2026/1/10
――坂井高校暴行動画が暴いた「責任を取らない教育行政」
福井県立坂井高校で撮影されたとされる暴行動画が、SNS上で拡散されています。
逃げる生徒の顔面に膝蹴りを繰り返す映像。
周囲には複数の生徒がいながら、誰も止めない。
この光景を見てなお、
「一部の生徒の問題」
「学校内のトラブル」
で済ませようとするなら、日本の教育行政は完全に思考停止していると言わざるを得ません。
私のブログではここ数日、これら学校での暴力事件についてのアクセスが集まっているのですが、この理由としては、これを取り上げることを報道機関が消極的だからなのではないかと思っています。あるいは報道機関はニュースを書くが、どこかで阻止されているのではないかとも思います。
――報道が「消極的」になる構造的理由
結論から言うと、
報道機関が意図的に完全黙殺しているというより、
「書けない・深掘りできない構造」が常態化している
これが最も現実に即した説明です。
このブログにアクセスが集まるのは、
その「空白」を埋めているからです。
それについては、またいずれお話します。
真岡北陵高校、大東中学校、熊本の中学生暴行事件。
全国で繰り返される校内暴行動画は、偶然ではありません。
共通しているのは、
事件は内部で把握されながら表に出ない
外部から暴露されて初めて動き出す
教育委員会は「確認中」を繰り返す
誰も政治的・行政的責任を取らない
これは現場教師の怠慢も、もちろんあります。
しかし責任を曖昧にする制度設計そのものの問題です。
教育委員会は、行政組織でありながら、
選挙で選ばれない
明確な政治責任を負わない
不祥事が起きてもトップが辞めない
という、極めて特異な存在です。
事件が起きれば、
「学校に任せている」
「指導はしている」
しかし、
指導していてこの現状なら、指導が機能していない証拠ではないのか。
それでも誰も責任を取らない。
この構造が、暴力を温存しています。
教育委員会や自治体が多用する
「事実確認中」という言葉は、
被害者にとっては時間稼ぎの言い訳でしかありません。
その間も被害者は同じ学校に通う
加害者や周囲の視線に晒される
ネットでは憶測が広がる
本来、行政が最初にすべきことは、
加害・被害の切り分け
被害者の即時保護
暫定的な事実経過の公表
それをしないから、
人々は公式情報ではなく、暴露アカウントを信じるようになります。
DEATHDOL NOTEのようなアカウントが支持される理由は単純です。
行政が語らないから、代わりに語る者が支持される。
これは民主主義にとって極めて危険な状態です。
本来、透明性を担保すべき公的機関が沈黙し、匿名アカウントが世論形成を担う。
それは健全でも、望ましい未来でもない。
行政はすぐに「再発防止策」を口にする。
だが問うべきは、もっと根本です。
教育委員会は、誰に対して責任を負っているのか
被害者は、どこに助けを求めれば即座に守られるのか
暴力を撮影・傍観した行為は、どう位置づけるのか
これらに明確な答えを出さない限り、
次の動画、次の被害者は必ず生まれます。
政治の役割は、
記者会見で頭を下げることではない
「検討します」と言うことでもない
坂井高校の件は、
「一校の不祥事」ではなく、
「日本の教育行政が機能していない証拠」です。
最後に、はっきり言っておきたい。
被害に遭った子どもに、
「逃げられなかったのが悪い」
「トラブルを起こしたのが悪い」
という視線を向ける社会に、未来はない。
守るべきは、
声を上げられない立場の子どもたちですよね。
大事なことは、
「もっと責任を取らせろ」
ではなく、
「そもそも、こんな叩き合いが起きない社会にできないのか」
です。
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オオサカ ヨシキヨ/54歳/男
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