結論から書くと以下の通りです。
・親の様子がおかしいと思ったら、早めに地域包括支援センターに相談しよう。
・市の福祉課、高齢課などにも相談しよう。必要なら警察にも躊躇無く相談しよう。
・「一人で抱え込んではいけない」とわかっている人も、いざその立場になると相談を後回しにしがちなので気をつけよう。(徐々におかしくなるので相談のタイミングを逸する。ゆでガエル理論)
・親の様子はなるべく頻繁に確認しよう。
あらすじ。
2025年12月上旬
この頃から父の易怒性が高まり、同居する母に怒鳴り散らしたり、近隣の家とトラブルを起こしたりする。警察を呼ばれる、自分から警察に苦情を言いに行くなどする。
12月20日(土)
母からSOSのLINEが来て状況を知る。地域包括支援センターへの相談を勧める。
12月22日(月)
母、地域包括支援センターに相談に行く。その間、私が有給休暇を取って父と出かけ、時間を稼ぐ。対応した私、やはりこれは認知症では、と感じる。
12月23~25
この3日の間、私が時間休(1時間、2時間、4時間)を取得して実家に戻り、その隙に母が市役所や病院などで相談したり、各種手続きを進めたりする。
12月26日(金)
地域包括支援センターより、当日の午前、県立精神衛生病院の受診予約に空き時間がある旨連絡を受ける。
父と母と私の3人で県立病院を受診。その日のうちに入院(医療保護入院)が決まる。
くわしく。
なぜ詳しく書くかというと、色々衝撃的な経験だったので、文章の形で吐き出したいからです。その細部が誰かの役に立てばいいと思いますが確信はない。
2025年の12月20日(土)朝、母からLINEがありました。
「電話してください。ちょっと父さんのことでそうだあがあります。決していい話ではありません」
「そうだあ」は原文ママ。
以降も、母が送ってくるLINEはいつになく誤字が多く、わずかな時間に急いで送っている様子が感じられました。
慌てて母に電話したところ、以下のような状況だとのこと。
・最近、父がひどく怒りっぽく、突然興奮して怒鳴り出すことがある。
・夜中に何度も目を覚まし、「お前のいびきがうるさくて眠れない!」と怒る。
・早朝から近所の家の玄関で騒ぐなどし、警察を呼ばれたこともある。
母の要望としては、
「ドラッグストアで、いびき防止グッズと、眠れる薬を買ってきて欲しい」
ということでした。
……いや……それは……。
いびきの問題ではないのでは?
私「それは地域包括支援センターに相談した方がいいよ。LINEで、そっちの支援センターの連絡先と住所を送るから。
薬とかは今から買っていくけど、ドラッグストアで売ってる睡眠改善薬はすぐに耐性ができちゃうから、精神科を受診しないといけないと思うよ」
母「父さん、医者嫌いなのよね……。もらった薬も飲まないし……。
あと、ネットで調べたら、市役所が月に一回『お困りごと相談室』をやってるらしいから、そこに相談しようかと思って……」
私「もちろんそこにも相談したらいいけど、先に支援センターにも行った方がいいと思うよ」
地域包括支援センターのことを知っていたのは、この本を読んでいたからです。
この本は役に立ちますが、しかしとにかく覚えておくことは「センターに相談しろ」だと思います。
そんなわけで、母は2日後の月曜日に支援センターに相談に行くことになりました。
とはいえ、母は父と2人暮らしです。
その父は、目を離すとどこで何をするかわかりません。
だから1人にはしておけません。
実際、この後も、
・突然激昂して「出て行け!」などと怒鳴る。家から押し出そうとする。(刺激しないようにしていても、過去の嫌な記憶がフラッシュバックして、何の前触れもなく怒り出したりする)
・近隣の家に意味不明な文句を言いに行く。
・隣家の庭に剪定した枝が積んであったのを勝手に持ち去って、自宅庭先の焼却炉で燃やす(条例違反。……っていうか普通に窃盗では……?)*1
・ノコギリを持ちだして他人の家の木を切る。
といった行動が見られました。
だから父を家において出かけると危険なのですが、かといって、支援センターへの相談に父を連れて行くわけにもいきません。
(本人の目の前で「この人がこんなことをするので困っている」とは言えない)
