吉田恵里香さんのドラマ【チェリまほ】脚本家インタビューを回想する

吉田恵里香さんが、また話題になっている。

話題作に多く携わっている方なので、これまでもよくそのお名前を耳にしてきた。そしてその度にもう初出から5年近く経つこの記事を思い出し、毎回苦しかった。

私はこの【チェリまほ】実写ドラマの脚本家インタビュー記事を読み、自分が二つに切断されてしまったと感じた。

私は長年のBL愛好者であり、アセクシャル……である。

※この文脈ではそう名乗らざるを得ないが、私はあまりアロマンティックやアセクシャルという名前・分類を自分のものにはできていない。掴みどころのない概念だと感じている。それでもアセクシャルと聞くと自分にも関係ある話か? と気になってしまう程度には自己と紐づいている。今回は便宜上以下一貫してアセクシャルを使用する。

当時多少言及したくらいでまとまった記事などは書かず、その後何度話題を聞いても直接関係ない昔の話なので極力静かにしてきた。しかし今話題になっている記事には、少しだが5年前の記事に関連する内容が入っていた。なのでこの機会にもう一度考え、自分の気持ちを整理することにした。

こういうことは責任を持ってメインで使っているアカウントに掲載すべきかとも思うけれど……ちょっとしんどいので、匿名での投稿を許してほしい。

吉田さんの発言から感じられるアセクシャルのイメージ

アセクシャルについて、今話題になっているトークイベントまとめ記事でも二つ言及があった。個人的には、どちらも引っかかりを覚える語られ方だと思う。

 「アロマアセクではないかという人物を登場させることで、恋愛を重要視しない人の視点を加え、必ずしも恋愛は重要じゃないけど、それでも人を好きになるとはどういうことなのか、という描き方で恋愛を考えることにしました」

『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”

「恋愛を重要視しない人」。

まあ確かに、私もまた必然的に恋愛を重要視しない人ということになるだろう。重要も何も、その感覚が見つからない……自分にとって重要なのか判断がつかないのだから。

しかし"恋愛を照射するための視点"として置かれる「恋愛を重要視しない人」というのは、恋愛というものの概念や感覚をちゃんと掴めている人のように思える。私としては「恋愛を重要だと思っていません」という感じではなく、「いや……その……みなさん何をどうやってそれを恋愛だと判断しているんです……?」という歯切れの悪い状態である。

だから個人的には、"恋愛を考えるために"持ち出す要素としてアセクシャルはあまり向いていないのではと思ってしまう。少なくとも私に関して言えば「恋愛って何なのだ……」という問いそのもののような存在だ。もし私を物語に出したら恋愛なるものの根本の深淵を探りにかかって話が進まなくなるだろう。それが主題なら、いいのかもしれないけど。

 「私個人は結婚して子どももいる、世間的にはマジョリティ側の立場である人間で、ラブコメはもちろん恋バナも大好きです。でも、そうして恋愛にまつわることが好きだからこそ、苦手な人や興味のない人に思いを馳せるべきなんじゃないかと思っています」

『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”

自分自身の恋愛性愛については感覚がないがフィクションの恋愛物語は好きでよく読む。(私の中では今のところ恋愛というものはミステリーやホラーやアドベンチャーといった物語の型の一つだ。)そういう人は珍しい存在でもないようで、ちょっと検索すれば似たようなことを語っている人を見つけられると思う。だからこそ本当は興味あるのにモテなくて縁がないのをアセクシャルとか名前つけて誤魔化してるだけだろうなんて罵倒もたまに出てくる。

しかし過去のインタビューや上記発言からは、どうにも「アセクシャル=恋愛にまつわるあらゆる話に関心がないため、自分がその話題に関わると不快になるか傷つく人々」という像が吉田さんの中で出来上がっているような印象を受ける。もちろんそういう人も居るだろうが、全てがそうではない。だが吉田さんの中では、今まで取りこぼされていた掬い上げたいマイノリティとしてのアセクシャルはそういう像に当てはまる人のことだけを指している、ように見えた。少なくとも、「BL愛好者のアセクシャル」なる一見矛盾していそうな存在は勘定に入っていないように感じた。

とはいえアセクシャルに含まれるとされる人の感じ方考え方は千差万別すぎるため、あらゆるアセクシャルを取りこぼすまいとしたらアセクシャル属性キャラだけで100人くらい作らないと漏れが出ることになるだろう。それでも足りないかもしれない。だから作中に出てくるアセクシャルということになっているキャラクターが自分と異なる感覚を持つ造形であったとしても問題だとは言えないし、それだけで批判までしようとは思わない。ちょっと不愉快にはなるかもしれないが、それだけだ。

