以前、この曲の歌詞の解釈を少しだけ文章にした。しかしながら、それはタイトルの「戸塚祥太の作詞から読み解くふみとつ」の通り、あくまで河合郁人さんと戸塚祥太さんの関係性を主軸に考察したものであって、楽曲の歌詞そのものの純粋な解釈であるとは到底言えたものではない。なので、先ほど親友とこの曲の歌詞の話をしたのをきっかけとし、再度、純粋に歌詞の解釈をしたいと思う。
前置きはこのくらいにして、そろそろ始めよう。
「どうせ僕 なんてまぁ」
ハート凍っていて
自虐から始まる。わざわざ鍵括弧がついているので、状況としては誰かへの返事か、独り言。私としては、もう一人の向けて向けて発した言葉ではないかと感じた。「まぁ」という部分に、自虐だけでなく、嫌味のような、実は自信/自己肯定感を備えたような感じがしたからだ。すると、それが他人として存在する自分に向けての発言の場合、自虐ではなく、攻撃のニュアンスも入ってくる。以前書いたブログに書いた解釈にある、これ以降の歌詞の一部を私は「自暴自棄」と捉えた。優しく聞こえるが、攻撃性が、隠れているのだと。「ハート凍っていて」これは、後に「熱」や「燃やす」といった単語を使うため、対比の側面もある。しかし問題はそこではなく、彼の中の「ハートが凍っている状態」とはどのような状態を指すのか?続く歌詞を見ると、無気力などといった言葉に近い意味合いに思えるが、温度の要素がある。燃えている状態の逆、無気力ではない、「熱意がない」どころか、「熱意が更に冷えてしまった」そんな状態かもしれない。
眼差しは鈍ってる
ウソのような今日
みっともないスピードで
ただ漂っているよ
鈍ってる、濁ってるのではなく、鈍ってるのか。これは自然と、「(戸塚さんの)眼差しは」と読んでいた。しかし、よく考えたら周囲の眼差しかもしれない。先に書いた攻撃性、本当にこの楽曲が攻撃性を孕んだものだったら「周囲の眼差しは鈍ったものだ」と、彼は歌っている事となる。その解釈でいくと、それは理想と現実のギャップの不満からか、自分を見る目のない「だれか」へか、自分の実力不足ではない。周囲の眼差しが、鈍っているのだ、と、そういう事となる。
だからか、ウソのような今日。Strange Days。現実感がない。ウソのような、というのが現実を現実と認めたくなくての言葉の場合、それはStrange Daysの、記憶の悪用、自虐、つまりは改竄、現状こそがウソなのだと言い聞かせる、そうした状況であると仮定した。だが、そんな現実逃避を本気でしているのではない。ちゃんと現実を俯瞰している彼──、最近彼自身がよく使う言葉だと「監視カメラ」である彼が、「みっともない」と認めている。「みっともないスピードで」というのは、どんなに熱が冷めかけても、まだ止まってはいないということだ。けれど簡単に打開策がある訳でもない、ゆえに身を任せるように「ただ」「漂っている」のだ。ここで上手いのは、「いるよ」とこちらに話しかけるような言葉にすることで、自分たちに向けて歌っているのだ、と良い錯覚をさせてくれるところである。こういったところを指して、私は彼を「偶像性が高い」としている。「偶像性が高い」というのは「アイドルらしい」とは違う。いかに妄想通りでいてくれる(そうしてくれているように見える)かどうかだ。「ただ」と「漂って」で韻が踏まれているところはまあ、誰でも思うだろうから一応記載するのみで。今の彼がこの歌詞を書いたら「漂って」ではなく「ただ酔って」とかにしそうだなとかどうでもいいことを少し思った。
それでもさ 握ってる
紙切れだけを
記された 熱を見て
思い出せるかい
ここでの紙切れはほぼ間違いなく、コンサートチケットなのだが、一応浮かんだ別のものの可能性がある。それは彼がまだ幼い時、レッスンに向かう時に握った千円札。これは彼のブログの中でも特に好きな2021/01/12の文章の記載からだ。私が彼のブログを読み出したのは2020年の10月以降からなのでそれ以前は知らない。ただ、その日のブログの文章の、母親に握らされた千円札、これはかなり彼の中で大事そうに思えたので、一応の可能性として。まあ、続く歌詞からはやっぱりチケットの事なのだろうけど。
「記された熱」。ハートは今凍っている。ただのインクに過ぎないものに熱が宿っている。この時思い出すのは何か。それとも聞いている私達に思い出して欲しいのか?「思い出せるかい」という言い回しが、冒頭で書いたことと同じように、誰に向けて発言しているのかが何パターンも考えられてしまうのである。彼自身の場合、それはパフォーマンスへの熱意か、ファンの声や笑顔か、ステージからの光景か。ファンが思い出す場合(特に面倒なファンになってしまった人)、それは初期情動、初めて彼らを見た時に感じた胸の高鳴り、きらきらした輝き、そう、それらはこの次の歌詞そのものだ。
めいっぱい 膨らませ
夢希望 憧れを 幾重にも 詰め込んだ
風船を
