※蘇枋がぶっ飛んでます
家賃が安く、職場からも近くなるからこの街に越してきたが、安い理由がよく分かった。あまりにも治安が悪い。仕事終わりに外を歩いていれば輩に絡まれ、休日にカフェへ行った帰りにも喧嘩に巻き込まれ、終いにはナンパをされたり。私に声をかけるって、見る目が無さすぎないだろうか。まあ、それはとりあえず置いておくにしても、不良が多すぎるのだ。
『桜くん、今日はありがとう…』
「べっ、別に!お前を助けたわけじゃねぇし!弱いくせにいきがってるのがムカついただけだ!」
『それでも助けてもらうの三回目…、本当にありがとう…』
だからと言って、みんながみんな悪い子なわけではない。顔をオムライスにかけられているケチャップの様に赤くしている桜遥くんは紛れもなく優しい子だ。彼のお気に入りである喫茶ポトスでランチをご馳走するのも同じく三回目。このカウンター席にも愛着が生まれ始めている。
「あっ!桜さん、やっぱりここに居た!」
『楡井くん、こんにちは』
「こんにちは!」
扉を開いて耳触りの良いベルを鳴らしながら入って来たのは、桜くんを通じて知り合った風鈴高校に通っている男の子二人。元気よく挨拶をしてくれた楡井くんの後ろに現れたもう一つの姿に背筋が凍る。
「蘇枋も来たのか」
「うん。にれ君がポトスに行くって言うからね」
優しそうな笑みを浮かべているこの子は蘇枋隼飛くん。中華風の装いに、耳で揺れるタッセルピアス。そして目を引く眼帯。声をかけた桜くんに対して、友人なのだから当然だろうが、友好的な態度だ。
「こんにちは」
『こ、こんにちは…』
率直に言おう。私は彼が怖くて仕方ない。もちろん、態度が悪いとか、そういう事ではなく、至って紳士的である。風鈴生徒の中では親しみやすい部類に入るだろう。私以外ならば。
「どうせならみんなでご飯食べませんか?テーブル席で!」
楡井くんの提案に心臓が止まる。もう一度言うが、私は蘇枋くんが怖いのだ。もっと厳密に言うならば───彼の目が怖くてしょうがないのである。
『わ、私は、桜くんにご馳走したかっただけだから、もう帰るね…』
「さっき自分の飯も頼んでたじゃねぇか」
桜くんの馬鹿野郎。余計なことを言うんじゃない。冷や汗を流しながら、チラリ蘇枋くんの方を見れば絶対零度の瞳と視線が交わってしまう。そう、これが怖いのだ。他の人には暖かく向けている目が、私には冷たさを含んでいる。───私は蘇枋隼飛くんに嫌われているらしい。
「ほらほら!こっちですよ!」
楡井くんに手招きされてしまい、仕方なく立ち上がる。桜くんも「めんどくせぇ」なんて言いながらもオムライスを持って移動してしまっているし、覚悟を決めるしかない。震える足でテーブル席へ向かい、楡井くんの隣に腰を下ろす。机を挟んで斜め向かいに座っている蘇枋くんが怖くて見れやしない。
『あ、あの…、やっぱり私はお邪魔だろうから…』
「そういえばどうしてポトスに?」
『え…!?』
やっぱり耐えられない、と腰を上げようとした矢先、思いもしなかった方向から質問を投げかけられてしまい、動きが止まる。まさか蘇枋くんから話しかけられるとは。これはもしや、自分達の縄張りに入って来るなと言う警告なのでは。
『先程、輩に絡まれていた所を桜くんに助けていただきましたので、そのお礼としてお昼をご馳走している所存でございます…』
「なんで敬語なんだ?」
不思議そうに首を傾げながらスプーンを咥えている桜くんを睨みつけるが、どうやら効果は無いらしい。そりゃあそうか。日頃からもっと人相の悪い人達と対峙しているのだから私の睨みなんて効きやしないか。そうだよね、と納得はしながらもムカついたから机の下で足を踏んでやった。
「…桜くんと仲が良いんですね」
『全然そんな!蘇枋くんと桜くん程じゃないです!』
「仲良くねぇし!」
冷ややかな目で蘇枋くんに告げられ、慌てて否定すれば顔を真っ赤にした桜くんが追撃をする。俺の仲間に気安く接してんじゃねぇ、ってことですよね、分かります。早く私が注文したサンドイッチ来ないかな。食べて帰りたい。
「ま、まあまあ!蘇枋さんも何か頼みますか?俺はたまごサンドにしようかな~」
「俺は紅茶で」
