発声する巨視的な(マクロな)動向であり、個人的な(ミクロな)行動傾向については無視している。

 作者みんなが「自分はランキングに上がりたくて書いている」と自覚して行動を決定しているとは限らない。
 ただし、ランキング至上主義的な「創作論」は大量にみられる――「ランキング至上主義」という言葉自体が筆者が考えたものであるが、「ランキングで上位に入ること」を目的に創作をする、と言う傾向は確かに存在している。

 読者側はもっと複雑だ。ただ作品を読んでいるだけの読者は、自分がランキング至上主義に従っているという自覚はない場合もあるだろうし、今日はランキング外の作品を読んでみよう、ということもあるだろう。


ランキング共同体についてのまとめ

 長くなったが、神話的特徴の第一、「共同体にアイデンティティを与える機能を持つ」にIsekai小説が合致していることを確かめた。
 ここで生まれた共同体的アイデンティティとはランキング至上主義であり、Isekai小説は総体として常にランキングを競い合うことで、「ランキングで上位の作品こそ正しい」「ランキングで上位になる作品を評価することが正しい」という価値観を広げている。そして、この『ランキング共同体』の構成者はランキング至上主義にもとづいて行動を決定している。

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せっかくChatGPTに作ってもらったからもう一回使おう

Isekaiの物語内メカニズム

 神話の持つ第二の特徴、「共同体の秩序を定め、正当化する」について検証していこう。
 ここでは、総体としてのランキングからさらに焦点を狭め、「Isekai小説」と呼ばれる作品の多くに共通する要素がいかに神話的であるかを見ていくことにする。


Isekai小説の5つの特徴

 Isekai小説の主要な指向は成り上がりである、と述べた。
 なぜ成り上がりという物語が指向されるのかは、共同体の特徴からそのまま読み取れるであろう。ランキング至上主義においては、最も重要な価値はランキングの上位に位置することであり、この価値観が作品の中にもそのまま持ち込まれる。

 主人公がヒエラルキーの中で上昇していくことを肯定するための主要な要素は以下の通りだ。

1) 正統性の源泉(チート)

 Isekai小説では、初期設定のうちに主人公に対して何らかの優位的な設定が『授権』されている
 『授権』の理由は伝統的な神話では血統や神託によることが多かったが、Isekai小説ではこれらに加え、『たくさん努力したから』などのパターンもある。重要なのは由来ではなく機能だ。
 主人公に与えられた『特別な能力』は、ストーリーの中で主人公が特別である理由として勝利に正統性を与える。
 主人公は最初から特別な存在である。ここで与えられた正統性は、たびたび「チート」と呼ばれる。
 チートというのはもともとはゲームにおいて製作者が意図していない方法で有利になることを指すが、そこから転じて「チート並みに強力」というような、公平さを欠いた状態を表す言葉としても使われている。

2) 可視化された序列(数値とラベル)

 何らかの形で登場人物を「格付け」する
 レベル、スキルランク、称号、爵位、ギルド等級、名声ポイント、貢献度……
 数字が高いほど強い、階級が高いほどえらい、といった基準を作り、それに基づいてキャラクターの強弱を読者が即座に理解できる形で提示する
 多くの場合、主人公はストーリーの中で高い格を獲得し、その後も上昇し続ける。
「HPが千億ある」とか、「実は冒険者ランクSSSS+である」とか、「特別に子爵に任ずる」とか、そんな描写によって、主人公の強さと権力を示す形式は一般化していると言っていい。
 これはそのまま、ランキング至上主義の価値観に当てはまる。「評価ポイントがたくさんあること」「ランキングの順位が高いこと」「受賞歴や書籍化を誇ること」が作品にとっての正義であるのと同様に、作中でも数値の増大や上昇が正義になるのである。

 以降の要素でも同様だが、ゲーム文化のIsekaiへの影響は大きい。本稿では深くは踏み込まないが、Web小説の発展以前にも、ランキング主義が指向するような神話的シナリオが採用されてきた。ゲームにおいては、主人公が特別な理由は明らか(プレイヤーが操作しているから)だからだ。

