「現実」の中で「魔法」を見つけるということ アニメ『シンデレラガールズ』(無印)が描いたもの
Blu-ray BOXが発売されたアニメ『シンデレラガールズ』(U149で無い方)の再放送が終了したが、最初の本放送中「話題」になった一方で妙な「批判」も多く見た記憶がある。検索しても当時のブログなどはあまり出てこないのだが、思い出せるものとしては、
だがハッキリ言ってこれはイチャモンに近い「批判」だ。最後のについては確かにわかりにくい部分があるが、それでも「ヒント」は多く出ている。本記事ではこれらの「批判」がどのように不当か、そしてそれとある意味表裏一体の作品の主題について書く。
美城常務は無能か
「無能」と言われるのは武内Pの「アイドルの個性を伸ばす」路線を否定し「正統派アイドル」路線に強制転換したためだろうが、なぜそれが「無能」という評価になるのか⸮ これが「美城常務は悪」と言う評価なら一応理解できる。アイドル達にとって「自分がやりたい事」を曲げられるのは嫌だろう。だが美城常務が「利益追求」を目指すのは経営者として当然のことだ。
そして路線変更する理由としては確かに「美城プロの格式」等も挙げているが、路線変更を決めたのは海外出張から帰った直後なのだから海外の事情を鑑みて路線変更を強行したと考えるのが自然だろう。2024年現在グローバル人気になっているK-POPアイドルは正統派アイドル路線で日本も一部その路線を目指しているが、アニメ製作陣も(2015年時点で)そうした事情を鑑みて美城常務の方針を決めたのかもしれない。
もちろんフィクションが現実と一致する必要は無いが、作中に置いても人気なのは高垣楓など(ダジャレを言うなど少し変わったところはあるが)正統派アイドルだ。更にメタ的なことを言えば、ゲーム「シンデレラガールズ」のプレイヤーからも人気なのは北条加蓮など正統派アイドルだ。
上記のランキングを見ればわかるが、正統派アイドルを目指したプロジェクトクローネのメンバーは(美城常務が引き抜いた渋谷凛含めて)神谷奈緒、鷺沢文香など「プレイヤー」にも人気のアイドルばかりなのだ。
もし作中で色物の着ぐるみアイドルなどが人気であるにも関わらず美城常務が強引に路線変更させたと言うなら、確かに美城常務は無能である。だが実際には「作中世界の人気」「作中アイドルの現実での人気」「現実アイドルの人気」どの面でも正統派アイドルの方が人気なのだ。要するに美城常務の「正統派アイドル」という路線は実際正しいのである(なお、安部奈々は例外的かつ特殊で、「現実では人気だが作中では電波系アイドルとして何年も人気が出ない」訳だが、作中世界の中で考えれば「何年も芽が出ない(色物)アイドル」であり、「切り捨てる」経営判断はやはり正しい。いや、17才だが)。
更に言えば、美城常務はちゃんと成果を出している。「ギャルアイドル」の城ヶ崎美嘉は「正統派」路線への変更に難色を示すが、実際にそれで好評を得ている。それも作中だけでなく現実の視聴者に対しても。
デレマスアニメ17話で美嘉姉がギャル路線変更されそうになったとき「これで美城常務の無能さが露呈する回か〜!」とみんなわくわくしてたのに、実際にできあがった新路線の美嘉姉があまりに美人すぎてオタクたち全員死んでしまったのいま思えば超うける
— なぎこ (@9uri) August 31, 2017
美城常務無能無能って言われてるけど、この美嘉を生み出しただけで俺の中では終身名誉有能決定。 pic.twitter.com/aKoBFq9bd2
— 紅ほっぺ (@benihoppe_momo) August 29, 2015
他の面でも、美城常務が言ってることは「やる気のないものは去れ」「お友達ごっこしてんじゃねーんだ能力が無い奴に合わせて才能を潰すな」 などそれ自体は一定の真実を含んだものであり、商業としてやる以上ある程度は避けられないことだ。
なお、妙に記述が充実していることも多いpixiv大百科でも美城常務の仕事について成功失敗両面を「中立的な観点」で評価されている。
