第238話 父と娘
電話はすぐにつながった。
「英治君か、どうした?」
彼は疲れている声色だった。でも、いつものように温かい口調。どうして、これが連日連夜、トップニュースを飾っている人とは思えなかった。
「いま、大丈夫ですか」
断られる可能性のほうが高いと思っていた。でも、おじさんは「君の頼みを断ることができるわけがないだろう。何でも聞くよ」と言ってくれた。やっぱり、いつもの優しいおじさんだ。どうして、こんなにやさしい人が、実の娘を拒絶しているんだろう。ある程度、理解はできるが、その推論の結末は、俺を憂鬱にさせる。どうして、こんなことが許されるんだと。
「手短に聞きます。おじさんにとって、父はどういう人でしたか。そして、父が亡くなったとき、どう思いましたか」
できる限り穏やかに確認する。でも、おじさんは何も言えなくなっていた。そして、数分間の沈黙の後で、言葉を紡ぐようにゆっくりとしゃべりだした。
「彼の……お父さんのことを聞かれるときは、もう少し尋問されるように聞かれると思っていたのに、そんなに穏やかに聞いてくれるのか」
「それは違います。おじさんは、こちらに負い目があると思っているのかもしれませんが、俺たちはそんなことはない。むしろ、会いに来てくれなくて寂しいくらいです。戻ってきてはくれませんか」
「……まだ、引き返すわけにはいかないよ。ここで終わりにするわけにはいかない。質問に答えるよ。私にとって、君のお父さんは、幸せの象徴だった。初めてできた利害損得を超えた親友だった。私は小さなころから、だれが敵か味方かわからない場所で生きてきたからね。家族……妻を除けば、はじめてできた本当の理解者だった。お父さんと一緒にボランティア活動に打ち込み、社会を変えるためにたくさん議論した。あれは、本当に幸せな時間だったよ」
「幸せな時間ですか」
じゃあ、今は?
少なくとも、愛さんのお母さんとうちの父さんをほぼ同時に失ったおじさんの心痛は計り知れない。だから、これ以上は踏み越えることはできなかった。
「そうだね。あれは、自分にとっては遅い青春だったと思う。好きなことに死ぬほど熱中できたから。あの時間があるからこそ、私は迷わずに進むことができる。そして、彼が亡くなったとき、自分の半身を失ったような気分になった。そして、それは私のせいだと思ったよ。彼には無理をさせすぎた」
「前にも言いましたけど、それは父が選んだことです」
「それはわかっている。だが、私も子を持つ親だ。彼の無念さや君たちの将来に関して、大きな制約をもたらしてしまったということも自覚しなければいけないんだよ。君のお兄さんにも大きな荷物を背負わせることになった」
それについては、俺は何も言えなかった。でも、父さんは間違いなく幸せだったと思う。それは、絶対に否定したくない。
「それでも、俺たちは幸せです」
これが俺に紡げる最大限の言葉だった。
おじさんは、しばらく無言になった。
なぜ、ここまで俺たちのことを考えてくれるおじさんが、最愛の娘の愛さんを拒絶しようとするのか。それは運命のせいだとしたら、神は本当に意地悪だ。
「そうか。せめて、そう言ってもらえると嬉しいよ。救われた気持ちになる」
もうここで終わりという雰囲気を感じた。それでも、俺は一歩前に切り込んだ。
「おじさんは、愛さんをどう思っているんですか」
電話を切られることも覚悟した。でも、おじさんは誠実な口調で答えてくれる。
「愛にはつらい思いをさせてしまった。だが、私が近くにいることで、娘をもっと悲しませることには耐えられなかった」
こちらは泣きそうになりながら、再度、確認する。彼は、今度はこちらの問いに間髪入れずに答えた。
「愛のことは今でも変わらずに愛している。それだけは嘘はつけない」
その言葉を最後に彼は黙ってしまった。
俺は、今小説を書いていることとそれが完成したらデータを送るから、読んでほしいことを伝えて電話を切った。
これで、もう逃げるわけにはいかなくなった。覚悟を固めて、原稿の最後の部分に向かう。
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