第278話 過去の誹謗中傷との対峙
―一条愛視点―
センパイと映画を見たあとで、カフェに向かうために散策している。
久しぶりの映画館での映画。本当に楽しかった。もう手を握ることに理由なんていらない。それも本当に嬉しかった。彼の優しさに甘えていたくなる。
休日の午後の穏やかな時間。たくさん大変なことがあったけど、それでもこの優しい時間がずっと流れてくれる。私が手放さなければ、彼はずっと横にいてくれるはずだ。
そういう風に信じることができる。あの地獄を見たばかりの自分にとっては、この時間は信じられないくらい幸せな時間。
何気ない会話をしていたら、後ろから「宇垣愛?」と呼ばれた。その名前で呼ばれた意味に早く気付けばよかった。思わず条件反射的に振り返ってしまったことがいけなかった。
そこにいたのは中学時代の同級生だった。
「新田さん?」
彼女は、私と同じように外部進学を選んだはず。だからなのか、他にも数人の女友達と一緒にいたが、あまり声をかけたくないような雰囲気をまとっていた。簡単に言ってしまえば、不良のような感じ。
当時の彼女を知っていた自分としては信じられないくらいの豹変と思えた。
たまたまお化粧が薄めだったから気づけただけだと思う。
「ふうん。まだ、そんな風に清楚ぶっているんだ。隣にいるのは彼氏? ずいぶん、さえない男だねぇ」
明らかに挑発されているとわかる。私だけではなく、彼まで貶められていることはどうしても許せなかったので、「何を言っているの?」と非難する視線を送る。
彼も事態が怪しくなったことに気づいて、私と彼女の間に立ってくれる。それが嬉しくて、私のせいで変なことに巻き込まれてしまって申し訳ない気持ちになる。
「ふうん。やっぱり、あんたはそういうところあるよね。可哀想ぶって同情を買って、守ってもらう。そうやって、苦労もなくずっと幸せに過ごせるお姫様。そういうやつを見ると、私ムカつくんだよね。ねぇ、彼氏さん。知っているの? この女はね、こんなすました顔をしているけど、実の母親を見殺しにしている鬼の娘よ。あんたも、そうやっていつか簡単に捨てられる。早く別れたほうが……」
ああ、この人だったんだ。やっと、わかった。私に嫌がらせをしていた人。たぶん、彼女だけじゃないと思うけど……偶然出会っただけでここまで強い悪意をぶつけられるのだから首謀者の一人ではあるはず。
そう冷静に考えながら、せっかくの休日にこんなことに巻き込んでしまったセンパイに対して申し訳なさでいっぱいで泣きそうだった。
「いい加減にしてくれませんか」
それは聞いたこともないくらい冷たい拒絶の意思を込めた彼の声だった。
「はぁ」
まさか、優しそうな彼からここまで明確に拒絶されるとは思っていなかったのだろう。新田さんは驚いた表情を隠せていない。
「愛さんに何があったのかは知っています。でも、あなたのような他人がそのような繊細なことに土足で踏み入れるべきではないし、それを嬉々として面白おかしく喧伝するようなことはするべきではありませんよ。あなたはそんなこともわからないんですか」
淡々としながらも毅然とした態度で、新田さんを否定し続けていく。
彼の手は、優しく私の手を握り締めてくれた。
「だったら……わかるでしょ」
新田さんは彼の様子に気おされているように見える。
「わかる? わかりたくもありませんよ。あなたの曲解した言い分なんて。逆に教えてください。どうして、あなたはそんな当たり前のようなことがわからないんですか。人間としてやってはいけないことの境界もわかっていないように見えますけど」
センパイは侮蔑の意味も込めて、鋭い言葉を投げつけた。
新田さんは動揺しながら涙を目に浮かべて反論する。
「だからムカつくのよ。何も知らないように見えて、陰でこそこそ動いて、金の力と権力で……私たちを特定して……内部進学もできないように追い込んで」
私は目を見開いた。誰がそうしたかは一人しかいない。たぶん、お父さんだ。
センパイもそれに気づいたのだろう。少しだけ手を強く握ってくれた。
「それはただの自業自得だろ。それを逆恨みして、嫌がらせをしていることに気づきなよ。はっきり言わせてもらうよ。俺の大切な人を傷つけるのは許さない。これ以上、しつこいと警察を呼ぶけど」
警察という単語に大きな動揺が見えた。不良のように見えても……
「くそ。そんな冴えない男とお似合いよ。どこにでもいけばいい」
そんな悔しさをにじみだしながら、不良たちは逃げ出していった。
「ふう、すごい人たちだったな」
彼は苦笑いしながら「まいったな」といつもの笑顔に戻っていた。雰囲気は一気に柔らかくなる。私のために配慮してくれたのだろう。
私は彼の胸に頭を軽くぶつける。「ありがとうございました」と言うしかできない自分が情けなかったけど、こうして大切な人に守ってもらえたということは本当に忘れられない出来事になったと思う。
まだまだ、私たちはここからだ。
※
―新田視点―
情けなく逃げだしたことをごまかすように、私たちは「しっかし冴えない男だったね」とか「だから、あんな女に引っかかるんだよ」とか負け惜しみを言っていた。これが負け惜しみだということがわかっているから余計に腹が立つ。
そんなことを言っていたら、電光掲示板にニュースが流れてきた。
なんとなく、それを見ていたらさっきまで対峙していた冴えない男の顔が映し出されている。
「はぁ⁉」
「えっ、さっきの……」
私たちは思い思いの声を上げる。
青野英治、史上最年少受賞、類まれなる才能。その信じられない単語が自分たちの惨めな現状を冷徹に突き刺しているように感じた。
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