そこで、私が年次有給休暇を取得して父の面倒を見、その間に母があちこち(支援センターや市役所、病院など)へ相談に出かける、という態勢になりました。*2
年齢を考えると、私が動く方が体力的には楽なのですが、実際に父の普段の様子を見ているのは母です。
私が窓口に行っても、
「これこれこんな問題行動がある……と、母が言っています」
という伝言ゲームになってしまうので、申し訳ないながら、母に動いてもらう形になりました。
すでに年末であり、病院も関係機関も年末年始の休暇に入ろうとする時期でした。
支援センターからは、
「隣市のN沢精神科がこういうケースではお勧めです」
と教えてもらったものの、そこを受診するにはかかりつけ医の紹介状が必要。
紹介状は取ったものの、年内の受診はもう無理、年始の診察は1月5日(月)から始まるが、順番待ちになる……といった話でした。
これは長丁場になる。
そう思っていました。
気丈な母ですが、この頃は父が「いびきがうるさい」というのでまともに布団で寝ることもできず、毎晩こたつで仮眠していました。
食欲も失せて、甘いものしか食べられないとか。
「私はやらないけど、介護殺人とかする人の気持ちもわかるわね……。私はやらないけど」
と漏らす有様。
このまま、もし母まで倒れたら一体どうすればいいのか。
ところが、12月26日(金)のこと。
学校が冬休みに入って、朝から実家にいた私が、
「父さん、今日もどこかに出かけようか」
などと話していたところ、支援センターから電話が。
曰く、
・N沢精神科は、1月6日(火)に受診できることになった。
・それとは別に、本日11:30に、県立精神衛生病院の予約が空いており、希望があればそこで診察を受けることができる。
N沢精神科を年始2日目に受診できるのも予想外に早く、ありがたいのですが、その前に県立病院の受診ができることになったのは願ってもないことでした。
とりあえず、そこで精神安定剤でももらえば、N沢精神科を受診するまで乗り切れるかも知れません。
とはいえ、空いている時間はそこだけ。
道のりを考えると、あと30分以内に出発しなければなりません。
「まだ飯食ってねえんだよ」とか「なかなか小便が出ないんだよ」とか「多肉を外に出してから」とか言う父をなだめすかして車に乗せ、どうにか時間ギリギリに病院に着きました。
初診相談医は、佐藤先生(仮名)という若い男の先生。
父・母・私の3人が診察室にいるのに
「それで、お困りのことは何ですか?」
「怒りっぽくなったのはいつからですか?」
などと大声で聞くのでハラハラしましたが、父はそういう質問はスルー。
診察中だというのに
「小便行ってくる」
と何度も中座しました。
本人がいない間に、母と私は最近の父の様子について急いで説明しました。
こちらとしては、6日にN沢精神科を受診する予定であることも含め、支援センターからある程度こちらの状況は伝わっているものだと思っていました。
しかし、実際には、受付で問診票に書いた以上の情報は伝わっていないことがわかりました。
医師「お家で見ることは難しい感じですか?」
母「はい」
医師「それで、ご家族のご希望としては…」
私「6日にN沢精神科を受診するので、とにかくそれまで、預かっていただけるとか、気持ちが落ち着く薬を処方していただけるとかすると助かるのです。そして、今日、先生が診断してくださった結果を、N沢精神科の方にもお伝えいただけると…」
ところが、そんなこんなで3・4回目くらいのトイレから戻った父、何やら興奮して、
「佐藤さんね、あなたのぉ、名前が、ないんだけど! どういうことなのか、説明してもらえますか!」
と、医者に詰め寄りました。
どうも、待合室脇に掲示してある「曜日別 診療担当医一覧」に、佐藤先生の名前がない、と言っているようです。
佐藤先生は、
「今日は診療担当ではなくて、たまたま初診担当でここにいるだけなので、名前がないのは当然です」
と答えるのですが、父は
「なんだかわかんないよ! わかるようにね! 説明してください!」
そこからどんどん興奮して、
「私はねえ! 30年間、国のために勤めて!」
「この国はどうなるんだって言ってるんですよ! わかりますか!」
などと、大声で関係ない話を始めました。
