[政治] 逆転したレアアース・ショック――日本が「中国の急所」を完全に掌握している理由
葦原 翔
序章:華やかな舞台の裏側で
生成AIブームに沸く昨今、私たちの目に入るのは常に「完成品」の話ばかりです。
NVIDIAのGPUがいくらで売れた、Appleの新しいチップがどうだ、あるいはTSMCが熊本に工場を建てた、といったニュースです。
しかし、こう考えてみてください。
「世界最高のシェフ(TSMC)が、世界最高のキッチン(ASMLの露光装置)を持っていても、食材(材料)が届かなければ料理は作れない」
その「食材」の中でも、代替が効かない最重要品目が「フォトレジスト」です。
シリコンウエハーに回路パターンを焼き付けるための、いわば「写真のフィルム」にあたる液体化学薬品。これがないと、どんなに高性能な露光装置もただの巨大な鉄の箱になります。
驚くべきことに、この分野において日本企業は、世界シェアの大半を握り、特に最先端プロセスに至っては事実上の「独占」状態にあります。
これは単なる産業のシェア争いの話ではありません。
経済安全保障の文脈において、日本は他国の生殺与奪の権を握りうる「チョークポイント(急所)」を保持しているという、極めて重大な事実なのです。
第1章:数字が語る「異常な独占」
まず、現実を直視しましょう。
調査会社のデータによれば、JSR、東京応化工業(TOK)、信越化学、富士フイルムといった日本企業群だけで、世界のフォトレジスト市場の約7割から8割を占めています。金額ベースで見ても6〜7割強という圧倒的なプレゼンスです。
しかし、もっと恐ろしいのは「質」の内訳です。
古い世代の半導体向けなら、欧米やその他のメーカーも多少は戦えます。
ですが、AI半導体や最新スマホに使われるような「最先端ロジック(EUVなど)」の領域に絞ると、そのシェアは日本勢と一部の欧米企業による寡占、実質的には「日本抜きでは何も作れない」というレベルに跳ね上がります。
例えば、最先端の「EUV(極端紫外線)リソグラフィー」用レジスト。
この開発競争において、JSRは米Inpria社を買収して技術を取り込み、EUV材料の中核を担っています。2025年には米Lam Researchと組んで、さらに次世代のドライレジスト技術を開発すると発表しました。
つまり、「最先端へ行けば行くほど、日本への依存度が高まる」という構造になっているのです。
TSMCもサムスンもIntelも、日本の材料メーカーが機嫌を損ねれば、最先端チップの量産ラインが止まるリスクを抱えている。これが偽らざる現状です。
第2章:なぜ彼らは「日本」をコピーできないのか?
ここで一つの疑問が浮かびます。
「たかが液体だろう? 中国が本気を出して分析すれば、コピーできるのではないか?」と。
中国は宇宙ステーションを飛ばし、EV(電気自動車)で世界を席巻する技術大国です。その気になれば液体の分析くらい造作もないように思えます。
しかし、現実はそう甘くありません。ここには「10年単位の堀(Moat)」が存在するからです。
フォトレジストは、単一の物質ではありません。多数の成分を極めて精密に混合した「レシピ」の産物です。
ナノレベルの微細加工が求められる世界では、わずかな不純物、わずかな分散のムラも許されません。「鬼レベル」の超高純度管理が要求されるのです。
さらに重要なのが、「すり合わせ(インテグラル)」の要素です。
レジストメーカーは、実験室で薬品を作って「はい、どうぞ」と売っているわけではありません。TSMCなどの半導体メーカー、そして露光装置メーカーと三位一体になり、「この温度、この光の強さなら、配合をこう変える」といった気の遠くなるような共同開発(最適化)を何年も続けています。
この「暗黙知の蓄積」こそが、最大の参入障壁です。
中国が今から教科書通りの成分を混ぜ合わせても、現場のラインで歩留まりが出る「使えるレジスト」になるまでには、膨大なトライ&エラーの時間が必要です。その間に、日本企業はさらに次の世代へと進んでしまう。これが「追いつけない理由」です。
第3章:逆転した「レアアース」の悪夢
かつて2010年、尖閣諸島の問題に関連して、中国は日本への「レアアース輸出」を実質的に停止しました。当時の日本は大混乱に陥り、「資源を持たざる国の弱さ」を痛感させられました。
しかし今、歴史は逆回転しています。
経済安全保障の観点から見れば、フォトレジストは「中国にとってのレアアース」そのものです。いや、代替調達先を探せばなんとかなる鉱物資源よりも、技術的な代替が困難な分、その殺傷能力は高いかもしれません。
この「武器」が単なる脅しではないことを証明したのが、2019年の対韓輸出管理強化でした。
