被害者が押し付けられる理想像、単純化されたストーリーは被害者を救わないが、その枠組みの中で人を感動させ、考える力を奪われることこそ、この映画の持つ力であり、宣伝の仕方にもその戦略を感じる。それを意図して作られた映画であること、それがドキュメンタリーとして売り出されていること
そのものがグロテスクである。
そして、この件に限らず私が一貫して批判してきたのが、自分のことなんだと気づきたくない人が、批判されることへの拒否反応を示していると思う。
そういう人がいることを見越して作られたものであるということ、それがこの映画の本質なのではないか。
それが何を壊しているのか、今後どのような影響をもたらすのかを懸念しているからこそ、それを考えている人たちが言わなければならなくなっている。
今は理解できない人がいても、いつかわかるときがくる。支援業界も、メディアや映画界でも、そうなるように取り組み続ける覚悟がある人でなければ批判もできないようになっているこの状況が凄まじい。
でもこれが今の社会のレベルなんだろう。それをどう変えていくかを考え、じっと耐えている人の存在が多くの人には見えない。
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