ここは彼自身の視点でも、ファンの視点でも成立する。
だが続く歌詞が、一見はポジティブなのだが、私にはネガティブに思える。以前のブログでも言及したが、ちゃんとした文章でまた書く。
空に向け
放してく 放してく
集めた瞬きを
散らしてく 散らしてく
知ってた 方角へ
なぜ散らしてしまうんだ。
この歌詞は自暴自棄である。以前の歌詞解釈ブログでも書いたが、「集めた瞬き」はアイドルとしての彼自身なはず。それを散らしてしまう。良いように解釈すれば、命を削ってパフォーマンスをして、瞬きを散らし、それこそ風船のように、例えば一番遠い席のファンにも届けようとしている、とも受け取れる。だが、その解釈はなんだか無理矢理感がひどい。これは文章の形態をとった自傷行為のようだ、と過去のブログでも私は感じた。ただ、その前の「空に向け」という部分。上に、向かっているのだ。私は去年の7/16に彼の語彙を分析するブログを書いた。その際に、彼の文章の中での「進む方向」についてこう触れたのだ。
「順序が逆となりましたが「月に行くね」の部分。これは「行く」のだから明確に「進んで」います。そして月なのですから、それは上に。過去のソロや文章では彼は自己の「深層」に「潜って」いました。これは下に進んでいます。進む方向が変わったことは彼のどのような心境の変化からなのか、」
単純に、この時私は「ドラマ」の該当箇所、「空に向け 放してく」というフレーズのことを失念していたのだ。つまり、「ドラマ」におけるメンタリティは「月に行くね、光の連続」と同じ種類という事になる。
そして、後は「知ってた方角」とは。「知ってた方角」?全然ピンとこない。まず、それが上記の「進む方向」の意味なのか、場所のこと──「月≒東京ドーム」などの意味なのか、そこがわからない。わからないまま続きに行こう。
純粋なブルーが
まっすぐに君へ
届いたら
届いたら
ヒントを貰えました。「まっすぐに」と「届いたら」です。「まっすぐに」という事は、既にその場所(君≒ファンのいる地点)を知っていて、場所があるということは方向がある、「届いたら」ということは、届ける「場所」がある。つまり、「君」のいる場所、ここではそれが「知ってた方角」であるとします。純粋なブルーはまた、無意識に「限りなく透明に近いブルーに似た語感を選んだんだろうなぁ」と思ってしまっていました。つまり何も考えずに聴いていた。なので今回は考えます。そして、今現在の彼の持つ発想が、当時からあったという仮定をここから前提とします。「純粋なブルー」は「知ってた方角」へ「散らしていった」ものと同じであると、読み取れます。そして、私はその散らしたもの「集めた輝き」は彼自身であると考えました。その上でです。
「青い血」。また、これ以外にも、彼のInstagramの最新かつ最後の投稿は、青い血を流す彼の姿です。つまり、今回の私の解釈では、「純粋なブルー」とは戸塚祥太の血であり、それはアイドルのかけら、「集めた輝き」。自分の命を削るように輝きを散らし、彼の血である純粋なブルーを君のいる、知ってた方角に届いてくれと願っている。1番の歌詞の解釈/考察は以上です。では2番へ。
作り物 事実無根
知ったことか
受け取ったバトン一つ
握りしめただけ
私はどうも、以前解釈した時も、この箇所からは苛立ちを感じた。「知ったことか」という言い方がその最たる理由だとは思うが、「受け取ったバトン」にも繋がる事として、この2番冒頭はプレッシャーに苛立っているように思える。それこそ理想と現実のギャップか?「作り物」、これは虚像たる自身への自虐か、そんな虚像を実像と信じるファンへの嘲笑なのか、「事実無根」そもそも自分は虚像で偶像。存在が事実無根。だというのに、その虚像のプライベートを詮索し、「事実無根」の噂や中傷が飛び交う。それでも、「受け取った」プレッシャーに耐えているのに、きっとそこで彼の中には様々な感情が渦巻いただろう。だから、握りしめた「だけ」と、強がりのアピールをする。
沈む陽か 昇る陽か
目にしたら 分かるから
さよならは 言わないで 待っていて
本人の談により、「V」は河合郁人に宛てた曲だということが確定してしまった。そして、この箇所も、「if ~」でほぼそのままサンプリングされた結果、ファンは置いてきぼりの河合郁人への未練箇所となりました。「目にしたら」、「沈む陽」だった。言わないで欲しかった「さよなら」を言われ、「待っていて」なんていてくれずに、先に進んでしまった。今となっては、あの帝劇公演を経た今となっては、これ以上に書ける事などないのだ。この箇所に関しては、我々は入り込むことを許されない。
だからこそ
燃やしてく 燃やしてく
それしかないからさ
