自民党改憲案は「性道徳」含む【公益】を害する「表現の自由」を禁止している
信じがたいことに自民党改憲案の表現の自由についてちゃんと論説してる記事が無かったためこの記事で詳細を書く。現行の日本国憲法では第二十一条で表現の自由を保証しているが、自民党改憲案では以下のように第二項が追加されている。
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
この部分について自民党自身が以下のように説明している。
これは、オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益及び公の秩序を害する活動やそれを目的とした結社を認めないことにしたのです。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。
21条2項では、他の箇所の「公益及び公の秩序に反する」という表現と異なり、「公益及び公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いて、表現の自由を制限できる 範囲を厳しく限定しているところです。
かつ、その禁止する対象を「活動」と「結社」に限っています。「活動」とは、公益や公の秩序を害する直接的な行動を意味し、これが禁じられることは、極めて当然のことと考えます。また、そういう活動を行うことを目的として結社することを禁ずるのも、同様に当然のことと考えます。
したがって、この規定をもって、公益及び公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません。
いずれにしても、この規定に伴って、どのような活動や結社が制限されるかについては、具体的な法律によって規定されるものであって、憲法の規定から直接制限されるものではありません。
ここではオウム真理教が例示されているが、サリンを撒くような団体をピンポイントで禁止できるならいいが、条文には公益及び公の秩序を害するのはダメとしか書いてない。
で、この「公益及び公の秩序」って何?
これも自民党自身が解説している。
Q.15 「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?
従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいもの です。そのため、学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、 その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制 約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。しかし、街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難です。 今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
現行の日本国憲法でも、いやどんな国でも「公共の福祉」に反する自由は認められていない。例えば映画館で「火事だ!」と叫ぶ自由とか。それは確かに当然のことだ。
しかし、公益及び公の秩序は「公共の福祉(人権相互の衝突)」より範囲が大きく、「街の美観や性道徳の維持」も含まれるようにしたと書かれている。要するに、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」(表現)には「性道徳を乱す活動」も含まれる。
つまり今話題の現実の女の二次創作もとい「性被害のフィギュア」が「性道徳を乱す」と判断されたらその表現は改憲案では認められない。
『ソフィーのアトリエ』着替えを覗かれて抗議するソフィ―のフィギュアが登場。
— ファミ通.com (@famitsu) April 12, 2024
涙目で怒る仕草がかわいらしいフィギュア。エビテン限定特典として、NOCO氏によるイラストを使用したアクリルコースタースタンドが付属。2025年4月発売予定。
https://t.co/Vjd30T5FPm pic.twitter.com/3dDJzoPRRB
これに対して「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動じゃないから改憲案も問題ない」と主張する人もいるかもしれないが、司法判断は総合的に行われるものだ。以前Twitterで「いいね」を付けたことが名誉毀損と認定された時「いいねを押すだけでダメなのか」と言われたことがあるが、実際はそんな単純な理由で認定された訳では無い。
判決では、「いいね」を押す行為が名誉毀損にあたるかどうかの判断について、対象ツイートの内容や、行為者と被害者の関係、「いいね」が押された経緯なども検討する必要があるとした[6]。その上で、実際のツイートの内容や前後の文脈などを踏まえ、名誉毀損にあたると判断した。
佃弁護士(引注: 訴訟側の弁護士)によると、「いいね」の不法行為が認められた判決は全国で初めてとみられる。
ただ、今回の高裁判決が社会に与える影響については、「本件は杉田氏と伊藤さんとの関係や従前の経緯などを踏まえた上で(「いいね」が)違法だと認定したというケースで、あくまで特定の事例における判断。『いいね』が不法行為となった、という先例として世の中に広まっていくのは本意ではない」と強調した。
要するに「こうしたフィギュアは犯罪をエンタメ扱いすることで児童の性的搾取の正常化を行ない性道徳を乱している」という声が既に広範に存在するならば(つーかこういうツイートがあるから既にそうなってんのか)、「こうした意見を知らなかったはずが無いから性道徳を乱すことを目的にSNSに画像をアップした」と認定されてもおかしくないのだ。
またジェンダークレーマーの皆さんが暴れてるようですが、公式企業の皆様には是非こちらの風刺絵を覚えておいて頂きたく。 https://t.co/4tvzywQWbZ pic.twitter.com/iToSTigeUT
— コウ (@torofuki1) April 13, 2024
そして「活動」だけでなく「結社」も認められないのだから、「私たちはこういうフィギュアを作るサークルを作りたいです!」と結社することも認められない。
余談:自民党改憲案はオウム真理教を防げるか?
(再掲)
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
上記に比べれば取るに足らない話だが、自民党はオウム真理教などを念頭にこの改正案を作ったと主張しているが、果たしてこれでオウム真理教を防げるのだろうか? オウム真理教だって表向きは「サリン撒いて国家転覆します」と言っていた訳では無く民主的に政権を取ろうとしたこともある。
教義には詳しくないためその中に「街の美観や性道徳」を乱すものがあったかは知らないが、無かったならそれを取り締まることはできない(もっとも、街の美観などを損ねる教義を説いてるだけで認められないならそれはそれで問題だが)。
地下鉄サリン事件の後にしても、元信者の作った団体は少なくとも表向きは「サリンを撒いたのは正しかった」などの表現はしていないから、改憲したからと言って潰せる訳では無い。更に言えば、オウム真理教は現行憲法下でも宗教法人としては解散させられた。そして麻原が教祖を退くことを表明するだけでなく「教義」も表向きは変えていたなら表現を理由に解散させることもできない。
さらに余談
ここからは私見が入るが、この「改憲案」が本当に表現の自由を制約するものでないならば、なぜ「公益及び公の秩序」という文言を、第21条に追加するという形なのか。
本当にオウム真理教を防ぎたいだけなら、単に「表現の自由」の項目と「結社の自由」の項目を分け具体的な言葉にすればいいだけだ。つまり
第21条 集会
、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
第22条 結社の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害すること暴力活動を目的として結社をすることは、認められない
ではダメなのか。最もこれはこれで「表向き暴力活動を公言しなければいいだけでやっぱりオウム真理教を防げねーじゃねえか」とか抵抗権との兼ね合いの問題があるが、「表現の自由を規制する訳では無い」と明確にできる。
P.S
「公共の福祉」について「内在制約説(人権の衝突)」は現在瓦解寸前らしい。実際SNSの登場により「言論」の様相が100年前と一変し自民党政権もヘイトスピーチ禁止法を作った現在、「言論の自由・表現の自由」には見直しが必要かもしれない。だが、「『公共の福祉』概念には限界があるから『公益及び公の秩序』概念に拡張すべきであり、それにより表現の自由の規制が拡大されることには正当性がある」ということなら堂々とそう書けばいいだけだ。
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コメント
2表現の自由と対立する考え方は左派にも右派にもありますよねえ。
私は表現の自由寄り論者ですが、左派の主張は主に女性の人権とか見ないで済む権利という視点からのもので、人権同士の相互調整となり議論の余地がある。
一方で右派の主張は性道徳秩序を守れというもので、このような視点から表現の自由を侵害するのは論外だと思っています。
自民党草案の一部分の記述を持ち出して、憲法改正自体を否定するのは良くない姿勢だと思う。
条文一つ一つを精査して、どう憲法を変えていけば、国家国民の今後の為に良いかを真剣に議論する必要があると思う。
現行憲法の一言一句に賛同する理由を論理的に述べられる人間以外は護憲だなどと言うべきではないと思う。
憲法は時代と要請と現実に従って適切に変えることができるようにするべき。