楡井くんに視線を移した蘇枋くんの瞳は優しげだ。どうしてこんなにも目の敵にされているのだろう。出会ったばかりはそうなこと無かったはずなのに。知らぬ間に私が何かをしてしまったのだろうか。心当たりが無い。だって、嫌われてしまうほど彼と仲が良かった覚えが無いのだから。
「はーい、お待たせ。季節のフルーツサンド」
『わあ!ことはちゃん、ありがとう!』
キラキラと輝いて見える目の前のフルーツサンドに、口の中で涎が暴れ回っている。相変わらず綺麗な断面。両手を合わせてから、ゆっくり口元へ運んで咀嚼していく。生クリームとフルーツの絶妙なバランス。幸せ過ぎて頬が緩んでしまう。
「お、落ち着いて蘇枋さん!ここでは駄目ですよ!」
隣の楡井くんの慌てた声が聞こえて顔を上げれば、中途半端に腰を浮かせている蘇枋くんが居た。その表情は笑みが浮かべられているが、どこか冷たい。一体どうしたのかと思ったが、すぐにある考えが浮かぶ。私の顔が見るに耐えなかったのではないか、と。けれどそれくらい許して欲しい。それほどにことはちゃんのフルーツサンドが美味しいのだから。
「紅茶とたまごサンドね」
「ありがとうございます!」
現れたたまごサンドに視線が奪われるが、我に返って頭を振る。これは私のじゃない、けど美味しそう。私の奇行に気付いた楡井くんが笑いながら一切れお皿に乗せてくれる。歳上として情けない。お礼を言いながら、まだ手を付けていなかったフルーツサンドをお礼に渡せば、彼は嬉しそうに口角を持ち上げてくれた。可愛い。癒しだ。
「にれ君」
「ちっ、違いますよ!これはそういうのじゃないです!」
たまごサンドを食べれば幸福感に包まれ、天にも登る気分に襲われる。ポトスに住みたい。というか、ことはちゃんをお嫁に迎えたい。そんなことを思いながら、ふと蘇枋くんの方を見れば、不自然にスマホがこちらへ向けられていた。片手で器用に紅茶を飲んでいる姿に、まさか撮られているわけでもないと自分の自意識過剰さが恥ずかしくて羞恥に陥る。
「おい…、お前それ犯罪じゃ…」
「桜くん黙って」
引き攣った顔をしている桜くんにたまごサンドを差し出せば、更に顔を青くさせて「おいやめろ!」と言われてしまう。それもそうか。人の食べかけなんて嫌だよね、ごめんね。少し落ち込みながら、齧れば机が微かに揺れて桜くんが小さく呻いた。
「痛えッ!」
「ごめんね、足が滑っちゃったみたい」
「わざとだろ…!」
相変わらず桜くんと蘇枋くんは仲が良い。微笑ましく思っていれば、ギロリ隻眼の瞳に睨まれてしまう。急いで顔を伏せて、残り少ないサンドイッチを掻き込み、立ち上がる。
『ことはちゃん、お会計お願いします!』
「帰るの?なら俺が送って行くよ」
『えっ!だ、大丈夫!まだ明るいから!私のことは気にしないで!』
よっこらせ、と立ち上がった蘇枋くんに目を見開き、両手を忙しく左右に振る。彼もよく私を送ろうとするもんだ。流石はボウフウリン。私怨は持ち込まず、嫌いな相手でも危険には犯さないというやつか。
「な、なら俺達も行きます!ね、桜さん!」
「はあ?三人で行く必要無いだろ」
「俺だけで暴走した蘇枋さんを止められるわけないでしょ!」
『え、蘇枋くん暴走するの…?』
不安に思って、いつの間にやら隣に来ていた蘇枋くんを見上げれば、「そんな、まさか」と微笑まれる。そんな目で否定されても信じられない。私のことが嫌い過ぎて、殴って来たりするのだろうか。怖すぎる。
「俺は一人でもいいんだけど」
「駄目です!ほら!行きますよ!」
肩を竦めながらも蘇枋くんはお店の扉を開けて、私を先に通してくれた。こういう所は優しいんだけど。商店街を歩いていれば、通り過ぎる女の子達がひそひそと黄色い声を上げている。どうやら渦中の人物は眼帯の彼のようだ。確かに顔は整っているし、言動も大人びているから人気も頷ける。きっと暴走しやすい桜くんのストッパー的な存在なのだろう。
───なんて思っていた数日前の自分を殴ってやりたい。
『おっ、落ち着いて蘇枋くん!もう相手に戦う意思は無いよ!』
事の発端は休日に買い物をしようと家を出たことだ。まだ行ったことの無いお店も気になるからと路地裏に入った私が悪い。まんまとガラの悪い男の子達に囲まれ、逃げられずに腕を掴まれてしまったのだ。もう駄目だ、お金を取られて殴られるんだ、と絶望に陥った瞬間、何処からともなく現れた蘇枋くんがチンピラ達を一掃した。
