彼女のその手に
「とまぁ・・・そう言うことがあってな・・・」
静希が事のあらましを伝えると、アイナとレイシャは複雑そうな表情をしていた。
ユーリアは知る由もないが、二人にとって前原、旧姓城島はそれなりに顔見知りだったのだ。
何度か指導してもらった経験もありそれもあってか苦手意識が強いのである。何より幼いころにその指導をその身で受けてしまったのがトラウマになっている節さえある。
「そのマエバラって人に頼まれたから・・・ってこと?」
「まぁきっかけではあるな。お前の護衛が俺みたいなやつが適任だっていうのは納得できる話だし。」
今回のようなケースでは、どこにいるかもわからないようなタイプの敵が相手であるために少数精鋭での護衛が望ましい。
大勢で一人の人間を守っていればその分確実に守ることはできるかもしれないが、確実性と引き換えに移動は遅くなるうえに大勢で動くという事もあって場所をすぐに把握されてしまうというデメリットがある。
それに引き換え少数での護衛は戦闘になった際の危険や負担は増えるがその分発見しにくいというメリットがある。
そう言う意味では今回の人選は非常に正しいと言えるだろう。
実際静希の戦闘能力はユーリアもその目で見て来た。一体何をしているのかわからなくもあるが少なくともその辺の有象無象よりはずっと頼りになる存在であると思っている。
「そのマエバラってどんな人なの?話聞いてると物騒な感じするけど。」
「ん・・・まぁ物騒なことには変わりないけど・・・いい人だぞ?俺も結構お世話になったし。そっちの二人もかなり世話になってたしな。」
静希にはなしを振られアイナとレイシャは体を一瞬硬直させて目を逸らしてしまう。その表情は薄く笑っているのだが、あまり良い笑みではないように思えた。
「えぇ・・・確かにミセスマエバラには非常にお世話になりました・・・幼少時に・・・」
「たくさん稽古をつけていただきましたし・・・その・・・いろいろと教えてくれましたし・・・」
「・・・何でこの二人はこんなに落ち込んでるの?」
「いやまぁ先生にいろいろと教えてもらう機会があってな・・・まぁ人に歴史ありってやつだ。」
静希を経由して日本にやってくることが増えた時期もあり、その際に幼かったアイナとレイシャが彼女にいろいろな訓練を受けさせられていたことがあるのだが、それはまた別の話である。
それがトラウマになっていたとしても二人が彼女に感じている恩義や感謝の念は変わらない。無論それと同じように恐怖も刻まれているわけだが。
「あのころの二人はそりゃもう先生に頭が上がらなくてなぁ・・・鍛えられては涙目になってたもんだよ・・・いやぁ懐かしい。」
「ミスター!子供の頃のことは言わないでください!今でも恥ずかしいんですから!」
「そうです!女性の過去を掘り起こすなどデリカシーに欠けます!」
アイナとレイシャは静希に子供の頃を知られているという事でやはり頭が上がらないのか顔を少し赤くしながら憤慨していた。
子供の頃の話をされると流石に恥ずかしいのだろう。自分より年上の女性がこうやって恥ずかしがっているところを見ると何とも奇妙な感覚である。
どんな人にも子供の頃があったのだなと言う事は理解できるのだが、目の前にいる三人を見てもどんな子供だったのかは全くイメージできなかった。
「その人が認めるくらいシズキは強いってこと?」
「あぁ強いぞ?まぁ俺自身はそこまで大したもんじゃないけどな・・・」
あまり自信がないような静希を見てアイナとレイシャはご謙遜をと薄く笑っていた。
「ミスターイガラシの実力はとても高いですよ。それこそちょっとした軍隊よりは強いです。」
「少なくとも私たちが知る中でも一二を争うほどの戦闘能力をお持ちです。テロリストなどでは歯が立たないでしょう。」
アイナとレイシャの評価に静希はむず痒さのようなものを感じているのか、それともただ単純に照れているのか複雑そうな顔をしていた。
褒められるのが好きではないのだろうか、それとも褒められることに慣れていないのだろうか。また人間らしい一面を見てしまったなとユーリアは微笑んでしまう。
「ちなみに二人が子供の頃の写真もあるぞ、見てみるか?」
「あ、みるみる!」
「な!?」
「だ!ダメです!」
