織田信長「けしからんハゲネズミめ!」…軍令違反で叱られた豊臣秀吉が「自宅謹慎中」にした驚きの行動
■連日、家来たちを呼んでどんちゃん騒ぎ さて、秀吉は信長に叱られて長浜にかえったが、一向に謹慎などはしない。 「これまでは合戦合戦で、一日としてのんびりとくつろげる日はなかったが、今こそひまじゃ。こんな時に楽しまんでは、楽しむ時がない」 と言って、毎日家来共を呼んで酒宴をひらき、また能役者を呼んで能見物して楽しんでいる。家来共は、こんな風ではさらに信長の怒りを挑発するにちがいないと心配して諫言したが、一向きかない。 「かまうな、かまうな」 と笑って、ますます遊びほうけている。 ■陰気くさくしていると、余計な疑念を生む 家来共は秀吉と仲のよい竹中半兵衛に忠告してもらおうと思って、半兵衛のところへ行って頼むと、半兵衛はニコリと笑って言ったという。 「それは筑前殿に深い考えがあってなさっているのじゃ。信長公のご性質は、そなたらもよく知っているであろう。もし、筑前殿が家に居すくんで陰気くさい様子なんどでいられるなら、筑前殿は二十余万石の大名なり、持城の一つ小谷はあれほどに要害の名城なり、きっと、筑前は、上様をうらんで謀叛を企てているようでありますなどと、ざん言を奉る者が出て来、それが度重なれば、それをご信用になることがないともかぎらぬ。そこを考えておられるのよ。心配無用」 これは真書太閤記にある話で、真偽のほどはわからないが、信長の性格の一面と、秀吉が人間心理の洞察の名人であったことを最も手際よく物語っている。 さらにまた、かつては目立とう目立とうとあせって、そのあまりには危険をかえりみなかった秀吉が、この頃では信長の疑惑を避けることにずいぶん用心深くなっていることがわかる話になっている。 ---------- 海音寺 潮五郎(かいおんじ・ちょうごろう) 作家・小説家 1901年生まれ。国学院大学卒。中学の国漢教師を勤めた後、創作に専念。1929年「うたかた草紙」が「サンデー毎日」大衆文芸賞に入選。1932年長編「風雲」も同賞を受賞。1936年『天正女合戦』で直木賞を受賞。1957年に完結した『平将門』は新時代の歴史小説の先駆となった記念碑的大作。日本史への造詣の深さは比類がない。他に『武将列伝』『列藩騒動録』『孫子』『天と地と』『西郷隆盛』『西郷と大久保』『幕末動乱の男たち』『江戸開城』『二本の銀杏』など著書多数。1977年、逝去。写真(かごしま近代文学館所蔵) ----------
作家・小説家 海音寺 潮五郎