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BOOWYにまつわる噂のエトセトラ Vol.17 ~ 解散後の交流②~

氷室氏とBOOWYの元メンバーとの解散後の交流エピソードというと、一番多く伝わっているのは高橋氏との逸話だろうか。
このソースは主に高橋氏の自伝インタビューのほかトークイベントにおける発言の数々。
一方で氷室氏も、東日本大震災復興支援チャリティライブ(全曲BOOWY楽曲で構成)開催発表直後のインタビューにおいて、高橋氏とはプライベートでもやりとりが結構あること、だから高橋氏にチャリティライブのアンコールで叩いてもらおうかというプランがあった(が、ライブ発表後の状況が複雑になっているがために断念した)ことを明かすなど、高橋氏とは解散後もずっと関係が続いていたことを認めている。(※1)
そういった関係性を反映してか、高橋氏は元メンバーの中で唯一、最初からこのチャリティライブに対して「何かやってくれると思っていましたので良かったです」「まこと、応援してます。それぞれにやれる事やっていけばいいんだなあー。」「バンドに携わってきた俺も嬉しい気持ちになります」と、全面的な賛意を示し、氷室氏へエールを送っていた。(※2 2011.4.19)

だというのに、ゴシップ誌が全く異なる内容の記事(大抵が、布袋氏がBOOWY絡みで何か言ったとか何かやった時の記事で、氷室氏が3人に歩み寄れば3人は応じて再結成が実現するはずと結論づけるもの)を書くのをボチボチ目にするようになった。
曰く「布袋氏と松井氏、高橋氏の3人は解散後も一緒に仕事をしたりして、ずっと良好な関係を保っているが、氷室氏と他のメンバーは付き合いがない。また、氷室氏と布袋氏の間には不仲説が根強く、氷室氏が全曲BOOWYのチャリティライブを開催したことで、氷室氏は松井氏や高橋氏とも対立してしまった」と。

しかしながら布袋氏はともかくとして、高橋氏は(ここでは触れないが松井氏も)解散後も氷室氏と交流が続いていたことがわかる逸話がいくつも残っているわけで……。
さらに、少なくとも高橋氏は氷室氏のチャリティライブを一貫して支持賞賛しているわけで……。
そうやって面白おかしく書いた方が世間にウケるというのはわかるけれども、BOOWYは仲が悪いから再結成できない(=不仲が改善されれば再結成が実現する)的な話に持って行かれてしまうのは、正直なんだかなぁと思わないでもない。

そこで、ゴシップ誌に掲載される「自称業界人・芸能記者」の証言へのささやかな反論として、他の元メンバーと氷室氏との解散後の交流について、簡単にまとめておこうと思う。
当然、一ファン(しかも後追い)たる私が知っている情報は、当事者らの自伝やインタビュー、当時の音楽雑誌等に書いてあったものでしかなく、表に出ていないことについては何ら知り得ない。むしろほぼプライベートの付き合いばかりなので、表に出ていないことの方が多いだろう。
ここで紹介する逸話は、あくまでも高橋氏の自伝、ブログ、私の所有する当時の音楽雑誌等々で公表されているもののみ。これ以外は行っていないという意味ではない

なお、ネットの海の中には一般人による「ライブでの元メンバーの目撃情報」が色々漂っているが、その情報単体では真偽不明として、証拠として基本的に取り上げない。(関係者の証言は別)
一般人のレポ等を私が取り上げるときは、原則として、①その出来事があった直後に発信されたものであること、②複数人が同内容のものを発信していること、③あったとされる出来事が当時の状況や当事者の性格等の観点からも矛盾がないこと、等の個人的基準をいくつかクリアした場合のみとさせていただいている。
発信者が嘘をついていると言いたいわけではなくて。表に出ているものは極一部で、世に知られていないもがほとんどなのだから、その中には一般人が見聞きしたことが存在しているかもしれない。だけど人間は完璧ではない。時間が経てば経つほど記憶違い・勘違い・物忘れが起こりやすくなるし、証言者が一人だけでは見間違い・聞き間違いの可能性も否定できない。まして自分とは一切面識もなく、為人も何もかも全くわからない人の証言であるため、どのようなバイアスがかかっているか判別しがたいからだ。
真偽不明の情報がもし誤りだったら、それを根拠として導き出された結論や判断もまた異なってくるから、他に裏付けとなるものがない限り、または状況等から相当蓋然性が高いと判断されるものでもない限り、証拠としては取り上げないので、御理解の程を。