3) 利益と道徳の一致(経済的繁栄)

 2)に基づき、数値を増大させる、あるいは上昇させることは社会的な道徳として扱われる。
 主人公と社会の利益を一致させる手段として、経済、すなわち金銭的利益が導入されることが多い
 主人公が特別な素材やアイテムを手に入れる「ドロップ」、同じく特別なものを作る「クラフト」の二つが重要な要素としてあげられる。
 ドロップ品やクラフトアイテムを通じて主人公の持つ「力」は「社会への影響力」として現れる
 主人公と社会の利益は経済を通じて、「強く、稼ぎが大きいものが正しい」という価値の一本化が行われる――これもまた、ランキングのシステムと一致している。

4)無謬性の担保(道徳の省略)

 Web小説の文脈では、よく「主人公を悩ませるな」という言及が見られる。悩んでいる時間は展開が止まり、読者の離脱を高めると考えられているからだ。
 だが近代的文学においては、主人公が悩むのはえてして答えがない問題に直面するからだ。自我と社会のギャップ、自己のアイデンティティの喪失、利益と正義の相反など、明快な答えのない問題に主人公を直面させることで、読者の内面にも議論を引き起こすことが文学の目的の一つだ。
 だが、Isekaiの多くは、主人公の選択が「道徳的に正しい」と最初から保証される設計を採る
 主人公が直面するのは物理的な困難や明らかな邪魔者だ。敵として登場するのは傲慢であるか卑怯な性格を持ち、共同体の利益を害する存在である。こうした敵を打ち倒した主人公に対しては、共同体からの賞賛が得られる。ここにはジレンマや矛盾、皮肉は含まれず、主人公の勝利は常に共同体利益に合致する

5) 儀礼を伴う勝利(承認と授与)

 Isekaiで「追放」という要素が注目されたのは、偶然ではないだろう。これが最も神話的な形質の一つだからだ。「追放もの」のプロットでは、すでに形成されていた古い秩序から主人公が離脱「させられ」、その後に主人公を中心とした新しい秩序が形成されていく。
 多くの場合、そこでは「上位者からの承認」が行われる。たとえば王様から爵位を与えられる、神や竜から武器を与えられる、お姫様から結婚を求められるなど、主人公は全く新しい秩序を作るというよりは、別の秩序の力を借りながら上昇していく。
 この特徴は、「旧来の出版市場では評価されなかった作品が、ランキング至上主義の投稿サイトでは評価を受ける」という、これまで見てきた歴史にぴったり合致する。

 筆者の考えでは、これら五つの要素こそがWeb小説において「テンプレ」と呼ばれるものの正体だ。
 どんな設定、背景、複雑さを持った導入であっても、
1,主人公に正統性を与え
2,可視化された序列のなかで
3,経済的繁栄を享受させ
4,共同体にとっての敵に勝利し
5,承認や授与を受ける
 という定型的な展開に沿わせることをこそ、「テンプレ」と呼んでいると考えている。
 思いっきりテンプレを書いてみたいという人は、これらの手順を踏まえて挑戦してみてほしい
(これについては、ぜひ積極的な反論を期待したい。筆者も更なる議論の高まりを望んでいる)

 「はじめに」で問題提起してから、ずいぶん長くなったが、これらの「テンプレ」要素がいかに神話と対応しているかを見ていこう。


Isekai小説の特徴と神話との合致検証

1)正統性の源泉(チート)

  • 日本神話:三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)により天孫(天皇家)が統治の正統性を得る。

  • ギリシャ神話:ペルセウスはアテナの盾・ハデスの兜など神のアイテム授与で討伐に成功。

  • 旧約聖書:ダビデは神の選び(油注ぎ)により王権の正統性を帯びる。

  • Isekaiとの対応:転生特典・固有スキル・神授の武具などが主人公に「物語開始時点の授権」として与えられる。

 神話では多くの場合、正統性の担保は神による承認という形で与えられる。
 一方、Isekai小説では正統性の由来は様々だ。古典的な神話に対して、正統性を与えることの「機能」をより重視していると考えるべきだろう

