あんなにあったのに!

あんなにできてたのに!

 

悔しい!!

 

 

昨年、人知れず、

そう思う時間がたくさんありました。

 

 

悔しいと思うならやりなよ!

と自分を責めることもあったし、

 

私ならできる!

これまでできてたのだから、

いくらでも、またできる!!

 

鼓舞するように、

言葉をかけることもあった。

 

 

だけど、

母が歩けなくなった日から、

 

“今まで”と比べて、

できないことを嘆くのをやめた。

 


今の私”でできることを考えよう。

今の私”にできることをしよう。

 

そう決めた。

 

 

 

”今までの私”にできてたことではなく、

”今までの私”がやってきたことでもなく、

 

”今の私”と向き合おう。

 

 

 

そうしないと、ある日の、

その瞬間から歩けなくなった母に、

 

「なんでこんなこともできないんだ!」

「それくらい自分でやってよ!」

 

とブチギレてしまいそうだったから(T ^ T)

 

 

 

 

例えば母は、

長年 ”いつもの場所” に置いてあるゴミ箱に、

自分でゴミを捨てるのが難しくなった。

 

でも、”ゴミくらい”、

自分で捨てようとして、

輪投げするみたいな感じで投げ入れる。

 

 

だいたい、外す。

 

 

「あはは、入んなかった」

と毎回笑って誤魔化すけど、

そこには罪悪感や落ち込む気持ちとか、

いろんなものが含まれていることを感じてる。

 

けど、腹立つ。

 

 

当たり前にできてことが、

いきなりできなくなって、

一番辛いのは本人だってことくらい、わかってる。

 

けど、うんざりする。

 

 

すぐそこのゴミ箱に、

ゴミを捨てることさえできなくなったので、

私は気づいていない、その他多くのことも多分、不自由になっている。

 

 

 

足ってすごいんだな。

歩けること自体が、自由だし、

自立しているし、嬉しいことなんだな。

 

 

もしかしたら、

遺伝する可能性だってある。

私だって決して人ごとではない。

 

そんなことを頭の片隅に思いながら、

 

身体がある こと、

今ある自由 を大切に思う、

 

ありがたい機会となっています。

 

 

 

 

「当たり前にできてたことができなくなった」

 

 

そんな母を見てて思うことと、

私自身の中にあるフラストレーションが、

ずっと重なっていました。

 

 

母に対して、イラついて、

文句を言うことはすっごく簡単。

 

だけど、

母に自分の感情をぶつけることは、

私自身のフラストレーションの解消なだけ。

 

 

例え、同じ空間にいたとしても、

私自身のフラストレーションと、母の現状は、

全く関係ない。

 

 

だから私は、とても痛いけど、

母への苛立ちを通して、

自分と向き合う選択をするのです。

 

 

 

とはいえ、年末年始はもーーー、家族全員のことが本当に無理すぎて、一人で温泉施設に行って、そのまま1杯飲みながらトンカツ食べて、またお風呂入って、6時間後に帰宅した。

なんか、”そんなこと”くらい、”今までの私”なら全然当たり前だったのに、「あ、そうか。別に家族と一緒に夜ご飯食べなくて良いし、家に帰らなくてもいいんだった」と、思い出して、久しぶりに自分に戻ってきた気がして、ちょっと泣いた😭

 

 

 

 

「母に腹を立てないように、感情的にならないように、気を付ける。我慢する」

 

のではなく、

 

自分自身に対して、

以前の自分と比べて、責めたり、

落ち込んだり、鼓舞するのをやめた。

 

 

今までと比べて、

できないことを嘆くのではなく、

”今の私”と向き合おう。

 

”今の私”でできることを考えよう。

”今の私”にできることをしよう。

 

そう決めたんです。

 

 

今までの私にできてたのだから、

今の私だってできるはず!

