【古文】「なかなか」の解釈について 平安後期の物語『夜の寝覚』を題材にした大学受験の問題を解いていて、「なかなかいろいろならむよりもをかしく、」とはどういうことか、説明せよ。という問題がありました。 私は、「白い着物を重ねたものは、中途半端に色とりどりであるような着物を重ねるよりも美しいということ。」と解答しましたが、正解は「白い着物の重ねはかえって色とりどりの着物を重ねるより趣深いということ。」でした。 「なかなか」を「中途半端に」と訳出するべきか「かえって」と訳出するべきか、わかりません。ご教授いただけないでしょうか。(以下に問題で使用された文章を載せますが、要らないかもしれません。) 【問題の文章】(★★★が該当箇所) 次の文章は、平安後期の物語「夜の寝覚」の一節である。女君は、不本意にも男君(大納言)と一夜の契りを結んで懐妊したが、男君は女君の素性を誤解したまま、女君の姉(大納言の上)と結婚してしまった。その後、女君は出産し、妹が夫の子を生んだことを知った姉との間に深刻な溝が生じてしまう。いたたまれなくなった女君は、広沢の地(平安京の西で、嵐山にも近い)に隠棲する父入道のもとに身を寄せ、何とか連絡を取ろうとする男君をかたくなに拒絶し、ひっそりと暮らしている。以下を読んで、後の設問に答えよ。 さすが姥捨山の月は、夜更くるままに澄みまさるを、めづらしく、つくづく見いだしたまひて、ながめいりたまふ。 ありしにもあらずうき世にすむ月の影こそ見しにかはらざれけれ そのまま手ふれたまはざりける筝の琴ひきよせたまひて、かき鳴らしたまふに、所からあはれまさり、松風もいと吹きあはせたるに、そそのかされて、ものあはれに思さるるままに、聞く人あらじと思せば心やすく、手のかぎり弾きたまひたるに、入道殿の、仏の御前におはしけるに、聞きたまひて、「あはれに、言ふにもあまる御琴の音かなと、うつくしきに、聞きあまりて、行ひさしてわたりたまひたれば、弾きやみたまひぬるを、「なほあそばせ。念仏しはべるに、『極楽の迎へちかきか』と、心ときめきせられて、たづねまうで来つるぞや」とて、少将に和琴(わごん)たまはせ、琴かき合わせなどしたまひて遊びたまふほどに、はかなく夜もあけぬ。かやうに心なぐさめつつ、あかし暮らしたまふ。 つねより時雨あかしたるつとめて、大納言より、 つらけれど思ひやるかな山里の夜半のしぐれの音はいかにと 雪かき暮らしたる日、思ひでなきふるさとの空さへ、とぢたる心地して、さすがに心ぼそければ、端ちかくゐざりいでて、白き御衣どもあまた、★★★なかなかいろいろならむよりもをかしく★★★、なつかしげに着なしたまひて、ながめ暮らしたまふ。ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに、つねよりも落つる涙を、らうたげに拭ひかくして、 「思ひいではあらしの山になぐさまで雪ふるさとはなほぞこひしき 我をば、かくも思しいでじかし」と、推しはかりごとにさへ止めがたきを、対の君いと心ぐるしく見たてまつりて、「くるしく、いままでながめさせたまふかな。御前に人々参りたまへ」など、よろづ思ひいれず顔にもてなし、なぐさめたてまつる。 【注】 ○姨捨山――俗世を離れた広沢の地を、月の名所である長野県の姨捨山になぞえた表現。「我が心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」(『古今和歌集』)を踏まえる。 ○そのままに――久しく、そのままで。 ○少将――女君の乳母の娘。 ○対の君――女君の母親代わりの女性。