2)可視化された序列(数値・ランク)

  • 日本神話:最高神は天照大神。天津神>国津神>人という序列がある。

  • ギリシャ神話:最高神はゼウス。ポセイドンとハデスが続き、オリンポス十二神の下にその他の神を位置付けている。

  • 北欧神話:最高神はオーディン。主要な神々に対する評価は戦士としての能力で測られる。

  • Isekaiとの対応:レベル、冒険者ランク、爵位、称号、名声値など。あらかじめ決まった格ではなく、主人公は序列の中で上昇していく。

 神話の目的は共同体への正統性を与えることであるため、共同体を統治する神を最高神に位置づけ、その他の神を支配下に置くという明確な序列化が行われている。
 一方、Isekai小説では主人公の序列は様々だ。ただし、序列の中で上昇していくという指向性はほぼ覆されることはない

3)利益と道徳の一致(経済的繁栄)

  • 日本神話:ニニギノミコトが天照大神から稲穂を授かり、稲作を広めることで国は豊かになる。

  • ギリシャ神話:ヘラクレスの活躍は土壌の安定や外敵の排除によって土地を得ることにつながる。

  • 旧約聖書:ヨブに対する見返りとして与えられるのは財産と子孫の繁栄。

  • Isekaiとの対応:ドロップ・クラフトを通じて金銭的対価を得ることが共同体への貢献となる。

 ただし、神話には経済的な繁栄を必ずしも善と一致させているわけではない。触れたものを黄金に変える力で破滅したミダス王のような例がしばしばみられる。
 また、Isekai小説でも、主人公以外の登場人物(多くは悪役)が金銭的な利益を得ることは悪徳として描かれる。その行為が善であるかどうかの評価はむしろ共同体に貢献しているかどうかであり、そのうえで経済的影響が大きければより善行として(もしくは悪行として)の規模が大きい、という描写になる。

4)無謬性の担保(道徳の省略)

  • 日本神話:ヤマタノオロチ討伐は明白な正義として扱われる。

  • ギリシャ神話:数々の怪物は絶対的な敵として英雄によって倒される。

  • エジプト神話:オシリスを殺したセトは絶対的な悪としてホルスに討たれる。

  • Isekaiとの対応:敵は共同体を害する悪役として設置され、主人公によって倒される。

 スサノオは穀物を生み出すオオゲツヒメを怒りのあまり殺す。一見して凶暴なだけの行為に見えるが、これによって大地に穀物が実るようになる。このように、神話においては一見して誤った行動も、後々に正しかったことになるパターンがある
 ただし、神話の中でも年代が進むほどに悲劇的要素が含まれたものが多くあらわれる。Isekai小説でも、ストーリーの途中から悲劇的な要素が顔を出すことがある……そして多くの場合、そうした展開は読者から猛烈な反発を受ける

5)儀礼を伴う勝利(承認と授与)

  • 日本神話:スサノオはオロチ退治の後、クシナダヒメを妻として授かり、さらに尾から草薙剣をドロップする。

  • ギリシャ神話:ペルセウスはアテナやヘルメスと言った神から武具を与えられ、勝利ののちは王位を得る。

  • メソポタミア神話:ティアマトを討伐したマルドゥクが、神々から「天と地のタブレット(運命の書板)」を授与され、至高神として秩序を支配。

  • Isekaiとの対応:爵位授与、神獣の加護、王女との婚姻=承認儀礼で「上昇」していく

 神話の場合、語られた物語は現実の世界の説明につながることが多い。「だから草薙剣が伝わっている」とか、「ペルセウスが持ち帰ったメデューサの首の力で、このあたりは岩が多い」のように。
 ランキング至上主義において、褒賞は物語内のカタルシスに純化されている。だがそれによって説明される現実がないとは言い切れない。このようなパターンのストーリーが生産され続けることが、ランキングの正統性を高め続けているのだ、と解釈することができる。