そして実際私個人は別に自分を掬い上げてくれる、助けてくれる、癒してくれるような作品を吉田さんに書いてほしいとは思っていないので、吉田さんの作品に救ってもらえなくても構わない。ないのだが……BL愛好者とアセクシャルというどちらも一応自分ごととしてアンテナが立ってしまう二つの属性のうち、原作にはあった前者を「描く必要はないと思って」と切り捨て、原作にはない後者をご自身の理念から後付けしたという話はさすがに放っておけなかった。

「配慮された脚本」の影に置かれた原作/BLとその読者

前提として、私はこのドラマを視聴しなかった。今も観ていない。そして原作も、評判は聞きながら縁とタイミングがなく未読である。私の感想は基本的にこの記事に書かれていた内容のみを対象としている。

私が特に引っかかったのは、藤崎希というキャラクターの設定変更に関する語り口だった。

藤崎さんという人は主人公二人の同僚であり、二人の仲の良さそうな様子を見聞きしては頭の中で恋愛関係に読み替えて幸せな気持ちになっているという人らしい。二人の仲が実際に恋愛に進展していくのをそうと知らぬまま、更に親密になっていくように見えてますますドキドキしてしまうという、読者の持つ情報とのズレがコメディを生み出す構図になっているようだ。

そんな藤崎さんだが、ドラマ版では「腐女子」であるという設定を削除され、代わりに「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」となった、と記事には書かれている。

※「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」は吉田さんの発言ではなくインタビュアーの発言だが吉田さんも特に否定はされていない。

 BLという前提で、読者のみなさんと同じ目線で立ったキャラクターがいるのは問題ないし、私も原作の藤崎さんは大好きなんですけど、実写だと演じるのは生身の人たちです。そうしたときに、他人の恋愛を覗き見てキャッキャと妄想するのはあまりいい行為に見えないというか。少なくとも、私だったらされたくないな、と思ったんです。

沼堕ち続出ドラマ“チェリまほ”の多様な世界はどうやって作られたのか
【脚本家・吉田恵里香さん】

この発言では、原作の藤崎さんは「他人の恋愛を覗き見てキャッキャと妄想するあまりよくない行為」をしているキャラクターである、と読めてしまう。特に「キャッキャと」という表現は何とも嫌味に響いて不快感がある。これのせいで「原作の藤崎さんは大好きなんですけど」というのが取ってつけた方便に聞こえてしまう。

実写で妄想を描写すると頭の中だけで展開している物語だということがやや伝わりづらくなるし、漫画よりどぎつく見えるので表現を変えること自体は妥当であると思う。それをそのまま説明されただけなら配慮されているんだな、で済んだところだったが「キャッキャと妄想する」とか「いい行為に見えない」とか付け加えられたために、「原作はそんな感じなのか?」という感想を誘発する。ついでにそんな藤崎さんのことを「読者のみなさんと同じ目線」と言っているため、BL読者もその代理である藤崎も他人でキャッキャと妄想しているので"よくない"ね、と言われているようなニュアンスをどうしても感じ取ってしまう。

安達と黒沢が実際に付き合うことになったからまだ良いですが、異性愛者かもしれない人にBL的な妄想を膨らませてニヤニヤ見つめるのは、男性が巨乳の女性を見てエロいと言ったりニヤニヤするのと変わらないんじゃないかなという引っかかりがありました。私はそういうことを自分がされたら嫌だったので、このお話に出てくるキャラクターにもそれはさせたくなかった。

沼堕ち続出ドラマ“チェリまほ”の多様な世界はどうやって作られたのか
【脚本家・吉田恵里香さん】

更に続けて、「異性愛者かもしれない人にBL的な妄想を膨らませてニヤニヤ見つめる」という風にも語られてしまっているが、原作の藤崎さんという人はニヤニヤ顔で二人を見つめているシーンが描かれているのだろうか。原作未読の私にはまるで藤崎さんという人が漫画の中で二人の目の前や背後あたりでゾッとするようなニヤけ笑いを抑えきれないでいるような場面があるのかと思わされてしまう。

