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霊語り(ものがたり)から詩が生まれる  ー詩人を語る。藤井貞和

         
 藤井貞和は詩人として遅咲きだったと言える。今では現代詩を真剣に書いていれば彼の詩を知らない人はいる?と個人的に思っているが世間とはズレがありそうだ。太宰治の今は亡き次女津島佑子が人生の最後に選んで共に暮らした男と書いた方が分かる人が多いだろうか。

とにかく、彼が世に名を知られるのは自身のライフワークとも言える源氏物語論からだと思われる。大学時代から詩の活動を盛んに行っていたにもかかわらず初期作品評価を見つけ出すことは容易でなかった。むしろ同時期でも瀬尾育生との湾岸戦争論争の研究資料の方がはるかに探しやすかった。
キャリアの長い読詩会メンバーの1人も

〈センセーショナルに書こうとするイデオロギーの詩人〉

という認識であまり注目していなかったと語っていた。

なるほど右翼少年から次第に左傾化した藤井の思想は、作品の中でも強く主張され高校時代は新聞部員で活躍したという片鱗が至るところに初期の詩からうかがえる


悲しすぎる!
言わなすぎる!
こう言われなければならない
〈世俗的な革命の反革命者〉
          「余剰価値」
             『地名は地面に帰れ』(永井出版企画/1972)


詩はどこにあるか、ではない。詩は追放されてあるとともに、追放されてあるものの場所だ。パンダはなぜ可愛(かあい)いのか(という学術論文を発表した人がいる)パンダが詩にならないのはなぜだろう。ちがう、滅ぶ詩のなかにパンダはいるのだ。ちがう、滅ぶパンダが詩の中にいるのだ。
           「パンダ来るな」
               『ラブホテルの大家族』(書肆山田/1981)
 

『「静かの海」石、その韻き』(思潮社/1998)や『ことばのつえ、ことばのつえ』(思潮社/2002)でのやわらかで時に軽妙な遊び心も感じさせるスタイルの詩集を先に手にしていた私にとって、初期のストレートな主張はある意味衝撃だった。

初期の主張型スタイルから徐々に、静かであたたかみを感じさせるようになった藤井の詩作の鍵は何か自分なりに探ってみた。


 藤井の特徴としてよく取り上げられるのがオートマティスム(自動記述)や四人称の手法だ。特に、詩に四人称という新しい概念を取り入れたのは藤井が初めてであろう。私はこのオートマティスムも四人称という概念の芽も、彼がライフワークとする「物語」が柱となっているのではないかと考えていた。物語を研究することからこの2つに行き着き、今の作風に変化していったと考えたのだ。
 まずオートマティスムについて。これがどう物語と関わってくるのだろう。藤井自身が、物語の原型は神話だということを多くの著作で書いており『沖縄文学全集・二十巻』(国書刊行会/1994)では日本語文学史の第一ページには南島の祭式歌謡や古謡群が置かれるのではないか、と仮説も立てている。ここでは神話が物語の原点だという説に沿って話を進めていきたい。
 神話の中には芸能(儀礼・所作事)と歌謡が含まれているとある。時代の流れを大まかに書くと、南島の祭式歌謡・古謡(原始の神話)→本土中央の古代歌謡(いわゆる神話)→物語、となる。物語の原点と思われる、歌謡や儀式であげる祝詞は口承が基本なので、それがモノを語ること→物語へと移行していったと考えられるのだ(モノ、がカタカナ表記なのは本来異形のものを表記するときに使っていたというのを聞いたことがあるからだ)。

また、藤井の用いるオートマティスムの特徴として薬物などで強制的にトランス状態を作って行う西洋型のオートマティスムとは異なり、巫女などが神がかりで口寄せとして行うものに因っていると私は感じていた。それが確証に変わったのは『大切なものを収める家』(思潮社/1992)に収められた一つの作品タイトルを見つけたことだ。「霊語り」と書いて、そこにあえてルビをふっていた「ものがたり」。