 以上、Isekai小説に含まれる5つの特徴が神話と共通しているかどうかを検証した。
 多少の差異を持ちながらも、おおむね一致していると言っていいだろう。
 このことは、Isekai小説が単独で成立する物語というよりも、ランキング至上主義に基づく共同体を正統化するためのストーリーであるという解釈を強化する。


Isekai物語についてのまとめ

 ここでは、Isekai小説に含まれる5つの「テンプレ」要素がほぼ神話に含まれる要素と同質であることを見てきた。

 個別のIsekai小説が書籍化されたり、アニメ化されたりしたものを単独でみると、エンタメとしては過剰に予定調和的で洗練されていないように見える。
 だがそれは、これらの物語が「ランキング共同体に奉仕する神話」として、予定調和を機能させているという視点を欠いている。
 Isekai作品を受容するときには、現代エンタメと同質のものであるという前提から疑ってかかるべきかもしれない。

 なお、現代エンタメ(=神話と文学のハイブリッド)として生まれたライトノベルと、共同体のための物語(=神話)として書かれるIsekai小説は、そのめざすところが根本から違う、と書き添えておく。


Isekaiが排除する「悪」とは何か

 ここでは、神話の第三の特徴、すなわち「外部や逸脱を『敵=悪』として排除する傾向を持つ」が、Isekai小説の表現戦略にいかに深く根付いているかを具体的に検証する。


批判の不在と無謬性の担保

 Isekai小説が「ランキング共同体の神話」として機能するためには、その核となる価値観が作中で揺らいではならない。
 そのために、Isekaiでは、主人公の持つ力や行動原理、ひいては作品の根幹的な価値観に対する批判が、作中の要素としてほとんど登場しない

「そんな力をむやみに使っていいのか?」
「まだ気づいていないだけで、悪影響があるんじゃないか?」
「敵にもなにか事情があったんじゃないか?」
 そういった批判は、即座に否定される……どころか、ほとんどの場合、まったく呈されない

 読者からの評価が「低くなる」ことは、ランキングにおいて大した問題ではない。低評価であろうと、加点として扱われることが多いからだ。問題は評価の遅延、そして読者の離脱だ。
 もし、主人公の行動に対して長期にわたる懐疑や葛藤が生じれば、それは読者に複雑な思考を促し、作品に対する評価を遅延させる。最悪の場合、読むのをやめてしまう理由を与えることになる。
 ランキング至上主義にとって、複雑さや奥行きを表現するインセンティブは著しく低い。それどころか、これらを排除することに高いインセンティブがある。

 結果として、批判的な視点は作中から一掃され、主人公の行動は常に共同体にとっての「絶対的な正義」(無謬性)として担保される。この「批判の不在」こそが、Isekai小説が共同体の秩序を正当化する神話としての機能を維持するための、防御壁となっている。

画像
プロメテウスは絶対的な力と権威を持つゼウスに反抗し、人間に文明を与えた。
彼はその罰として鎖に繋がれ、大鷲に内臓をついばまれ続ける罰を受ける。

文学的洗練の排除

 筆者が「はじめに」で指摘した「伏線」「動機の説明」「緩急」といった「洗練」の欠如は、単なる作者の技術不足とは考えられない。むしろ、ランキングという淘汰圧がもたらした意図的な戦略だと解釈すべきである。

 伏線や緩急といった複雑な構造は、物語の展開を遅延させ、読者を離脱させるリスクを高める。読者に「考える隙間を与えない」ということこそ、ランキング至上主義における習熟である

 また、敵キャラクターに深すぎる内面や共感できる複雑な動機を与えると、物語はたちまち近代文学的な要素を帯びてしまう。敵が苦悩や正義感を持つと、「敵=悪」という神話的な単純な対立構造が崩れ、主人公の正当性が揺らぐことになる。共同体の秩序を守るためには、敵は「傲慢」や「卑怯」といった単純なラベル付けで十分であり、深みはむしろ有害なのだ。