※感想等を軽く探してみた限りでは、原作の藤崎さんは職場では(当然ながら)ポーカーフェイスを貫き、あくまで頭の中でのみ二人を登場人物にしたBLを楽しんでいるという描写であるように見受けられた。藤崎さんの頭の中は漫画だから読者には見えてしまうが、実際藤崎さんの周囲に居る人々には悟られていないのではないだろうか。それを大っぴらにしてはならないという理性がある限り、妄想するだけのことまで責めていたら大変である。男性が巨乳の女性で妄想することについてもそれは変わらないはずだ。
……さすがにこんなの釈迦に説法で吉田さんが理解していないはずはないと思うのだが、どうしてこんな言い方になってしまったのだろう。

藤崎さんにしても、はっきり腐女子ではないとしたわけではないんです。明言してないだけで、そこはドラマで描く必要はないと思って。

沼堕ち続出ドラマ“チェリまほ”の多様な世界はどうやって作られたのか
【脚本家・吉田恵里香さん】

原作における藤崎さんの「腐女子」たる根拠の描写が二人を見て妄想が迸ってしまうことだけであるならば、その描写を削るとした以上明言できなくなるのは必然的だ。だからこれだけならまだ吉田さんの言う通り「説明的に入れてもくどいからただ明言されなかっただけ」だと捉えられただろう。(藤崎さんの部屋に原作者の他作品の単行本を置いておくとか、そういう演出方法なんかもある気はするが……。)

正しくない腐女子と掬い上げられたアセクシャル

藤崎さんの「腐女子」という認識を抜いて開いた穴に、吉田さんは「アセクシャルやアロマンティックを入れたい」と考えた。

藤崎さんをアセクシャルという設定にすることも、それだけであれば特に問題ないだろうと思う。原作で藤崎さん自身に恋愛関係の描写がないのであれば、アセクシャルを付け加えたところで物語の筋に大きな影響はない。原作者の方も快諾したということらしいので、おそらくそうなのだろう。

しかしここで引っかかってくるのが「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」というフレーズである。

――非常に新しいと思ったのが、腐女子と明言しない代わりに、藤崎さんを「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」としました。実はこういうキャラクターってあまり日本のドラマにはいなくて。

沼堕ち続出ドラマ“チェリまほ”の多様な世界はどうやって作られたのか
【脚本家・吉田恵里香さん】

※再度記すがこれはインタビュアーのライターさん側の発言であり吉田さん自身の発言ではない。ただし、吉田さんも特にこれを訂正したりする発言はされていない。

恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性。
恋愛がなくても……?
どういう意味だ?

私は混乱した。

原作の藤崎さんは何もなくても毎日ハッピーでいられるタフな人ではなかったのではないかと推察している。生きていて人並にしんどいことがあり、それでも毎日労働せねばならない。そんな日々を乗り切るための心の糧としてBLを持っているというキャラクターだったのではないか。それは私としても非常に共感できる造形だ。

しかしドラマ藤崎さんは「恋愛に興味のない人」となった。そのことで「生き辛さ」を感じつつも、自力で折り合いをつけながら毎日仕事を楽しく頑張っているというキャラクター、というのがこのインタビューでの語られ方と少し拝読してきたドラマの感想から抱いた印象だ。しかも、恋愛に関して生き辛さを感じていながら同僚の恋と幸せは真心から応援できる人である。聖女のようだ。

それは何だか……随分と「恋愛で悩んでいる人」にとってあまりにも頼もしい存在であるように思われる。

親身に寄り添ってくれつつ、恋愛感情を向けてくることはない安心できる存在。ついでに「恋愛したい気持ちはあるが上手くできない人」のことも恋愛はなくても大丈夫だよ! と励ましてくれる存在。(とインタビュアーの方は見たようである)

実際の作品を視聴したら、もしかしたら、もしかしたらただ素直に感動できる可能性もあるのかもしれないとは思っておく。微妙に引っかかるところはあるにせよ、これが激しく誰かを"傷つける"改変だとは断定し難い。
(私はもう当作をこの目で確認しようとはどうしても思えないのでその点は申し訳ないが。)

だが問題はこのインタビュー記事だ。

作品の中では「腐女子」と「恋愛に興味のない人」の間に接点も文脈もなく、ただアセクシャル的な藤崎さんというキャラクターが居るだけに見えるはずである。しかしこの記事においては藤崎さんの「腐女子」設定を削った意図について、妙に強い言葉で暴露されてしまった。その上でアセクシャルにしたと言われている。この二つが同じ記事の中で連続して語られた。