佐藤先生はそっとこちらを向いて、
「家でもこんな感じなんですか」
母と私はこくこくとうなずきました。
実のところ、父が荒れている様子は、家にいる時、スマホで何分か撮影していました。
高齢者が、病院の受診や介護保険の認定調査の時だけ「いい子」になってしまう、という話はよく聞くので、その時に見せようと思っていたのですが、まあそれは必要なくなったわけです。
佐藤先生としては、内科的・外科的な病気の可能性もあるので、血液検査や尿検査、レントゲン、脳CTなどの検査をして、それから考えましょう、とのこと。
ここは精神科が専門で、内科・外科などには対応できないので、そういう病気が見つかった場合は、別な病院を受診してもらう必要がある、と言われました。
検査技師が父を連れて行った後、母と相談。
母「……この後、内科とか脳神経外科とか予約取って、父さんを連れていけると思う?」
私「無理じゃないかなあ……。もう一つ病院に行こうなんて言っても父さん聞かないだろうし、そもそも午後の診療がもう終わっちゃうし……」
しかし、明日には、どこの病院も年末年始休暇に入ってしまうのです。
しばらくして、別な診察室に呼ばれました。
まず、先ほどの佐藤先生から、検査結果の説明。
脳が年齢相応に萎縮していること、やや血圧が高いことなどの他は異状がないとのことでした。
そして、そこで別な女性の医師と交代。
後でわかるのですが、これが精神保健指定医の鈴木先生(仮名)でした。
鈴木先生は、穏やかかつにこやかに、父の体調などを尋ねました。
父は、
「体調が悪くなったのはいつ頃ですか?」
に対して、
「やっぱりね、生育歴だと思うんですよね! 私は、厳父に育てられましてね! とにかく大きい声出せ、無駄話はするなって……」
「わけのわからない奴ばっかりなんですよ!」
「だからね、国を訴えてやろうかと思ってるんですよ!」
などと、全然関係ない話をしたり興奮したりすることがしばしばありましたが、とりあえず、鈴木先生に対しては怒ることはありませんでした。
その後、鈴木先生は、
「手足に痛みがあるということですよね。当院は精神科専門なので、内科的な治療は行えないんです。でも、神経の痛みに精神的なものが影響していることもあるので、入院していただいて、そういう方面から治療してみることはできます」
「お話を聞いていると、最近忘れっぽいとか……怒りっぽいといったことでお困りなんですよね。そういったことはこの病院は専門ですから、一度入院していただいて、しっかり治療を受けてはいかがですか」
と、何度か入院を勧めるのですが、父はその都度、
「いやあ、今は無理ですね! もう少しあったかくなったら!」
と言って断りました。*3
聞いている母と私は、ここまできて
「ご本人に入院の意思がないので、残念ながら今日はお引き取りを」
となってしまうのではないかとハラハラしました。
傍から、
「入院中、植物は私と母さんで世話をするから」
とか、
「あなたが実家に行く時は私が世話してるじゃない」*4
などと声を掛けるのですが、父は、
「口先ばっかり!」
だとか、急に鬼の形相になって
「個人情報を、漏らすな!」
と怒鳴ったりで、承服しません。
この前後から、診察室に妙に人が増えてきました。
医者が2人いることに加え、寝台の上ではさきほどの検査技師が座ってずっとメモを取っているし、診察室の奥には女性看護師がいて、眉を寄せてじっと父を見ているし、戸口の向こうには、いつの間にか背の高い男性看護師が黙って立っているし……。
そして、父が何度目かに入院を断ると、鈴木医師の声のトーンが一段階下がりました。
「……そうですか。それでは、入院に同意していただけなかったのは残念なのですが、本日、入院していただきます。こちら、告知の資料です。患者さんと、ご家族に一部ずつ」
と、両面印刷の書類を一枚ずつ、父と母に手渡しました。
父は途端に「なんだとぉ!?」と怒鳴って立ち上がり、受け取った紙をくしゃくしゃにして鈴木医師に詰め寄ろうとしたのですが、それと同時に、控えていた検査技師や男性看護師らがわらわらと集まってきて、
「ああ、お父さん、急にどうしたんですか」
「さ、先生の説明を聞きましょうね」
「まあ座って……横になった方がいいかな」