きっと見落としがあったり、現時点で私の存じ上げないエピソードも多数あるだろう。もし後で何かわかったことがあれば、その時は追記させていただきます。
ファンにとっては今更な話ばかりですみません。

【氷室氏と高橋氏との交流】

この御二方の解散後の交流エピソードについては、高橋氏の自伝でも、かなりの文字数を費やしている。また、高橋氏はインタビュー等でも折に触れて氷室氏のライブを観に行った話(そこで松井氏に会った話も含む)を語っている。
私も何度か高橋氏のトークイベントを拝見させていただいたが、氷室氏との想い出話を楽しそうに語っている姿が印象に残っている。体感としてはトークの内容のほぼ全てがBOOWY関係で、さらにそのうち大部分が氷室氏絡みのエピソードであった。(松井氏については直近でいつ会ったのかという話が多く、布袋氏についてはBOOWY時代の音楽面については誉めるものの、その他の部分については「布袋サンはねー、こういうところで話しても大丈夫な話があんまりないんだよね-」とのこと。ああ、うん。察し……。)

高橋氏は、BOOWY解散後に事務所を独立していった布袋氏&松井氏組とは異なり、氷室氏と一緒にユイ音楽工房に残ったということも、付き合いが続いた理由の一つとして挙げられるだろう。
実際、BOOWYのLAST GIGSの下見のため、完成したばかりの東京ドームで開催されたHOUND DOGのライブを2人で一緒に観に行ったりもしている。(1988年3月28日)(※4  P163-164)

また高橋氏の息子氏が氷室氏の息子氏と同い年であることが縁で、お互い家族ぐるみの付き合いをしていたとのことである。(※4 P208)(※5)
氷室氏夫妻が子供を連れて高橋家へ遊びに来た話や、高橋氏が双方の子供を公園に遊びに連れて行った話は、高橋氏がトークイベント等でよくする話の一つであるし、自伝「スネア」にも書かれていたりもする。
また、高橋氏の息子氏も、子供の頃氷室氏に遊んでもらった記憶を語ると共に、「親父なんか俺が生まれてからも氷室さんと仲良かったよ。」「親父めっちゃ氷室さんのこと大好きだから」と、2人が解散後も良好な関係性を維持していたことを証言している。(※5)

お互いの家を往き来する関係性は、氷室氏が渡米する前まで続いていたようで、氷室氏が高橋氏の家に遊びに行った際に、「函館で、ファンとのスキーツアーがあるから遊びに来ないか」と高橋氏を誘い(1993年2月)(※6)(※7)、氷室氏のFCイベントに高橋氏がゲスト出演する(1993年3月11日~13日)というエピソードも残されている。(※4 P182-183)(※6)

当時の高橋氏は、BOOWY後に加入したDe-LAXが解散し、「自分の殻にひたすら閉じこもった無為無策な日々」で、この氷室氏からの誘いも「De-LAXが終わって放心状態だった俺の気持ちを少しでも軽くしてくれようとした氷室なりの心遣いだったと俺は思っている」と感謝の言葉を残している。(※4 P182)
「これって、ヒムロックに『お前、やれよ』って言われてんのかな、と思って……彼は絶対『こうやれ』とか口に出したりしない人だからさ。とにかく、あれには助けられたね」と。(※6)
そうして、「かけがえのない俺の戦友は、こうして今も第一線で身体を張って踏ん張っているのに、俺は一体何をタラタラやってやがんだ」と奮起し、立ち直ったと明かした。(※4 P183)

また、この頃よく氷室氏と一緒にバス釣りに出かけており(※4 P182-183)、松井氏他のミュージシャン同行することもあったようだ。
JUN SKY WALKER(S) の宮田氏もその時の模様をこう語っている。

「はじめてバスフィッシングに連れていってくれたのが、氷室(京介)さんなんですよ。氷室さん高橋まことさん松井常松さん一緒に山中湖に行って、氷室さんと同じ船に乗って。」(※8)

その後氷室氏は家族でロスへ移住してしまい、さすがにそれまでと同じような付き合いというわけにはいかなかっただろうが、高橋氏は「ヒムロックが日本にツアーで帰ってくれば、必ずライブを観に行く」と話すなど、友情は続いていたようだ。

