繰り返しの掲載となるが、上の動画で僕が言っている通り、アニメはいろんなジャンルを横断すべきだし、引用含めどんどん吸収しなければ成長はない、と断言する。
ただ、ちょうどいいタイミングで『呪術廻戦』のOPが「X」上で議論となっている。
こういう意見も解る。特に三つ目のポスト。
これについては今までの経験から言ってしまうが、要は「カットアップ・アレンジのセンス」が問われているのだと思う。
従前から言ってある通り、僕はパロディやオマージュを否定はしない。むしろどんどんやればいいと思っている。
しかし、「ただパクりました!」では芸がない、とだけは言っておきたい。
そこを経て自分のメッセージ性なり、そこまで行かずとも、新しい効果、「異化効果」とでも言っておこうか、そういったものが生まれなければ、オマージュはただの意味のないパクリに終わるのであろう。
僕の仕事で言うと、これは有名となったが『あたしンち』で引用した『ほしのこえ』の踏切(新海氏に了承をもらったやつ)。
当時の京アニの後輩と共謀して、可能な限り忠実に再現した。
しかしそこで生まれた画面は、リアルなCGの踏切に立つ2頭身のみかんだった。
「ええ!?」と観る人は思うだろう。明らかに質感が(他の話数と比べても)違う。
新しい質感、新しい価値観が生まれるのが楽しかったのだ。評判も今でも高い。
あとこれはあまり有名ではないが、『ジャングルはいつもハレのちグゥ』のOVAでも、ハレが思考停止した瞬間、イメージBGの代わりにダリの絵を描いてもらった。
基本ジャンルがギャグだけに、これまた「は!?」と驚き、元ネタを知っている人は笑えたことだろう。
オマージュとはこういう時に機能するのだ。
これが天才的に上手かったのがジャン=リュック・ゴダール。
晩年の彼はロクに自分の画を撮ることもなく、ひたすら過去の映画・映像のカットアップに専念した。
遺作となった『イメージの本』はBDを買ったほどだが、やはり見応えがある。
彼の唱えた「ソニマージュ」技法が極まったと言えるだろう。実際この作品は「パクリ作品の羅列」にもかかわらず、カンヌで「スペシャル・パルム・ドール」を獲っている。
厳密にいえば、それは「パクリ作品の羅列」ではないのだ。
過去の遺産を使うことで「新しい価値」が生まれることにこそオマージュの醍醐味があり、それがないならば価値のないもの、ただの「パクリ作品の羅列」と思われても仕方がない。
だから、そもそも「意味」を創出するのが難しいOP映像とかでバカスカとオマージュを使うのは、かなりハードルが上がるのだと思う(それをクリアしたのが、自画自賛となるが「ハルヒダンス」)。
そこに「オマージュを通して何を生み出したいか」という意志が感じられなければ、まぁダメだとは言わないが、センスのなさを露呈しがちになるのだろう。
まして名画や名曲などを持って来て「俺こんなに知ってんだぜ!」と粋がってしまうようでは、そのスノビズムに視聴者が鼻白んでもしょうがない。
僕が『果てしなきスカーレット』の最大の瑕疵として指摘した『ハムレット』の引用もこれに含まれるだろう。









