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現実への現実逃避 ~ 『この世界の片隅に』 と『オッペンハイマー』~

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『私の推しは悪役令嬢。』

『この世界の片隅に』の作者こうの史代は映画『オッペンハイマー』を以下のように評している。

「核兵器は狂気の天才のしわざ」なんて逃げ道は、この映画にはありませんでした。
科学は誰にでも微笑みかけるし、私欲はどこにでも罠をはる。けれど、人はいつでも善意を宿すことができる。 この映画に関わるすべての人の善意と勇気に感謝するばかりです。

映画『オッペンハイマー』に対する渡辺謙、落合陽一、元広島市長ら22名のコメント公開

オッペンハイマーと『この世界の片隅に』の主人公すずは同時代人とは言え対照的に思える。交戦国同士で性別も異なり、オッペンハイマーが国家機密に関わる天才科学者である一方すずは一庶民に過ぎない。
だが上記のこうの史代の評はすずにも、いやいつでも・どこでも・誰にでも当てはまるのだ。
『この世界の片隅に』は「戦時下の平凡な●●●日常」を描いたことで話題となった。確かにすずは「普通」に見える。軍国主義者でも共産主義者でも民主主義者でもなく、「アジアの解放」も「革命」も夢見る●●●ことなく現実●●を生きているように見える。
だがすずは降伏の玉音放送を聞いた時憤激ふんげきするのだ。

最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね? いまここへまだ五人も居るのに! まだ左手も両足も残っとるのに!! うちはこんなん納得出来ん!!!

『この世界の片隅に』 下

そしてこう慨嘆がいたんする。

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『この世界の片隅に』 下 P.94

すずは「ノンポリ」に見える、実際愛国婦人会に参加したりはしていない。だがその彼女もいつの間にか「祖国の正義」を信じていたのだ。
(特にネットでは)「正義の暴走」「自分を正義だと信じ込んでる人間」は嘲笑されるが、その伝で行けばすずもまた嘲笑されるべき存在になる。

すずは「現実」を生きていたか

そしてそれは確かにその通りかもしれない。すずは「ノンポリ」だが、日本が戦争してる事ぐらいは当然知っていた。だが、すず闇市で砂糖の値段が暴騰してるのを聞いても、疎開する時も、大切な右手を失った後でさえ「日本は劣勢でもうすぐ負けるのではないか」と考えさえしない。有名なニーメラーの警句では、

ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

と「行動」はしなかったものの「不安を感じる」程度のことはしていた。だがすずはそれさえ無かった。
誤解が無いよう言っておくが、「すずは反戦活動すべきだった」と言いたい訳では無い。そんな事をしたらスケッチをしてるだけで詰問する(作中ではほのぼのと描かれている)憲兵にすぐ捕まって犬死にするだけだ。当時それが可能だったのは鉄の意志を持った共産党員ぐらいだったろう。

だがすずは「生活は苦しいし爆弾は降ってくるし戦争はやめて欲しいがそんなことを言ったら捕まってしまう」と思って反戦活動をしなかった訳では無く、玉音放送まで日本の敗北を考えようともしなかった
もし日本が降伏せず本土決戦ですべての国民が武装闘争することを命じられたらすずはどうしたのだろう。死ぬのは嫌だから逃げ出す? いや、そんなことは無いだろう。すずは竹やり訓練に何の疑問も持たず参加しているし、玉音放送を聞いた後はこう述懐している。

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『この世界の片隅に』 下 P.95

現実に流される、あるいは無意識のうちに信じていた正義のために戦いに身を投じ無意味に死ぬことになっていただろう。
原爆
の父オッペンハイマーが「罪を犯した」ことは誰もが認めるところだろう。だがすずが手を汚さずにいられたのは単に「命令されなかったから」なだけなのだ。

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『この世界の片隅に』 下 P.97

(再掲)
科学は誰にでも微笑みかけるし、私欲はどこにでも罠をはる。けれど、人はいつでも善意を宿すことができる。

映画『オッペンハイマー』に対する渡辺謙、落合陽一、元広島市長ら22名のコメント公開

オッペンハイマーに起きたことはすずにも、いや誰にでも●●●●起こりうることなのだ。

「現実」とは何か

すずは大それたことを考えることなく現実を生きていたように見える。だが「現実」とは何だろうか? いや、別に水槽の中の脳のような哲学的な話をしてるのではない。我々は普通「現実」を突拍子がない事が起こらないものだと思っている。「奇跡も、魔法もあるんだよ」と思うのが「現実逃避」とされている。「何もしなくても『普通の日常』が続いていく」ものを「現実」だと我々は認識している。だが実際にはそうでは無い。「現実」を生きていたすずは連れていた子供が目の前で死に、自身も右手を失う結果となった。

かつて「終わりなき日常を生きろ」と言われたことがあった。あるいは「デカい一発はもう来ない」とも。

だが「終わりなき(平凡な)日常」など存在しないことは今となっては明らかだ。「就活やブラック労働が大変だ」といった日常レベルでも、ロシアやイスラエルの虐殺でも気候変動のようなマクロレベルでも。
上記の本には「オウム完全克服マニュアル」という副題が付けられているが、麻原彰晃に「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」と言われただけで、「そうだ、人は絶対死ぬから『終わりなき日常』など存在しないじゃないか」とあっさり論破されてしまうだろう。
オウム真理教などの「非日常」に惹かれてしまう人間を批判するなら、それは「平凡な日常で我慢しろ」ではなく「世の中には様々な問題があるんだからそれを現実的な手段で解決していけ」と言うべきだったろう。
オウム真理教それ自体を信じる人間はもはやいない。だがディープステート等との「非日常的な悪の組織との戦い」への憧れそれ自体が消えた訳ではない。『涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭のように。

そしてそれを冷笑する「賢い」人間も本当の現実●●●●●が見えている訳では無い。
「この問題を解決するため(署名やストライキなど現実的な)行動しなければ」と言う人間に対し「思想が強い」「(創作者は)政治的主張をするな」と嘲笑してキャンセルし、「現実的●●●に考えて仕方ないんだ」と嘯く。

「何もしなくても『普通の日常』が続いていく」のが「現実」だと思い込んでいる。「現実」と言う名の「虚構」現実逃避しているのだ。

自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない

日本国憲法第12条 - Wikipedia

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