さらに『続・藤井貞和詩集』(思潮社/1992)のエッセイを読むと生の藤井が浮かび上がってくるような記述を見つけた。
『織詩/遊ぶ子供』(思潮社/1986)の作品を書いていた時期に「詩も歌もだめ、研究も学問もだめ、このままでは廃人のごとく後半の人生を送るか、」
と心身症気味になって
「ふとしたきっかけから本部半島の神人を訪ね、高名な巫女のカウンセリングを受けて」
とある。巫女によって「ものを書くという作業そのものの神秘さ」に立ち戻らされた体験から藤井の詩にはオートマティスムを用いた作風が増えていき、彼の本来持っているジャーナリスティックな主張が徐々にやわらかさを帯びるようになったと私は感じている。

 四人称についてはどうだろう。この概念については彼の口からも語られていたようにアイヌ語からそのアイデアを得たと私も認識していた(正確にはアイヌ語研究者の中川裕からもたらされた)。しかしアイヌ語を知るよりもっと以前から藤井の中にその芽があったのではないかと思い始めた。そのヒントとなったのが東大時代から半世紀以上にわたって藤井と親交のある巖谷國士の書いた『藤井貞和の思い出』(現代詩手帖/2013.7)である。詩や訳詩や詩論を掲載していたという藤井が大学在学中に出した同人誌の創刊号には、すでに藤井ではない別名を語る分身がいたというのだ。さらに二号ではこの分身の数は増えていたという。
「これは同人の数をふやす、(?)という意図だけでなく、分身・増殖への切実な嗜好を反映してもいただろう。彼は実際、名前を変えながら文体を変えており、ときに矛盾したことを書いたりもしている」
名前を変えながら文体を変える、分身、増殖する。巖谷はこれを「分身・増殖への切実な嗜好」と結論づけていたが私はそうは考えなかった。大学の卒業論文の研究テーマとしてすでに『源氏物語』を選び「物語」の世界に馴染んでいた彼には、自己が分身増殖しそれぞれがそれぞれの名や文体を持ち、その立場からなにかを言うことに違和感はなかったと考えられるのだ。『顕すフィクション/隠すフィクション』(ポーラ文化研究所/1993)で『源氏物語』について語る彼の文章を引用したい。
 「物語のなかの歌は、だいたい作者がつくりあげたものですが、単なる作者の歌ではありません(中略)作者はだれの歌はどういうふうに詠ませようというふうに、詠み分けるということを考えています。ですから、ある人物に、最初は下手な歌を詠ませ、だんだんうまい歌を詠ませるというような高等技術も使っています(中略)作者の歌であるにせよ、同時に、登場人物たちを歌によって表現するという、高度な技術を作者は楽しんでいるのです。」
 そうだ、四人称は物語の世界では古典の時代から違和感なく行われていることだ。人称で書き分けられないものが分身になり増殖し、時に別の名を持ちそれぞれが成長したり心の奥底を吐露したりする。時には人でもないモノになり変わることもある。ジェンダーや年齢、生という壁すらすり抜けて自在にモノを、モノが、語ること。
これは私が多くの文献とにらめっこしてもぼんやりとしかわからなかった「四人称」そのものだと思った。

アイヌ語との出会いよりもっと早い時期に、藤井は「物語」のなかですでにその発想に出会っていたのだ。
 
さて、ここまで私なりに彼の詩の手法について述べてきた。その過程の中でふとひとつの疑問がわいた。なぜ藤井の詩はテクニカルであるにも関わらず亜流の作品が思い浮かばないのだろう。

ただ下手の横好きでも詩を長く書き続けていると(あ、この人は○○さんの詩を好きでかなり読みこんでいるな)という作品に多く出くわす。順番が逆だと「うわっ、こちら先か!」とガッカリすることも一度や二度ではない。しかし藤井の亜流は読んだ記憶がない気がする。これは好きが故のフィルターのかかった思考だろうか?