さらに言えばこれらはアイドル自身のためでもある。キラキラした理由でアイドルになる人が本当に多いかは知らないが、『パリピ孔明』の主人公のように「自分の歌を世界に響かせるため」アイドルを目指す人だっているだろう。だが、鳴かず飛ばずだったらその夢も叶えられない。「みんなを笑顔にしたい」のようなキラキラした思いを持っていたとしても、ファンがいなければ「笑顔」にしようが無く、アイドル自身も報われない。あまりにも自分のやりたいこととかけ離れてるのならともかく、受け入れられる範囲で売れるように自分を曲げるのは悪い事とは限らないのだ。
「仕事」と捉えた上で輝こうとする登場人物たち
そしてこれは上記の城ヶ崎美嘉の例にも、それどころか他の多くのアイドル達にも当てはまるのだ。「ギャルアイドル」から「正統派アイドル」への路線変更を命じられた美嘉は戸惑うが、写真撮影の際やはり「自分らしさ」が大事だと思い「ポーズ」を変更する。衣装などは「上」の命令そのままなので「ささやかな抵抗」の訳だが、それにより美嘉は「自分の新しい可能性」を見つけ、更なる好評を得る。
あるいは18話で杏ときらりはユニットを組まされ、杏が「同い年なのに身長が正反対なのが面白がられてるだけだ」と正しい指摘をするが、きらりはそれ自体を否定することなく、「可愛い服を着られて、可愛い杏と一緒にいられる」「それを見た人も幸せな気持ちになれる」から笑顔でいられると語る。「仕事の都合」であってもそれは関係ない、と答えるのだ。
あるいは同じ回で三村かな子と緒方智恵理は江戸切子の取材をし、「若い人はあまり興味無いもんだが」と言われた二人が脊髄反射で「そんなことないです!」と答え「ではどこが」と聞かれ何も答えられないという共感性羞恥を誘う場面があるが、その後元気を取り戻した二人が再度取材に行った時、江戸切子の職人は「仕事とはいえ大変だね」と(経緯を考えれば仕方ないが)やや嫌味がかった口調で言うが、それに対してかな子は「だからこそ、素敵だなと思ったものを紹介したい」と答える。二人は「仕事」である事を認めた上で「ありのまま」の姿勢で、江戸切子を見た人も、職人も、自分たちも笑顔になれるような仕事をし、最初失望していた江戸切子の職人も二人を認めるようになる。
二期のテーマ
そしてこのように見ていくと二期、そして本作全体のテーマも見えてくる。と言うよりこれはOPでハッキリ歌われている。
捜していたのは 12時過ぎの魔法
それはこの自分の靴で 今進んで行ける勇気でしょう?
要するに一期では「魔法」(周囲のお膳立て)により活躍できていた主人公たちが、「12時過ぎ」で「魔法」が無くなった後(=美城常務によりお膳立てが消えた後)、自分の足で進んでいけるように模索し成長していく物語なのだ。ここまでハッキリとテーマが明示されてるのにそれが無視されているのは嘆かわしいとしか言いようがない。
「暗い展開ばかりで嫌」
嫌なら見るな……いや、もう少し真面目に話をしよう。「現実でツラい事ばかりなのに何でアニメでまでツラい思いをしなきゃならないんだ。美少女がキャッキャウフフするのが見たいだけなんだ」というのは一つの意見だろう。だが本作は「ずっと明るい展開だったのに突然暗い展開になった」訳では無く、一期6話の時点で美央が勘違いで恥をかいたと感じアイドルやめると言い出す暗く重い展開があるのだ。その後もライブでトラブル発生など「暗い展開」は度々ある。「明るいアニメが見たい」と思うならその時点で見るのをやめれば良いだけだろう。
大体てめーらまどマギでマミさんが首チョンパされた時は大はしゃぎしてたじゃねーか。「暗い展開」が嫌なんじゃなく「現実的な暗い展開」が嫌いなだけだろ。別にそういう「お気持ち」を持つのは構わないが、それをあたかも「客観的な作品の欠陥」であるかのように言うのはやめろ。
終盤のストーリー展開は不自然か
この点について、作品に好意的な人でも「不自然ではない」と明確に言語化できる人は少ないかもしれない。だが「なんとなく」なら理解できるようにはちゃんと描かれている。
まず、卯月が落ち込む理由はハッキリ描かれている。凛の引き抜きの話をキッカケに、触発された美央もソロ活動を始め(自分には何もないと思ってることで)自信を失ったのが原因だ(もっとも、周りの「シンデレラプロジェクト」のメンバーが美城常務の失敗をリカバーするなどの活躍を見せ自信を得た事がかえって卯月自身には「落差」を感じさせた事が最後の一撃という複雑な経緯もあるが)。