「それしかないからさ」と似た言葉、というか現在の語彙バージョン、最近の彼は「うたとおどりしかできないから」というようなことばかり言う。微妙な言い回しの違いはあれど、要は「それしかないからさ」という思いを彼はずっと抱え、今も、いい続けている。しかしだ、この「だからこそ」という語彙は希望的だ。直前の歌詞が(今となっては)あまりに絶望的であるがゆえに、「だからこそ」行動を起こそうとしてくれているというのはそれだけで大分安心する要素だ。そして「燃やしてく」。冒頭では凍っていたというのに、しかし、燃やす、か。どちらにせよ身を削る。ダメージを受ける。両極端であり、不器用で、パフォーマンスに「すべて」を込めようとする。そんな虚像が、私の目には映る。私はこの歌詞のように「アイドルをする」ために身を削っている時の彼が、正直嘘くさく見えて、少しだけ苦手だ。だからか、特に最近のブログに多い、俗人的な、欲が隠しきれていない、アイドルらしかぬブログが大好きだ。彼自身、かつての自身の笑顔は作り笑いだと言及していたりということもあって、結局真実はわからないが、私としては「素(に見える言動)の」戸塚さんが好きだ。
もがいてく もがいてく
転んで立ち上がれ
転んで立ち上がるのくだりに関しては、彼の著作(フォトエッセイ)である「ジョーダンバットが鳴っている」に収録されている、「光」という小説を読むことを推奨します。
消えていく星の
流線を君も
見ていたら
見ていたら
これは彼がよく話題にあげることのひとつ。星の輝きはもうとっくの昔に潰えた光であり、我々は今現在光っていると思ってそれを見ている、という話である。実際そうです。さて、戸塚さんの文章では星≒発光体は「アイドル(自身を含む)」の場合と、「アイドル(自身以外)」の場合と、「ファン」の場合がある。更に言えば2番目の「アイドル(自身以外)」は「スター」という単語と同じ用法、つまり、俳優やロックスターなんかも彼の中では「アイドル」になり、そして、それは「星」である。
消えていく、という言葉が指しているのは現在進行形でパフォーマンスを行っているように見えるアイドルたちは実際にはもう輝いた後の残滓を引き連れているだけ、という事なのか?その光の輪郭に、私は貴方の名前を付けた。それと同時に、彼は、光を纏って汗血馬のようにひた走るその姿を「君も」、「もう一人の自分と君」に、見ていたらと願った。願ってくれた、と、私は解釈した。
恥ずかしいほどに助走をとったら
もう今が さあ今が来てる
これは「月に行くね、光の連続」に引き継がれたと思う。「今が来てる」。永遠のうちの一瞬、一瞬の中に永遠はある。ゆえに今とは瞬間であり、あとで、とは瞬間であり、さっき、も瞬間であり、時間は、記憶は、瞬間の連続である。
光の連続は死・再生・発光のサイクルの事だと考えた。「今」はそれのもっと簡素なバージョンのものであると考える。前半の助走をとったら、という箇所はとても個人的にだが、映画版の「限りなく透明に近いブルー」のラストシーン、主人公のリュウがコーラの瓶に入った水(普通にコーラだったかもしれない・・・)で地面にスタートラインを描き、走り出してエンディングに入る、という私の好きなシーンを思い出した。思い出しただけだ。特に意味はない。
磔にしてた 好きの炎
身にまとい 戦うよ
彼のフォトエッセイ、「ジョーダンバットが鳴っている」の「Mステ事件」の回の文章によれば、彼はステージに立つこと自体は勝負、つまり戦いと捉え、憧れのロックスターと同じアイテムを纏ってステージに立つことはそのスターを連れている気持ちである、ということがわかる。実際に「好きの炎」を「身にまとい」「戦」ったのが、あのMステ事件だったようだ・・・。ちょっと疲れてきた。この辺りは後で加筆する。
「どうせ僕なんてまあ」
もう 言えない星の
眩さが
照らすから
これは私の中で2パターンの解釈がある。自虐を許されない立場になった星(自分自身)の眩さが(君達を)照らすから、か、「どうせ~言えない」までで区切り、「星の眩さが照らすから」となる、つまりアイドルではない星≒ファンに照らされているから、「どうせ僕なんてまあ」と、もう言えない、という解釈であり、後者の場合・・・戸塚さん、この時点で「星が光ってると思っていた」と同じこと言ってないか????
ここ、気になる・・・。すごく気になる・・・。
空に向け
放してく 放してく
集めた瞬きを
散らしてく 散らしてく
知ってた 方角へ
純粋なブルーが
まっすぐに君へ
届いたら
届いたら
最後はもう解釈を書いた部分なのでもう一度は触れません。
【あとがき】
やはり通しで真剣に読んで書いてとすると、今まで気が付かなかったとても気になる箇所というのが必ず何個かは出てくるものだ。この分析の感覚は久しぶりだ。最近は分析の中の妄想の要素を減らすことを努力している。しかしまあ、こうも何度も擦ってもずっと話題にすることができる戸塚さんは、やはり偶像性が高いなぁ、と、3時半あたりから書き始め、徹夜して6時半になった現在、ぼんやりと思うのだった。
更新(2025/08/04 06:37)