二人が静希の携帯を取り上げようとするが静希は軽くそれらを躱しながら携帯を操作してユーリアに昔の二人の写真を見せてくれる。
そこには先程静希が自分の妻だと言っていた少女と一緒に写る二人の褐色の少女の姿があった。
「これは二人がうちに泊まった時の写真だな。いやぁ懐かしい。俺が高校生の頃の話だよ。」
「へぇ小さい・・・私と同じくらいの時かな・・・?」
身長百四十半ばの三人の少女を見てユーリアは感慨深くなる。
この中の一人は静希と同い年なのだという衝撃的事実、そして高校生の時という事は少なくとも八年ほど前の事だ。八年でここまで人間が変わるものなのだなとユーリアは現在の二人を見て感動すら覚えていた。
写真を見せられたことでアイナとレイシャは恥ずかしそうにしているが静希はやめるつもりはなさそうだった。
さすがに不憫だなと思ってユーリアは話題を変えることにする。
「あの・・・二人はシズキの奥さんって知ってるの?」
「え?ミセスイガラシの事ですか?はい知っていますが・・・」
「私達は幼いころとてもお世話になりました。今でも交流はありますが・・・」
あの静希の奥さんのことを知っている。
本当にあの小さな少女が静希の奥さんなのかとユーリアはずっと気になっていたのだ。
あんな小さな少女が本当に静希と同い年なのか不安でしょうがないのだ。あれで二十五歳だなどと明らかにおかしい。
ユーリアは二人が静希の妻のことについて知っていることを確認すると静希から携帯を取り上げて写真を探し始める。そして子供たちと一緒に写っている写真を見つけると二人に見せつけた。
「この中のシズキの奥さんってどの人?」
「・・・この方ですが・・・」
「それがどうかしたのですか?」
二人は先程静希が示した自分と同じくらいの身長の少女を指さす。そしてそれが静希の妻で相違ないような反応をしていた。
本当にこの小さな少女が静希の妻なのかと、ユーリアはシズキに対して若干の不信感を抱いていた。
「この人って本当にシズキと同い年なの?」
「そうですよ?この方は素晴らしい方です。とても優しく可愛らしく。」
「料理もおいしく何よりさりげない気づかいができる方です。あのような女性になりたいという私たちの目標でもあります。」
予想以上の高評価にユーリアは眉をひそめてしまっていた。
こんな外見まるで子供のような女の子がそこまで凄い人物なのかと強い不信感を覚えてしまう。
というかこの人は本当に成人しているのかと気になってしまう。
「・・・あの・・・この人っていつごろからいまの外見なの?」
「・・・いつからだったかな・・・確か小学校の高学年あたりからあのままだな・・・それ以降はミリ単位で変わってない。」
昔のアルバムとか見るとよくわかるぞその変化のなさがと静希は笑っているが、恐らく本人からすれば笑いごとではないだろう。
もっと大人らしい外見になりたいと願いながら周りは成長し続ける。その焦燥感や絶望感はさぞ強かっただろうとユーリアはまだ見ぬ静希の妻に同情してしまっていた。
「私達が幼いころから変わっていないのですが・・・時々お会いすると泣きそうな顔になってしまうのです・・・」
「その・・・やはり身長的なものにコンプレックスはあると思うのですが・・・どうしたものかと・・・」
アイナとレイシャは先程の写真を見る限り劇的に成長している。幼いころからまったく成長していない静希の妻からすればうらやましい限りなのだろう。
しかも自分が幼いころを知っている少女がここまで立派に成長するというのは非常に複雑な気分だろう。
嬉しくもあり悔しくもありうらやましくもあり。本当に同情してしまう境遇といえる。
「静希って一応ロリコンじゃないわよね?ちょっと不安なんだけど・・・」
「お前まだ気にしてたのか・・・俺はノーマルだっての」
静希がアイナとレイシャにそうだよなと同意を求めるのだが、二人は断言ができなかったのか言いよどみながら視線を逸らせてしまっていた。
「確かにミスターイガラシはロリコンではないとは思いますが・・・そのなんと言いましょうか・・・」
「少なくともノーマルではないと思います・・・ミセスイガラシからミスターはドエスだと伺っております。」
