第236話 愛の本心
―一条愛視点―
センパイは、深く創作の世界に潜っていく。
後ろで見ていることしかできないけど、一度、作業を始めてしまえば、心配になるくらいの集中力で、パソコンのキーボードを打ち込んでいく。
スマホで書く人も多いと聞いたことがあるけど、先輩はパソコン派らしい。
出来上がったら一番に小説を読む約束をしている。だから、どんなに気になっても、彼の邪魔をしてはいけない。
私は、客間で待たさせてもらうことにした。あれから、私は彼の家に入り浸っている。お母さんたちからも、「落ち着くまでは一人になっちゃダメ。しばらく、ご飯はこちらで食べていきなさい」と心配されてしまった。
センパイは作業があるから、私は客間の机などを借りて、学校の宿題などで時間を潰す。この客間は、お父さんの部屋だったと聞いた。料理の専門書やノートなどが並んでいる本棚は、この家の聖域のようにも思えた。
「不思議。他の人の家で、一人なのに、なぜか安心できちゃうんだよね」
おかげで、父と久しぶりに会った時に、あんなに心をかき乱されたのに、今はセンパイやお母さんたちの優しさのおかげで、心が落ち着いている。
「あっ、シャーペンの芯がなくなちゃった」
替えの芯も切らしている。お母さんから、机の中に文房具が入っているから、好きに使っていいと言われていた。お言葉に甘えよう。
引き出しを開けると、たくさんの文房具が入っていた。きっと、お母さんが私のためにたくさん用意してくれていたんだ。一人暮らしが長くなっているから、こういう家族の優しさに弱くなってしまう自分がいた。
泣きそうになって、あわてて目頭をハンカチで抑える。
深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
シャーペンの芯を取ろうとして、引き出しの奥に何かあることに気づいた。
さわるとツルツルしている。なんだろう。そう思って、こちらにたぐり寄せると、古い写真だった。ラミネート加工というものだろうか。劣化しないように表面が加工されていて、大切な写真だったことがわかる。
そこには、父と2人の男性が笑って写っていた。
父の左側にいるのは、南前市長。右側にいる人は、この部屋の持ち主だった人だろう。
どことなく、センパイに似ている。彼が大人になったらこういう風になるのかな。
いつの写真だろう。たぶん、10年くらい前だろう。写真の中の父は30代だろうか。たぶん10年以上先の未来。彼の横にいる私は、お母さんの様に優しくて素敵な女の人に成れているだろうか。
「10年も先の未来を考えて、それでもずっと一緒にいることが想像できちゃうんだ、わたし……」
たぶん、彼と出会ってから、一番変わったことだと思う。お母さんの件で、未来の事なんてわからないと痛いほど理解させられてしまったのに。
彼と出会うまで、明日という単語は苦しみしか生まないと思っていた。
でも、いまは……
「未来を……明日を考えることが幸せだと思えてしまう……本当に自分は変わってしまった」
そして、変わったことでやっと言える気がする。自分の中の本心を。ずっと我慢していた、言えなかったことを……言葉にしたら苦しいだけだと思っていた。余計に苦しいことだと考えていた。
でも、今は違う。自分は、彼と出会って弱くなったのかもしれない。それが怖かったけど、今は違うとわかる。
私は強くなったんだと思う。
だから、言える。
「また、お父さんの笑顔が見たい」
我慢できずに、写真を汚さないように、ハンカチで強く目頭を押さえて、声を殺して泣いた。
やっと、言えた。謝ることしかできなかったのに、やっと……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます