〜The origin of Laugh〜 feat.たくろう
笑いを追求する芸人さんの起源て何だろう。ふとそんなことを思い立って聞いてみました。今回はたくろうの笑いの起源。
笑いの原点
木村バンド(以下・木村):原点は吉本新喜劇と明石家さんまさんですね。10歳くらいまで鬼北町っていう愛媛県でもめっちゃ田舎に住んでいて、同級生が10人くらいの、コンビニも高校生の頃にやっとできたみたいなところで育ったんで、ちょっとでも面白かったらナンバー1なんですよ。ということで、僕は人気者でした。
でも今考えると、原点である吉本新喜劇といろんな番組に出てはる明石家さんまさんのことをひたすら真似してただけなんですけどね(笑)。でも、人気者になれるから、どんどんお笑いを好きになっていったんですね。
10歳の時に愛媛県の松山市内に引っ越し、学校も転校したんです。不安でしたけど、初日に転校生じゃない体で、隣の席の子とかに「〇〇やんな~」とか話すというボケをしてたら、ウケたんです。
でも反面、“アイツ調子に乗ってるなぁ”みたいな空気もあって、いじめのターゲットになりかけたんですけど、たまたま2つ上にいとこが学校にいるという理由でターゲットにならず、そのまま馴染みました。
中学校もいじめられそうになる前に笑いでカヴァーしてました。ヤンキーとかにはとにかく笑わせて、太鼓持ちして……番長的存在のヤツからは、一日10回くらい武勇伝聞いて、いいリアクションし、そのあと、自分の中のおもしろトークをしてご機嫌をうかがい、番長たちの懐に入ることでいじめられることを回避してたと思います。
昔でいうファルス、道化みたいな存在でしたね。だから“笑い”っていうのは、生きる術でもあるんやっていうことを、無意識に叩き込んでたと思います。
赤木 裕(以下・赤木):とにかく笑いに関しては一般の子と一緒で「エンタの神様」とか放送されてたら、見て笑ってるくらい。いわゆる嗜む程度みたいな。でも、小学校6年生の時に、文化祭みたいなのがあったんですけど、そこで漫才をしたんです。
模擬店をする班、演劇をする班とか色々ある中で、野球部で仲のいいヤツがお笑い班があるから入ろうって誘われて……。僕も含めて4人いたんですけど文化祭間際になって2人抜けたんですよ。
でも出し物としてはやらざるを得なくなってる、で、漫才をやることは覚悟したんですけど、ネタなんて書いた事も、考えた事もなかったのでどうしようかと考えあぐねてたら先生が同級生全員に宿題としてネタを考えてこいと。
それで集まったネタを僕らが審査員となって一つずつ読んで、採用、不採用ってジャッジし、それを元に文化祭で漫才をしました。
「今、何年?」って聞かれて西暦で答えるってやりとりだけは覚えてますけど、そこだけ言うてもワケわからないですね(笑)。
反応は良かったと思います。それなりにウケてました。元々、お笑いに対しては“フツー”だったし、表に出るとか積極的に手を挙げるタイプではなかったし、そのギャップもあったんじゃないでしょうか。でもそこから笑いに目覚めることはなく、野球に打ち込んでました。
木村:ずっと笑いはやるって思ってました。それ以外の選択肢が自分の中にはなかったですね。“ジャニーズ”か“お笑い”のどっちかをやりたいって、いろんなとこで昔から言うてたんですけど、小学校3年生の時に前歯が一本出てきちゃったから、ジャニーズは無理かなと。で、吉本かなっていうのがありました(笑)。
高校の進路届けの時は、吉本とかはダメって言われたので、動物が大好きやったんで動物園の飼育員か、子どもも好きやから保育士かなっていうのは、書かなきゃいけないから書きましたけど、やっぱり吉本でお笑いをやりたいっていう気持ちは根底にはありました。
でも、高校の時にサディスティック・ジョーカーというバンドをやってて、3年生の時にリアルに進学をどうするかってなった時に、お笑いというよりバンドでも売れたいなって気持ちが湧いてきたんです。それにバンドの方が“抜け目”ちゃうかというのがあった。
お笑いは面白いヤツがいっぱいおるから、そこで勝っていかなきゃいけないけれど、当時、ベースをやっていた僕は、周りを見渡してベースで面白いのってドリカムの人しかおらへんやんと。それやったらベースで面白いヤツの位置ってめっちゃ簡単に獲れるんちゃうんと思って、それでバンドメンバーと同じ松山大学に進学しました。
大学でもバンドやろうかという矢先、落語研究会を見つけたんです。それまで“落研”というものがあることすら知らなくて、そういうものがあるのかぁって興味を持って入ってみたら、面白くて……。
それまでお笑い好きとか人気者とか言ってましたけど、実は漫才自体はやったことがなくて、なんとなくお調子者のノリでやってきたので、そこで漫才やコントに触れました。
ちなみに部には落語ができる人が1人もいなくて、一度廃部寸前になりかけてたくらいで。しかも僕が入った時は、ひとつ上の人しかいなくて、とにかく廃部にしたくないので別に落語しなくても漫才やコントをしてもいいから入ってよって状態(笑)。で、もうバンドよりもそちらにどっぷりハマって、そのぐらいが実際にお笑いでメシ食いたいぞ!って明確に思ったときかもしれないですね。
NSCへ
木村:NSCの存在はもちろん知ってました。それで大学を卒業したら入ろうって思ってました。でもずっとちゃらんぽらんで楽しいことが大好きだったので、ほとんど喫煙所に行って、友だちと会ってパチンコやパチスロに出かける毎日で、2回生の時点で単位が足りないと確定したんです。
で、2回生で辞めてNSCに行こうとした頃、実は愛媛県のローカルスターみたいになってたんです。地元でお笑いをやってる若い子なんてほぼいなかったのでケーブルテレビの取材がバンバン入ったり、僕だけの特集を組んでくれたり、それがきっかけでMCの仕事が来たり、サークルの全国大会みたいなので結果を残したり。
そしたら大学側も、廃部寸前だった部が急に脚光を浴び出したから、「これはいい」ということで部費もむちゃくちゃ下りだしたり、部員も一気に20人くらい増えたり、礎を築いてる感がハンパなく、気持ちよくて……でも授業にはほぼ出ない不思議なポジションで4年間いて、卒業式に辞めました(笑)。
その後、1年間お金を貯めるためにフリーターをして、NSCに。大阪の方を選んだのは、やはり自分の原点である吉本新喜劇とさんまさんに憧れてたというのもあったからですね。あと今田耕司さん、フットボールアワーさん、チュートリアルさん、ブラックマヨネーズさんら、自分が面白いなっていう先輩たちが全員大阪のNSC出身というのもありました。
赤木:小中高とずっと野球一筋。そしてプロ野球選手になりたいって気持ちもありました。でも高校3年生の時に、監督からお前は無理やなと戦力外通告を言い渡されて、マネジャーになったんです。それで夢は絶たれたなと。
それで、とりあえず京都産業大学に入学しました。大学では草野球サークルを立ち上げました。初心者をいっぱい集めて、僕が四番でキャプテンやって、マネジャーつけて、そのマネジャーと付き合って。
ある意味、見事な大学デビューです(笑)。サークル名は敬愛とか博愛の意味のディボーションズ。付き合ってたマネジャーの彼女が、好きな歌手の曲の歌詞からつけてくれたんですけど、今思うとだいぶダサいですね、意味を考えれば考えるほどダサい(笑)。
でもね、楽しかったです。自分なりに陽の当たるところにおれる感じで。反面、自分がお山の大将だっていうのは自覚してましたけど、居心地は良かったし、みんな仲が良かったし、とにかく楽しかった。ただ、彼女は同じサークルのヤツに寝取られて、別れましたけど……(笑)。
まぁそんなこんなで就活をしなくちゃいけないなって思ってた時、結局自分は何をやりたいのかっていう壁にぶつかりまして、特に将来やりたいこともなく、それに警備員やコンビニのバイトをやってたんですけど全然仕事ができず、手際が悪いと怒られてばかりでずっと嫌な気持ちで働いてて……これは就職してもきっとうまくいかないなと思って自分の中の長所、そして消去法で、お笑いは一発逆転があるかなと。
正直、小中高と一軍の生活は送ってなかった、野球でもずっとベンチウォーマーで最終的には、ベンチ外でしたし、NSCにチャンスを見い出せるかもという気持ちで入学しました。
木村:愛媛県から大阪へ出てきて、とりあえず気合は入ってました。で、最初、一人喋りの授業があって1位を獲ったんですね。で、“俺、すごいやん”と。それがちょっと大阪でやっていける後押しにもなった感じでした。
でも、6月くらいになると、徐々にみんなのことが分かってくるんですね。同期に8.6秒バズーカーがいるんですけど、ネタ見せで初めて2人のネタを見たときに“何これ!? 見たことない!”って衝撃を受けて、ちょっと心が折れて、“俺って凄くないわ”ってわかってきて……。
そして学校からライブを見に行きなさいっていうのでいろんなお笑いの舞台を見させてもらってたら、その凄さにまた心がどんどん折れて、やっと現実を知ることになるんですね。
赤木もさっき言うてましたけど、結局、僕もお山の大将やったんやなと。ただ、当時組んでいたコンビが調子がいいわけではなかったですけど、上のクラスにキープできてたので、そのモチベーションと自分の気持ちをうまくコントロールしながら大阪で暮らしてました。
赤木:僕は木村さんが1位を獲った一人喋りの授業、ずっと100点満点中4点やったんです。きっと講師の方にハマってなかったんもあるんかなと…。で、もちろん分かっていましたけど、厳しい世界やなと改めて洗礼を受けた感じでした。
在学中は、コンビを2つ組んで、最初はあぶりぽンズってコンビで、夏に行われた「今宮子供えびす新人漫才コンクール」の後に解散し、その後、NSCで合宿があって、そのときに加藤って子とムミムシュウってコンビを組み、クラスが上になってうまい感じになってきたなって思ってたんですけど。その加藤が、親の反対を押し切ってNSCに入って、卒業ライブで首席にならないとこの世界を諦めるって言ってて、で、残念ながら首席になれず、卒業と同時に解散しました。そんな時、講師のアシスタントをやっていたチェリー大作戦の宗安さんに木村さんを紹介されるんです。
そしてコンビへ。
木村:僕は一目惚れでしたね。もう見た目最高やん!て。すぐに組みたいって思いました。
赤木:解散したら半年間、新しくコンビを組めないというNSCのルールがあったので、木村さんとインディーズライブなどでとりあえずお試しでやってて、なんとなくやっていけるかなって形が見つかったんですけど、正直、まだ決めかねてました。
決め手はええヤツかどうかがデカかったです。経験から解散って、いちばんもったいない。だって、それまで作ったものを失くすわけですから。だからこそ、やっていけそうなヤツ、そしていい人。っていうので、やっぱり木村さんでした。
コンビとして6年目。
木村:今の赤木を基本、肯定するっていうネタのスタイルができてきたのは割と早くて、コンビを組んで3ヶ月目くらいですかね。色々試してたんですけど、2人とも無理をせんとこ、あれこれ考えてスベるんやったら、背伸びせず自分らの持ち味でやってみたらって感じでやってるうちにだんだんウケてきましたね。
赤木:僕、天竺鼠の川原さんのような、自分の芯をどっしり持ってやり続けてる人が好きなんで、それを自分でもと思ってやってみたりしたものの、無理してるなと。自分という人間に合ってないって自覚して、もうなんでもいいや、テキトーにやろうってなったときにウケだしまして、自分もやっぱりそっちの方ががいいなという気になって。