などと父を囲んで立ち塞がりました。
父は
「お前らみんな訴訟だ!」
などと大声でわめきますが、その傍らで、鈴木医師は
「入院日は、本日から最大3ヶ月間、3月26日までです。入院理由は、精神運動興奮状態と、認知症状態にあって、外来では充分な治療が行えず、手厚い治療を行うためには入院が必要であると認められたためです。入院者は、入院中、人権を擁護する行政機関の職員や、入院者の代理人である弁護士との電話、面会は制限されませんが、それ以外の人との電話、面会は……」
と、淡々と告知を続けました。
書類の最後まで「告知」が終わると、寝台に仰向けにされて騒ぐ父をよそに、鈴木医師から
「それでは、入院の手続きなどについて別室でご説明がありますので、ご家族の方はいったん廊下に出てください。係の者がご案内します」
と言われ、母と私は廊下に出されました。
看護師が、別な看護師に「ストレッチャー持ってきて」と囁いているのが聞こえました。
今のところ、父の姿を見たのはそれが最後です。*5
その後は、ソーシャルワーカーさん(「退院後生活環境相談員」。法令上、入院から7日以内に選任しなければならないことになっているが、我々が廊下に出たらもうそこにいた)や、医療事務の方からあれやこれや説明を受け、終わった頃にはもう日が暮れていました。
最後に、病棟に案内されました。
といっても、ほんの入口だけですが。
入院に必要な生活用品について説明を受けて、
「ではこれ、洗濯物です」
と言われて、ビニール袋を渡されました。父がついさっきまで着ていた服(下着も)でした。
ポケットにくしゃくしゃに丸めた紙が入っていて、さっきの告知事項を書いた紙でした。
父は今は保護室にいる、と言われました。
(たぶん、私がこれを書いている今もそこにいると思います)
翌日(12月27日)、歯ブラシやら替えの下着やらを揃えて病棟に持って行ったところ、受け取った看護師さんから父の様子を聞くことができたのですが、
・本格的な治療はこれからだが、「合成の薬は飲まない」と言っているので、投薬治療をきちんと受けられるかがまず課題。
・ただ、昨日は処方された睡眠薬を飲んでいた。
・食事も残さず食べている。
・トイレに何度も出入りして「出ない」と言う様子が見られる。
・昨日は、ドアを蹴ることが2回あったが、他に暴力的な行動は見られない。
・大抵の患者さんは、入院直後、保護室に入ると「出してくれ」とか「家に帰る」とか言うのだが、それが全くないのがかえって不思議。
・マットレスや、着ていた服を全部脱いできれいに畳んで、全裸で床に寝ている。
「おうちでもそんな感じでしたか?」
「いえ、全然そんなことはなかったです……」
さらに翌日(28日)、病院から母に電話で色々と連絡がありました。
主に、服用中の薬(血圧とか、白内障とか)に関することだったのですが、その中で父の様子について尋ねると、
・今日は、家から届いた服を着ている。
・トイレに何度も出入りしている。
・「毒が入っているかも知れない」と言って、出された食事に口を付けない。
とのことでした。
昨日は食べたんじゃなかったのか。
ふりかえりとこれから。
結局のところ、「地域包括支援センター、グッジョブ」としか言いようがありません。
世間では、長期にわたる認知症の介護で疲弊して悲惨なことになる家族も多いと聞きます。
私自身、かなり長期の介護が必要になるであろうことを半ば覚悟して臨んでいたのですが、一週間足らずで入院が決まったので驚きました。
これは、なんと言っても、あちこちの病院に連絡を取って、年末休業ギリギリに受診可能な病院を探してくれたセンターのおかげだと思います。
とはいえ、受診して即日入院が決まったのは、父が
「誰がどう見ても自宅で面倒を見るのは不可能」
な状態にあったからだと思います。
どう見ても自宅で面倒を見るのが不可能な父を、一ヶ月近くにわたって自宅で面倒を見た母の心労は想像するにあまりあります。
「毎日、朝が来るのが怖かった」
とのこと。
その母に、支援センターに連絡するよう勧めたのは私であり、まあ、それは私の「手柄」ではあります。
しかし、そもそも私がもっと頻繁に実家に帰っていれば、もっと早く父の異変に気付くことができ、センターにも早々に連絡できたのではないかとも思います。