あいつ何変なこと吹き込んでるんだと静希は額に手を当てて項垂れているが、ユーリアは静希がドエスという事実にそれほど驚きはしなかった。
今までの戦闘を見ても誰かを傷つけるという行為に躊躇いがない上に四肢を確実に潰していくという行動からも彼が人を傷つけることを楽しんでいるようにさえ見えるのだ。
なんというかそのあたりは予想通りというべきだろうか。
「それにミスターの場合は奥方であるミセスイガラシ以外にもお相手がいますから。」
「え?浮気!?」
「まぁそれも本人たちが合意の上であるらしいので問題はないと思います。その方も昔からよくお世話になりました。」
アイナとレイシャの思わぬ告発にユーリアは静希を見る目を変えていた。
少なくとも誠実な人物だと思っていたらただの浮気男だったという事実にかなりがっかりしていた。
浮気をするような男性には見えなかったためにさらにその落胆は大きい。
「そう言われると確かに最低みたいに聞こえるけど俺はちゃんと両方とも責任取ってるし養ってるっての・・・ちゃんと二人とも愛してるし・・・」
「どちらか一人を選ばなかったという時点で不誠実です。」
「ミセスイガラシにもミスミヤマにも失礼です。仮にあの方々がそれを望んだとしてもです。」
アイナとレイシャの思わぬ反撃に静希はその場で項垂れてしまっていた。
自分がしていることが社会的に認められるものではないという事を理解しているのだろう。だがそれを踏まえたうえで静希はそれを選んだらしい。
なんというか複雑な人間関係なのだなとユーリアはあまり口出しするまいとその場は傍観するにとどめていた。
そんな静希の身の回りの話をし終わるとそれぞれ夜明けまで休息をとることにした。
「俺が見張ってるからとりあえずお前らは寝ておけ。明日もばっちり動くことになるだろうからな。」
「かしこまりました。ではミスコリントがベッドを、私達がその横を使いましょう。」
「え?でも」
「いいのですよ、良い子はもう寝る時間です。」
静希とアイナやレイシャに勧められるがままにベッドにいざなわれたユーリアはそのまま横になる。そしてベッドに背を預けるようにアイナとレイシャがその場に座り瞼を閉じていた。
この状態で寝るのだろうかとユーリアは不思議に思っていたが数秒してからすぐに寝息が聞こえ始めていた。
首とかが痛くならないのだろうかと心配だったが、恐らくこういう眠り方に慣れているのだろう。アイナもレイシャも身じろぎひとつすることなく寝息を立てつづけている。
そして静希は椅子に座った状態で意識を外に向けているようだった。万が一にも敵に襲撃されることがないようにしているのだろう。
この場所が相手に知られていない限り問題はないと思うのだが、それでも警戒するというのはやはりそれだけ自分が重要視されているという事だろう。
ユーリアはベッドに横になり毛布をかぶると今日のことを思い出していた。
なんでこんなことになったんだろう。
ユーリアの頭の中はそのことでいっぱいだった。
昨日まではただの普通の日だったはずなのになぜこうなってしまったのか。
朝起きて祖父母と一緒にご飯を食べて、学校に行って友達と遊んでから帰って、ご飯を食べて風呂に入って寝る。ただそれだけの日常だったはずなのに。
何故自分が今いる場所は、こんなにも日常から離れてしまったのか。自分が能力者だからいけないのだろうか。能力者は普通の日常さえ望んではいけないのか。
思えば両親が能力者を嫌っていたのはその力が原因だったように思う。
詳しいことは知らない。だが能力を持っているからこそ、自分は今こうして面倒に巻き込まれている。
そう考えると、能力なんてなければよかった。そう思えてしまうのだ。
男たちが自分を追い、襲い掛かるところを思い出してユーリアは震えが止まらなくなってしまっていた。
先程まで静希達と一緒になって話をしていた時は忘れることができていたのに、忘れられていたのに。
今こうして誰も言葉を発しない、沈黙と静寂の中に自分一人であると思えるほどの状況がユーリアの頭の中から恐怖の記憶を引き出していた。
怖い
今ユーリアを支配しているのはそのたった一つの感情だけだった。
今まで感じたこともない、圧倒的な恐怖。死んでしまうのではないか、殺されてしまうのではないかという根本的な恐怖。
