織田信長「けしからんハゲネズミめ!」…軍令違反で叱られた豊臣秀吉が「自宅謹慎中」にした驚きの行動
■強敵・謙信との衝突を前に、独断で帰国 天正5年8月、信長は柴田勝家を主将として、丹羽長秀以下の諸将領の大部分をこれにつけて加賀に出動させた。この前月、上杉謙信が能登に打って出たからであった。当時織田家のこの方面の勢力は加賀にのび、能登の七尾郡におよんでいたから、謙信の鉾先(ほこさき)が信長の勢力分野をあらすことは必至と思われたのだ。 謙信は恐るべき敵だ。その用兵は天才的神気(しんき)があり、その軍勢は精鋭無比、これと戦って互角な勝負が出来たのは、4年前に死んだ武田信玄以外にはないと思われていた。だから、織田軍は緊張し切って向った。 秀吉もこの加賀派遣軍の中にいたが、加賀に入ってしばらくすると、主将である柴田勝家と意見が衝突したので、信長にうかがいも立てず、さっさと帰国してしまった。 どういう意見の衝突であったか、その点は信長公記も明記していないからわからないが、思うに秀吉としては、かねてから仲の悪い柴田の指揮の下に戦わなければならないのを不愉快に思っていたところに、意見が衝突したので、いい機会にして帰国したのではなかったかと思う。 ■いくらお気に入りの部下でも許されない これは明らかな軍令違反だ。いくら秀吉がお気に入りであっても、信長としては激怒せざるを得ない。「曲事の由御逆鱗(げきりん)なされ」と信長公記にある。思うに、 「けしからんハゲネズミめ! 目通りかなわぬ! まかりさがってつつしみおろう!」 と、雷鳴のような声でどなりつけたにちがいない。 ハゲネズミというのは、この頃信長が秀吉の妻ねねに出した手紙の中で、秀吉のことをこう書いているのだ。 信長はアダ名をつけたり、アダ名式に人を呼ぶことばの創作が実にうまい。まぬるい人間は大(おお)ヌル山である。明智光秀は頭がはげているからキンカ頭(金柑頭?)であり、秀吉は色黒の痩せた小男でいつもちょろちょろと敏捷に走りまわっているからハゲネズミというわけだ。