名匠・伊藤俊也監督(83)の新作「日本独立」が18日、公開された。第2次世界大戦敗戦後の占領下を舞台に、日本国憲法制定までの日本政府とGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との攻防を、当時外務大臣の吉田茂やその側近、白洲次郎を軸に描く。監督の“終戦直後もの”には東京裁判を扱った「プライド 運命の瞬間(とき)」(98年)があるが、なぜ今、今作を手掛けるのか。監督の来し方を聞く中で理解に近づきたい。(内野 小百美)
タイトルは「日本独立」となっているが、伊藤監督の本心は「日本は本当に独立しているのか?」だという。「ある種のアイロニー(皮肉)を含んだ題として受け止めてほしい」と話す。日本政府とGHQとの間でどんなやり取りの末に日本国憲法は作られていったのか。関わる人々は葛藤の連続だが、比較的分かりやすく描かれている。
「日本人は何て言うんですかね。生来、物事をとことん突き詰めて本質を学ぼうとしない種族」と分析する。「不思議な軟体動物的な思考というか。だからこそ逆に生き延びてきたともいえる。でも、誰かが当時のことをきっちり取り上げ続けてクギを刺しておかないといけない、と思うんです」
福井市で生まれ育ち、終戦時は小3。戦争の原体験は「暗闇」だ。「あんな田舎にいながら、焼夷弾(しょういだん)に追いかけられて逃げた。母親以上に自分が生き延びようとしていることに気づいた。明るい所は危険と思って闇へ闇へと逃げた。恐怖というより、『決してやられまい』という気持ちでしたね」
東映入社は1960年。降旗康男、佐藤純彌の両氏ら東大出身の先輩監督が活躍し始めていた頃。終戦後、教科書に墨を塗らされた経験もある世代だ。「そういう先輩と改まって戦争の話をしたことはなかった」と言うが、降旗氏は「ホタル」「少年H」、佐藤氏は「男たちの大和/YAMATO」と晩年、戦争を扱った作品を作っている。映画監督として描き残したことに行き着くのだろうか。
伊藤氏の監督デビューは今も国内外で根強い人気をもつ梶芽衣子主演「女囚さそり」シリーズ(全3作)で、72年初メガホン。その後「誘拐報道」(82年)など社会派の名匠として寡作の印象を与える。「しかし、本当は多作の監督であるべきだった」と意外なことを明かす。“さそり”は4作目を命じられ、「もう1作作れば何でも好きなものを撮っていい」とまで言われたが断った。
「そんな中でも方法論には執着しました。“さそり”も虚構色の強さなど1作ごとに手法を変えてました」と妥協はなかった。監督人生の変化は当時、東映労組の幹部だったことが挙げられる。
「まるで肉弾戦みたいなところに置かれたのが不幸の始まりというかね。この時点で多作の道はもうないと覚悟しました」。組合と掛け持ちで寝ずに撮影したこともあった。身心とも極限に追い込まれ「がんじがらめの自分に気づいて。でもヒット作のシリーズを自分でやめるなんて。今思えば本当によく言えたものですよ」と苦笑する。
しかし寡作タイプの道を歩んできたから、社会派の作品と出会って評価されたともいえる。「言っても仕方のないことだけど。結局、監督としてこういう生き方が自分には必然だったんじゃないですかね」
あのまま“さそり”を撮り続けていたら、今作も存在しなかったかもしれない。生き延びる一心で「暗闇」を求め、突き進んだ8歳の少年は、時を経て映画館という「暗闇」に無限の可能性を見いだした。日本の平和の本当の意味を問いかける姿勢は、これからも揺らぐことはないだろう。
◆日本独立 終戦直後のGHQ占領下の日本を舞台に、敗れはしたものの、日本の独立回復を求め、奔走した人々のドラマ。国の難局に立ち向かう吉田茂(小林薫)や白洲次郎(浅野忠信)を軸に日本国憲法の制定までの話を中心にしながら、主権回復に至る歴史の裏側での苦悩が描かれる。次郎の妻・正子を宮沢りえ、他に柄本明、渡辺大、浅田美代子らが共演。小林の“激似”の特殊メイクにも注目。2時間7分。
◆伊藤 俊也(いとう・しゅんや)1937年2月17日、福井市生まれ。83歳。東大文学部美学科卒。72年「女囚701号さそり」で監督デビューし、“さそり”シリーズ3作を担当。主な作品に82年「誘拐報道」はモントリオール世界映画祭審査員賞、85年「花いちもんめ」は日本アカデミー賞最優秀作品賞、98年「プライド 運命の瞬間(とき)」など。近作に「ロストクライム―閃光―」(2010年)、「始まりも終わりもない」(13年)がある。

















