母曰く、
「ニュースとかで、介護殺人なんかの話を聞くと、
『一人で抱え込まないで他の人に頼れば良かったのに』
って思うけど、自分がその立場になるとダメね。
『私がもうちょっと頑張れば、そのうち元の生活に戻れる』
って思っちゃうのよね。
毎日怒鳴られても、段々慣れちゃったりして……」
とのこと。
実態としては「そのうち元に」どころか、
「気持ちが落ち着く時もあって、そうすると
『昨日はフラッシュバックしちゃったな』
とか自分で言う時もあるんだけど……正気に返る時間が毎日段々短くなってるのよ」
とのことだったのですが。
危ういところでした。
「暴力だけは振るわない」
……と母は言うし、それは確かなのですが、私を家から押しだそうとしたことはあったし、脱いだ靴下を投げつけようとしてやめて下に置く、といった行動も見られたので、紙一重だったのではないかと感じます。
興奮しているせいもあるのか、意外と力が強いので驚いたし、危険も感じました。
近所で暴力沙汰など起こす前に入院できたのは、単なる幸運だったように思います。
母は、我々の親世代に共通の特徴なのかも知れませんが、他人に頼るのを控えるところがあると思います。
県立精神衛生病院を受診した際、問診票に
「Q:何がお困りで来院されましたか」
という欄があり、母が記入しているのを覗いたところ、母は
「感情の起伏が激しい」
と、一行だけ書いて提出しようとしたので、
「いや、困ってるのそれだけじゃないでしょ! ちょっと貸して!」
と私が横から預かって、
「突然興奮して怒鳴り出す。早朝から近隣の家の玄関に押しかけて騒ぐなどしてトラブルになり、警察を呼ばれたことも複数回ある。隣家の木を無断で切るなどする」
等々と書き足す、という一幕がありました。
他人に窮状を訴えるのに控えめなのは、美徳かも知れません。
しかし、それで本人が倒れては何にもなりません。
その点、我々子ども世代がよく気をつけなければならないのかも知れません。
また、まったく端折ってしまいましたが、妻(市役所勤務)からも、
「福祉課で介護保険の相談をした方がいいよ」
と助言され、それを受けて母が相談に行きました。
ところが、一通り話を聞いた母は、そのまま帰ってきてしまい、
「介護って言っても、父さんはトイレとか身の回りのことは自分でできるし、あんな怒りっぽくちゃデイサービスにも行けないだろうし、介護保険を使うイメージが湧かなくて」
と言うのです。
いやいや。
認知症で怒りっぽい人の対応も介護保険の範囲ですし。
審査するのは向こうなんだから、こっちが先に遠慮することはないと思うのですが。
とにかく申請だけでもするよう母を説得して、改めて市役所に行ってもらいました。
その時点で、妻の義母がせっかく窓口に来たのに、話だけ聞いてそのまま帰ってしまった……というのは、福祉課担当者と妻の間で話題になっていて。
その母が、
「申し訳ないんですけど、息子の勧めでもう一度来ました」
とやって来たことについて、私は妻から「GJ!」のLINEスタンプを送られました。
ともあれ、そうやって、受けられるはずの支援を遠慮している老老介護世帯って、世の中には相当あるんじゃないかな、と思わされました。
あと、これも妻の話ですが、市役所は警察から情報提供を受けているので、警官が見て「あっこれはヤバいぞ」と思ったケースは市役所にもその状況が共有されている模様です。
今回、福祉課の担当者は父の様子を実際に見たわけではありませんが、警察から
「どこそこのK村さんの旦那さん、最近近隣の住民から110番通報を受けたり直接交番に来たりしてるんですが、その様子を見ると……」
といった話を受けて、ある程度客観的な状況を知っていて、その上で対応してくれたものと思われます。
これから。
今後がどうなるのかはまだわかっておらず、心配しています。
タイトルに「介護が終わった」とありますが、お気づきの通り、それはまあ釣りタイトルで、実際にはまだ終わっていません。
父はまだ70代後半で、佐藤医師が検査結果について言ったとおり、身体的にはだいぶ元気です。
一方、鈴木医師の告知にあったとおり、法令上、医療保護入院は3ヶ月が上限です。
期間の終わりに「医療保護入院者退院支援委員会」が開かれ、必要と認められれば延長されることがあります。