木村:自分もウケたいから試すけどウケないなぁって最初は感じていて、フットボールアワーの後藤さんのようなツッコミに憧れてたけど、僕も自分の“ニン”ではないなと自覚して、赤木に対して素直になろう、お互い無理すんのをやめようってことで3ヶ月目に形が生まれて、ラッキーだったなと。
そしてこれから
赤木:賞レースはいっぱい獲りたいですね。やっぱり将来的にはなんばグランド花月の本出番に立たせてもらいたいですから。あそこはやっぱり結果を残してる人が立つ舞台です。そのためにも確実に頑張りたいですね。東京での活動は、まず大阪で結果をだしてから考えたいですね。
木村:もちろん賞レースは目標にしつつなんですけど、とにかく舞台を楽しくできて、いっぱいウケたいなぁって。それが積み重なったら賞レースに繋がるのかなと。実は、緊張しいでもあるので、それがよくない結果として出るタイプだということがわかってきたので、うまくコントロールしながら賞レースを狙いたいと思います。
思い出の場所:きむらバンドの実家
木村:チェリー大作戦の宗安とサンパウロのタケヤに赤木が加わって実家に泊まりに来ることになったんですよね。
赤木:それまでに、何度かユニットでネタやったりしてたんで、なんかコンビを組みかどうかって流れになっていて、車中で宗安さんが僕に「木村と組むの?」って聞いてきたので「いや、まだわからないすけどねぇ」って答えたら空気が変な感じになってました。
木村:実家に来るっていうことはそういうことやろなって思ってたんで運転しながら赤木の返事を聞いて、“組むよっていう前向きな意思を持って参加したんちゃうの? それならなんで来たん? こいつなんなん?”って気持ちがループして思わず遠くを見てしまってました(笑)。
赤木:まだ心の中では決めきれてなくて……。実家ではお母さんと妹さんが住んでらっしゃるんですけど、洗面所に行ったら2人暮らしなのに、歯ブラシ立てに歯ブラシが40本くらい刺さっていて、お母さん、どんなけ浮気してんだろうって思ってました。
木村:そんなわけないやろ!
行きつけのお店:珈琲艇 キャビン
木村:難波にあるんですけど船を模した喫茶店なんです。そこでネタ合わせとかしてたんですけど、ある時、約束の時間になっても赤木が全然来なくて、まぁもともと遅刻するタチなのでまた遅れてると思ってたら約束の時間から5時間後にふらりと現れて、謝りもせずにいきなりカレーを注文して、そのカレーを一口パクリとしたら「ちょっと辛すぎますね」って言ったと思うと「じゃ、帰りますか!」って。もう衝撃的でしたね。
赤木:正直行きたくなかったんですよね。でも木村さんがずっと待ってるので、とりあえず行かなきゃいけないなってことで行ったんですけどね。
木村:もう、待ってる間は気持ちを切り替えて、別に赤木と待ち合わせをしているのではなくて、1人で来てた設定にして、たまたま赤木も来てばったり会ったってことにしようと。
赤木:メンタル強いですね。
木村:じゃあ早く来い!
■たくろう プロフィール
赤木裕ときむらバンドのコンビ。2016年結成。
赤木の特技はペン回し、空手の板割り、歌。きむらバンドの特技はベース演奏、コーラ早飲み。
2018年「第39回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」新人漫才福笑大賞
2021年「第10回ytv漫才新人賞決定戦」進出
たくろうINFO
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取材・構成/仲谷暢之(アラスカ社)
写真/渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)






コメント
3たくろうのお二人の深いところまで知れて最高の記事でした😭✨
今見つけた✨
M-1からたくろうの事がずっーーと気になってここまでたどり着きました。
お二人の人となりを知れて、とても興味深く読ませていただきました。