レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/12/01
- 登録日時
- 2010/05/01 02:00
- 更新日時
- 2011/01/19 14:42
- 管理番号
- 長野市立長野-07-006
- 質問
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解決
①遣新羅使 何度くらい往復していたのか。
②渡来人 長野のどこに入って、どういうふうに根付いたか。長野にも遺跡があるのか。
③後南朝時代について
- 回答
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①遣新羅使は三十回以上に渡って遣わされていたようである。
②長野には大室古墳群(長野市)、八丁鎧塚古墳(須坂市)、伊勢宮遺跡(長野市)など、渡来人と関係があるのではと言われている遺跡がいくつかある。特に積石塚古墳は渡来人との関係が考えられている。
③所蔵検索で「後南朝」と検索。ヒットしたものから『闇の歴史、後南朝』、『南朝全史』を質問者に提示する。
- 回答プロセス
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①『八世紀の日本と東アジア 1』p51から遣新羅使について書かれている。これによると、約10回に渡って遣新羅使が派遣されたとある。
『日本古代史大辞典』p226に「遣新羅使(けんしらぎし)」の項目あり。「六六八年以降、三〇回以上の遣新羅使が知られ、日本の記録では八三六(承和3)年を最後に、『三国史記』では八九二年を最後とする。」とある。
『日本史大事典』p1275-1277に「遣新羅使(けんしらきし)」の項目あり。「五七一年から八八二年まで約三世紀にわたって日本から新羅へ派遣された公の外交使節。」とある。p1276-1277にかけて、遣新羅使・新羅使一覧が年表になっている。これによると30回以上の遣新羅使を送っていることになる。
②所蔵検索で「渡来人」と検索。『「シナノ」の王墓の考古学』にあたる。p219より「信濃の馬、積石塚と渡来人」の項目あり。積石塚が渡来人と大きく関係していると推測。
「積石塚」で検索。『積石塚と渡来人』にあたる。信濃の積石塚について書かれている。
郷土資料の書架にて、古代遺跡の資料を探す。『古代への旅に出かけよう』、『現場取材信濃の古代遺跡は語る』にあたる。いくつかの遺跡に渡来人が大きく関係しているのではないかと書かれている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 『八世紀の日本と東アジア 1』江上 波夫/〔ほか〕編 平凡社 1980.01 <210.3ハ1>
- 『日本古代史大辞典』上田 正昭/監修・編集,井上 満郎/〔ほか〕編集委員 大和書房,2006.01 <R210.2ニ>
- 『日本史大事典 2』平凡社 1993.02 <R210.03ニ2>
- 『「シナノ」の王墓の考古学』川崎 保/編 雄山閣 2006.12 <N209.2シ>
- 『積石塚と渡来人』桐原 健/著 東京大学出版会 1989.06 <N202キ>
- 『古代への旅に出かけよう 長野県の遺跡探検』長野県埋蔵文化財センター/著,中日新聞社/編 ボロンテ 2001.09 <N202ナ>
- 『現場取材信濃の古代遺跡は語る』片岡 正人/著 新泉社 1996.05 <N202カ>
- キーワード
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- 朝鮮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000066403