第266話 小さな幸せ

―一条愛視点―


「また来てね。こんどはゆっくり」

 私はキッチン青野を出ると、お母さんが外まで見送りに来てくれた。

 ドライカレーとサラダを入れた袋を見ながら、私はお礼を言う。


「いつも本当にありがとうございます」

 お母さんは、首を大きく横に振る。そして、「私をもっと頼りなさい」と笑って言ってくれた。


「英治、ちゃんと送り届けるのよ」

 

「当たり前だろ。今日はすぐに帰ってくるよ。おじさんの顔を少しだけ見てくるだけ」


「そうね。そのほうがいいわ」

 なんて、二人は笑いあっていた。その様子を見ながら、自分の心が満たされていくのを感じる。小さな幸せが積み重なっていく。それは外から見れば小さな雪が集まるみたいにささやかなことなのに、私にとってはかけがえのない宝物になっていく。どうして、こんなことを大事にしているんだろうと言われてしまうかもしれないけど、それはずっと私の心の中で求めていた……渇望していた人の優しさの塊で、善意の温かさだから。


「じゃあ、行ってきます」

 不思議だ。今日はお互いに口数は少ない。それでも、気まずい雰囲気にならない。むしろ、ただ横を歩いているだけで幸せになれる。安心感があるからかな。彼がずっと横にいてくれることがわかっているから。


 私は絶対に彼を手放さない。たぶん、彼の方も同じ気持ちだと思う。そうだったらいいな。


 恥ずかしいけど、マンションまではあと10分くらいだ。なら、少しは攻めてもいいかな。ゆっくりと彼の腕に手を入れる。少しだけ驚いたようだけど、笑って受け入れてくれた。


 無言で、腕をつかんだまま、彼の肩に頭を軽く預けた。

 さきほどまで感じていた安心感がさらに強くなる。


「いつもありがとうございます、大好き」

 聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな声で気持ちを伝える。

 こういう時の先輩って、やっぱり聞き逃してはくれない。そうわかっていたのに、少しだけ恥ずかしさが勝ってしまった。


「こちらこそだよ」

 聞こえてしまった恥ずかしさを隠しながら、私たちは無言で街を歩いた。


 ※


「それじゃあ、おじさん。お大事にしてください」

 私がレンジで耐熱容器に入ったドライカレーを温めている間に、先輩とお父さんはリビングで談笑していた。


 食事の準備ができたところで、先輩は「じゃあ、これで」と言っていた。

 私たちがお茶くらい飲んでいけばいいのにというと、「家族団らんを邪魔したくないからそれはまた今度」と笑っていた。


 彼が部屋を出て行ったあとで、「ほとんど家族同然なのにな」とお父さんがつぶやいた。そんなことを言われて思わず顔が熱くなる。


「冗談だよ」

 お父さんは私の反応を見て苦笑いしている。

 少しずつ、私の日常も戻りつつあった。

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