【高橋氏が観に行った氷室氏のライブ】

氷室氏が元BOOWYのメンバーの話をすることそれほど多くはない。(訊かれたら答えるけれど。)そのため、氷室氏が高橋氏のライブを観に行ったかどうかはよくわからないことが多い。私の手持ちの資料では、1989年のインタビューで高橋氏のバンドDe-LAXのライブを観に行ったことが確認できるくらいだろうか。(※9)
他方、高橋氏は、氷室氏のライブを観に行ったこと(そしてその場で松井氏と出会ったこと)をよく話すし、当時の音楽雑誌に掲載された氷室氏のライブレポに、客席又は打ち上げの席にいる高橋氏(と松井氏)の姿が度々登場する。

では、高橋氏が観に行ったことが確認できる氷室氏のライブを整理してみよう。

【公演一覧】

  • KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」日清パワーステーション公演(1988年11月18日)(※10)(※11)(※12)

  • NEO FASCIO TOUR」日本武道館公演(1990年1月)(※13)

  • OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」有明スタジアム公演(1991年8月)(※14)
    ※会場で松井氏に会う。

  • TOUR 1993 "L' EGOISTE"」国立代々木競技場第1体育館公演(1993年5月)(※6)(※15) 
    ※会場で松井氏に会い、一緒にロフトで行なわれた打ち上げにも参加する。

  • 21st Century Boøwys vs HIMURO~An Attempt to Discover New Truths~」東京ドーム公演(2004年8月22日)(※4 P209-210)
    ※近くにいたGLAYのメンバーやマネージャーの土屋氏ととともにガンガンに盛り上がる。

  • TOUR 2007 ~IN THE MOOD~」東京国際フォーラム ホールA公演(2007年3月28日)(※2 2007年3月29日付)

  • 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT-」日本武道館公演(2008年9月1日)(※2 2008年9月2日付)

  • TOUR2010-11 BORDERLESS "50×50 ROCK' N' ROLL SUICIDE"」日本武道館公演(2010年9月9日)(※2 2010年9月10日付)
    ※終演後に楽屋で氷室氏と面会した際には、DAIGO氏も同席。

  • SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO」日本武道館公演(2011年12月30日)(※2 2011年12月31日付)

  • COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 12-13」日本武道館公演(2012年12月30日)(※2 2012年12月31日付)

  • Charity Live in SENDAI "We Are Down But Never Give Up!!"」(2013年3月11日)(※2 2014年3月14日付)
    ※席の隣はGLAYのTAKURO氏とTERU氏。氷室氏とは終演後に面会する。

  • 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」群馬公演(2014年5月17日)(※2 2014年5月18日付)
    ※「ツアーも半ば過ぎ、残りも頑張って」と氷室氏へ伝える。

  • KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京ドーム公演(2016年5月22日)(※2 2016年5月24日付)
    ※ユイ音楽工房後藤社長の計らいでスイートルームで観戦。後藤社長他松井氏、BOOWY時代に関係した、プロデューサーの糟谷氏、カメラマンの加藤氏等々と鑑賞

なお、

  • KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE ~CROSSOVER 05-06~」(2005年12月31日)

  • HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"」(2006年8月5日~6日)

  • 東日本大震災復興支援チャリティライブ『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"』」(2011年6月11日~12日)

については、仕事等で見に行けなかったことや代わりに花を贈ったことをブログで明らかにしている。(※2 2005年12月31日付、2006年8月5日付、2011年8月10日付)

こうやってあらためて振り返ってみると、高橋氏は「ヒムロックのツアーは必ず行く」との言葉どおり、氷室氏のツアーを都合の付く限りほとんど観に行っているのかもしれない。
渡米した頃から氷室氏は雑誌への露出が段々となくなっていったことに加え、高橋氏がブログを始めたのは2005年12月からであることから、氷室氏の渡米後から高橋氏のブログ開設までの期間は、氷室氏のライブにおける高橋氏の目撃情報は、ざっと見た限り、私の手持ちの資料にはない。(「SHAKE THE FAKE TOUR 1994」については、観に行った話をどこかで見たような気もするが、出典が思い出せない。)
ただ、氷室氏の最後のライブまで継続的に観に行っていることから、この空白期間も観に行っていた(観に行けなかった時は花を贈るなどした)のではないかと思っている。(あくまでも私の想像ですが。)
いずれにせよ、この関係性が東日本大震災復興支援チャリティライブの際に「まこっちゃんとはね、プライベートでもすごいやりとり結構あるんで。だから、実は、まこっちゃんは、アンコールで叩いてもらおうかというプランはあったりもしたんですよ。」と氷室氏に言わしめたところでもあるのだろう。