 

…そうではなく、

 

の私ができることをする。

 

 

そう決めたら、

ようやく背骨が通った感じがして、

前に進み始めることができた。

 

 

それくらい、

過去の栄光(できてたこと、持っていたもの、良かったこと…)を手放したくなかったのだなと思ったし、

変化を受け入れることを拒んでいたのだと気づいた。

 

 

“ただ今を受け入れる”

 

 

私が前進するために必要だったことは、

それだった。泣

 

 

 

 

本当は、私はこの一年、

身体の変化をすごく、すごく感じていた。

 

 

このブログを始めたとき、

私は24歳だった。

 

それから11年。

 

11年間、假屋舞として活動をしながら、

確実に年齢を重ねてきた。

 

 

24歳だった私は、35歳になり、

なんと、アラフォーである。

 

信じられない。

信じられなすぎるけど、アラフォーである。

 

 

年齢なんて関係ないと思う反面、

身体はしっかり変化しているのだということにようやく気づき、受け入れた😭

 

 

 

 

この一年、

うちの犬が心臓の弁が切れて手術をした。

母が骨折をして、癌であることがわかった。

 

彼らにとって当たり前だった日常は、

当たり前ではなくなった。

 

 

私自身、入院したことがある。

今もなお、難病である。

 

 

この一年、難病の症状が発症していて、

身体に何か不自由があって、

 

…そういうことは、私自身にはなかった。

それが起きていたのは、私の周りだった。

 



私はこの一年ずっと、

当たり前が当たり前ではなくなっていく

その様子をすぐ隣りで見つめていた。

 


それは決して人ごとではなく、

 

私自身も、

これまで当たり前にあったもの、

当たり前にできていたこと、

 

それらが、

当たり前ではなくなっていた。

 

 

そこに、

病名がつくわけではない。

 

 

これは、言い訳なのか。

これは、甘えなのか。

 

 

健康でありながら、不調である

 

 

その矛盾にずっと葛藤していたんだと、

ようやく今、自分のことを理解してあげられて、

ちょっと泣きそうだ。

 

 

全身性エリテマトーデス

発症せずにいてくれた(;_;)

 

だって、私まで入院したら無理だった。

 

 

健康だけど、不調である。

 

 

それで済んだお陰で、

めいいっぱい自分と向き合って、

傷ついた分だけ受け取って大きく循環した。

 

ありがとう、ありがとう😭

 

溢れ出る感謝を身体に向けていたら、

関節炎の症状が久しぶりに出始めた💦

 

そうだよね、

私の身体、頑張ってたよね。

ありがとうね😭🙏

 

 



やりたいのにできない!!
って嘆くのをやめた。


その代わり、

”今のわたし”にできることで、
誰かを幸せにすることができないか。
 
それを”提供”という形で、
世の中に差し出せないか。
 
 
そう考えるようになりました。


その一つが、先日お知らせした、
Ami というシリーズで、
「わたしを愛するための息つく時間」
もそのうちの一つなのです。
 
 
image
 
"今まで"は、
細部の細部までこだわっていた。
 
 
鑑定をするなら、
鑑定書カバー、紙の質、
納品書や梱包や発送用品も、
 
全部デザインして、発注して、
お店やさんごっこしてた。
 
 
それが今はできないことを、
ずっと「ダメだ」と思っていた。
 
 
でも、思い出したんです。
 
 
「私のこだわり」は、
あくまで私の自己満足であり、
付加価値であったこと。
 
「完璧なものを届ける」ことが目的ではなく、
あなたという人の素晴らしさを伝えることが、
私が本来提供したいものであったことを。
 
 
もちろん、
仕事としてお金を受け取る上で、
半端なものは提供しないけど、
 
私の商品の本質は、
紙質、デザイン性、豪華、キラキラ感ではなく、
もっと目に見えないところにあるはずだった。
 
 
あれもこれも、
全部今手元にない!
ちゃんと整ってない!
 
私が「できない」と思って、
落ち込んでいたことは全部、
目に見えることだったんです。
 

「できない、できない」
って思い続けてるその時間にも、
やれることがたくさんあったはずなのに、
私はやらなかった。
 
そんな痛みも重みも感じている。
 
 
だからこそ、
「今の私にできることをやる」と決めたら、
私は、星の話ができることを思い出した。
しかも、いっぱいできる!
 
 
今、プリンターがないから、
コンビニ印刷で、紙は普通紙になっちゃう。
 
事務局の妹も辞めたから、
事務対応もたくさんはこなせない。
 
 
だから、できない!
ではなくて、
 
デジタルコンテンツにしたら、
決済後すぐにBASEの自動メールで完了する😳
印刷だって、みんなに自分の手でしてもらえばいいじゃないか!
 





 
本当は、
隅々までこだわって、
思いっきりお届けしたいけど!
 