『までは良かったんだけどねえ!?』
相手が「もうしません」「すみませんでした」「許してください」なんて言葉を吐いているのに、構わず蘇枋くんは殴り続けている。しかも程よい強さで。気を失うことも出来ず、反撃すら許されない相手が不憫で仕方ない。警察を呼ぼうにも、この状態を見られたら完全に悪者は蘇枋くんになってしまう。だが、このままにするのも絶対に良くない。ええいままよ。元凶は私なのだから、頑張らなくてどうする。覚悟を決めて、未だに不良の胸ぐらを掴んでいる蘇枋くんの背中にダイブして羽交い締めにする。わあ、意外と着痩せするタイプ。こんな時に知りたくなかったなあ。
『鎮まりたまえ…!さぞかし名のある山の主と見受けたが、何故そのように荒ぶるのか!?』
「……………」
グイグイと後ろへ引こうとするが、一向にチンピラとの距離は開かない。力が強過ぎる。ふんぬー!とかっこ悪い掛け声と共にもう一度、力を込めれば胸ぐらを掴んでいた蘇枋くんの手が開き、不良くんが地面にボトリ落とされる。私が言うのも何だけど、もう少し優しくしてあげて。
『す、蘇枋くん!落ち着こう!助けてくれたのは嬉しいんだけど、明らかにこっちが悪者!』
「………」
未だに無言なのが怖い。けれど、とりあえず動きは止まったし、大丈夫だろうと高を括り、腕の力を弱めた刹那。彼の肩に回していた手に触れられ、気付いた時には壁に押し付けられていた。
『………え、……す、蘇枋くん…?』
なにこれ。どういう状況ですか。どうして私は壁ドンされているのでしょうか。力加減をしてくれたのか、痛みは無かったけれど、意味が分からない。え、私怒らせるようなことした?…したわ。蘇枋くんを羽交い締めにしました。でもそれは彼が暴走していたからで、仕方の無いことだと思います。情状酌量の余地はあると思います。
『あの…、蘇枋くん…、羽交い締めにしてごめんね…、けどあれはしょうがなかったと言いますか…。許してください…』
俯いてしまって蘇枋くんの表情は見えない。それがまた恐怖を煽る。待って、殴られたりしないよね。やっと不良達から救い出されたのに、助けてくれた本人にボコられたりしないよね。嫌なイメージが頭に過ぎり、カタカタと体が震え出す。祈る気持ちで蘇枋くんを呼べば、徐に顔が上げられた。
『ひぃッ…!』
怒りを露にされても困るが、そんな顔をされても困る。への字になっていると思っていた口角はこれでもかと持ち上げられ、瞳は機嫌が良さそうに細められていた。それが優しげならば私だって安堵しただろう。けれど蘇枋くんが浮かべていたのは正しく“恍惚”と呼べるほど、今とは不釣り合いな笑みだったのだ。そりゃあ小さく悲鳴も上げてしまうさ。
『す、蘇枋くん…?す、素敵な笑みだけど…、その、…手を、離して欲しいなあ~、なんて…』
壁に縫い付けられた手をどうか離して欲しい。というか怖いのですが。命の危機を感じるほど恐怖なのですが。刺激しないよう、努めて柔らかく声を出せば、蘇枋くんは更に目を細めて顔を寄せてくる。慌てる私を他所に、首元へ顔を埋めた彼は深く、それはもう深く息を吸い込んだ。
『す、蘇枋くん…!まずいって!いくらイケメンでもこの絵面はまずいよ!女の子達ドン引きだよ…!』
私のせいで彼の品位を落とすわけにはいかない。路地裏だからあまり人は通らないけれど、万が一にも人に見られたら捕まるのは私である。未成年に淫行を働いたと明日の一面を飾っちゃうよ。
『ひぇえ~…、誰か助けて~…』
弱々しくそんな言葉を吐けば、蘇枋くんも我に返ったのか顔を上げる。ホッとしたのも束の間、タッセルピアスが微かに揺れて、彼の顔が傾けられているではないか。嘘だろう、蘇枋くん。嘘だと言っておくれよ。
『ちょっ!蘇枋くん!駄目駄目!正気に戻って…!』
唇が重なってしまいそうになり、慌てて首を左右に振りまくる。捕まる、このままじゃ私は警察の御厄介になってしまう。視界が涙で滲み、心の中で両親に謝っていた時、蘇枋くんの体が揺れて、距離が離される。
「こらあ~!蘇枋さん!それはまずいです!流石にアウトですよ!」