「しかし立ち直る理由はハッキリ描かれてないでは無いか」と思うかもしれない。それは確かにその通りだ。だが正確には立ち直る理由が「ハッキリしない」ことはハッキリ描かれている。
卯月が「立ち直った」事が明確に示されるのは24話ラストのライブだが、その直前、クリスマスライブの会場に来る時に至っても、卯月は「自信を取り戻した」から来た訳では無く、まだ迷っている。「確かめたい」「信じたい」と言い、星の型紙に書く「願い」も思い浮かばない。そしてその「自信を確立していない」状態のままステージに上がり、歌い終わった後、彼女は立ち直る。
こう書くと「本当に立ち直る理由が描写されてないじゃないか」と思うかもしれない。だが正確にはその前から一貫して描かれているものがある。それは周囲の人間からの信頼の言葉だ。23話ラストで美央と凛から励まされ、24話では「シンデレラプロジェクト」のメンバー皆から心配と励ましの声をかけられるが、ここでは「アイドル」についてのそれぞれの想いを聞き、「不安は分かち合える、一緒に立ち向かえる、だから前に進もうと思える」という言葉で締められる。そして思い出の場所で自分の不安を吐き出した後、武内Pから「私は信じています」「あなたがいなければ皆はここまで来られなかった」と言われる。
卯月はこうした言葉を沢山かけられてなお「そうだったら、嬉しいです」と答え自信を得ることができないのだが、ライブ会場で美央と凛そして「シンデレラプロジェクト」の皆から応援の言葉をかけられ「S(mile)ING!」を歌い始めることを決意する。
私もこの記事を書いてる途中で知ったのだが、この歌の名前は「努力を重ねてきた道のり(mile)があったからこそ、笑って(smile)で歌える(sing)今がある」という意味だそうだ。
要するに、卯月が立ち直れたのはそれまで(本人自身も気づかない内に)積み上げてきた「努力」「実績」、あるいは「道のり(mile)」により周囲からの信頼を得ていて、「一歩を踏み出す(=歌い始める)勇気」を持つことができ、そして積み上げてきた努力により実際に歌う事に成功できたからだ。
(再掲)
捜していたのは 12時過ぎの魔法
それはこの自分の靴で 今進んで行ける勇気でしょう?
卯月を立ち直らせた「魔法」は、まさにOPで歌われている通り「自分の靴で」「進んで行ける勇気」だったのだ。
ここまで読んで「いやそれは主観混じりの『解釈』ではないか、少なくとも明確には描かれて無いのではないか」と思うかもしれない。繰り返すがその通りだ。だが、これは別に物語の「欠陥」では無い。そもそも本作は「正統派アイドル」の例からもわかる通り一貫して「現実」を描いているからだ。もちろんアニメである以上それはある程度オミットされている。現実の「芸能界の闇」はもっと深いだろうし、ハッピーエンドで終わるとは限らない。だが普通の「物語」が「分かりやすいイベント」で主人公が復活するのに対し、本作は「現実にあってもおかしくない再起」を描いているのだ。
「分かりやすいイベント」と言うのは、例えばバトル漫画の回想で「負けられない理由」を思い出し主人公が覚醒するとか、親しかった死んだ人物が遺した言葉を偶然発見し立ち直るとか、誰かの命の危機を助けようとして本来以上の能力を発揮するとかだ。名作の『魔女の宅急便』でも主人公のキキがトンボを必死の思いで助けたことで立ち直る。
要するに通常の「物語」においては広い意味での「魔法」(分かりやすいイベント)によって危機から脱しているのだ。
しかし、繰り返すがシンデレラガールズは一貫して現実を描いている。美央がアイドルやめると言い出す回にしても、アイドル活動に「仕事」の面が大きい事も。
現実においては「落ち込む理由」はいくらでもあるが、「こうすれば絶対立ち直れる方法」(魔法)なんてものは存在しない。本作はその上で「現実的な立ち直る道のり」を描いているのだ。
卯月が「がんばります」という言葉を繰り返すことについて、下記記事にはこうある。
卯月役を務める大橋彩香は卯月を演じる際、「卯月の言う「頑張ります!」という言葉は決して嘘や逃げではないものの、彼女はそこで自分でも気づかないうちに心にシャッターをかけている」というディレクションを受けたことを語っている