 このように、現代エンタメが両立させてきた「文学的要素」は、ランキング共同体の秩序にとっては異物として排除される。
 この結果、Isekaiは共同体の無批判な自己肯定という純粋な機能を持つ「神話」を選び抜くように進化してきたのだ。


結論:Isekaiは現実へ帰納する神話である

 ここまでの議論を総括すれば、Isekai小説とは、古代神話が担ってきた共同体のアイデンティティ付与の機能を、小説投稿サイトのランキングシステムという現代的な文脈で再獲得した物語であると言える。

 Isekaiの「テンプレ」は、個々の作品の個性を消す代わりに、ランキングという「神」への帰属意識を確立し、その価値観(スペック、上昇、経済的成功)を正当化するための「物語装置」として機能する

 そこでは、旧来のエンタメの中では表現しきれなかった集団的アイデンティティを持った世界が描かれている。これは文学的な視点から特筆に値する功績と言えるだろう。
 一方で、共同体に奉仕するための物語群が、他者を排除し、序列を強制する価値観を強調してすることになるかもしれない。もちろん、作者自身が自覚的なテーマとして表現することを止める権利は筆者にはない。

 神話的な機能をもった物語に対しては、神話であるという認識をもつことも必要であろうと筆者は考える。そうすることで、総体としてのコミュニティから離れて個別の作品をより深く理解できるようになるはずだ。

おわりに

 本稿で提示した「Isekai小説は、新しい神話である」という仮説については、検証の余地が多分にある。
 まずは文学史上の神話、文学、エンタメという解釈の妥当性。
 また、「エンタメから近代的文学性を除く」というアプローチは、リオタールによって「大きな物語の終焉」と呼ばれたポストモダンとの関係を検証しなければならないだろう。

 さらに、東浩紀『動物化するポストモダン』の内容について、本稿で指摘した内容は再評価の必要性を迫るものだと考えられる。広くオタク向けエンタメでは実現しなかったとされる「データベース消費」や「小さな物語の欠如」が、ランキング至上主義を通じて達成しているのではないかと示唆しているように考えられる。

 また、本稿で書いたIsekai小説のブームは投稿サイトではすでに過ぎ去っているという指摘もあろう。
 ランキング至上主義の中心地となったカクヨムでは現在、「ざまぁラブコメ」「現代ダンジョン配信」などの新しいジャンルが勃興している。
 しかし、その根底にあるランキング至上主義の概観を理解するためには、まずIsekaiを起点に始まったものであるという認識は外せないと考え、これまでの流れを整理した。
 Isekaiに限らないこれらのムーブメントを包括するような呼び名の提案があればぜひコメントいただきたい。

参考

 Web小説投稿サイトで人気をとり、書籍化をすることを目的として創作を行うことについての記事。
 ランキング至上主義を明示的に表現している点において注目している。


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評論

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コメント

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陋巷の一翁

いや掘れば多元性は存在するじゃないか、という批判はもちろんあってしかるべきだが、ほとんどの人間はそんなことをほとんどしない。ただ、ランキングなどで目についた作品を読み、よかったらポイントを入れ、つまらなかったら去る。ことですら、閲覧数という言うデータとなり、それが神話を補強してい…

1
赤木真紅朗 いいね
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陋巷の一翁

Isekai小説単品では神話たり得ず、多くの人間が同じようなテンプレートで創造するIsekai神話群がみんなの神話となろうとしているように感じた。 たとえばYoutubeやtiktokなどのこんなの好きでしょ?みたいなお勧め動画を表示し続けるように、Isekai神話群はこういう展開好きでしょ?的な神話を提供し…

2
赤木真紅朗 いいね
仮説:Isekai作品の究極の目的は、新しい神話を作ることかもしれない。~神話・文学・エンタメの先に現れるものとしてのWeb小説~|赤木真紅朗
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