白露型駆逐艦 2番艦 時雨
性能諸元
| Tier | 8 | 種別 | プレミアム艦艇 |
|---|---|---|---|
| 艦種 | 駆逐艦 | 国家 | 日本 |
| 生存性 | 継戦能力 | 13,100 | |
| 装甲 | 艦首艦尾 | 19mm | |
| 中央甲板 | ?mm | ||
| 中央側面 | ?mm | ||
| 上部構造物 | ?mm | ||
| 砲塔 | ?mm | ||
| 防郭 | -- | ||
| 機動性 | 機関出力 | ?馬力[hp] | |
| 最大速力 | 34.0ノット[kt] | ||
| 旋回半径 | 590m | ||
| 転舵所要時間 | 4.4秒 | ||
| 隠蔽性 | 通常 | 火災 | 煙幕 | |
|---|---|---|---|---|
| 海面発見距離 | 6.5km | 8.5km | 2.5km | |
| 航空発見距離 | 2.8km | 4.8km | - |
| 射撃管制装置 | モジュール | 主砲射程 | 最大散布界 |
|---|---|---|---|
| mod.1 | 11.3km | 100m |
| 主砲 | 口径 | 基数×門数 | 最大ダメージ(火災) | 装填 | 180度旋回 | 弾種 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 127mm/? | 2基×2門 | HE弾 2,150(9%) AP弾 2,200 | 5.6秒 | 30.0秒 | HE AP |
| 魚雷 | 口径 | 基数×門数(片舷) | 最大ダメージ | 装填 | 射程 | 雷速 | 発見 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 610mm | 2基×4門(8門) | 17,233 | 95秒 | 10.0km | 62kt | 1.6km |
| 爆雷 | 最大ダメージ | グループ数 | 投下数 | 装填時間 |
|---|---|---|---|---|
| 4,600 | 2 | 12 | 40秒 |
| 対空砲 | 距離 | 口径 | 基数×門数 | 継続的秒間ダメージ | 命中精度 | 有効ゾーン 0.1km - |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 短 | 25.0mm/? | 3基×3門 | 148 | 95.0% | 2.5km | |
| 25.0mm/? | 1基×2門 | |||||
| 25.0mm/? | 15基×1門 | |||||
| 13.2mm/? | 4基×1門 |
・アップグレード
| スロット1 | スロット2 | スロット3 | スロット4 | スロット5 | スロット6 |
| ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
搭載可能アップグレード
・消耗品
ゲーム内説明
解説
- 抗堪性
- 主砲
- 魚雷
- 対空火力
- 機動性
- 隠蔽性
- 総評
史実
白露型駆逐艦の2番艦の時雨は1933年12月9日に浦賀船渠で起工され、1936年9月7日に竣工した。
1937年の第二次上海事変に従事し、青島(チンタオ)の活動などに参加した。
太平洋戦争前に探信儀を追加、93式酸素魚雷への対応工事もこれに近い時期行われたようだ。
太平洋戦争が開戦し、史上初の空母対決となった珊瑚海海戦やその後のミッドウェー海戦では機動部隊を護衛した。ソロモン諸島をめぐる戦いがはじまると、第三次ソロモン海戦に参加した。危険な輸送任務もたびたび行い生還を果たしている。竣工時から装備していた40mm機関砲では航空機への対処に限界がきており、1943年になってから徐々に機銃の換装・増備が始まった。一例として、艦橋前の機銃台座は1943年6月に追加されたらしい。単装の2番砲塔もやがて撤去され機銃台に置き換わった。また1番艦白露の装備状況を踏まえると、これら機銃増設による重量増加に伴って前側の右舷魚雷装填装置(予備魚雷2本)を撤去していた可能性がある。1944年以降は電探も追加され、前檣に22号電探と13号電探を装備した。他の駆逐艦においては前檣に22号電探、後檣に13号電探と分けて装備することが多く、時雨の混載レイアウトは特殊だったと言える。なお熾烈な戦いの中で姉妹艦の多くは電探増備までに戦没しており、二種の電探を装備したのは他に五月雨だけである。その五月雨も8月、座礁しているところを米潜水艦に雷撃され沈没し時雨は白露型唯一の生き残りになった。
時雨は西村艦隊の一隻としてレイテ沖海戦に参加し、絶望的な状況から帰還した。生きて帰るだけでも十分すぎるほどの幸運だったが、11月8日の輸送船護衛の際には海防艦19号・千振と共同で潜水艦グロウラーを撃沈し手柄まで挙げて見せている。
1945年1月24日、ついに命運尽き船団護衛中に潜水艦ブラックフィンの雷撃を受け沈没。帯同していた海防艦の救助活動によるところが大きかったのだろう、戦死は38名に抑えられた。「呉の雪風、佐世保の時雨」となぞらえる最後の命運を示したのかもしれない。
小ネタ
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