そしてこれからどうなってしまうのかという、先が全く見えないことによる不安からくる恐怖。
小さな体ではどうしようもない。自分の能力だって誰かを倒すことなどできない。
何も変えることはできずただ流されることしかできない。自分の無力さによって誰かに迷惑をかけ、なおかつ危険を呼んでしまっている。
もし自分のせいで誰かが死んだらどうしよう。自分だけではなく他人まで巻き込んでしまったらどうしよう。
今まさにそれに限りなく近い状況ではあるのだが、幸いにして今のところ誰も死んではいない。それが唯一の救いだった。
だがこれからどうなるかわかったものではない。もしかしたらこれから先、自分ではなく静希が、アイナが、レイシャがそうなってしまうかもしれない。
自分のせいで。
そう思うと震えが止まらなかった。どうしようもなく怖くて、自分がどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
今は静希に守られているが、それもいつまで続くかわかったものではない。
これから先、自分はどうすればいいのか。
静希達の話を聞く限り、テロリストから核兵器を取り戻せば、この厳重な警戒は終わるだろう。だがその先はどうなるのだろうか
自分が能力者であることはすでに知られている。今さら能力者として暮らしていけるのか不安でならなかった。
何より、自分の生き方を自分ではない誰かが勝手に決めているようで、理不尽にその道を歩かされているようで嫌だった。
真っ暗で何も見えない道を、無理矢理歩かされているような感覚に、ユーリアは全身の震えを止めることができなかった。
一体どれくらいそうしていただろうか、ユーリアはゆっくりと目を開けて周囲を見渡していた。
自分のベッドにはアイナとレイシャが背を預けて眠っている。
この人達は自分を守ってくれる。不安にさせないようにどうにかして自分の心も守れるようにあえて明るく振る舞ってくれている。
子供心ながらにユーリアはそれを感じ取っていた。
そして静希がいる方向を見ると、彼は椅子に座った体勢のままじっとしていた。こちらに背を向け、自分が守ると言っているかのように。
ゆっくりと上半身を起こすと静希はそれに勘付いたのかゆっくりとこちらに振り向いた。
「・・・寝ておけと言ったはずだが?」
「・・・眠れなくて・・・」
毛布を握るユーリアの手がわずかに震えているのを確認したからか、静希は小さく息をついて椅子を一つベッドの近くに寄せた。
こっちに来て座れという示唆なのだというのはユーリアもすぐに理解できた。毛布をもって椅子に座ると静希は食料の中から缶詰のようなものを取り出して薄いフライパンのようなものに入れると火にかけ始める。
それがコーンスープの類であると気づくのに時間はかからなかった。徐々に温まるにつれてその香りがユーリアの鼻に届いてきたからである。
「不安か?それとも怖いか?」
「・・・うん・・・両方」
そうだろうなと静希は呟きながら蝋燭を一つテーブルの上において明かり代わりにしていた。
アイナとレイシャが寝ているという事を考慮して限りなく明かりは少なくするつもりなのだろう。コーンスープを温めている小型のガスコンロの明かりもあるが小屋全体を照らすには光量が足りないのは明白だった。
「何が怖い?なにが不安だ?」
「・・・これから・・・どうなるのかわからないから・・・怖い・・・どうすればいいのかわからないから・・・不安・・・」
ユーリアは目を細めながら静希の問いに素直に答えていた。
まどろんでいたからだろうか、変に気を張るようなことはせず素直に自分の気持ちを応えていた。
目の前にある蝋燭とガスコンロの火が揺らめくのを目で追いながらユーリアは小さく息をつく。
「どうしてこうなっちゃったんだろ・・・私は・・・普通に暮らしてただけなのに・・・」
ユーリアのつぶやきに、静希はあえて何も言わなかった。その答えはすでに彼女に告げていたからである。
理不尽、不条理
そういった自分勝手な力によって彼女は今危険にさらされている。それはすでに静希から教えられていたことだった。
だがそれを聞かされたからと言ってはいそうですかと納得できるほどユーリアは物分かりが良くない。