「………にれ君、邪魔しないでよ」
「ただでさえ、結構ギリギリなんですよ、あんた!犯罪スレスレなんですからね!分かってます!?」
「嫌だなあ。俺を犯罪者呼ばわりしないでよ」
「いや!犯罪ですから!盗撮とか諸々!」
さっきの私と同じように蘇枋くんを羽交い締めにした楡井くんに、安堵の息を吐く。良かった。あなたの子供は犯罪者にならずに済みましたよ、母上。ズルズルと地面に座り込めば、桜くんがこちらに右手を差し出してくれる。運良く二人が駆けつけてくれたらしい。
「大丈夫か?」
『う、うん…、ありがとう…』
掴んで立ち上がれば、怒った様子の楡井くんが蘇枋くんに説教をしているようだった。一体さっきのは何だったんだろう。蘇枋くんの暴走ってこういうことなの?もしそうなら他の女の子達は大丈夫なのだろうか。
「まあ、その…、あいつも悪気があったわけじゃねぇからさ…」
フォローするように口を開いた桜くんは後頭部をガシガシと掻きながら、視線を逸らす。悪気が無いのは分かっている。蘇枋くんは私のことが嫌いなだけで、優しい子なのだ。この街のために尽力しているのだから。
『…え、もしかして私のことが嫌いで、あんな行動に…?』
嫌いだからキスしようとするのは可笑しくないか。嫌がらせにしても、嫌な気持ちになるのは蘇枋くんだろうに。というか、そんなに私のこと嫌いなの。え、普通にショック。辛い。悲しい。
「好きなら優しくしないと!無理矢理なんてダメですよ!現行犯です!聞いてますか!蘇枋さん!」
「聞いてる聞いてる」
「絶対聞いてないじゃないですか!」
そういえば初めて会った時も「レオナルド・ディカプリオだ」なんて言ってたし。ファーストコンタクトの時から名前を教えたく無いほど私のことを嫌っていたのかも。けれど数週間後には「どうして名前で呼んでくれないの?」なんて言ってきたりもして。それも名前を教えてくれなかったからレオ様って呼んでたのに、まるで私が傷つけているかのように責められて。分からない、蘇枋くんの事が分からないよ。若者怖い。
「あの」
『はいッ!』
「助けたお礼にご飯、奢ってくれるんですよね?」
『…え、』
「桜くんにはそうしてましたよね?」
思考していれば目の前に整った覗き込んで来て、思わず舌を噛んでしまった。ご飯を奢るのはもちろん良いのだが、いいえと言わせない妙な圧を感じる。桜くんに奢っているのだから、当たり前だよね、まさか嫌だなんて言わないよね、とでも言わんばかりのプレッシャー。
「なら、今から行きましょうか」
『い、今から?』
「はい。ちょうどあそこに二人きりになれて、尚且つ休憩出来そうな場所が───」
「蘇枋さんアウトォ!!」
ポコリ、そんな可愛らしい音をさせながら蘇枋くんの頭にゲンコツを落とした楡井くんは私に向かって必死に「嫌わないでくださいね!蘇枋さんのこと!暴走しちゃってるだけなので!右目に封印された悪霊のせいなので!もし嫌われたら、この人何を仕出かすか分からないからほんと!」と頭を下げた。怒濤の展開についていけず、隣に居る桜くんを見上げるが、視線は合わず、彼は蘇枋くんの方を見てげんなりしている。
『蘇枋くんって、変わってるね…』
「お前のせいだろ…」
『え、』
桜くんの言葉の真意が分からず詰め寄ろうとしたが、首根っこが掴まれて前に進めない。一体誰だ、と後ろを見れば犯人は笑みを浮かべた蘇枋くんだった。予想もしておらず、あまりにも影を差した微笑みが怖くて体を縮こませれば、彼は舌なめずりをしているではないか。その時ずっと引っ掛かっていた違和感の正体を知る。そうだ、この目は───捕食者の目だ。
『た、助けて…、助けて、桜くん…、食べられる…、このままじゃ、骨までバリバリと…』
「人聞きが悪いなあ。人は食べないよ。───別の意味では食べる予定だけど」
『いぎゃあ~!カラッと揚げるつもりだ!私をフライドチキンのように!』
猫みたいに持ち上げられてしまい、バタバタと暴れるけれど手も足も出ない。楡井くんが慌てて両手を伸ばしてくれるが、蘇枋くんに高い高いをされてしまう。よくもまあ、人一人を軽々と持ち上げられるものだ。頭の片隅でそう感心しながらも、怖すぎて大人気も無く泣き叫んでしまった。蘇枋隼飛、恐るべし。