【氷室氏のライブに飛び入り参加?!】

さて、上記の高橋氏が観に行った氷室氏のライブのうち、「単に観に行った」だけでは留まらない公演がある。それが一番最初に挙げた「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」日清パワーステーション公演(1988年11月18日)(※10)(※11)(※12)だ。

日清パワーステーション公演は11月18日、19日の2日間にわたって開催された。それも開演時間が午後10時と遅めの「ちょっと大人のためのライヴ」。
当時の音楽雑誌に掲載された初日のライブレポの一部を見てみよう。

ライヴ・ハウスに演出もねェぜ
彼の顔――こんなにも真近でライヴをしている顔を見たことはないが――も嬉しさを隠せないようだった。アンコールで「そんなに見つめるなよ照れるぜ」とはにかんでみせたが、ホントは彼の方が、跳びはねているいくつもの目を凝視し続けていた。ときには2階で踊るスタッフに驚くような笑みを送ったり、ときにはステージ前に伸び上がってきた手のひとつにスッと自分の手を重ね合わせてみたり……。3年ぶりのライヴ・ハウスを十分に楽しんでいる様子がありありとしていた。
そしてこの日はハプニングがひとつあった。
「あれ?いや打ち合わせもなんにもないよ」
ハプニングの主はあとでそう語った。打ち合わせがないのは当然だ。彼はその日、横浜自分たちのライヴを終えてそこに駆けつけていたのだから。
アンコールの1曲目「HONKY TONKY CRAZY」を演奏しているとき、氷室の視線が2階で止まった。彼は顔中で驚き喜びを表現して、目線と手の動きでステージに降りてこいよといった。それまで曲に合わせて跳びはねてた赤いコートがその合図で2階から瞬時に消えた。高橋まことである。
まこっちゃんはその日、誰よりもハデにステージに駆け上がった。そして「IMAGE DOWN」を叩いた。もちろん、口はその歌詞を追っているようだった。
「ホントは”HONKY-“を前で歌おうと思って出てったんだよ。だけどちょうど終わっちゃったからさあ……おしかったなあ」
まこっちゃんは笑っていたが、歌いたかったといった時の顔はマジだった。(※10)

この日清パワーステーション2DAYSは、2日間とも複数の音楽雑誌の取材が入っていたようで、当時の雑誌等にこの「飛び入り参加」は大きく取り上げられていた。
ライブレポを書いたライターは、BOOWY時代からお馴染みの面々。上記のB-PASSの記事は中川隆夫氏、ARENA37℃は星野京子氏、ツアードキュメントブックは佐伯明氏等々。

なお、唯一高橋氏の飛び入り参加のことには触れていないが、ROCK'N ROLLのライブレポは、森内淳氏が書いていた。

ところで、上記のライブレポでは、高橋氏は自身のバンドDe-LAXの横浜でのライブが終了した後に駆けつけた、とある。しかしながら、当事者たる高橋氏は、大宮でのライブを終えた後に観に行ったと語っていたりもする。
不思議に思って調べてみたところ、De-LAXは11月18日(初日)に横浜で、翌19日(2日目)に大宮でライブを行っていた模様。つまり、高橋氏は2日目に参加したと証言しているということ。
だが、私としては、それは高橋氏の記憶違いではないかと疑っている。
理由としては単純で、当時の雑誌等に掲載されたライブレポが、おしなべて初日に飛び入り参加があったと書いていること。
一例を挙げよう。

そして、11月18日、新宿・日清パワーステーション。僕は昼すぎから仕事を2本終え、8時すぎに夕食をとり、9時半にパワーステーションに入った。
(中略)
マコッちゃんが飛び入りで1曲叩いた。血管がいきなり開いたが、氷室バンドの堅牢さは崩れる。そこが妙に悲しい。
2日目、マコッちゃんは叩かなかった。そうしたアプローチの積み重ねが氷室京介の音楽を創っていく。(※12)