いや、納得してはいけないと思ったのだ。自分が勝手な都合に巻き込まれて危険になっているようなこんな状況を、許容してはいけないと思ったのだ。
「ならどうしたい?」
「え?」
静希の唐突な問いに、ユーリアは目を丸くしてしまっていた。
どうしたいか
その言葉にユーリアは頭が真っ白になっていた。
「どうすればいいのかわからないのはわかった。ならお前は今どうしたい?」
「どう・・・って・・・」
「単純だ、お前は何をしたい?この状況が嫌なのはわかった。ならお前はどうなるのが一番うれしいんだ?」
静希の言葉は実にシンプルだった。欲求とでもいうべきだろうか、現状に不満があるからこうなりたい。こうしたいと言った単純な願望。
今の状況に混乱して無理に先を見ようとしても、子供がそれをしようとしたところで無理の一言だ。静希はそれを理解している。
だからこそ、今何をしたいのかを聞いたのだ。
見えない未来をどうしたいかではなく、今何をしたいのか。
「・・・私は・・・私は・・・」
今何をしたいか。現状の何が不満であるか。
ユーリアは思い出していた。自分がいた平穏という名の日常を。
特に事件などなくても、温かい食事と家族がいて、学校に普通に通えて、それでいて楽しく過ごせた。毎日明日が来るのが待ち遠しくて、明日は何しようかとか、どこに行こうかとか考えながら寝ていた。
だがそれよりもまず思いついたのは、今自分が向かい合っているテーブルだった。
単純な構造で、暖かさも何もない。蝋燭が揺らめくたびにその姿が曖昧になるような不安さがある。
だから彼女は思い出していた。祖母が作ってくれた食事を乗せたあのテーブルを。そして祖母の食事を。
「私は・・・家に帰りたい・・・!おばあちゃんのごはんが食べたい・・・!」
今それができないことはわかっている。それは何度も静希から言い聞かされたことだ。
自分は今静希に守ってもらっている。そんな勝手は許されない。いや仮に家に帰ったとしてもこの願望は叶えられないだろう。もうすでにあの家にユーリアの家族はいない。
だが今まで過ごした平穏の感覚を思い出したのか、ユーリアは涙を流しながら毛布を掴んで必死にそう告げていた。
ただ家に帰るだけではなく、また平穏な日常を過ごしたい。祖父母と一緒に何でもない毎日を過ごしたい。
単純な願望だった。ただそれだけだった。これから先どうなるかなど気にも留めない。ただそれさえ叶えば他は何もいらない。
そう思えてしまうほどに、ユーリアは平穏を望んでいた。
そしてそれが叶うのは限りなく難しいであろうことも知っていたからこそ、ユーリアは泣いていた。
静希は少しの間泣いていたユーリアの頭を撫で、温まったスープをコップに入れて差し出すとユーリアもそれを受け取り少しずつ飲み始めていた。
静希が涙と鼻水で汚れてしまっている顔を拭いてやると、ユーリアは恥ずかしそうにしていた。泣き顔を見られた、情けないところを見られた。
会って一日も経っていないような男性に、自分の気持ちを素直に吐き出してしまった。
今までこんなに素直に自分の気持ちを吐き出したことなど一度もない。同級生どころか祖父母にだって。
だがなぜだろうか、なぜ静希にはこんなにもあっさりと話すつもりになってしまったのだろうか。
いや話すつもりで話したのではない。いつの間にか口から洩れるようにその言葉が告げられていたのだ。
まるでひとりでに口が勝手に動いたかのように。
無意識のうちに、この人になら話してもいいと思ってしまったのだろうか。
不思議な人だ、ユーリアはそう思っていた。
静希は自分の分のコーンスープを温めている間にゆっくりと口を開いた。
「正直に言えば・・・お前の望むような平穏を送ることは・・・難しいと思う。お前はもうすでに多くの人間に能力者として認識された。そしてその能力も。」
きっとこれからも誰かに狙われるだろうと告げると静希はゆっくりと息をついた。
静希のいっていることは嘘ではない。それはユーリアも理解できた。
自分の能力は利用される。力のあるものは得てしてそうなってしまう。それは能力者であるなら誰もが理解することだ。特に強い力を持つものなら特に。
静希もまた、その理をよく理解していた。
「テロリストを全部倒しても・・・それでも・・・無理かな・・・?」