卯月が「心にシャッターをかけている」=「現実を見ないようにしている」ことは明らかだ。先にも書いたように6話では美央が「アイドルやめる」と言い出したことで皆が(視聴者含めて)暗い気持ちになった訳だが、そこで卯月は「体調不良」を理由に休む。恐らく誰もがそれを「来れないのは気分が落ち込んでるからだが『体調不良』を理由にしている」あるいは「美央のことが心配で体調を崩してしまった」と思っただろうが、実際には卯月は本当に風邪で、さらに美央のことも自分たちの今後もまったく心配しない発言をしていて私は初見時ズッコケそうになった。
当初私は「卯月は美央のことを信頼してるから心配していないのかな」と思ったが、実際には上記の通り心にシャッターをかけ、悪い方向に考えないようにしていただけなのだ。そして美城常務の帰還の後も「現実否認」を続けていたが、現実が否定できないほど目の前に迫った時、突然「何かが弾け」てしまった訳だ。
だが、一方で卯月は「現実逃避」だけしているのではない。上記で"卯月の言う「頑張ります!」という言葉は決して嘘や逃げではないものの"とあるように、卯月は現実に立ち向かうための努力もちゃんとしている。それが「デビュー後に養成所でレッスンをする」のような極端な形で表れたりもする訳だが、一方で「現実を見ないが故の明るさ」が周囲に勇気を与え、それにより救われた周囲の人間が今度は卯月が落ち込んだ時手を差し伸べるという形で卯月を救ってもいたのだ。クリスマスライブで歌い始めるだけでなく実際に歌い切ることができたのも、「努力を重ねてきた道のり(mile)があったからこそ」「笑って(smile)で歌え(sing)」たのだ。卯月は(落ち込むのも)立ち直れる理由も最初から示されていたのだ。
最終話では冒頭とラストで「魔法は、本当にあったのかな?」という(主役3人による)モノローグがあるが、本作においては(フィクションでは当たり前に存在する広義の)「魔法」は実は存在しない。卯月が「シンデレラプロジェクト」のメンバーに選ばれたのはそれ相応の努力と持ち前の明るさを兼ね備えていたからだろうし、ラストで立ち直れたのも上記のようにちゃんと理由があったのだ。もちろん「シンデレラプロジェクト」が立ち上げられたのはそもそも武内Pがいたからという「運」も絡んでるし、立ち直るのも「周囲の助け」があってこその薄氷の上のものだが、これは現実でも同じだ。
「ポエムバトル」について
本作ではこのように「現実」の中での「魔法」(のように見えるもの)を描いてるのだが、それが端的に表れてるのが最終話の通称ポエムバトルだ。「ポエム」と呼ばれているが、実際には「詩的」な言葉を使ってるだけで論理だてた議論になっている。
まず美城常務が 「輝きを持つ者」(=素質や実力がある者)でなければ「城」(=アイドルが活躍できる場)は維持できないと「現実」を語る。対して武内Pは「城」を目指す「想い」を大切にしたいと「魔法」(理想)を語る。しかしそれだけでなく、続けて「自分では見つけられなかった、美城常務でなければ見つけられなかった可能性(プロジェクトクローネ)があり、それに触発されて更に新たな可能性が生まれた」と「現実」路線により「魔法」が広がったとも語るのだ。先述したきらりの「仕事の都合であってもそれによりかわいいものに囲まれて嬉しい」というセリフにもあるように、「現実」と「魔法」は必ずしも対立する訳ではない。
美城常務はあくまで「城」の維持という現実路線を目指し、武内Pは笑顔を大切にしたいと語る事をもって美城常務は「我々は平行線だ」と言うのだが、実際には二人、あるいは「二つの目標」(現実と魔法)は交わらない訳では無いのだ。事実美城常務は直後に「彼女たちは我々の平行線すらも超えていくのか」と言い、武内Pは肯定する。
現実の中に置いても魔法は存在する、それも現実に存在する方法によって。
余談だが、「現実」を受け入れつつ「理想」を模索するというのを実際にやってるのは山崎貴監督だと思う。
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