「いじめ」という言葉が、被害者を苦しめる。学校は「治外法権」ではない。児童福祉法と少年法が無視される、教室という密室の闇。〜元被害者の調査委員が見た、学校と社会の絶望的なギャップ〜
🔵子供の頃、私は「いじられキャラ」だった。
……いや、そう思い込んでいた。
上履きを隠され、背中を蹴られ、それでもヘラヘラ笑っていた。
「これは遊びだ。俺は人気者だから構われているんだ」
そう自分に言い聞かせて。
ある日、友人がポツリと言った。
「それ、いじめじゃねぇか?」
その一言で、世界が反転した。
ああ、私は被害者だったんだ。傷ついてよかったんだ、と。
あれから数十年。
私は今、社会福祉士として、自治体の「いじめ調査委員」を務めている。
学校で起きた重大事態を調査し、報告書をまとめる仕事だ。
大人になり、法律と福祉のプロとして現場を見て、初めて気づいたことがある。
学校という場所は、日本の法律が通用しない「治外法権」のようになっている。
特に、子供を守るための最強の盾である「児童福祉法」と「少年法」が、校門の前で遮断されているのだ。
今日は、元いじめられっ子の調査委員として、この「密室の闇」について書きたい。
1. 「14歳未満だから警察は関係ない」という嘘
調査の現場に入ると、教師たちから判で押したような言葉を聞くことがある。
「まだ中学生(あるいは小学生)ですから、警察沙汰にはしたくないんです」
「刑事責任能力がない年齢(14歳未満)なので、教育的指導で更生させます」
ここに、決定的な「少年法」の誤解がある。
確かに、14歳未満は「犯罪少年」としては逮捕されないかもしれない。
だが、少年法には「触法少年(しょくほうしょうねん)」という明確な定義がある。
刑罰法令に触れる行為(暴力、恐喝、強要など)をした少年は、年齢に関わらず、警察や児童相談所が介入し、家庭裁判所の審判を受ける道筋が法律で作られている。
なぜか?
ここが一番重要だ。
少年法は、「子供を罰するため」だけにあるのではない。
「性格の矯正」と「環境の調整」を行い、子供を救うためにあるのだ。
「いじめ」という名の暴行や恐喝を行う子供は、すでに何らかの「SOS」を出している状態だ。
家庭環境に虐待があるかもしれない。発達特性上の課題があるかもしれない。
それは、学校の先生が放課後に説教をして治るレベルを超えていることが多い。
それなのに、学校が「教育的指導」という名の下に問題を抱え込み、外部に出さないこと。
それは、加害少年から「更生の専門機関(家裁や児相)につながり、立ち直る機会」を奪っていることと同義なのだ。
「警察沙汰にしたくない」という教師の親心は、皮肉にも、加害児童の将来の芽を摘んでいる可能性がある。
2. 学校による「組織的ネグレクト」
もう一つ、決定的に欠けているのが「児童福祉法」の視点だ。
いじめられている子は、「心身に著しい被害を受けている児童」だ。
いじめている子は、「他人の権利を侵害し、放置すれば将来に危惧がある児童」だ。
児童福祉法第25条を見てほしい。
保護者や学校は、こうした児童(要保護児童)を発見した場合、
「児童相談所(児相)に通告しなければならない」
という義務に近い規定がある。
家庭で虐待を見つけたら、すぐに通報するだろう。
深刻ないじめは、子供同士で行われる「心理的虐待」や「身体的虐待」の応酬だ。家庭内虐待と同じくらい、緊急性が高い。
しかし、現場ではどうだ?