「この件が片付いたとしてもまた同じようなことを考える奴がいないとも限らない。お前は良くも悪くもただの女の子だ。何の力も持っていない、能力を使えるだけの女の子だ。」
能力を持っていることと力を持っていることは同義ではない。
力とは一つの意味を持つ言葉ではないのだ
それは腕力などの物理的な力だけではない。権力であり、発言力であり、おおよそ人がもつには大きすぎるようなものまで存在する。
その中でユーリアは静希のいうように何の力も持っていない。ただ能力を使えるだけだ。
力を持つものは利用される。だがそれと同じくらいに無力なものは利用される。
彼女の場合は両方とも当てはまってしまうのだ。彼女は無力ではあるが能力を有している。それが彼女が狙われる一つの理由である。
「・・・じゃあ・・・私は・・・どうすれば・・・」
「一つはお前が力をつける事。もう一つは力あるものの庇護下にはいる事。前者は時間がかかるし何より限界がある。後者はいろいろと面倒を抱えることになる。どっちが正しいかはお前次第だ。」
力をつける事。他人に利用されないように、自分でも乗り越えることができるように。
静希のいうように時間がかかるだろう。何の訓練もしてこなかった彼女が誰にも負けないような力を身に着けることができるかは甚だ疑問だ。
それこそ静希のいうように限界だってある。個人にできる事には必ず限度というものが存在する。
今自分ができることが限られているように、きっと未来の自分もできることとできないことがあるのだろう。
そんな自分が一体何をできるのか、誰よりも強くなれるのかは確証がなかった。
そして力あるものの庇護下に入る。これは要するに国の軍などに所属するという考えが一番分かりやすいだろう。
社会において身を守るためには社会そのものの一部になるほかない。法や規則というのはそれらに則って生活しているものを守るためにあり、同時に社会そのものを守るためにある。
だからこそユーリアは力あるものに庇護してもらう必要がある。今静希に守ってもらっているのと同じように。
強い力を持っているものがユーリアを守っているとわかれば、周囲のよからぬことを考える類の人間もそう簡単には彼女に手を出すことはできなくなる。
仮に何かあったとしても迅速に反応してくれるかもしれない。
だが静希と違うのは、どこにだってユーリアの力を利用しようとする者はいることである。それが軍の中だろうと、社会の中であろうと。
そう言う意味で静希は面倒を抱えると言ったのだ。今はいいかもしれないが、恐らく大人になってからいろいろと面倒なことになるだろう。
子供の頃はまだいい。だが大人になって、否が応でも社会の一部になった時、今まで守ってくれていた人々が手のひらを返さないとも限らない。
静希が言っているのはそう言う事だ。問題を先送りにしているだけ。今が良くてもそのつけは後から重くのしかかってくる。
どちらが正しいのか、静希はあえて明言しなかった。
それはユーリアが決めることだしユーリアが判断することだからだ。他人である自分が押し付けるべき事柄ではない。
幼い少女に決めさせるには重すぎる、そして難しすぎる、さらに言えば早すぎる内容だ。
彼女はまだ十二年しか生きていない少女なのだ。そんなことを決めろと言われてもできないのは目に見えて明らかである。
だからこそ静希はここで決めさせるようなことはしなかった。
自分の懐から二つ、あるものを取り出して机の上に、ユーリアの目の前に置く。
それは拳銃と、小さなナイフだった。
「・・・これは・・・?」
「お前にやる。お前がもっているべきだ。こういう力を持っていた方が今はいい」
子供に持たせるようなものじゃないけどなと静希は薄く笑いながらため息をつく。
武器、力、人を傷つけるもの。
ユーリアの頭の中には幾つもの単語が浮かんでいた。それらが巡ると同時に目の前にあるものが急に怖くなっていた。
あの時男たちがもっていた銃に重なって見えたのだ。あの銃口が自分を狙っているように見えたのだ。
自分がこれを使うのかとユーリアの頭の中には今までの戦闘が浮かんでいた。
人が呻き、血を流し、苦しむあの姿を自分が作り出すのか。
喧嘩もしたことがないような自分が、誰かを殺すのか?