日本政府は、フッ化水素、フォトレジスト、フッ素系ポリイミドの3品目について、韓国向けの輸出管理を厳格化しました。これにより韓国の半導体業界、特にサムスンやSKハイニックスは、サプライチェーン寸断の恐怖に直面しました。
この一件は、世界中に強烈なメッセージを送りました。
「日本は、その気になれば貿易を政治カードとして切ることができる。そしてそのカードは、相手の心臓を止めるほど強力だ」
現在、中国もまた、半導体製造において日本のフォトレジストに深く依存しています。もし日本が(アメリカの要請などで)この供給を完全に遮断すれば、中国の半導体製造は、民生用から軍事用に至るまで、広範囲で機能不全に陥るでしょう。
2025年秋、中国市場で「日本が輸出を止めたのではないか」という噂が流れただけで市場がざわついたのは、彼らがその恐怖を肌で感じている証拠です。
第4章:中国の猛追と「脱日本」のジレンマ
もちろん、中国も手をこまねいているわけではありません。彼らは国家の威信をかけて「脱日本」を進めています。
報道によれば、中国のフォトレジスト市場規模は2024年に約16億ドルに達し、国産化の動きが加速しています。武漢の企業が量産プロセスでの検証に成功したというニュースや、EUVレジストの国家標準を策定したという動きもあります。2025年にはHuawei系の企業がJSRと同様の技術を使ったレジストを発表したとも報じられました。
しかし、ここには冷徹な現実があります。
「作れること」と「量産ラインで使えること」の間には、深くて広い谷があるのです。
中国には、最先端のEUV露光機(ASML製)が入っていません。実機でのテストができない以上、開発できるレジストの性能には限界があります。また、信頼性や歩留まりの実績も圧倒的に不足しています。
フィナンシャル・タイムズ紙などが指摘するように、「日本抜きで先端EUVを量産できる」段階にはまだ達していないのが現実です。
当面の間、中国は「古い世代の半導体は国産材料で」「最先端は(密輸や迂回ルートを含めて)なんとか日本や欧米の材料を確保する」という綱渡りを続けざるを得ないでしょう。
第5章:日本が取るべき「クワイエット・レバレッジ」
さて、私たちはこの事実から何を考えるべきでしょうか。
「日本すごい!」と溜飲を下げて終わりにするのは、あまりに短絡的です。
強力な武器は、抜かずに見せている時が一番効果的です。
2019年の対韓輸出規制の後、何が起きたか。韓国は国を挙げて素材の国産化を進めました。結果、一部の材料では日本への依存度が下がりました。
つまり、「刀を抜いて切りつければ、相手は死に物狂いで盾を作り、別の武器を探し始める」のです。これを「代替開発の加速(ブーメラン効果)」と呼びます。
もし日本が中国に対して性急に全面禁輸を行えば、短期的には相手に大打撃を与えられますが、長期的には巨大な中国市場を永久に失い、かつ強力なライバルを自ら育て上げることになりかねません。
日本に求められているのは、「静かなる支配(Quiet Leverage)」です。
「いつでも止められる」という能力を維持し、それを無言の圧力として使いながら、外交交渉や安全保障の枠組みの中で有利なポジションを確保する。
そして、表向きは「信頼できるパートナー」として振る舞い、市場の利益(マネー)もしっかりと吸い上げる。
具体的には、軍事転用可能な最先端領域に関しては、アメリカと歩調を合わせて厳格な審査を行う「事実上の制限」をかけつつ、汎用品についてはシェアを維持し続ける。この「生かさず殺さず」のバランス感覚こそが、今の日本政府と企業に求められる高度なゲームです。
結論:隠された「要石」としての国家戦略
日本は、「工場(ファブ)」の競争では台湾や韓国に敗れました。
「デジタル敗戦」などと自嘲する声も聞こえます。
しかし、産業の地層を深く掘り下げていくと、そこには「日本という岩盤」が確実に存在しています。
フォトレジストだけでなく、シリコンウエハー、CMPスラリー、高純度薬液など、半導体製造のあらゆる工程で、日本企業は「首根っこ」を押さえています。
これは、偶然の結果ではありません。高度経済成長期から続く化学メーカーの執念と、現場のすり合わせ能力が生んだ、歴史の結晶です。
私たちは、自分たちが持っているカードの強さを、もっと自覚すべきでしょう。
派手なAI革命の裏側で、世界中のハイテク企業が日本の「黒い液体」を求めて列をなしている。この事実こそが、これからの日本の生存戦略を考える上での、最大のヒントになるはずです。
日本はまだ、終わっていません。むしろ、ゲームの支配権(イニシアチブ)を、最も見えにくい形で握っているのかもしれません。
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