王貞治さん(85)がプロ野球生活22年で放った本塁打数をご存じですか?
1977年9月3日のヤクルト戦(後楽園)で、当時の米大リーグ最多本塁打記録を塗り替える756号を放ち、国民栄誉賞第1号となった「世界の王」。80年に引退するまで前人未到の868本塁打を積み重ねたのはよく知られていますが、ペナントレース以外も含めると1032本塁打も放っているのです。
最後の本塁打は45年前の80年11月16日、熊本・藤崎台球場で行われた阪神との秋季オープン戦で飛び出しました。背番号「1」のユニホームを着た王さんは五回の第3打席、宮田典計投手が投じた内角高めのボールを振り抜き、右翼芝生席上段に突き刺しました。現役最後の試合、最終打席で豪快なホームラン。〝キング〟の称号にふさわしいフィナーレでした。
直後の光景もまた、ドラマチックでした。王さんがダイヤモンドをゆっくり回り、まず一塁コーチの柴田勲とタッチを交わす。続いて阪神の一塁手・竹之内雅史、二塁手・岡田彰布が王さんを追いかけ、帽子を取って握手。さらに遊撃手・真弓明信、三塁手・北村照文と続き、三塁線に整列した阪神ナイン一人一人と手を握った後、最後は一塁側ベンチに並ぶ巨人ナインが全員でお迎え。1032本塁打の中で最も長いセレモニーでした。
「あの打席の前まで考えられないほど(状態が)悪かったのに、あんな豪快な一発が出るなんて信じられない。お客さんだけじゃなくうちの選手、阪神の選手も(本塁打を)願っていたよね。僕は本当に幸せものだよ」
当時の取材メモにあった王さんの言葉です。みんなにリスペクトされた王さんだからこそ、最後の最後で名シーンが生まれたのかもしれません。
ファーストミットを一塁に
引退試合にはもう一つ、ドラマがありました。舞台は試合前のロッカールームです。色紙にサインをしていた王さんは「今あるとすれば、感傷的になってしまうことかな…」と口にした途端、言葉に詰まってしまいました。人前では決して見せなかった初めての涙。「何か胸にこみ上げるものがあったんだ。やっぱり僕も普通の人間かな…」。
第一線で走り続けた現役生活22年。祭りの後の寂しさにも似た感情から涙があふれたのでしょう。
この一戦から1週間後の11月23日、後楽園球場で行われたファン感謝デーで引退セレモニーが用意され、王さんはファンや支えてくれた人たちへの感謝、助監督として再出発する決意を述べました。
盟友の長嶋茂雄さんが6年前の74年10月14日、引退試合となった中日戦(後楽園球場)後に残した「わが巨人軍は永久に不滅です」のような名セリフこそありませんでしたが、時代に敏感な王さんらしいパフォーマンスを見せました。スタンドを埋めたファンの声援に応え、オープンカーでグラウンドを1周。最後に長年愛用したファーストミットを一塁ベース上にそっと置いたのです。
お別れの儀式は、今も語り継がれる名場面がモチーフになっていたことにピンと来た人もいるでしょう。歌手として人気絶頂期にあった山口百恵が、21歳で惜しまれつつ表舞台から去ったのは1カ月半前の10月5日。日本武道館での引退コンサートで最後の曲「さよならの向こう側」を歌い終えた後、ステージ中央に白いマイクを置いたシーンにインスパイアされた演出が何とも粋でした。
常勝軍団の礎築く
現役を引退した王さんは81年から巨人の助監督、84年からは監督としてグランドに立ちました。88年シーズン限りでユニホームを脱ぐと、6年間の空白を経て95年にダイエー(現ソフトバンク)監督に電撃就任。就任1年目の同年2月、当時のキャンプ地・高知を訪ねたところ、「やっぱりグラウンドはいいよ」と生き生きと話す王さんの姿がありました。
当時のダイエーは、前身の南海時代の78年から17年連続でBクラスに沈んでいました。95年は5位、96年も開幕から苦しい戦いが続き、いらだったファンが試合後、チームバスに生卵を投げつける〝事件〟も起きました。行き過ぎた行為に選手らは激高しましたが、王さんは「あれが本当のファンの姿なんだ。期待してるんだよ、われわれに。それに応えよう」と冷静に諭したのです。
王監督率いるダイエーは99年、球団創設11年目で初の日本一に輝きました。2005年に球団名がソフトバンクに変わっても王さんは引き続き監督を務め、08年までにリーグ優勝3度に2度の日本一。王さんは監督、球団会長として、今や「常勝軍団」と呼ばれるチームの礎を築いたのは周知の通りです。
現役最終年に30本塁打
ここで、王さんの打撃のこだわりを紹介しましょう。米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手も含め、今の時代もほとんどの選手が手袋をはめてバットを握りますが、王さんはいつも素手でした。「直接、肌でバットを感じることで、体と一体になれるんだよ」。最後まで自身のスタイルを貫き、相棒であるバットと〝会話〟を続けたのです。
当時の言葉がよみがえってきます。「僕とミスターは誰にも負けないくらい練習したよ」。現役最終年、30本塁打をマークしながら「自分の打撃ができなくなった」と潔くユニホームを脱いだところに、引き際の美学を感じたものです。
通算1032本塁打の内訳を紹介しましょう。
◆セ・リーグ公式戦 868本
◆日本シリーズ 29本
◆オールスター 13本
◆日米野球 23本
◆東西対抗 1本
◆オープン戦・春 85本
◆オープン戦・秋 13本
すごいでしょ。
「命を懸ける価値がある」
王さんが今もよく口にする言葉があります。「何をやっても飽きっぽい僕だけど、野球だけは飽きないんだ。野球には命を懸ける価値があるんだ」。
長年、力を注いでいるのが野球の普及活動です。1990年、米大リーグで歴代2位の通算755本塁打を放ったハンク・アーロン氏とともに、世界少年野球推進財団(WCBF)を設立。理事長として毎年主催する大会には、これまで100を超える国と地域から9千人近い子供たちが参加しましたが、王さんは必ずグラウンドで指導しています。
昨年5月には一般財団法人「球心会」を設立。「BEYOND OH! PROJECT」と題し、プロとアマチュアが連携しながら、王貞治や大谷翔平を超えるような世界的スターが出現する未来をつくろうとしているのです。
昨年11月3日には文化勲章を受章し、皇居で天皇陛下から勲章を授与されました。
「まだまだやることがいっぱいあるんだよ」
根っからの野球小僧である「世界の王」。85歳になった今もなお、野球への情熱は増すばかりです。
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スポーツ記者歴50年を誇る産経新聞の清水満客員特別記者(73)が、半世紀にわたって綴った取材ノートから知られざるエピソードを蔵出しします。
【プロフィル】清水満(しみず・みつる) 1975年産経新聞社入社。サンケイスポーツで巨人、日本ハム、大洋(現DeNA)、遊軍担当としてプロ野球を取材。日本レコード大賞の審査委員も長く務めた。サンケイスポーツ編集局長などを経て、2019年から客員特別記者。記者生活50年を迎え、現在もゴルフを中心に精力的に取材を続けている。