動悸が激しくなるのを感じる中、ユーリアの頭に誰かの手が乗っているのに気付く。
それが静希のものであると気づくのに時間がかかるほど、ユーリアは激しく動揺していたのだ。
それほどまでに、ユーリアは視野が狭くなってしまっていたのである。
「ただし、こいつをお前が使うことは許さない、いいな?」
「・・・え・・・?」
お前にやる、そう言っていたはずなのに使うことは許さない。一体どういうことなのかユーリアは先の動揺もあり若干混乱してしまっていた。
弾も無限じゃないからなと言って静希はユーリアの左手に拳銃を持たせ、握らせた。
「能力を使ってみろ。複製できるんだろ?」
静希に言われた通り、ユーリアは能力を発動する。
左手にある拳銃はそのままの構造で右手に複製される。弾も構造も全く同じものが作り出され、その手に収まっていた。
「お前が使うのはその銃だ。お前が能力で作ったその銃だ。お前が能力で使う、お前の力だ。」
自分の力。自分だけの力。その言葉に、ユーリアは右手にできた銃をただ眺めていた。
そして同じようにナイフを手にして複製してみせる。先程と同じ工程を繰り返し、左手に持ったナイフは右手に複製された。
それでいいと呟いた後で、静希は作り出された拳銃を少しの間眺めていた。
「ただ、覚悟をしておけ。お前の能力で引き起こしたことは、全てお前の責任になる。どんな状況だろうと、仮に誰かに命令されたことだろうと、それを起こしたのはお前のせいになる。それを忘れるな。」
自分のせいになる、それが仮に誰かに脅されたとしても。
自分の能力で、自分の指で引き金を引いたのであれば、それはどんな理由があったとしても自分の責任になる。
それがたとえ誰かに脅されたものだとしても。
「・・・じゃあ・・・どうすればいいの?」
「その答えを他人に求めるな・・・ただ一つ言えるとしたら後悔しない使い方をしろ。自分で考えて、自分が正しいと思った使い方をしろ。」
他人に答えを求めるな。自分で考え自分で決めろ。突き放したような言い方に聞こえるかもしれないが実際はそう言う事だ。
どんな境遇にあったとしても、どんな力を持っていたとしても、その力を使うのは結局個人の判断にゆだねられる。
その判断に後悔がないように、自分が正しいと信じる使い方をする。それこそ静希が二つの武器を渡した理由だった。
力を持たない無力な少女は今力を手に入れた。力を持つという事はすなわち選択肢を広げることができるという事だ。
静希がオリジナルの銃やナイフを使わせるのではなく能力での使用のみを認めたのは二つの理由がある。
一つは弾の問題。渡したのは拳銃一丁、弾数は基本的に限られているが使い切ったらまた複製すればいい。
残弾マックスの状態から複製すればまた撃つことができる。実質弾数無限と同じなのである。
そしてもう一つ、静希からすればこちらの方がむしろ本命だと言える。
それは自分の力であると自覚することだ。
拳銃を与えられ、それを使えばユーリアは静希によって与えられた力と思ってしまうだろう。だが自らの能力を使う事での使用を認めたことで彼女は自らの力というものを認識する。
それは彼女が今まで『自分の力』として認識してこなかったものを、改めて認識させるという意味が込められていた。
お前は無力ではない、無力で居続ける必要などない。
静希はそういう思いを込めて彼女に銃を渡したのだ。
「自分の身を守るためでもいい、誰かに言う事を聞かせるためでもいい。自分で考えておけ、そいつの使い道を・・・使い方は俺が教えてやる。」
「・・・うん・・・わかった・・・」
静希はきっとこれの使い道を教えてはくれない。当然だ、結局のところ使うのは自分なのだから。
それを理解しているユーリアは複製した武器を机の上に置く。
自分の力、自分で作り、自分で使う力。
初めて意識した、そして初めて実感した。
ユーリアは十二年の人生の中でこの時初めて、自分は能力者なのだと、そう思った。
今まで目を逸らしてきた事実を、今ようやく向き合う形で彼女は僅かに目を細めた。
数分後、ユーリアの作り出した複製の拳銃とナイフが消えていくのを見て静希は僅かに眉をひそめていた。
「お前の能力、手を離したら消えていくのか?」
「うん・・・大体五分くらいで消えちゃう・・・一度でも手を離したら消えちゃうから・・・」
その言葉通り、先程までそこにあった拳銃とナイフは跡形もなく消えていた。
彼女の能力は複製。自分が触れているものを複製することができる。ただし複製したものは一度でも彼女の手を離れたら五分で消滅してしまう。
この現象を静希はおおよそ正しく理解していた。