「児相に通報するなんて、オオゴトにしたくない」
「学校の評判に関わる」
「まずは校内で指導します」
そうやって通報をためらっている間に、被害者は追い詰められ、最悪の場合、自ら命を絶つケースがある。
必要な医療や福祉(児相)につなげず、自分たちだけで抱え込んで悪化させること。
これは、学校による「組織的なネグレクト(医療・福祉的ケアの放棄)」ではないだろうか。
社会福祉士の私から見れば、
「いじめを学校内だけで処理しようとする」ことは、
児童福祉法が定める「子供の安全確保の権利」を侵害していると言わざるを得ない。
3. 「教育の論理」と「法の論理」のねじれ
もちろん、先生たちの気持ちもわかる。
「教育者として、最後まで子供を見捨てたくない」
「自分たちの手で育て直したい」
その情熱自体は、尊いものだ。
だが、その情熱が「法」を無視した時、最悪の事態が起きる。
ここに、学校と社会の決定的な「ねじれ」がある。
🟡 教育の論理(Internal Logic):
「喧嘩両成敗」「話せばわかる」「仲直りさせたい」「反省すればいい」
🟢 法の論理(Legal Logic):
「加害行動の矯正(少年法)」「被害者の安全確保(福祉法)」「専門機関への送致」
大津市のいじめ事件でも、旭川の事件でも、この「ねじれ」が起きていた。
学校が「これは喧嘩だ」「トラブルだ」と言い張って、警察や福祉につなぐのを拒んだ結果、子供の命が失われた。
「まさか、死ぬとは思わなかった」
調査の過程で繰り返されるその言葉は、免罪符にはならない。
「法の専門家に助けを求めなかった」ことへの言い訳にはならないのだ。
学校の先生は、教育のプロだ。
だが、犯罪捜査のプロでもなければ、虐待対応のプロでもない。
自分たちの専門外のことが起きたら、躊躇なく外部のプロ(警察・児相)を頼る。
それが、本当の意味で「子供を守る」ということではないか。
4. 解決策:学校の「開国」を
どうすればいいか。
答えはシンプルだ。学校を開くことだ。
いじめが起きたら、隠さずに「チーム」を作るのだ。
🔴 犯罪性の高い行為があれば、躊躇なく警察(少年法)と連携する。
🔴 加害・被害双方の背景にある家庭環境や心理ケアのために、児童相談所(児童福祉法)と連携する。
それを「学校の恥」だと思わない文化を作ることだ。
むしろ、「私たちは外部の専門機関と連携して、最速で子供を守りました」と胸を張るべきなのだ。
社会福祉士として、私はその「橋渡し」になりたいと思っている。
学校と法律、学校と福祉をつなぐパイプ役こそが、これからのスクールソーシャルワーカーや調査委員の使命だからだ。
最後に:保護者のあなたへ
もし、これを読んでいるあなたのお子さんが、今いじめに遭っているなら。
そして、学校が「話し合い」や「指導」だけで済ませようとしているなら。
担任や校長に、勇気を出してこう伝えてみてほしい。
「先生、これは少年法における『触法行為』ではありませんか?」
「児童福祉法に基づき、児童相談所とも連携してくれていますか?」
その一言で、学校側の空気は変わるはずだ。
「あ、この親は『感情論』ではなく『法律』を知っている」
そう思わせるだけで、それは強烈な抑止力になる。
学校は聖域ではない。
あなたの子供は、学校の備品ではない。
日本の法律に守られた、尊厳ある「国民」だ。
どうか、狭い教室のローカルルールに、命まで奪われないでほしい。
法は、冷たいものではない。
法は、弱い立場に置かれた者が、理不尽と戦うための「武器」であり、
子供たちが未来へ生き延びるための「命綱」なのだから。
あとがき:もしも学校が「社会」だったなら。〜いじめを刑法で翻訳する〜
本文では、子供を守るための法律(児童福祉法・少年法)について触れました。
しかし、忘れてはならない事実がもう一つあります。
それは、「教室で起きている行為のほとんどは、刑法のリストに載っている」という現実です。
「いじめ」という言葉は、あまりにも便利すぎます。
どんなに残酷な暴力も、この3文字のフィルターを通すと、なんだか子供っぽい「トラブル」のように響いてしまうからです。
最後に、学校現場で頻発する行為を、大人の社会のルール(刑法)に翻訳して終わります。
今、何かに耐えているあなた。あなたは「いたずら」をされているのではありません。「犯罪被害」に遭っているのです。
🔴1. 殴る・蹴る・髪を引っ張る
👉 暴行罪(刑法208条)
怪我がなくても、物理的な力の行使があれば成立します。胸ぐらを掴んで揺さぶる行為もアウトです。
🔴2. 怪我をさせる・心を病ませる
👉 傷害罪(刑法204条)
打撲や骨折だけではありません。執拗ないじめによってPTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病を発症させた場合も、傷害罪が問われる可能性があります。心の傷は、立派な傷害です。
🔴3. 「土下座しろ」「パシリ」
👉 強要罪(刑法223条)
嫌がる行為を無理やりやらせることは、命令ではありません。犯罪です。
🔴4. 「金を持ってこい」「おごれ」
👉 恐喝罪(刑法249条)
カツアゲは、成人であれば懲役刑もありうる重罪です。「友達だからおごった」という言い訳は、恐喝の現場では通用しません。
🔴5. 靴を隠す・服を切り刻む
👉 器物損壊罪(刑法261条)/窃盗罪(刑法235条)
人の物を隠したり壊したりすることは、他人の財産権を侵害する行為です。
🔴6. SNSでの悪口・画像の拡散
👉 名誉毀損罪(刑法230条)/侮辱罪
ネット上に書き込まれた言葉や画像は「デジタルタトゥー」として一生残ります。これは時として、ナイフで刺されるよりも深い傷を残す、極めて悪質な行為です。
いじめは、いじめる側が100%悪いです。
そこに「理由」なんてありません。あるのは「条文」だけです。
もし心が折れそうになったら、このリストを思い出してください。
あなたは、無法地帯で戦っているわけではありません。
法という武器は、いつでもあなたのポケットに入っているのです。
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あなたの心づかいに感謝します。社会課題の解消の一歩となるよう、大切に使わせて頂きます。

共感致します。
ひかりオフィスさま コメントありがとうございます。共感していただいて嬉しいです😊