上記は、KING SWING編集部が編集し、ユイ音楽工房がプロデュースしたツアードキュメントブックに掲載されたもの。ライターは佐伯明氏だ。

さすがに飛び入りがあった直後に書かれたライブレポで、さらに複数のライターがそれぞれ書いている記事で、全員揃って日付を誤って書くとは考えにくいのではないか。事務所(当時は氷室氏と高橋氏の双方が在籍)チェックもあるだろうし、さすがに初日と2日目を混同するとは思えない

また、パワステオープンから3年間の全記録を網羅したという「1000DAYS OF ROCK’N ROLL パワステ・ブック」にも18日に高橋氏の飛び入りがあったと記録されている。

11月 大注目は18・19日の氷室京介。「帰って来たぞ!」の第一声で始まったライブは、18日には高橋まことが飛び入りしてしまうなど大興奮の一言。(※16)

高橋氏も「BOOWY解散を布袋氏が切り出したのは「BOOWY'S BE AMBITIOUS」ツアーの長野公演の時(注:同ツアーには長野公演がない)」と語るなど、(悪意はないと思うが)明らかに記憶違いを疑わせるような証言がままあるので、これもその類いではないかと考えている。佐伯氏のライブレポでは、「2日目、マコッちゃんは叩かなかった」と書かれているので、もしかしたら1日目だけでなく2日目も高橋氏は観にいっていた可能性があるのかも。それなら混同してしまってもやむを得ない。
どちらにしろ、氷室氏の「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」日清パワーステーション公演のいずれか1日に高橋氏が飛び入り参加したという事実に変わりは無いので、あまり拘るべき点ではないだろう。

それにしても、氷室氏はよく高橋氏を見つけたよなぁ……と思わないでもないが、恐らくその秘密(というほど大袈裟ものではないけれど)は、会場となった日清パワーステーションの構造にある。

日清パワーステーションは、新宿にある日清食品東京本社ビルの地下1,2階に建設されたライブハウス。ステージメインフロアがあるB2のキャパは500名ほどでオールスタンディングB1は、食事注文必須の30席程度のテーブル席(S.D.S)と、お酒を飲みながらライブ鑑賞ができるごく狭い立ち見スペースのみ。
恐らく関係者席があったろうB1のスペースは、B2のスタンディングフロアの中方から後方に張り出して、上からステージを見おろす席なのだ。500名程度のライブハウス規模で、この構造。つまり、上記のライブレポでも「2階(注:B1スペースのこと)で踊るスタッフに驚くような笑みを送った」とあるように、B1スペースであっても、ステージから近くて非常によく見える
なので、元メンバーが観に来ていたら、氷室氏はまず気付くだろう。
そして、そのB1フロア(上記のライブレポでは2階と表記)からステージを見下ろす形で、高橋氏は氷室氏を観ていた。

氷室京介というミュージシャンは、非常に観客をよく見ている。(と思う。)ライブで「魂を抱いてくれ」を歌っている最中に昔から観に来続けているファンを見つけ、「熱さが消えて透明な秋 愛だけ残った」という歌詞とリンクして涙ぐんでしまったり、母の遺影を客席で抱えて見ていた観客を見つけて声を掛けたり、ステージから離れた席で見ていた長くからのファンを見つけて、ステージ近くに呼び寄せてタオルを渡したり、氷室氏の衣装替えに合わせて同じ色のシャツに着替えるファンを見つけてMCでいじったり……と、視力が悪いというわりには、ライブ中観客をよく見ていることを伺わせるエピソードは枚挙に暇がない。

そうして氷室氏は、アンコールでBOOWYの楽曲「HONKY TONKY CRAZY」を歌っている最中に、B1フロアで観ている高橋氏を見つけた。

多分もう10年近く前になると思うが、動画サイトにアップされていたこの時のライブの模様(恐らく会場の記録映像が流出した海賊版だと思われる)を見たことがある。その映像を見た後、上記のライブレポを確認したのだが、本当に「レポの描写どおり」で驚いた。高橋氏を見つけた氷室氏の表情、アクション、高橋氏の登場の仕方等々、本当にそのまんまだった。

自分のバンドのライブを終えて駆けつけた高橋氏は、恐らくライブが始まってから、もしかするとアンコール直前くらいに会場入りしたのだと思う。そうでないともっと早く氷室氏が気付いたろうから。