その理由を考えてみると、彼の詩の強いディオニソス的要素からではないかと思い当たった。ドイツの哲学者ニーチェが『悲劇の誕生』という著述の中で、芸術創造の意志傾向としてアポロン的なものとディオニュソス的なものと、二つのパターンが存在していることを提示していた。アポロン的傾向は形式美と秩序を志向して明快だ。知的で、物静かで、調和を尊ぶ。これに対してディオニュソス的傾向は、形式をうち破り、激情の赴くところを志向して、本能的で荒々しい。これを例えると、アポロン的な詩作品は数学やパズルで、ディオニソス的詩作品は良くも悪くも何でもありの喧嘩みたいなものだと私は理解している。そして私にとって藤井の作品はディオニソス的なものでありこのディオニソス要素があるからこそテクニカルであっても真似が困難なのではないか、これが藤井の藤井らしさなのではないだろうか。そう考えたのだ。

 私が一年を通して藤井貞和を追ってみたいと決めたのはなにより彼の詩が持つぬくもりからだ。それは以前自分の詩集の作品で書いた

「ずっと、あったかいものに憧れてきた。知らなくてじゃない、知ったあとなおあったかい、そういうもの、そういう詩」

そのものに思えた。心身症気味になっても彼は詩を手放さず「物語」から学んで自身の詩を再構築させた。オートマティスムは彼を「わたし」から遊離させることに成功し、四人称を使い上からの目線でなくモノたちと横並びになることができた。

だからこそ「わたし」は彼が初期から一貫して書き続けてきた、いにしえのモノ、時代の波に埋もれ消えさろうとしているモノに対しての共感性と深く韻き合うようにもなった。
彼の詩で私が情動を揺さぶられていたのは彼が言葉だけに「わたし」を委ねているからではない。
人間が生まれ出づるはるか古代から、モノたちが生きて「沈黙で語り続けてきた言葉」に隠された「物語」に、藤井が身を委ねたい、ゆだねることが出来ればと、祈りににた想いで語りかけてきてくれるからなのだ。

※以前世話人をしていた読詩会で藤井貞和氏について書いた文章に手を加えてみました。詩を書いているのでたまには真面目なものを。小難しくなっていなかったらいいなと願いつつ。

長文なのに最後まで読んでくださってありがとう!また来週~(*^^*)
もうフォロワーさん充分と書かせてもらっているのに減らないフォロワーさんの数にややビビっている暑さに弱いあみのでした。
                             

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2024.8月から更新してないのでフォローしても意味ないですよ。の、網野杏子。 アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。

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コメント

3
荒木時彦
荒木時彦

僕は、藤井貞和の詩は読んだことがないのですが、現代詩手帖の論考みたいなものは読んだことがあります。ちょっと、書いていることがハイコンテクストすぎて、理解できなかった覚えがあります。詩を書いていて思うのは、僕は構築的な作り方しかできないので、ディオニソス的な感性はないなぁ、という気がします。

荒木さん こんな長いしかも上手でない文章にもコメントありがとう。
そうか…ハイコンテクスト(わからないから調べた w 文化の共有性が高く、言葉以外の表現に頼るコミュニケーションですって)に感じるんだね。年齢を重ねてのいいことは「そっか、そういう考えもあるよね。私はグッときても誰かがピンとこなくて当然!」と心から思えるようになること。反対意見に過敏に反応もしないし自分の意見が正しいとも思わない。なんとか共感してほしい(←実際心ではそう思いすぎてる人って多い気がなんかしてます)もなくて「うんうん、あなたの意見も聞かせてよ!」って感じること。逆に私はパズルが大の苦手で理路整然が出来な過ぎてアポロン的要素がてんでないわ。w。

荒木時彦
荒木時彦

ハイコンテクスト、というのは、言語外の表現に頼るという意味もありますが、文章に対して使われる場合もあります。その文章を読むのに必要な、知識や、前提、歴史的文脈を知っていないと、意味が理解できない場合などです。現代詩に関する文章であれば、現代詩やそれにまつわる議論を読んでいること、これまでの現代詩の歴史を知っていること、などが前提としてあって、それで初めてその文章が理解できる場合に当たりますね。
意見が違う人がいるというのは、僕は学生のころから学会などに出席していたので、わりと普通なんですよね。むしろ、ここはおかしいんじゃないか、という意見から、議論が始まる、という感覚です。詩に関して言えば、ロジックだけではなく、感覚が人それぞれ違うということもあって、余計に意見がばらけますよね。

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