その結果、「男性の当事者に失礼な目線を投げかける腐女子を消して、恋愛に興味がない清らかなアセクシャルに変えた」という印象が発生してしまった。少なくとも、BL愛好者およびアセクシャル的なもの両方に該当する私の目にはそう映った。

腐女子と違って二人の恋を穢れなき純粋な真心で応援してくれる安全な同僚という美しいフェアリーテイル・アセクシャル……。

(やや言葉が強くなって申し訳ないが、それほどの衝撃を受けてしまったということで理解してほしい。)

もう一度言うがドラマ本編を視聴していないため、実際の完成品ではどのような印象になっていたのかは分からない。もしかしたら作品だけを観ている限りでは特に違和感を覚えない程度に上手くまとまっていたのかもしれない。

こんな風に後から意味づけされてしまわなければ。

せめて、もう少し「インタビューを読んだ人からどう見えるか」を考慮した記事にしてもらえていたならば……。

誰も取りこぼさない、取り残された人々を掬いたい、優しい世界を作りたい。そういう理念を掲げて本を書いている人の言葉に、私という端くれは見事二つの破片に切断された。正しくないから描かなくていい「腐女子」と、掬い上げるべきマイノリティに。

楽園に招かれないのは別に平気だったけど、真っ二つにされたとあってはさすがに、痛かった。5年が過ぎても正直まだ痛い。

真意の後出しでは原作の名誉を回復できない

長々と書いてきたが一言でまとめるなら、

「このインタビュー記事からは全体的に原作(BL)に比べていかにドラマ脚本が素晴らしかったかを誇るニュアンスが感じられてしまった」

ということである。

真意はそうではない。
ちゃんと読めばそんなことは書いてない。
読んだ人が勝手にそう解釈してしまっただけである。

そうなのかもしれない。ただ、もしそうなのだとしてもこの記事は原作とそのジャンルであるBLをまとめて貶める効果を実際に発揮してしまった。

この記事が出た後、「だから普段BLは無理なんだけどこのドラマは配慮のおかげで良くなってたからハマれたんだと思う!」というような感想を述べている人を確かに見た。まさしく問題を抱えたジャンル・原作を吉田さんが修正してあげたと捉えた上で絶賛していた人が、居たのだ。

そしてこちらは記事から1年以上後の投稿だが、原作者の方も「そういうイメージで見られる」とコメントしている。

この投稿は以下の部分について言及しているものと察せられる。

――ドラマ楽しく拝見しています。原作も大好きなのですが、テレビドラマというフォーマットに合わせたアレンジの仕方が絶妙だなと感じています。まず大きいのが、町田啓太さん演じる黒沢のキャラクター造形です。赤楚衛二さん演じる安達の魔法によって心の声がダダ漏れとなる黒沢は、原作ではわりと露骨な表現も出てきますが、ドラマではそれらを丹念に精査されていますよね。

吉田 そこはやっぱり層の違いがありました。原作はBL(ボーイズ・ラブ)というジャンルが前提で、読者もBL的な展開を求めているので、ネタとして受け入れられますが、ドラマはいろんな方がご覧になります。その中には、BLが好きではないという方もいるかもしれません。だからこそ、さまざまな層の方がご覧になったときにどう見えるかということを意識しました。

家に来たからといって襲っていいわけではないですし、許可なくキスをしたりふれてはいけないのは異性間でも同性間でも変わりません。それがBLだったらいいよねとなるのは、当事者の方にすごく失礼なこと。BLというジャンルを扱うからこそ、当事者ファーストを守りたいというのは、プロデューサーの本間(かなみ)さんも監督も同意見だったので、そこは特に気をつけました。

沼堕ち続出ドラマ“チェリまほ”の多様な世界はどうやって作られたのか
【脚本家・吉田恵里香さん】

「BLだったらいいよね」というのは一体何のことを指しているのか、何度読んでもわからない。とても唐突に思えるがこの前後でも説明になりそうな箇所はない。すると流れからして「原作ではそういう表現を"BLだったらいいよね"とばかりに平気でやっているんです」という意味か……? と思ってしまう。しかし原作者の方によればそれは実態とは離れた風評である。

そうして原作に悪印象を抱いた人を生んでしまったことに対して、吉田さんは特に何も言及していなかったと思う。記事の反響自体については長い投稿をされていたはずだが、その中にはなかったと思う。たださすがにあまりにも記事の件が精神的にキツかったもので記憶するほど読み込めず、具体的な内容は思い出せない。もしも吉田さんがご自身の発信できっぱりと、原作を下に見られるようなことは本意ではない、インタビューの語り方が原作の印象を落とすような配慮の欠ける表現になってしまったと振り返っておられることがあったならいいのだが……。

