織田信長「けしからんハゲネズミめ!」…軍令違反で叱られた豊臣秀吉が「自宅謹慎中」にした驚きの行動
■清洲城の修繕をあっという間に完成 このほか、秀吉のこの時代の話はずいぶんあるが、すべて伝説的なもので、一々書いてははてしがない。甫菴太閤記に伝えるものだけを簡単に書く。 その一つ。 ある時、清洲城の塀が百間ばかりくずれた。信長は修理を命じたが、20日かかってもまだ完成しない。信長の供をしていた秀吉はひとりごとした。 「油断もすきもならぬこの戦国の世に、あぶないことじゃ。万一、隣国の敵どもが押しよせて来たらば、どうなることぞ。悠長さにもほどがあるわ」 信長は聞きつけた。 「猿め、何をぶつぶつ言っているぞ」 秀吉はさすがに言いかねて渋っていると、信長は秀吉の腕をねじ上げてどなった。 「さっさと言えい!」 秀吉は余儀なきていで、思うところを言った。 「ふん、そういうならば、汝(われ)には自信があるのじゃろう。汝(われ)に奉行を申しつける。急ぎこしらえい」 秀吉は百間を10区域にわけ、人数を10組にわけて、割普請(わりぶしん)にして督励(とくれい)したところ、2日目にはもう出来上った。 信長が鷹狩から帰って検分すると、あたり一帯塵一つとどめず掃除し、検分に便利なように塀の腕木ごとに松火(たいまつ)をかけて明(あか)りわたっていた。 「やったの、猿。あっぱれじゃ」 信長は感じ入り、扶持(ふち)を加増してやったという。 ■信長に怒鳴られても出しゃばり続けた その二。 ある時、秀吉は信長に言上した。 「この清洲のお城は水が乏しゅうございます。小牧山は要害もよく、また便利な土地でござれば、これにお移りになるがよろしいと存じます」 信長も内心これに気づいていたのであるが、費用を思ってひかえていたところであったので、立腹をよそおい、 「猿めが何を知るか! 猿思案で、家中(かちゅう)の者の迷惑も考えず、おれにさしずがましいことを言う。しばり首にしてくれるぞ!」 と、さんざんに叱りつけた。(後に信長は小牧山に移転している) こんな調子で、秀吉は気づいて言わざるなく、機会ある毎に出しゃばってはよく叱られたので、人々は皆、 「あれほど面の皮の厚いやつは見たことも聞いたこともないわ」 と嘲笑したが、秀吉は一向気にせず、出しゃばりつづけた。