本当は、
テンプレートの事務メールだとしても、
私から直接お礼を送りたいけど!
 

みんなに理解と協力をしてもらえばいいじゃないか悲しい

その分、手に取りやすい価格、
「やりたいけどできない私の気持ち」が納得する価格にすればいいじゃないか赤ちゃん泣き


そう思ったら、
じわ〜〜〜〜〜〜んと涙が。

そうだよ、そういう温かな人と人との繋がりが、良いじゃないか。


完璧じゃなくていい。
今の私のままでいい。


ずっとゆるされたかったのは、
私だったんだ。




今の私にできないことをするのではなく、
今の私にできないからって嘆くのでもなく、
 
 
今の私にできることで、
誰かを幸せにできないだろうか。
 
そしてそれを、
”提供する”という形で、
世の中に差し出せないだろうか。
 
 
地道に今、
できることを始めています。
 
 
そうして思いついたことを、
外に向けて差し出した時に、
受け取ってくれる人がいるなら…
 
「今のわたしのままで、誰かを幸せにできるよ!」
 
という返事だなぁと思いながら、
現実を見つめています。
 
 
正直、
「通知メールが鳴り止みません!!」
みたいなことはないですが(笑)、
 
それでも毎日誰か1人でも、
「星の話」や「運気の話」を購入してくれる人がいて、
この循環をしっかり受け取っています。 
 
 

異次元💫嬉しい😆!!



この場を借りて、
お礼を言わせてください💓
 
わたしを愛するための星の本
わたしを愛するための運気の話
 
購入していただき、ありがとうございます!
印刷もしていただき、ありがとうございます!
何度も読み返して、受け取ろうとしていただき、ありがとうございます!
大事にしていただき、ありがとうございます!



 
「わたしを愛するための息つく時間」は、
今の私にできることで、
もう少し直接関われないかと考えました。
 
 
豪華な特典も演出もなく、
今回のために、何かデザイン依頼して制作するものはないです。
 
「初月に1冊の本を贈ります」なんて、地味かもですね😅
 
 
でも、
あなたにはどの本がいいかな?
って想像して、選んで、
ラッピングするのは私です。
 
特別なものを外側に作らないからこそ、
その分の時間とエネルギーを、
一人一人に向けることができます。
 
 
あなた宛の星の話は、
毎月2〜3ページのボリュームですが、
 
\こんなにいっぱい!!/
 
ではない代わりに、
半年間、毎月必ずお届けできるし、
言葉の精度と温度を上げることができます。
 
 
誰かを思って何かをする。
 
 
それは、いつどんな時だってできること。
 

大きな未来のために、
沢山の人のことを思って、
全身全霊を賭けて何かをすることは
本当にすごいことで、素晴らしいと思う。
 
だからといって、

目の前の誰かのことを思って、
今の自分にできることを差し出すことが決して、
小さくも、弱くも、劣ってるわけでもないんだよってことを、私自身にゆるしたんです。




わたしを愛するための星の本
わたしを愛するための運気の話
わたしを愛するための息する時間
 
この3つは、
今の私にできるさまざまな形の、
自分の戻るための場の提供です。
 

私自身も、
今の私を受け入れながら、
今の私にできることをしながら、
丁寧に生き直している最中です。
 
それは、衰退でも縮小でもなく、
これまで足してきたものを削ぎ落として、
内側の核を研ぎ澄ませていく、
必要な時間だと思っています。




本当に内側を整えたい人
自分のための時間が本当に欲しい人
スマホの画面から離れて、紙ベースに癒されたい人
SNSの言葉ではなく、温度のある言葉に触れたい人
 
そういう人に、
Ami シリーズを受け取ってもらえたら嬉しいなと思っています^^
 
 
 
 
一応ですが、言っておくと、
「今はできないから、簡単にできることをやっている」わけではないですからね。
 

言葉の通り、
今の私にできることをやっています😊
 
 
こだわりを手放して、
本当にこだわるべきところに集中しています。

大切なことを、
改めてまっすぐ届けたいです✨
 







2月4日までの期間限定販売です




2〜7月の半年間、

毎月「あなた宛」の星の話をお届けします。

さらに、魂に刻まれた約束の物語を執筆、

あなたを想像してセレクトした1冊の本をプレゼント✨