逆に、医師の判断でそれより早く退院することもあるとのことです。
父が、ちゃんと元気になって……つまり、
「あの時は俺はちょっとおかしかったんだよ。母さんには迷惑掛けてすまなかったな」
となって、病院から出された薬もちゃんと飲むようになって、近隣の方と穏やかに過ごせる状態になって退院するなら、それはとても素晴らしいことです。
しかし、実のところ、父が病院の薬をちゃんと飲まないのはずっと前からです。
またいつ爆発するかわからない状態なのに、
「だいぶ落ち着いたようなので、あとはお家で様子を見てください」
とか言われて退院になったら大変なことになります。
次に興奮状態になったら、何を言ってもたぶんもう絶対病院に行かないだろうし。
ソーシャルワーカーさんからは、
「退院後は、デイサービスに通うとか、あるいは高齢者施設に入所することになりますね」
といったお話を聞きました。
しかし、高齢者施設は、刑務所ではないので(医療保護入院でもないので)、本人が自分の家に帰ると言ったら帰さざるを得ないのだとか。
このあたりは、まだ予断を許さないところだなあ、と思います。
……ともあれ、医療保護入院については、少し前にニュースを読んだところでもありました。
digital.asahi.com
医療保護入院は、本人の意思と無関係に入院させる制度です。*6
万一悪用されると、非常に危険な仕組みなのは確かです。
しかしながら、自傷他害のおそれがあり、なおかつ本人に入院の意思がない患者、というのは間違いなく存在します。
適切な運用がなされているかの確認は必要だと思いますが、制度自体は必要なものだと痛感します。
父が入院した後、母は、菓子折を持って、近所のお宅や警察署にご挨拶に伺ったのですが、「入院した」と聞いた人たちが一様に
「よかったですね!」
「お母さんも、これで少し心労が軽くなりますね」
等々と喜んでくださったのが印象的でした。
母は、
「みんなが良かったって言ってくれるのなら良かったのかしらね……正直、少し胸が痛むんだけど……」
と言うのですが。
そのほか。
母によれば、父の易怒性が高まったのは12月上旬頃からで、その進行は急激でした。
それ以前から、少しずつ老化が進んでいるのは感じていたものの、ちょっと前には、自分でマイナンバーカードの更新に行ったりしていたのです。
認知症って、少しずつ進行するイメージがあったのですが、こんなこともあるのか……と驚きました。
その状態の父と私が接したのはほんの数日でしたが、その間、訳のわからない怒り方をするのももちろん困ったものの、それ以外で印象的だった話。
・田中さん(仮名)探し
元同僚の「田中さん」を探して、あてもなく訪ねて回る活動です。
急に車を停めさせて、「田中さんの家がこの辺のはずなんだよ」というので、てっきり知り合いのお宅なのかと思ったら、
「ここは古そうな屋敷だから知ってるんじゃないかと思うんだ」
「えっ、ここ知らない人の家なの?」
勝手にお屋敷の庭に入って、インターホンを押す父。
出てきたお家の方に尋ねようとするのですが、そもそも発音がもごもごしている上に、
「あのー、私の同僚なんですが。教えて欲しいんです。総務のね? フラメンコをやってて…」
みたいな調子なので、先方は「なんか変な人が来た」感がありありとしています。
後ろから私が
「ええと、急にすみません。これは私の父で、元同僚の、田中さんという方を探しているようなんですが、ご存じありませんよね。ありませんね? ありがとうございました。ほら父さん、知らないってさ。行こう。すみませんお邪魔しました」
という感じで切り上げたのですが、父はなかなか納得せず、結局その後もお屋敷を3軒回る羽目になりました。
完全に不審者扱いされて、身分証を出せとか言われたりしました。*7
「田中さん探し」を始める直前、父はスーパーの青果売り場に寄って、パック入りのパイナップルなど買っていたのですが、それは「田中さん」へのお土産にするつもりだったらしい、ということが後でわかりました。
数十年ぶりに同僚を訪ねるなら、手土産はスーパーの見切り品じゃないほうがいいのでは……っていうか、そもそも突然訪ねないで欲しい。
・フレンドリー(?)