「リア、お前この状態でも複製はできるか?」
静希はユーリアの首筋に拳銃の一部をふれさせる。手で持たなくても複製ができるかどうかを確かめようとしているのだと彼女も理解できた。
「うん・・・一応できるけど・・・集中してないと手からしか複製できなくて・・・」
「なるほどな・・・うん・・・使い勝手が悪いけどいい能力だ。これからもっとうまく扱えるようになる。」
これは常に肌に触れさせていろと言って静希は二つの道具をユーリアに手渡す。常に触れさせるという事はつまり常に使えるようにしておけという事だ。
そういう意味がこの武器には込められているのである。
「お前に今必要なのは力だ。本当に何かを望むなら、何かを叶えたいのならどんな力でも利用するべきだ。それがたとえお前自身の力じゃなくても。」
それが仮に他人の力だとしても。そう付け足しながら静希は小さく息をついてユーリアの正面に歩み寄る。
そして視線をユーリアに合わせるとその銃とナイフに添える手にわずかに力を込めた。
「この力は、お前が初めて手に入れた力だ。お前自身の意志で行使できる力だ。その意味をちゃんと考えろ。お前が何をしたいか、何を望むのか・・・それを頭に入れておけばおのずと答えは出るはずだ。」
自分で初めて手に入れた力。自分で初めて行使することができる力。
自分のしたいこと、自分が望むこと。それを考えながらユーリアは自分の手の中にある拳銃とナイフを手にして僅かに息をのむ。
この力がどういう意味を持つのか彼女だって理解している。それがどういうことなのかも理解している。
だからこそこの手にあるこの武器が酷く重たく感じられた。
「力があれば力ある誰かを利用することだってできる。忘れるな?それはお前の力だ、お前だけの力だ。どう使うかも、どう扱うかも、お前が決めろ。」
力ある者は責任を求められる。単純な話だ。
力を使えばその分他の何かに影響を及ぼす。その影響の責任はすべて自分にあるのだ。それが自分自身が力を持つという事でもある。
「・・・シズキ・・・あなたは力を持ってても利用されないの・・・?」
「場合によりけりだな・・・幸か不幸か俺は結構すごい奴だからな、国だって軍だってそうそう手は出せない。まぁ不可侵条約みたいなのを結んでるんだよ。」
自分で言う事じゃないだろうけどなと付け足しながら静希は薄く笑っている。
力を持つものは利用される。だが強すぎる力を持っているものは利用できない。利用しようとすればそれだけ自分が危険にさらされることを理解しているからである。
草食獣が自らの身を守るためにライオンを護衛に頼むようなものだ。自らに牙をむくような過ぎた力に頼るわけにはいかないのである。
さらに言えば強い力を第三者が利用しようとすれば、それを周囲の存在は危険視するだろう。
軍に対して圧倒的力を誇る存在。そんな力を利用しようとする動きがあれば他の組織や国などは厳重な警戒をするのはまず間違いない。
強すぎる力は存在そのものが抑止力になる。そう言う事なのだ。
静希のいっていることがどこまで本当なのかは知らない。子供相手だからかなり大げさに言っている可能性だってある。
だがどうにもこの男が言っている言葉が嘘には聞こえなかった。今まで静希は自分に嘘をついていない。だからこそこれもきっと嘘ではない。
ユーリアはそう思い始めていた。
もちろん、全て思い込みかもしれないが。
「私・・・銃撃ったことない・・・ナイフも使ったことないし・・・」
「言っただろ、そう言うのは教えてやるって。銃は普通に撃って、ナイフは投擲に使えばいい。それなりにしかならないだろうけどお前の能力があれば牽制くらいはできるさ。」
ユーリアの能力は言ってみれば射撃、投擲の回数がほぼ無限になったようなものだ。
全弾撃ち尽くしてからまた複製、全てを投擲してから複製。それを繰り返せば延々と中距離からの攻撃を継続できる。
ユーリアの能力は地味だが強力だ。戦闘能力が複製する武器の性能に依存してしまうために扱いづらくもあるし、何より彼女自身が扱う武器の技術を修得しなければいけないという欠点があるが、それは少しずつではあるものの向上していくだろう。
扱いづらい能力だろうが、彼女にとってはそれがすべてなのだ。自分にできることをやっていくしか方法はない。
それが自ら危険に進むことであろうと、彼女が本当に何かを望むのであれば静希にそれを止めることはできない。
できるとしたら、彼女を守ることくらいだ。
元より今回静希がこの場にいるのは彼女を守るためだ。守る場所が少し変わるというだけの事である。
子供に甘くなったかなと静希は眉を顰めながらユーリアに指導をし始めた。