長島昭久議員、高市総理、そして私は、ほぼ同じ時期に大学生活を送っている。
長島さんは、国際勝共連合の政治思想や考え方に共鳴したと説明しているが、その後に続くのは「若い正義感」「信頼する友人」といった、いわば政治色の薄い言葉だ。
率直な吐露であると同時に、統一教会や原理運動を語るうえで、ここは極めて重要なポイントだと思う。
ここで、知人のYくんの話をしたい。
1980年代、世界は冷戦構造のもと、米ソの代理戦争が各地で続いていた。
一方の日本社会は、大きな転換期にあった。私たちは「戦後」を実感しなくなり、やがてバブルへと向かっていく。
日々を楽しみながらも、言葉にできない違和感や矛盾を抱えていた学生は少なくなかったのではないか。
キャンパスでは全共闘の時代はすでに終わり、政治に関心を持つことは「暗い」「ダサい」と受け止められる空気が支配していた。
私自身も、戦争で多くを失った家庭環境で育ったことから、行き場のない思いを抱えていた。
「なぜ、みんな何事もなかったかのようにいられるのか」と。
当時、早稲田大学では、統一教会のダミー団体である「原理研」の活動が活発だった。
校舎の片隅――16号館の角や学食などで新入生勧誘が行われ、GW明けには学校に姿を見せなくなる学生が、ちらほらといた。
ピースボートに関わっていた親しい友人の中には、原理研と対峙し、脱会支援をしていた仲間がいる。
彼らの説得で原理研を離れた同級生の一人が、Yくんだった。
地方から上京してきた実直な学生で、一時は家族とも連絡が取れなくなっていた。
家族や友人の支えを受け、Yくんは再び社会との信頼関係を結び直していく。
脱会後には浅見定雄先生の著作などを読み、「統一教会の教義のおかしさがようやく分かった」と語っていた。
原理運動の実態を知った彼は、「誰かの犠牲の上に成り立つ“あたたかい場所”なんて、嘘だ」と言い切った。
でもYくんは、こうも付け加えた。
「仲間と具のないラーメンをすすりながら、政治や社会について夜通し語り合った、あの生活は一生忘れないと思う」
私はピースボートで世界に出て、自分なりの「真実」を探した。知識も経験も増えた。
だが今の私を形作っている原点は、仲間たちと悩み、もがき、うまくいったりいかなかったりしながら、喜びや悔しさを共有したあの時間だ。
もし入り口が違っていたら。
私が「Yくん」にならなかったと、誰が言い切れるだろうか。
だからこそ、長島さんのポストには、彼自身が抱えてきた葛藤を感じずにはいられなかった。
統一教会に「看過しえない矛盾と疑問」を抱き、脱会したことは、相当な勇気を要したはずだ。
パートナーの存在が大きかったであろうことも、想像に難くない。
長島さんには、内情を知る当事者だからこそ可能な情報公開を、今後も続けてほしい。
そして「内部文書に32回も名前が登場した」と報じられた高市総理にも。
私自身、地元の公民館で知人の講演(高槻の郷土史)を聞いたことがある。
後に、それがダミー団体主催だったと知った。
悔しく、恥ずかしい経験だ。
それでも隠せば、さらに被害者が増える。だから私は「事例」として公表している。
これほど地域社会・市民社会に浸透している現実を知ってもらうことが、注意喚起につながるからだ。
kiyomi.gr.jp/blog/16782/
もう誰ひとり、Yくんのような思いをさせないために。
あの時代を生き、政治の道を選んだ私たちの責任として、やり続けなければ。
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