父は昔から人付き合いが苦手でした。
電話が鳴っても出ないくらいで、実家に固定電話しかなかった頃はたいへん困りました。
それが、知らないお宅に飛び込み訪問するというのは、家族から見るとそれ自体異常行動です。
加えて、私が父を警察署に迎えに行った時、今まで相手してくれていた警察官に向かって
「じゃあね、ショウちゃん!」
と言って手を振ったりしていたのは、家族でなくても異様さを感じると思います。
それでいて、後になると「警官のくせに何にも知らないんだからな」「3時間も缶詰にされた」「訴えてやる」とか怒っていたのでわけがわかりません。
3時間も相手してくれた警察の方には本当にお世話になりました。
そして特におかしかったのが、県立精神衛生病院に行った時で、やたら若い女性に声を掛けるのです。
受付の女性に「ロングヘアですね」とか余計なことを言ってみたり、診察前の問診に来た女性看護師にも同様に声を掛けて軽くあしらわれたり。
挙げ句の果てに、病院のスタッフでない待合室の患者さん(か、その家族かも知れない)にまで声を掛けたり。
スタッフはまだしも患者さんはまずいと思ったので止めようとしたのですが、私が近づいていったらぱっとやめて、母の隣の席に戻って、
「妬いたか?」
とか言ってる。
そして、島倉千代子の「人生いろいろ」なんか歌い始める。
「〽人生いろいろ 男もいろいろ 女だっていろいろ 咲き乱れるの~」
馬鹿じゃないの?
……いや、馬鹿っていうか認知症なんでしょうけれども……。
元来、父は酒もたばこもパチンコ等もやらない、謹厳というか堅物だと思っていました。
看護師にセクハラする入院患者がいる、という話は聞いたことがありますが、よもや父がその予備軍になろうとは、想像もしませんでした。
怒鳴り散らされるのもけっこうメンタルに来ましたけど、むしろそういう姿の方が見たくなかったかも知れない……。
*1: 実家の焼却炉は、かつて市の補助金をもらって購入したものです。
かつては、ゴミ排出削減のために、各戸でゴミを焼却することが奨励されていた時代があったのです。
もちろんそれはずいぶん昔のことで、今は禁止されているのですが……。
*2:冬休み前の終業式の日も、午後は休暇を取らねばなりませんでした。快く了承してくれた、校長や主任、隣のクラスの担任、副担任の皆さんに感謝。すまん子どもたち。
*3:なぜ「あったかくなったら」なのかというと、趣味の多肉植物の世話が心配だから。……でも、春でも夏でも植物の世話はあるわけで、むしろ冬が一番暇な時期だと思う。
*4:今は空き家になっている父の実家。時折、父は泊まりがけでそこに行っている。
*5:病院には何度か訪れていますが、まだ保護室にいるので面会できないのです。父には「ご家族が何度も来ている」と伝わってはいるらしいのですが。
*6: 父の場合、何度か入院を勧められた時に本人が承諾していれば「任意入院」になっていたはず。
*7: それでも、
「じゃあ、寒くなってきたから、あと一軒だけ行ったら終わりにしようね。次で最後ね」
という約束をする形で切り上げられたのは、特別支援教育の経験が役立っていると思います。