演奏中、ふっと客席上方に視線を向けるやいなや、氷室氏は破顔一笑
力強く手招きして「来いよ!いいから来いって!!」と言っているかのような氷室氏。
そんな氷室氏のアクションに釣られてB1フロアを見上げる観客達
それから程なくしてステージに登場した高橋氏。
2人で肩を組み耳元でちょっと打ち合わせをした後に、ドラムの永井氏と交替して、高橋氏は「IMAGE DOWN」を叩いた

高橋氏を見つけた時の氷室氏は本当に嬉しそうだった。
多分、氷室氏にとっても本当にサプライズだったのだろう。
高橋氏のバンドは、その日別の場所でライブがあったのだから。
そこにいるはずのない人がいた。それもBOOWYの楽曲を演奏している時に。それでつい、ステージに呼び寄せてしまったのではないか。ライブ中というアドレナリン出まくりの特殊な状況でなければ、また、観ていたのが来るとは思っていなかった元メンバーでなければ、いくら親しくしている人相手でも、そういうことはしない人だと思うので。

こうして氷室氏のライブに高橋氏が飛び入り参加し、BOOWYのLAST GIGS後最初で最後の「共演」が実現した頃、残りの2人――布袋氏と松井氏も布袋氏初のソロライブ「GUITARHYTHM LIVE」で「共演」していた。
一発目の代々木公園は大成功だったようだが、氷室氏と高橋氏の共演から遡ること3日、11月15日に開催された大阪公演で布袋氏は、一人ではふらついて立てないほど泥酔して楽屋入り。(泥酔の理由は、ライブ前夜にサポメンが布袋氏の喉を気遣って布袋氏を飲みに誘わなかったことに拗ね、「BOOWYでは何をやるにも4人だったので、寂しくてたまらなかった」と深酒したため。)ライブ自体も満足いくものとならなかったとのことである。(そりゃ当たり前。当時のライブレポが代々木ばかりで大阪はガン無視なのはそういった事情もあるのかな……。)
そしてライブが終わってからも、布袋氏は「スタッフやバンドに八つ当たりみたいなことをやっちゃった」そうだ。(※17)
………。松井氏も布袋氏に「八つ当たり」されたのだろうか。一旦火がつくと手がつけられないほど暴れるとの証言が散見される布袋氏だから、どんな八つ当たりをされたのだろう。まぁ、松井氏は布袋氏との付き合いが長いのでうまく宥めたか、或いは自分は被害を被らないよう早々に逃げたのかもしれないけれど。
同時期にあった二通りの「共演」だったが、明暗は別れた。

仮に、BOOWY時代にこれと同じような泥酔事件を布袋氏がやらかしていたなら、氷室氏は烈火の如く怒ったのではないか。布袋氏も「俺がふてくされてたら、ライブが終わってからヒムロックがすごい剣幕怒る」とBOOWY時代のことを語っていたし。(布袋氏は気分屋ですぐ態度に出て、かつ(自分に非があっても)他人からとやかく言われるのが大嫌いな人なので、氷室氏のこういうところを布袋氏はうざったく感じていたのかなと思わないでもない。)
当時、もしも氷室氏がこの布袋氏の失態を知ったのなら、「何やってんだ!」と怒っただろうか。呆れて言葉もなかっただろうか。或いは「やらかしちゃったの(笑)?」と笑い飛ばしただろうか。それとも「もう解散したんだからアイツが何をやろうと俺には関係ない」と無視しただろうか。
氷室氏と布袋氏双方ともこの頃は会ってない証言しているので、そんな仮定無意味なのかもしれないが、解散の経緯やら布袋氏の身勝手な泥酔の理由やらを考え合わせると、氷室氏がこの件をどう捉えたかちょっと気になる。現在であれば布袋氏が何をしようが氷室氏は無関心だろうが、この当時なら、ね……。
逆に、布袋氏が「氷室氏と高橋氏の共演」を知ったのなら、自分が解散を望み、さらには松井氏と共演していることも棚に上げ、ものすごく拗ねて怒って暴れまくって、さらには後に直接的な嫌味の一つや二つや三つや四つを言って「それを見せられて傷ついた俺」アピールをする未来しか想像できない(笑)。