それにほとんどの人は記事を読み終えたらそこまでで、個人のSNSアカウントに「真意」を汲み取りに行ったりしない。そこまでするのはよほどこの話題か吉田さん本人に興味のある人だけだ。だからこのインタビューで「へ〜原作はそんなに暴力的なんだね。ドラマだけでいいや」という印象を持ってしまった人の認識を訂正することは困難だ。原作を貶める意図なんかないんです、と後から言ったところで誰かの中で貶められた印象は戻らない。吉田さんと、この記事を書いたライターさんは、その影響について考慮した上でこの記事を出したのだろうか。もし本当にそんなことは本意ではなかったのだとしたら、決して軽くはない配慮不足だったのではないだろうかと思う。それとも「BLの原作は所詮そんな物」という認識が本音であって、それが漏れてしまったのだろうか。そうとは思いたくないものだが……。

「人」に対する罪滅ぼしではなく

最後にもう一つだけついでに思ったことが出てきたので書いておく。これは5年前の記事ではなく、冒頭でも取り上げたトークイベントでの発言について。

「私個人は結婚して子どももいる、世間的にはマジョリティ側の立場である人間で、ラブコメはもちろん恋バナも大好きです。でも、そうして恋愛にまつわることが好きだからこそ、苦手な人や興味のない人に思いを馳せるべきなんじゃないかと思っています」

『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性”

マジョリティの立場だからこそ、そうでない人に思いを馳せるべき。うん、まあそうかもしれない。全く想定もされずにないもの扱いされると確かにそれは色々と苦しいだろう。違う可能性もあるかもと考えてもらえるのはありがたいことだと思う。

でも、もしマジョリティであることの罪を償うためにマイノリティを支援しなくてはという感覚があるのなら、そのような負い方はしなくていいと思う。というか、そういう感じで積極的に支援しようとすると当のマイノリティにはありがた迷惑な活動になるかもしれない。

たとえば、多分アセクシャルの端くれである一個人の自分としては「知られていない人たちだから周知してあげよう、生き辛い人たちに配慮が行き届くようにしよう!」という接し方をされても、割と困る。何だか気まずく居心地が悪い。

生き辛い特殊な人だから配慮されたいのではなく、世の中が全体的に恋し番うことに緩い心構えになり、恋愛結婚はするのもしないのもそれぞれの良さがあるよねという雰囲気になってくれたらそれでいい。その方が良い。

そして今、徐々にだがそういう空気になりつつあるとも思っている。

その変化をもたらしてきた要因の一つには、まさに吉田さんが目指すような、新たな価値観を作品に組み込んできた創作物の力もきっとある。アセクシャル的なキャラクターを目立って採用した作品がたくさん出た訳ではないはずだが時代は変わってきている。

つまり「取りこぼされた人を掬い上げてスポットライトの下に立たせる」以外にも世界の空気に影響を及ぼしていくような表現はあるということではないか。だからマジョリティの自分が傷つけてしまったあの人やあの人やあの人を正しい姿で作品に登場させて描いていかなくては、とまでは気負いすぎなくていいんじゃないかな、と思う。

「自分の代弁をしてくれるキャラを積極的に作ってほしい!」という人も居るだろうし、そういう声の方が優先されそうだけど……ここにある端くれの声も頭の隅に置いておいてもらえたら嬉しい。

おわり

5年前の記事には他にも思うところが山程あるが、ひとまず一番キツかった部分については全て書き出せたと思う。あらためてまとめきった今、何だかようやく少し憑き物が落ちた感じがする。やっぱり当時からちゃんと考えてまとめておけばよかったかもしれない。

今の吉田さんはこの5年前の記事についてどう思うのだろう。今は考えが変わったところもあるだろうか。トークイベント記事の発言抜粋は少なすぎて、読み取れる情報は少なかった。

ただもし今吉田さんからあれは言い過ぎだった、別の表現を選択すればよかったというお話しが出てきたとしても、吉田さんの書いた本を読もうという気には、多分もうなれないと思う。それが作品を見た上での判断でなく、作品外のインタビューでもたらされてしまったというのはもったいないことだった。

端くれの感想は以上です。

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吉田恵里香さんのドラマ【チェリまほ】脚本家インタビューを回想する|はしくれ
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