趣味や娯楽は奴隷のガス抜き。
岐阜在住の女性A様から「可愛く生まれたから何をしても許されたし、何も言わないでもしてもらえた。だけど、このままだといけないと思うからぶった斬って欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。可愛い子にはリスクがある。可愛いと言う理由だけであらゆることが許されて来たため、年を取り、可愛くなくなった時にショックを受ける。可愛さの免罪符がなくなった時、自分がいかに何もしてこなかったかを突きつけられるのだ。危険を感じたA様の嗅覚は鋭い。
A様は言った。いつも心に空洞があって、わかってもらえないだろうなとか、こう言ったらこう言われるだろうなとか、先回りして考えて、自分の中だけで完結することが多い。たまに、叫び出したくなるほどのさみしさに襲われることもある。この前、母親に「これからは我慢をしないで私のやりたいことをやるからね!!」と宣言をした。怒られるかなと思ったけれど、母親は「そうなんだね」と言って、私の話を聞いてくれた。長女だからとか、小さな頃の家庭環境が影響を与えるとか、そういうものは全部嘘だなと思った。自分が心を開けば、相手も開いてくれるのだと思った。
私は「いまも空洞はあるの?」と聞いた。A様は「常にある。明確にある時と、いまはちょっと薄くなっているなと思う時があるけれど、消えることはない」と言った。私は「それは弥生の罠にはまっている証拠だ」と言った。私たちの血は縄文で出来ている。だが、弥生の罠にはまると「自信がない」とか「これまでのことにエネルギーを使ってしまって、これからに使う分がなくなった」みたいなことを言い出すようになる。自信があるとかないとか、空洞があるとかないとか、そんなことは関係ない。ミヒャエル・エンデのモモを読め。モモは、自分のさみしさや怖さばかりを問題にしていた時は、動き出すことができなかった。だが、自分がやらなければ世界が滅びると思った時に、勇気を得た。美しい記憶がモモを支えた。
冗談ではなくルールは破るためにある。ルールに負けると「生きていけない」と思うようになり、生きているのに生きていないゾンビ状態になる。自信がないとか、空洞があるとか、ネガティブな状態を維持するには明確な意思が必要になる。A様は幸せになってたまるかと思っている。幸せになることに抵抗して、目の前にある幸せを無視したり、自分から壊している。意固地な女め。ネガティブに頑固なネガティブ職人。もっともらしいことを言うけれど、ビビってるだけじゃないか。お前はエネルギーの使い方を間違っている。欲しい時に欲しいものを取りにいかなかっただけ。俺が、縄文パワーで弥生の罠をぶった斬ってやる。
趣味や娯楽は奴隷のガス抜き。今週頑張ればあの人に会えるから退屈な仕事も頑張る的な人生は、奴隷の人生。人間がいちばん大事な人はやばい。輝いて生きている人は「漫画」とか「ダンス」とか、人間以外の喜びを知っている。これさえあれば生きていけるというものをちゃんと見つけている。死にたいは嘘。生きたいが本当。働きたくないは嘘。働きたくてたまらないのが本当。いい仕事をしたと思って気持ちよく死にたいのが本当。仕事と労働は違う。嫌なことを嫌々やるのは単なる労働。生きる喜びを感じさせてくれるものが仕事。金を稼ぐことが仕事ではなく、幸せになることが仕事。幸せじゃない人は怠け者。A様は「今の自分じゃダメだってずっと思っていたけれど、今、気づけてよかった」と言った。その通りだ。幸せになることは義務なのだ。俺たちに過去はない。これまでのことは関係ない。大事なことは、これからだ。これからがこれまでを決めるのだ。
将来の夢がなかった 将来の夢なんて学校の授業でのお題としか思ってなくて、ケーキやさんになりたいとか他人事みたいに言ってた
大人になったらどこかの会社に就職して25くらいになったら結婚して子供を2人くらい産む、そういうのが人生みたいなものなんだと思ってた
大人になったら自動的にそうなるんだろうなって
でも大人になっても何も自動的には出来なかった
就職活動のときみんな一斉に同じ求人サイトに登録した
みんなは何十社も受けたりしてるのにわたしは働きたいと思う会社なんかひとつも見つからなくてこの違いは何なんだろうと思った
周りはみんな当たり前のように恋人がいて、いない人はマッチングアプリで探しているし、同級生は結婚して子供がいる人も増えてきた
恋愛の話になったときわたしはいつも話せることがなかったけど、ネタがないとつまらない空気になるからそれっぽいこと言って誤魔化してきた
誰かを好きだと思ったその気持ちは本当だけど、どこかで「これでみんなみたいに話せる、嘘つかなくていい、参加できる」って思いが浮かんできたのも本当
彼氏いるかいないか聞かれて いないって答えるともったいないねえって言われてその度に泣きたい気持ちになった 付き合ったらセックスしなきゃいけなさそうなのが嫌だった したいと思えなかった
何で自分は自動的に進まないんだろう、この違いは何なんだろう
みんな自動で進んでる訳じゃないのは分かってるし、私みたいに逃げてないで行動してるからどんどん進んでる、それは事実、だけど、何も引っかかりなく疑問を持たずに進めている(ように見える)ことが羨ましかった
人生って「そういうもの」だからなのか、自分由来のものなのか、どっちなんだろう?
自分の感覚がみんなとズレているような気がするとき、自分は違う星からきたしそもそも生まれる予定じゃなかった(母親は私を産む前に一度流産している)と思って線を引くことは都合がよくて簡単だった。だからそういう視点を持ったこともあるけど自分が自分を疎外してばっかりでつまらなかった。勝手にどんどんひとりになった。人のことを見下していた。私は中途半端だから、自分に振り切ることも殺し切ることもできなかった。どっちにしても死にたくなった。でも自分がこういう気持ちでいることとか、この感覚とか、少しでもいいから誰かと話すことができたとき、それを聞いてもらえたとき、死ぬまでしなくていいか、と思えるようになった 生きてたら出会えるかもしれないって
こういうものだ、とかこうしなきゃいけないって正解っぽいことを誰かや何かに思わされているうちは嬉しくも楽しくもないし動く気にもなれなくて、自分の中から好き、やってみたい、こうしたい、って自然に湧いてきたときは頭より先に身体が動くんだってことがだんだん分かってきた
そういうものや人に出会えた時に全部ひっくり返るような気がする
自分から湧いた欲なのか世間からそう思わされているだけなのか、それだけはいつも分かってたい、それを見極める目は絶対に殺さないでいようと思いました
おおまかな予定
1月14日(水)愛知県名古屋市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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