【現在について】

ご承知の通り、氷室氏は現在ライブ活動無期限休止中である。上記のように高橋氏は、氷室氏が帰国してライブを行う度に観に行っていたようではあるが、現在は氷室氏のライブに行こうにも、そのライブがない状態が続いている。となると、今も顔を合わすことがあるかどうかは、私は知らない。少なくとも氷室氏がライブ活動を休止するまでは交流があった証言があるだけ。

氷室氏はL.A.在住で、高橋氏は日本在住。物理的に距離が離れていて、日常的に顔を合わすような状況にはない。「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」の少し後に行われた高橋氏のトークイベントでも、(その時点で)「氷室氏と最後に会ったのは氷室氏の25thツアーの時に楽屋で」と仰っていた。(「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」東京2日目公演にはBOOWY関係者とともに観客として観に行っている。)
氷室氏が偶にプライベートで帰国することがあっても、それほど長期滞在はしないだろうし、そんな中、昔の仲間と頻繁に遊びに行く余裕があるかどうかは甚だ疑問である。また、会っていたら高橋氏がトークイベント等で触れそうな気もするので、直接会ったりはしていないのではないかと個人的には思う。最近は「元メンバーと連絡を取ってるんですか?」と訊かれても「ほとんどない」と応じ、唯一、2019年に布袋氏の事務所から連絡がきて、布袋氏のソロアルバムの内の1曲に高橋氏と松井氏がゲスト参加したエピソードを紹介する程度だし。(注:会ってないから不仲になったといいたいわけではない。)

だが、ソロ最初のツアーから2016年に行われた氷室氏のLAST GIGSまでずっと氷室氏のライブを観に行き続けていたエピソードや、高橋氏が残してきた氷室氏への言葉の数々からもわかるように、氷室氏とは解散したら付き合いがなくなったわけではなく、解散後も良好な関係性を築いていた。
氷室氏も、高橋氏とは正反対の思想信条をお持ちであろうギタリストのDAITA氏とも親しいので、当人の思想信条の如何かによって付き合い方を変えない御方なのだと思われる。
また、チャリティライブ発表時の高橋氏による賛意コメントなどからもわかるように、ゴシップ誌が書き立てている「BOOWY解散後の氷室氏は高橋氏・松井氏とも疎遠だった」「全曲BOOWYの東日本大震災復興支援チャリティライブを氷室氏一人で行なったことに対して、高橋氏も不快感を示し、氷室氏と対立した」という話は事実と異なると言えるだろう。

そのくせゴシップ誌は、高橋氏を呼んでBOOWY時代の想い出を語らせる時には、「氷室氏とも布袋氏ともコンタクトを取れる、再結成の鍵を握る男!」といった風に高橋氏を紹介したりもする。
おーい、アナタ方が作った「解散後は付き合いがない」「チャリティライブをきっかけに氷室氏と対立した」って設定どこいった⁈

まぁ、取材不足でも何でもなく、「わざと」「知ってるのに」「敢えて」そう書いているのでしょうが。
本当に、もう、いい加減にしていただけませんかね。


【出典・参考資料】

※1 POSTSCRIPT PERFECT EDITION 01 第2章 IF YOU WANT
※2 高橋まことオフィシャルブログ「ATOMIC DORUM高橋まことのぼちぼちブログ」
※3 松井常松公式サイト「COLUM」2011.6.11「東京ドーム」
※4 「スネア」/高橋まこと著
※5 The Foobars - Talk Sessions【BOOWY】pt.3 -SPECIAL GUEST 高橋まこと(ex.BOOWY)-
※6 音楽と人 1994年8月号 P39
※7  PATiPATi 1994年8月号 P118
※8 Real Soundインタビュー「JUN SKY WALKER(S) 宮田和弥が語る、30周年のムードとビジョン『4人で突破していきたい』」(2018.01.19 18:00))
※9 宝島 1989年12月号 P41
※10 B-PASS 1989年2月号P157-158、P178
※11 ARENA37℃ 1989年1月号 P32
※12 Kyosuke Himuro Tour Document Book-2 King of Rock Show Flowers for Algernon P48
※13 ARENA37℃ 1990年3月号 P4
※14 月刊カドカワ 1991年11月号 P381
※15 ROCK'N ROLL NEWSMAKER 1993年7月号 P11
※16 1000DAYS OF ROCK’N ROLL パワステ・ブック P48
※17 THE BIBLE 別有天地非世俗/布袋寅泰著・インタビュアー神康幸 P96-97

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